一章三十六話[守るということ]
***シノ視点***
息が苦しい。
肺に、熱くて重たい空気が纏わりつくみたいだ。
「こっちだ! 走れ!」
騎士の声が飛ぶ。
その先導に縋るように俺達は走っていた。
飛び散る瓦礫を、炎を、誰かの亡骸を必死で避けながら、遅れぬように。
「あっ!」
突如、前を走っていた子供が躓き、地面に手をついた。
親らしき人が気付いて振り返るが、次の瞬間――
『――ギャオォォッ!』
影が落ちる。空から、慈悲のない捕食者が子供に迫るのが見えた。
「クソがッ!」
迷う暇はない。俺は包丁を鞘から抜きながら、咄嗟に子供の前に進み出た。
『――料理人スキル。解体術Lv2、【剛刃】発動』
スキルにより刃の硬度を強化。そこへ、鋭い爪が振り下ろされる。
――キィン!
甲高い金属音と火花。衝撃で腕が痺れる。
でも、防ぎきった。
「大丈夫ですか!?」
そこへ騎士の一人が剣を構えて駆け付ける。
獲物を捕らえ損ねたワイバーンは不服そうに宙に戻った。
「立てるか?」
「う、うん。ありがとうお兄ちゃん!」
「よし! 行くぞ!」
立ち上がった子供を両親と合流させた。
「ああ、よかった……よかった本当に。アンタ、助かったよ! ありがとう!」
感謝の言葉を受け取り、俺は再び走り出した。
この手が届く限り、誰も死なせない。守るんだ。
「……約束、したもんな」
遠くから、爆発音が響いた。
思わず振り向く。
――おっさんだ。
炎の軌跡が空を裂き、巨竜へ突っ込んでいくのが見えた。
人の域を超えた戦闘。その余波が、ここまで届いて俺の頬を撫でる。
「……負けんなよ、おっさん……!」
あの戦いを無駄にしないためにも、俺は……生きなきゃならない。
「…………まったく、能無しというものは、どうしてこうも災いを引き寄せるのでしょうか……!」
聞き慣れた不満げな声に、ハッと我に返った。
目を向けると、そこにいたのはズーク。
衣装を翻し、汗だくで先頭を走りながら喚いている。
「やはり、この村にアレを置いていたのは間違いだった……ああ、“シヴィア”よ……なぜ私にこのような試練をお与えになるのか……!」
ブツブツ言いながら、我先に進む。
「誰か、助けてくれ!」
「痛い! 痛いよ!」
道中、助けを求める村人の声。
だが、ズークは見向きもしない。
対応は完全に騎士任せで、自分は常に安全圏にいる。
――胸糞悪い。
でも、あんな奴に構ってる暇はない。
「……っ!」
俺は走りながら、目の端で倒れている人影を見つけた。
建物の下敷きになってる、若い女性が一人、動けないでそこにいる。
一番近くにいるのは――ズークだ。
「そこッ! 人がいる! 建物の下ッ!」
指を指し、声の限り叫んだ。
それに反応して、ズークは女性の方へ視線を向ける。
だが、
「なっ……!?」
奴は、通り過ぎた。
白々しく苦悶の表情を浮かべて、なにも言わずに。
騎士達も、それに付き従う。
縋るように手を伸ばした女性の顔が、一瞬で絶望に染まるのが見えた。
「……てめぇら……!」
口から、低い声が漏れた。
クソ野郎が。後で、絶対にぶん殴る!
――でも、今は。
怒りをバネに、誰よりも早く動く。
韋駄天の如く、俺は女性の前に駆けつけた。
「大丈夫! 今助ける!」
「……あ、あなたは……!」
目の前に現れた俺の顔を見て、ハッとした表情になる女性。
どこかで見た顔だ……多分、店に来てくれてたんだろう。
だったら尚更、
「……死なせる訳にはいかねぇよなッ!」
瓦礫に手をかけ、思いっきり力を入れる。
だが、
「うおおおおおおおお!」
びくともしない。
駄目だ。流石に一人じゃ、この重量は持ち上げられない。
それでも、
「諦めるかぁッ!」
更に力を込める。
『――ギャオォォッ!』
無慈悲な咆哮。
見なくても分かった。背後から、ワイバーンがこちらに向かって来ている。
まずい!
そう思った、次の瞬間――
――キィン!
響く金属音。
その発信源に顔を向けると、
「ア、アンタら……!」
騎士だ。
さっきまでズークの傍にいたのはずの騎士が数人。ワイバーンの攻撃を防ぎ、俺達を庇うようにしてそこに立っていた。
「総員、防御態勢!」
指揮官らしき男が叫ぶ。その号令のもと、統率の取れた動きで列を作る騎士達。
「無事か!?」
「あ、ああ……けど、いいのかよ? 神父は?」
自分の護衛をしていた彼らの離脱を、アイツが許すとは思えない。
「我々騎士の本分は、守ることだ! 特定の一人ではなく、全ての人民の守護! その役割を、能無しに取られる訳にはいかない! それに――」
一瞬の間。そして、
「――君の父上には、世話になったからな」
「親父に……?」
「誇れよ少年。あの方は、恩人だ。私のみならず、村に住む皆にとってな」
そう言ってフッと笑う男の声は、少しだけ柔らかく聞こえた。
「さあ! 話してる暇はない! いいか? 一気にいくぞ!」
「おう!」
「お、おら達も手伝うだ!」
ここまでのやりとりを見ていたらしい村の男達も駆け付ける。
これならいける!
掛け声と共に全員で力を入れた。
「うおおおおおおおお!」
瓦礫が、ゆっくりと持ち上がっていく。
「――今だ! 引き出せ!」
「よし!」
女性の身体を抱え、瓦礫の隙間から素早く引きずり出す。
「…………あ、ありがとう……っ」
涙で濡れた顔に、安堵の笑みが浮かぶ。
よかった。怪我で歩くのは無理そうだけど、命はある。
それを見ただけで、全ての苦労が報われる気がした。
「無事でよかった! すぐに安全な場所まで――」
言いかけた瞬間、再び影が落ちる。
ワイバーンだ。
「くっ……!」
女性を庇いながら咄嗟に包丁を構えるが、体勢が良くない。
そこへ、
「怯むな! 押し返せ!」
掛け声と共に騎士達が列を成して盾を構え、迎撃態勢を取った。
火花が散り、風圧が頬を掠める。
「少年! こちらは任せろ! 彼女も、我々が介抱する! 君は、先に行け!」
「……ああ! 分かった、頼む!」
俺が彼女を抱えて走っても、いい的になるだけ。ここは任せるしかない。
騎士の数人が村人達を先導してその場を離脱する。それを追いかける形で俺も避難を再開した。
――ドォンッ!
その時、轟音が空気を揺らした。
思わず振り向く。
巨大な火柱が、天を突くように上がっている。
圧倒的な光景に、息を呑んだ。
「おっさん……ッ!」
おっさんだけじゃない。
皆が、戦っている。
守るために、生きるために。
「俺も……絶対に、諦めねぇ!」
包丁を握り直し、俺は地を蹴った。
その時――
「う、うわぁーーーーッ!! た、助け……っ、誰か!」
耳を劈くような悲鳴。
咄嗟に顔を向けた俺の目に映ったのは、ワイバーンに追われ逃げ惑う――ズークの姿だった。
次回「決死行」
乞うご期待!
※ブクマ、評価等もよろしくお願いします!