一章三十五話[炎の料理人]
かの者、触れる者尽くを灰燼と化す。
かの者、歩みし大地に生ける者なし。
かの者、一息にて国を滅ぼす。
かの者、煉獄を纏う者なり。
かの者、業火の化身にして、赤き災厄なり。
かの者、竜の王。その名を――
***ヴァルド視点***
「――クソッタレ!」
餓鬼の頃に聞かされたお伽話。
その一節が頭の中で何度も繰り返される。
司災獣。存在するだけで滅びを振りまく、人類の敵。その中の一柱に数えられる――ソイツ。
十年前、村を焼き尽くし、息子を、親友を、多くの命を奪っていった化け物。その姿を、俺は片時も忘れたことがなかった。
「まさか、もう一度その面を拝めるたぁな!」
愛用の解体包丁を握り直し、俺はニヤリと笑った。
心の中で、怒りが燃え滾っている。
ずっと、この時を待っていた。
あの日の借りを返し、アイツらの無念を晴らす。この時を――
『――ギャォォォォォォォオ!』
黒煙立ち込める空に咆哮が響いた。
俺に気付いたワイバーン共が、空を裂きながら一斉に襲いかかってくる。
「邪魔すんじゃねえッ!!」
一喝、そして一閃。
即座に発動した解体スキル【剛刃】により強化された刃が、真っ先に突っ込んできた一体を両断し、肉塊へと変える。
「料理人舐めんなッ! おら来いよッ! どいつもこいつも、三枚におろしてやらあッ!」
突っ込む。
体から噴出する炎を推進力とし、縦横無尽に飛び回りながら、ワイバーンの群れへ。
牙を躱して、その頭を叩き割る。鉤爪を受け止め、その翼を両断する。飛んでくる火球に、こっちも火球を飛ばして相殺する。
「オラオラオラァッ!!」
相棒を一振りする毎に血飛沫と火花が舞い、竜は地に落ちていった。
「次ィッ!!」
刃を返し、手近なワイバーンに斬りかかる。
口を開いて火球を吐こうとしていたそいつの喉元を、先にぶった斬った。
口内に溜まっていた火炎が逆流し、内部から爆ぜる。
その爆風をものともせず、肉の焦げる臭いを突っ切って、更に突撃。
「おらあッ!!」
腕を振り抜く。
同時に解体スキル【断骨】を発動し、骨ごと切り裂かれた死骸が地に落ちる。
『――ギャォォォォォォォオ!』
次から次へと集まってくるワイバーンの群れ。
「チッ……きりがねえ!」
だが、止まるつもりは微塵もない。
こっちは十年間、ずっと沸騰しっぱなしなんだ。
それをぶつける相手が、今、目の前にいる。
「ぶっ飛べッ!!」
魔力を集中。瞬間、燃え上がった刃で空を一閃する。斬撃と爆撃で、新たに対峙したワイバーン達はまとめて焦げ肉に変わった。
そして前進。
斬って進む。叩いて進む。燃やして進む。ただ一本の、火矢と化して。
その果てに――
「――よお、久しぶりだな」
視界が揺らぐ。焦げた臭いが鼻をつく。風が熱を孕み、大地が悲鳴を上げる。
灼熱の王。紅蓮の災厄。全てを焼き尽くす、絶望そのもの。
ソイツの眼前へ、俺は遂に辿り着いた。
『小虫ガ……』
ソイツは、低く唸った。
それだけで、全身の骨が揺さぶられる。
だが、恐怖はない。
俺は正面から、ソイツの視線と対峙した。
『対等ニ位置スルコト、罷リナラン……蹲エ』
まるで羽虫を払うかのように巨大な腕が振るわれる。
山が襲ってくるような迫力、俺は後ろに下がり紙一重でそれを躱した。
直後、風圧。気流が乱れ、飛行を続けられない。
あわや墜落。
「チィッ!」
空中で体勢を立て直し、両足から一瞬だけ炎を噴出。落下の勢いを殺して地面に着地した。
「デカブツが……やってくれんじゃねえか!」
挨拶代わりの攻撃。いや、攻撃ですらなかったのだろう。分かってはいたが、スケールが違う。
その眼前に立って分かる。存在感も、熱量も桁違い。近くにいるだけで全身が焼けそうだ。
だが、
「会いたかったぜ! てめえにゃあ、言いてえことが山程あんだ!」
切っ先を向けながら、ソイツの目を睨む。
溢れる敵意を、怒りを抑えられない。
『吠エルナ。貴様ナド知ラヌ。虫ニ用ハナイ……退ケ』
記憶にも、眼中にもなし。
払った虫のことなんか、覚えてねえってか?
「へっ、上等だ! だったら、潰してみろや――蜥蜴野郎ッ!!」
『ナラバ、ソウシヨウ』
その瞬間――空が閉じられた。
巨大な影。巨竜が足を上げ、俺をそのまま踏み潰そうとしてくる。
「――ッ!」
反射で飛び退く。
直後、さっきまで立っていた地面がひび割れ、焦土と化した。
生き残ったことに安堵する暇はない。
大気が唸り、今度は巨大な爪が迫る。
掠るだけでも肉片になりそうな一撃。だが――
「――遅えッ!」
跳躍、そして爆炎。
足から噴出した炎の勢いに乗って爪の間をすり抜ける。そのすれ違いざま、土手っ腹へ力の限り刃を叩き込んだ。
「……ッ! 硬え!」
赤き鱗は鋼より硬く、刃が弾かれた。衝撃で腕が痺れる。
『痒イナ』
それが聞こえた瞬間、巨大な尾が眼前に迫っていた。
「うおおッ!」
とっさに炎を噴出し、更に上昇して回避。そのままソイツの頭上へ。
『虫如キガ……我ヲ見下ロスカ』
急降下。刃を構えて突撃する。
普通に攻撃しても駄目だ。それは分かった。
だったら――
「――ここなら、どうだァッ!!」
狙うは――“左眼”。
巨竜のそこに刻まれた、十年前の傷跡。シバが――親友が命を賭して奴に与えた、唯一の戦果。
俺はあの時、なにもできなかった。
だが、今度は違う。
俺が、あの日の決着をつける。
渾身の力で包丁を振り下ろす。
刃と共に、十年分の怒りを叩き込んだ――
「……ッ!!」
金属を叩いたような衝撃。
瞬間、手首から肩まで、痺れるような痛みが走り骨が軋んだ。
「硬すぎんだうが……ッ!」
思わず舌打ちする。
傷痕をなぞった斬撃。狙いは完璧だった。それでも――届かず。
厚く積もった鱗が、刃を拒んだ。
ほんの僅かな掠り傷。
それが、全力で挑んだ結果だった。
『無駄ナ足掻キダ……ダガ――』
低く、地を震わせる声。
それと同時に、周囲の空気が一変した。
『少シ、痛カッタゾ』
爆発的な熱風。
奴の体から、灼熱が溢れ出している。まるで火山の噴火を目の当たりにしているかのようだ。
周囲の家々が燃え上がり、草木は灰に。ワイバーンですら、その熱に近寄れず飛び去っていく。
全身が、熱気に押し潰されるような感覚に襲われた。
だが、止まる訳にはいかない。
地面に刃を突き立て、俺はその場に留まった。
『カ弱キ人ノ身デ、我ガ肉体ニ爪痕ヲ残シタコト……驚嘆ニ値スル。誇レ……貴様ハ、我ガ手ズカラ滅シテヤロウ』
「へっ、そいつは光栄だな! だが、滅ぼされんのはてめえの方だッ! 親友と倅の敵、討たせてもらうぜッ!!」
巨竜の目が、僅かに細められる。
『……来ルガイイ』
「言われるまでもねえッ!」
こっからが本番だ!
嫌という程見せてやるぜ! これまでの研鑽、その果てに辿り着いた俺の――“境地”ってやつをな!
俺は地を蹴った。
瞬間――最大火力。全身が白い炎に包まれる。炎への耐性があって尚、皮膚が焼けるような熱さ。諸刃の剣。だが構いやしない。
「――ッらあぁぁッ!!」
解体スキル【剛刃】【断骨】【鱗解】同時発動。
爆発的な推進力を背に、巨竜の懐へ飛び込む。
並の奴なら反応すらできない速度。だが、奴は反応して腕を振るった。
「チィッ!」
鋼鉄の悲鳴のような音が響き、火花が舞う。
打ち合った勢いで吹き飛ばされそうになるが、瞬間的に魔力を放出して、無理矢理空中に静止した。
『ホウ……大シタモノダ』
そう言うソイツの顔は、笑っているように見えた。
「まだまだァッ!」
俺は空中で体を回転させる。
その勢いで渦巻く炎が発生。それを投げつけるイメージで、竜の顔面にぶち当てた。
『温イワ……!』
「だろうな!」
相手は炎の化身だ。俺の炎が通じないのは百も承知。これは、ただの目眩ましだ。
視界を奪った一瞬で、俺は再び上空へ飛ぶ。
さっきよりも高く、更に高く――
『――逃ガサン』
その声に振り向く。
瞬間、目に入ったのは――燃える瓦礫。
「野郎……ッ!」
尾を一振り。
それだけで、その場にあった建物が、俺を撃ち落とすための飛び道具に変わった。
一個一個が、ワイバーンすら殺せそうな散弾。
「クソッタレがッ!!」
悪態をつきながら、俺は包丁を構えて迎え撃つ。
切り、薙ぎ払い、叩いて躱す。
だが、
「グ――ッ!?」
途切れぬ弾幕。
包丁で正面の瓦礫を叩き割った瞬間、死角から飛び込んできた岩の破片が脇腹を掠める。
痛みと衝撃で、息が詰まった。
『ソコマデカ? 人間』
「……んな訳、ねえだろッ!!」
このままじゃジリ貧。なら、覚悟は決まった。
足裏から白炎を噴き出し、強引に瓦礫の雨を突き抜ける。
落下の速度に炎の推進力を加え、一直線に突撃。
景色が飛ぶように流れていく中で、
『――ヨカロウ。我ガ炎ヲ知レ……』
竜が大口を開けるのが見えた。
『滅セヨ』
寒気。次の瞬間――視界の全てが、赤に染まった。
冗談みたいな光と熱。鋼鉄すらも溶けて消えてしまいそうな業火の奔流が、巨竜の喉から容赦なく放たれる。
それでも、止まらない。
噴火する火山に飛び込むような覚悟を持って、俺は更に速度を上げた。
「――うおぉぉらああああああッ!!」
紅蓮の世界。
焼ける、焼ける、焼ける。
生半可な耐性など無意味だ。皮膚が焼け、血が沸騰し、意識が遠くなる。
だが――止まらねえ!
「――まだ……まだだァッ!!」
焼け付く喉で吠える。
前へ! 前へ! 前へ! 全身の魔力を爆発させろ!
思い知れ!
てめえに焼かれた親友の、倅の、人々の無念を! 俺の怒りを! その身に刻んで、燃え尽きろッ!
『――ヴァルド!』『――親父!』
炎の中にある俺の背中を、誰かが押してくれたような気がした。
「――おぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
突破する。
災厄の炎を抜け、巨竜の眼前へ。
勢いのまま刃を突き立て、その左眼めがけて飛び込む。
「喰らいやがれぇぇぇぇぇッ!!」
全身全霊――“憤怒の境地”。持てるスキルを、全ての魔力を一点に。渾身の一撃を叩き込んだ。
――刹那、手応え。
硬質な鱗が砕け、刃が肉へと食い込む感触。爆ぜる白炎で、更にその傷痕を追撃する。
『――グオオッ!』
巨竜の咆哮。
業火が途切れ、周囲の空気が一瞬にして沈黙した。
「……ハァッ……ハァッ…………どうだ! じっくり、味わいやがれ……ッ!」
それだけ言うのがやっと。息は荒く、視界は揺らぎ、皮膚のあちこちが焦げている。
意識が、途切れそうだ。
だが、まだ終わってない。
着地の衝撃に耐えられず転がった体を、無理やり起こして竜と対峙する。
『……ソウカ……』
竜は、動かない。
僅かに流血する瞳を抑えながら、ソイツはただじっと俺を見ていた。
『思イ出シタゾ……貴様ハ、アノ時……』
そこまで言って、ソイツは嗤った。
「けっ! ようやく……思い出したかよ!」
十年前、苦い記憶。
なにもできなかった、情けない男の姿が浮かぶ。
だが今――俺の刃は、こいつに届いた。
『ククク……面白イ! 勇者デモナイ人ノ身デ、再ビ我ニ痛ミヲ与エル者ガイルトハ……』
そう言って、自身の傷痕をなぞるソイツの姿は、心底愉快そうに見えた。
『……シバ・シルヴァーン、ダッタカ? カツテ、我ニコノ傷ヲ付ケタ勇士ノ名ダ……』
「ああ……知ってらあ!」
心の傷が疼く。
『人ノ子ヨ…………貴様ノ名ハ、何ト言ウ?』
重く、静かな問い。
俺はその眼を睨んで、応えた。
「……ヴァルド。その勇士の友で、炎の料理人――ヴァルド・シーフレアだッ! 覚えとけッ!」
巨竜の瞳孔が僅かに収縮する。
『――ヨカロウ』
次の瞬間、奴の体が紅く輝き始めた。
全身から黒煙が立ち昇り、空を覆い尽くす。
熱が――いや、“灼熱”が、これまでとは比べ物にならないほど高まっていく。
「……ッ、まだ上がんのかよ……!」
大地が、溶岩のように赤く染まり、気泡を立てる。
この場に立っているだけで、体が消し炭になりそうだ。
だが――退く気など、さらさらねえ。
『黄泉ノ手向ケダ……覚エテオケ。我ガ名ハ――』
視線が交差する。
『――“ファブニール”。竜ノ王ニシテ、火災ノ化身ナリ』
限界は、とうに越えている。
体力も、魔力も、もはや絞り尽くした。
それでも俺は、包丁を構え直して眼前の巨竜――ファブニールと対峙する。
十年前の決着をつけるために。
あの日の無念を焼き尽くすために。
そして――
『――おっさん!』『――店長!』『――おじさん!』
今を生きるてめえらの――
『来イ……ヴァルド・シーフレア……!』
「刻んで焼肉にしてやるよ――“ファブニール”ッ!!」
――俺達の居場所を守るために!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
再び、炎と炎がぶつかった。
果たして、決着は……!
気になった方はブクマや評価、よろしくお願いします!
次回「火を継ぐ者」
乞うご期待!