一章三十四話[生きて欲しいから]
「な、なんだよ……あれ? なあ、なんだよあれ!?」
動揺が口に出る。
しかし、誰も答えない。
皆、一斉に凍ってしまったかのように、微動だにしなかった。
「……あ、あの方角……」
誰かが呟いた。
見れば、ホアードが口を開けたまま呆然としている。
あの方角? あそこに、なにが……?
考えるより早く、答えが頭に浮かぶ。
「霧の、森?」
そうだ。あっちには、俺が倒れていた森がある。同じ方向に、村の裏門も。
アレは……あそこから来た?
じゃ、じゃあ……
「……父は? 父は、どうなった……?」
「へっ……?」
力なく言うホアード。カーバッドも状況を察したのか、同じ方向を見て呆然となった。
そこへ――
「――危ねぇッ!!」
ハッとなって叫ぶ。
ワイバーンが一匹、上空から二人目掛けて急降下。鋭い鉤爪を突き立てて襲いかかるのが見えた。
「カーバッドッ!!」
ホアードがいち早く気付く。だが、もう遅い――かに見えた。
「――させるかよッ!!」
威勢のいい声と金属音。
見ると、おっさんが間に入ってワイバーンの攻撃を防いでいた。その手には、いつの間にかあのデカ包丁が握られている。
「おらあッ!!」
人間離れした力でワイバーンを弾き飛ばすおっさん。
「ぼさっとしてんじゃねえッ!! 死にてえのかッ!!」
その大音量で、全員が我に返った。
「ほ、ほら見なさい! 能無し《ノーマン》! 災いを呼ぶ、邪教徒め! お前のような者がいるから、アレは来た! ま、また、十年前のような惨劇が繰り返されるのです!」
ズークがこちらを睨み、震える声で言う。
また、だって?
それじゃあ、まさか……シノの親父やロズレッドは――
「――言ってる場合か!! そんな暇があんなら、てめえらはとっとと村の連中を避難させろ!! なんのための教会ッ、なんのための騎士だッ!!」
おっさんが吠える。
対するズークは鼻を鳴らして、
「言われるまでもありません! さあ、行きますよ皆さん!」
その声に反応してまず騎士達が動く。
「村長、我々がお守りします! こちらへ!」
「パ、パパッ! 早くぅ!」
虚ろな目で騎士の誘導に従うホアード親子。
恐怖と混乱の中で、ズークや騎士達が次々に指示を飛ばし、避難誘導が始まる。
だが、全ては救えない。
上空で旋回するワイバーンの群れは、時折地上に向けて急降下。その度に、哀れな犠牲者が残酷な最期を迎えていく。
止めたくても止められない。圧倒的な暴力。子供も、女も、老人も。一切の区別なくその爪に、牙に、肉を裂かれ、骨を砕かれていく様子が、どこを見ても視界に入ってしまう。
地獄という表現すら生温い。
突然、隣にいた者が消える恐怖に、俺は震えるしかなかった。
「皆さん、教会へ! 動ける方は、怪我人の手助けを! ご協力お願いします!」
騎士達の声が飛ぶ。
その中で我先に逃げるズークの姿が目に入り、無性に腹が立った。
いや、どうでもいい。そんなことは。
「シノ! てめえも行け!」
おっさんの声が耳に響く。
「行け、って……おっさんはどうすんだよ!?」
その問いに、おっさんはニヤリと笑った。
「――俺ぁ、ちょいとアイツに用があるんでな!」
そう言って見据えるのは――司災獣。悠然と歩く、それだけで家々を壊し、全てを焼く巨竜の姿。
「ま、待てよ! あんなの、いくらおっさんでも倒せる訳ねえだろ!」
死にに行くようなものだ。
そんなの、嫌だ。
「なあ、シノ」
こちらの気持ちを察したのか、俺の頭にポンッと手を置くおっさん。
「分かんねえか? このままあの野郎が進んで来やがったら、どうなるか」
「ど、どうって……?」
巨竜を見る。
遠い、まだ遠くに居る筈のソイツと、目が合ったような気がした。
まさか、まさか……!
「ここ、に?」
店に、アトリエに、皆の居場所に。
それは、真っ直ぐに向かって来ていた。
「ああ、そうだ。だから、止めなきゃなんねえ」
「なんでアンタがッ!? 料理人だろッ!? 村には騎士だって……他に戦える人は、沢山いるじゃねえかッ!!」
「いや――」
静かに首を振るおっさん。
「今の村で、アイツの前に立てんのは多分、俺だけだ。俺しか、いねえんだよ」
「な、なんで……ッ!」
涙が出そうだった。怒りか、悲しみか、分からない。
ただ、行かせたくなかった。
「駄目だ……やめろよ、おっさん……! 俺……まだ、アンタになにも返せてねぇのに――」
「――馬鹿野郎」
温かい感触。
おっさんの両腕が、俺の体を包んだ。
「てめえが今、生きて目の前にいる。俺にとっちゃあ、それだけで十分だ」
「そんなの、納得できるかよ――」
「――それでもいい! それでも、俺ぁ……てめえに生きてて欲しいんだよ。家族を失うのは、もう沢山だ」
抱擁を解いて、俺に一本の包丁を渡すおっさん。
「持ってけ! そいつがきっと、てめえを守ってくれる!」
嬉しくない。こんなの、まるで……!
刹那――
『――ギャォォォォォォォオ!』
咆哮。ワイバーンの一体が、こちら目掛けて突撃してくる。
狙いは――俺だ。
「やらせねえよッ!」
鋭い金属音。俺を庇うようにおっさんが立つ。
弾き飛ばされたワイバーンは、その勢いのまま民家に叩きつけられ、瓦礫の一部になった。
「行け、シノッ! 村の連中は、てめえが守れ!」
「おっさん……でも!」
「なあに、死にゃあしねえよ! 俺を誰だと思ってんだ? 約束してやらあ! これが終わったら、また飯でも食おうぜ、一緒にな!」
そう言って、おっさんは俺に背中を向けた。
その瞬間――
「――点火ァッ!!」
爆発的な衝撃。目が眩む程の光と熱風に、思わず後ずさる。
――火山みたいだ。
全身から轟々と炎を噴出させる男の姿を見て、俺はそんな感想を抱いた。
「いくぞ蜥蜴野郎!! てめえには、言いてえことが沢山ある!! 覚悟しやがれッ!!」
叫び、直後――跳躍。
両足から勢いよく炎を噴射し、おっさんは空を駆ける。
それはさながら、発射されたミサイルのようだった。
その光景に、一瞬だけ見惚れてしまう。でも、すぐに我に返った。
「――ああ、クソッ!」
走る。
おっさんとは、逆の方向へ。
「約束だ! 約束したからな! 死んだら許さねぇぞ、おっさん!」
もう、振り返らない。振り返れば、止まってしまいそうだった。
走る。ただひたすらに。後ろ髪を引き千切るような気持ちで、俺は走り続けた。
おっさん……帰って来いよ。また一緒に、料理を作るんだからな。絶対に!
けたたましい咆哮と悲鳴の二重奏。あらゆる日常が燃えて、消えていく。
それでも、俺は――
――生きる。
必ず、生き残ってやる!
こんな所で死んでられないんだ。
おっさんとの約束と、そして――
――優莉。
俺を待ってる人が、いるんだから。
次回「炎の料理人」
一人、災厄に立ち向かうおっさん。
その勇姿を、とくとご覧あれ!
※次回、主人公の出番はありません!
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