表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/44

一章二十七話[一杯入魂・結]

 午後、店はより一層の賑わいを見せる――筈だった。


「おいおい、どうなってんだ……?」


 静かな店内で、おっさんが呟くのが聞こえた。

 さっきまでフル稼働だった厨房も、今や殆ど途切れた注文に、暇を持て余すばかりだった。


「……少し、休憩しようかな。シノ君は、どうする?」

「俺は、もうちょっと様子を見てみます」

「そっか……無理はしないでね。それじゃ、部屋にいるから、なにかあったら呼んでよ」


 そう言い残して厨房を去っていくイケス。

 その背中を見送った俺は、客室の方に移動し、カウンターに座りながら入口の扉を睨むように眺めた。


「クソっ、なんで……なんでだよ……!」


 朝からの賑わいが嘘だったかのような光景に、俺は唇を噛む。


「まさか、アイツのせい……なの?」


 カナエがポツリと呟く。

 確かに、アイツ――ズークが来てからだ。こうなったのは。


「そんなに影響力あんのかよ、アイツ……」


 教会という組織の権威。ここへ来て、その強大さを思い知らされたような気がした。


『――この程度』


 呪いのように頭に纏わりついて離れない言葉。

 その評価のせいなのか、後から来た客の何人かが、出したラーメンを完食せずに帰ってしまっていたのも悔しい点だった。


「チッ、ムカつく野郎だ!」


 悪態をつくおっさん。

 だが、その時――


「――やっておるかの?」


 店の扉がキィと開き、一人の老人が中に入ってきた。


「おう、爺さんか……らっしゃい」

「なんじゃなんじゃ、ヴァル坊。珍しく元気がないのう。昼時じゃというのに」


 そう言って手近な席に座ったのは、村長の父親だという人物――門番の爺さんだ。


「まあな。いろいろあってよ……爺さん、よく来てくれた。正直、助かるぜ」

「ふむ? 儂が来ただけで助かるとは、安いもんじゃが……なにかあったかの?」


 爺さんが頬を掻きながら尋ねる。

 おっさんは一瞬逡巡したが、やがて意を決したように口を開いた。


「……ついさっきだ。ズークの野郎が来やがってな」


 その名を口にした瞬間、爺さんの表情が少しだけ強張った。


「ほう……ズーク坊、あやつか」

「あの野郎……一口食べるなり、ウチの料理にケチつけやがって!」


 爺さんはふむふむと頷きながら、軽く顎を撫でていた。


「成る程……それで、人の足が止まったと?」

「そうだ! 実際、食べ残して帰る奴らもいた。それまでは皆『美味い』って笑ってたのによ……!」

「ふぅむ……」


 しばし黙り込む爺さん。そして、


「……ひとまず、儂にも一杯くれんかの? 話はそれからじゃ」


 その言葉に、俺は思わず背筋を伸ばした。


「よし来た! シノ、やるぞ!」

「勿論!」


 イケスは休憩中、わざわざ一杯のためだけに呼びに行く必要もない。ということで、俺とおっさんでラーメンを作る。

 阿吽の呼吸で調理に没頭する俺達。

 たれが注がれた器に、おっさんが熱々のスープを加える。そこへ、しっかり湯切りした麺を入れたら、後はトッピングを綺麗に乗せて――


「――よし、一丁あがり!」

「こいつがアトリエとり塩だ! 爺さん、食ってみてくれ!」


 そっと置かれたラーメンを前に、爺さんは目を細め、ふむと鼻を鳴らす。


「……昨日のものとは違うが、これもええ香りじゃの。さてさて……」


 匙を取り、スープを啜る爺さん。


「むぅ……?」


 爺さんの眉が、ほんの僅か動いた。


「成る程のう……」


 呟く。だが、それ以上の言葉が続かない。

 俺とおっさんは思わず顔を見合わせた。 


「ど、どうなんだ爺さん?」


 おっさんが恐る恐る問いかける。

 それに対し、爺さんは渋面で、


「お主ら……これの味見はしたのか?」

「……あ?」


 間の抜けた声がおっさんの口から漏れる。


「な、なにか……マズかったですか?」


 思わず投げた疑問。

 俺の声に爺さんは一瞬だけ思案顔になり、


「そうじゃのう……口で言うより、食べてみるのが早かろ」


 そう言うと爺さんは、湯気の立つ器をこちらに少し押し出した。

 それに反応してカナエがすぐさま食器を取りに向かう。


「なんだってんだ一体……」


 疑念と、そして緊張を持って、俺達は目の前のラーメンを見つめた。


「――ほら、持ってきたわよ」

「おう、すまねえな!」


 戻ってきたカナエから食器を受け取ると、俺達は早速スープを一すくい。

 見た目、香りを確かめるが、そこに異常は見られない。

 訝しげにスープを口に含んだ、次の瞬間――


「……っ!?」


 ――すぐに、違和感が舌を走った。


「こ、こいつは……」

「嘘……でしょ?」


 おっさんやカナエが呟いた言葉に、俺も顔を顰めながら頷く。


「う、薄い……」


 それは、明らかな変化だった。

 まるで白湯を飲んだかのような薄味。塩味も旨味も、全ての風味がぼやけていて、正直、不味い。


「どうして……」


 湯切りをミスった?

 いや、そんなことはない。タイミングもなにもかも完璧だった筈だ。そのことは、俺が一番よく分かってる。


「まさか……ッ!」


 ハッとして、俺は厨房へ走った。

 大鍋に、今朝仕込んだスープがある。

 俺はそれを匙で少しだけすくい取り、そのまま口に運んだ。

 鳥の風味、魚介の深みをしっかりと感じる。その味わいには、なに一つ違和感などなかった。


「――違う。そっちじゃねえ」


 その声に振り向くと、おっさんが険しい表情で立っていた。後ろには戸惑った表情のカナエもいる。


「こいつだ」


 そう言うおっさんの手には、小ぶりな寸胴が。

 それで――全てが分かった。


「たれ、か……!」


 ラーメンの命とも言える調味液。

 それがどういう状態にあるかは、もはや味見するまでもない。匂いだけで、理解ができた。


「弱過ぎる……」

「分かったか? こいつはもう、駄目だ」

「駄目、って……そんな! 今朝作ったばかりじゃない!」


 カナエが愕然とした声で言う。

 確かに、おかしい。朝から今まで、経った時間は精々数時間程度。風味が飛ぶには、あまりに早過ぎる。


「やられた……?」


 信じがたい劣化。原因は、それしか考えられない。


「でも、誰ができるのよ? そんなこと……」


 カナエが震える声で言う。

 もっともな疑問だ。

 厨房には、常に俺とイケスがいた。たれに細工をするにしても、一体いつの間にやったのか?

 分からない……分からないけど、ただ一つ、はっきりしてることはある。


「あの神父だ……そうに決まってる……!」


 ズーク――あのねっとりとした笑みが頭に浮かんで、俺は思わず拳を握り締めた。

 しかし――


「――いや、それもちげえ」


 思わぬ反論。

 おっさんの言葉に、俺は目を丸くした。


「違う? ど、どういうことだよおっさん?」

「そいつは……」


 おっさんは、俺の問いにすぐには答えなかった。

 黙ったまま、険しい表情で寸胴の中身をじっと見つめているその様子は、まるでなにかと戦っているようで……


「……おっさん? 大丈夫か?」


 もう一度呼びかけると、おっさんはハッとした様子で顔を上げた。


「あ、ああ、すまねえな……」


 寸胴をそっと台に置いて、深く息を吐くおっさん。


「とりあえず、今日はこれで店仕舞いだ。悪ぃがカナエ、爺さんにそう伝えといてくれるか?」

「え? ま、まあ、いいけど……」


 カナエは戸惑いながらも頷き、言われた通りに厨房を離れていった。

 呆気ない幕引きだ。

 そんなことを思いながらその背中を見送っていると、


「シノ。てめえはイケスのやつを呼んできてくれ」

「お、おう」


 そうだな。この状況は、イケスにもちゃんと知らせなきゃ。

 そう思って、厨房を出ようとした、その時――


「――その必要はないよ」


 柔らかな声。

 見れば、イケスが厨房の入り口に佇んでいた。


「あっ、イケスさん! ちょうどよかった! スープが……大変なんです!」

「うん、そうみたいだね」


 俺の言葉にイケスはゆっくり頷く。そして厨房に足を踏み入れると、たれの入った寸胴に向かった。


「……成る程、これは酷いね。風味が飛んでる」

「そうなんですよ! こんなの、自然に起きる筈がない! 誰かが手を加えたんだ!」

「……誰か、って?」

「そ、それは……ッ!」


 あの神父だ。

 おっさんは違うって言ったけど、やっぱりそれしか考えられない。どうせ、なにかしらの方法を使って仕組んだに決まってる。

 それを伝えようと、口を開いた瞬間だった――


「――てめえだろ?」


 イケスの声、ではない。

 じゃあ、


「……おっさん?」


 振り向くと、そこには鋭い目をしたおっさんがいた。それまでとは違う、張り詰めた空気を纏って。


「てめえだろ――“イケス”。このたれを、駄目にしたのはよ……」


 刹那、時が止まったような静寂。


 ――パリン!


 突然の破裂音。

 目を向ければ、ちょうど戻ってきたカナエが、床に食器を落としたらしい。


「な、なにを言ってるのよ店長? そんな訳……お兄ちゃんが、そんな訳ないじゃない! 冗談やめてよ! こんな時に――」

「――冗談で言う訳ねえだろうがッ!!」


 激昂するカナエを更に上回る声量で黙らせるおっさん。

 なんだ、これ? なにが起こってるんだよ?

 俺は付いていけず、その場を呆然と見守るしかなかった。


「……何故、そう思うんですか?」


 静かに、落ち着いた態度で問うイケス。

 それに対し、おっさんは寸胴の中を指差して答えた。


「……“水”だ」

「水? なんの話ですか?」

「とぼけても無駄だぜ? なあ、イケスよぉ……」


 苦痛に耐えているかのような顔で、おっさんは続けた。


「俺が、気付かねえとでも思ったのかよ? このたれに混ざってやがる水……これは、魔法で作ったもんだ。違うか?」


 水の……魔法?

 それを聞いて、俺はハッとなった。

 確かに、イケスがそれを使うのを、俺は見たことがある。

 いや、でも……


「……仮にそうだとして、断定できますか? その水が、僕の作ったものかどうか――」

「――できる!!」


 はっきりと断言するおっさん。


「俺を、舐めんじゃねえぞ! 他の奴の水とてめえの水じゃ、決定的に違うもんがあんだよ!」

「違う、もの……?」


 なんだ、それは?


「――“味”だ」

「……ッ」


 絶句。おっさんが告げたその一言に、目を見開くイケス。


「味……って、どういうことよ……?」


 まだ納得できない様子のカナエ。

 おっさんはゆっくりと振り向いて、いつになく真剣な声で言った。


「いいか? 水ってのは、決して無味無臭の液体じゃねえ。森や大地、地域によっていろんなもんが混ざってんだ。だから、特徴がある。分かり難いかもしれねえが、確かにな。そん中でも、特に、魔法で作ったもんはそうだ。使い手の“味”が出る。心が、味に混じるんだよ」

「心が……?」


 言葉の重みに、カナエは息を呑んだ。


「そうだろ……イケス? 俺が何年てめえと一緒にやってきたと思ってる? てめえが作った水なら、例えなにかに混ざってようが、一口で分かる」


 積み重ねた年数と、料理人としての感覚から来る絶対的な自信。

 そんなおっさんに対して、イケスは、微動だにしない。なんの反論もせず、ただ黙っている。


「そんな……本当に、イケスさんが……?」

「ち、違う! きっと、なにかの間違いよ! そうでしょ? ねぇ、なんとか言ってよ――お兄ちゃん!」


 信じられない俺と、信じたくないカナエと。

 そして、


「……なにか間違ってるってんなら、遠慮なく反論してくれて構わねえ。そん時は、土下座でもなんでもしてやる」


 それはまるで、祈りのようにも聞こえた。


「…………」


 そこから、重苦しい沈黙に厨房は支配された。

 誰も、なにも言えないまま、時だけが悪戯に過ぎていく

――


「――ハハッ」


 突如、場違いな声。

 それが聞こえた方へ、全員の視線が集まる。


 ――ぐにゃり。


 唇を歪ませたイケスの顔が、そこにはあった。

 終わりだ。

 それを見た時――俺の中で、なにかが終わったような、そんな気がした。

次回「裏切りの味」

乞うご期待!


※ブクマ、評価等もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ