一章二十六話[一杯入魂・転]
遅くなってすみません!
「――らっしゃい!」
おっさんの威勢のいい声が店内に響き渡る。
開店と同時に、どっと大勢の人が押し寄せてきたのが分かった。
「今日も来たよ店長! あの味が忘れらんなくてさ!」
「そうよ! すごく美味しかったのアレ!」
「うちの子もまた食べたいってうるさくて……」
村人達が興奮気味に声を上げる。俺は厨房からそっと顔を覗かせ、様子を伺った。
「――すまねえ皆! 訳ありでな、昨日と同じもんは出せねえんだ!」
そう言って、おっさんはバツが悪そうに頭を下げた。
ざわつく店内。さっきまでの高揚が、たちまち困惑と不安に変わっていく。
「えっ……どういうこと……?」
「昨日のやつ、食べられないの……?」
客の声に、胸がチクリと痛む――でも、
「だからよ、今日は別の一杯を用意した! 安心しろ! 味は保証すんぜ! まあ、食べてみてくれや!」
おっさんがグッと胸を張って叫ぶ。
その目は一瞬、俺の方にも向けられた。
俺は、それに力強く頷き返した。
客達は顔を見合わせ、しばし逡巡する――
「……まあ、いいか。ここの料理にハズレはないからな」
「そうそう、どうせ美味しいに決まってるわ!」
「しかもタダだし! 食べない理由なんかないよ!」
一人、また一人と笑顔が戻り、ざわめきが再び活気へと変わっていく。
「ガッハッハ! ありがとよ!」
満面の笑みで頭を下げるおっさん。
俺は急いで厨房に戻り、鍋の火加減を確かめる。
「くるよ、シノ君! いける?」
「もちろん!」
客席から一気に飛んでくる注文。
それを確認すると同時に、鍋に麺を投入する。
湯の中で麺を泳がせること――およそ四十秒。
「イケスさん!」
「出来てるよ!」
麺を引き上げ、サッと湯切り。それを熱々のスープが注がれた器に入れたら、泳がせるように混ぜて形を整える。後はそれぞれトッピングを盛り付けて――
「――“アトリエとり塩”、一丁上がり! 先輩!」
「はいはい、任せて!」
カナエがトレイに器を並べ、慣れた手つきで客席へと運んでいく。その背中を見送る暇もなく、次の注文が飛んできた。
「三番に二つ!」
「はいよ!」
おっさんが伝票を手に店内を駆け回る。その声に合わせて俺は次の麺を鍋に放り込み、タイミングを計る。
途中、
「なにこれ……あっさりしてるのに、なんか……深い味がする!」
「昨日と全然違うけど、これもアリだな!」
「美味しいー! 私、こっちの方が好きかも!」
客席から聞こえてくる褒め言葉の嵐に、思わずニヤリと笑ってしまう。
「聞いたか、シノ!」
「ああ! ちゃんと届いてるよ!」
「ちょっと店長! サボってないで働いて! それとシノ! 追加で一つよろしく!」
怒涛のような注文に厨房はてんやわんやだが、誰一人焦ってない。 むしろ、この緊張感こそが俺達の力を引き出しているような気がした。
一杯、また一杯と、ラーメンが客の元へ届けられていく。
チラリと厨房から様子を見てみると、客席は当然のように満席。外にも行列ができているようだ。
「次のお客様、どうぞー!」
一人帰れば、また一人。客の波は途切れることを知らない。
そうして店内が最高潮に盛り上がり始めた――その時だった。
「――おやおやおやおや、随分と繁盛していますね」
ねっとりとした声が、入口から響く。
その瞬間、俺もイケスも一旦料理の手を止めた。扉が見える位置に移動し、視線を送る。
案の定、そこからゆっくりと入ってきたのは――
「――神父、様……」
緊張に満ちたカナエの声。
明らかに空気が変わった。客席の村人達もそれを察したか、笑い声が一つ、また一つと消えていく。
「よお、ズーク! まさかてめえが来るたぁな! ホアードは? 一緒じゃねえのか?」
「村長さんですか? そうですね。お誘いはしたのですが、今はお忙しいとのことで……」
「へっ、そうかよ!」
そう言いながら、ズークは一歩一歩堂々とした足取りで店内を進み、空いている席に腰を下ろした。
「……で? なにしに来た? こんな邪教徒の店によ!」
「はて、邪教徒? なにをしにとは……おかしなことを聞くものですね」
ズークは口元に笑みを浮かべながら言った。
「食事処に来る用事など、一つしかないでしょう? なにやら皆さんが噂をしているものですから……アトリエとんこつ、でしたか? 私も是非味わいたいと思いまして」
「へっ、そりゃわざわざご苦労なこった! ……だが、悪ぃな! そいつは今日出してねえ! なんでかは知らねえが、スープが駄目になっちまってよ!」
「おやおや、そうなのですか……それは残念です」
コイツ……なにを白々しい。
ズークの笑みは崩れない。その余裕な態度が、俺の神経を逆撫でする。
「心配すんな! 代わりはある! 俺らがそう簡単に諦めるかってんだ!」
「ほう……代わりの?」
ズークの目が周囲の客席に向けられる。
そこに映るのは――アトリエとり塩。
「成る程成る程……どうやらそちらも好評のようですね。では、それをお一つ、いただけますか?」
一拍の沈黙の後、おっさんが肩を竦めて答える。
「いいぜ! ちょっと待ってろ!」
そう言っておっさんは厨房に戻り、俺達に一言。
「いけるか?」
俺は黙って頷き、一杯分の麺を湯に放り込んだ。イケスも同様に、一杯分のスープに火を入れる。
あの神父のための一杯。正直、気は進まない。でも、客として来た以上、料理を提供するのがプロってもんだ。
それに、裏を返せば、これはチャンスかもしれない。
ここでアイツに「美味い」と言わせられれば……!
そんなことを考えながら麺を泳がせ、きっちり四十秒。いつも通り湯切りをし、イケスが用意した熱々のスープへ投入。トッピングをしっかり整えて――
「――“アトリエとり塩”! 一丁あがり!」
魂の一杯。
俺はそれをカナエに託す。彼女は一瞬だけ逡巡し、しかし毅然とした態度で、ズークの前にその一杯を置いた。
「お待たせしました。どうぞ、召し上がれ」
「ありがとうございます。ふむ、これが……」
それだけ言って、おもむろに匙を手に取るズーク。
注目の的。その静寂の中、まずはスープを一口。啜る音が、やけに響いた。
「これは……」
感情の読めない表情でそう言うと、次にフォークで麺を掬い、静かに口に運んだ。
淡々と咀嚼し、飲み込む。
そして――食器を置いた。
「……成る程。確かに、味わい深い」
その言葉に、周囲の村人達がざわつく。
「……鳥と魚介の香り高いスープに、この麺の食感。今までに食べたことのない料理です。皆さんが興味を持つのも頷ける」
信じられない思いだった。
認めた……のか?
あの神父が、こんなにあっさり――
「――ですが」
店内の空気が、一瞬で変わった。
ざわめきが消え去り、重苦しい静寂の中、ズークは口を開く。
「残念です。この程度とは……」
「んだと、てめえ……!」
食ってかかるおっさんを手で制しながら、ズークは続けた。
「気分を害されたのなら申し訳ございません。しかし、貴方ともあろう者が、まさかこんなものを作るとは……」
「そりゃどういう意味だッ!」
「客に出すレベルの品ではない。そういう意味です」
ただのいちゃもんだ。そうに決まってる。
俺は思わず拳を握り締めた。
「ふざけんなてめえッ! 誰が味見して判断したと思ってやがる! そいつは今、間違いなく、俺達が出せる最高の一杯だッ!」
「最高……ですか」
ズークの目が僅かに鋭さを増した。
それを見て、いよいよ我慢ができなくなったらしいカナエが叫ぶ。
「そうよ! 誰がなんて言っても、食べた人達の顔見たら分かるでしょ? これが答えよ!」
「そうですね……確かに、皆さん満足されているようです。どうやら、私の意見は少数派のようだ」
ズークはゆっくりと立ち上がった。その身に纏う衣がゆらりと揺れる。
「よろしい、分かりました。今日のところは、これで失礼させていただきましょう」
そう言ってズークは店の出入口へ。
そこでこちらを振り返ったかと思うと、俺の顔をジッと見て、
「どうせ、すぐに分かることです。それまで、せいぜい仮初めの満足感に浸るといい」
捨て台詞が耳に刺さる。
扉が静かに閉まると同時に、張り詰めていた空気が一気に解けたのを感じた。
「……ったく、なにしに来やがったんだアイツは!?」
「ホントよ! ただ文句言いたかっただけなんじゃないの!? シノ、アンタは気にしなくていいからね!」
「はい、ありがとうございます……」
そう言って頷きはしたものの、
『――すぐに分かる』
胸がざわめく。
どうしようもなく嫌な予感がして、俺は落ち着かなかった。
「……まあ、食の好みは人ぞれぞれだからね。たまたま神父様には合わなかっただけかもしれない」
「確かにな。そういうことにしとくか! ……そんじゃ、仕切り直しだ! やるぞ、てめえら!」
そうだな、まだ終わってない。
おっさんの力強い掛け声で、全員が再び自分の仕事に戻っていった。
次回「一杯入魂・結」
お楽しみに!
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