一章二十四話[一杯入魂・起]
「いよいよ……今日だな」
おっさんが静かに言う。
「お客さん、本当に来んのかな……」
「おいおい、なあに弱気なこと言ってやがる! あんだけ準備したんだ! 食いてえ奴は食いに来るだろ!」
「お、おう……そうだな」
朝から胸の奥がざわついて落ち着かない。
俺の手は自然と動き、テーブルを何度も拭いてしまう。
おっさん、イケス、カナエ――皆で一緒に作り上げたこの試食会。村の皆に認めてもらえるかどうか、今日に全てがかかっている。そう思うと、緊張で頭が真っ白になった。
「大丈夫だ! てめえの料理の味は俺が保証する! ドンと胸張って構えてろ!」
おっさんが肩をポンと叩く。そのおかげで、少しだけ心が落ち着いた気がした。
深呼吸、肺いっぱいに空気を吸い込む。鼻をくすぐるのは煮込んでいたスープの香り――俺達の料理の香りだ。
「そろそろね……」
カナエが静かに呟き、店の入口へ向かう。
俺は頷き、皆と目を合わせた。
それぞれがそれぞれのポジションに就く。
麺担当のおっさんは鍋の前に立ち、盛り付け担当のイケスはその隣で具材とスープの準備。配膳担当の俺はカウンターで客席を見渡しながら息を整え、その時を待つ。
「配膳……か」
正直、村人からの俺に対する印象は最悪だ。そんな俺が接客なんて……本当に大丈夫か?
おっさんから――
『――てめえがやんねえと意味ねえだろ!』
って、言われてやることになったけど、不安な気持ちは消えない。
「いや……」
切り替えろ!
仕込みは万全。会場も整え、やれることは全てやった。
大丈夫! なんとかなる!
「……よし、いくわよ!」
そうして、カナエが勢い良く扉を開け放った。
緊張の一瞬。
誰もいなかったらどうしよう? そんな不安が頭をよぎる。
そして――
「――いらっしゃいませー!」
その声を聞いて、俺は心から安堵した。
二人、三人……雪崩込むという程ではないけど、確かに来てくれた人達がいる。その事実だけで、胸が高鳴った。
「来てくれてありがとう! お爺ちゃん!」
「ホッホッホ、カナエ嬢に頼まれたからのう! 来ん訳にはいかんよ!」
最初の客が席についたのを見て、カナエが自然な笑顔で水を出し、注文を取る。
俺は一旦厨房に戻り、おっさんに目配せをした。
「きたぞ、おっさん!」
「おう! 腕が鳴るな!」
立ち昇る湯気の中、おっさんが鍋に麺を入れた。
「入ったぞ! イケス!」
「はい!」
そこからはスピード勝負。合図を受けたイケスが手鍋に適量注いだスープを注ぎ、温め始める。
数十秒経過。
沸騰したスープを即座に器へ移し、そこへおっさんが茹で上がった麺を入れる。その上にイケスが手際よく具材を盛り付けて――完成だ。
「シノ君!」
「はい、行きます!」
俺は完成した一杯をイケスから受け取り、丁寧に運んでいく。
「アトリエとんこつ、お待たせしました!」
テーブルに器を置き、深く一礼。頭を上げると、湯気の向こうで客が目を丸くしていた。
「あっ……」
この人、見覚えがある……第一村人、門番の爺さんだ。
「……うむ、お前さんか。すまんかったのう……儂の倅と孫が迷惑をかけて」
「え……誰、って?」
目が合った途端に頭を下げられて戸惑う俺。
なんの話だ? 倅? 孫? 誰だよ?
頭が疑問符でいっぱいになる中、その答えをもたらしたのは――
「――“村長”達のことよ!」
「えッ!?」
衝撃の事実!
カナエの耳打ちに、一瞬固まる俺。
村長とこの人が親子!? マジかよ……似てねぇな。主に性根が。
「そうじゃ……奴らめ、よりによって邪教徒などと馬鹿げたことを吹聴しおって……! カナエ嬢にも迷惑をかけたのう……本当にすまんかった!」
「そんな……お爺ちゃんは悪くないわよ!」
全くもって同意。
一体どこをどう間違ったら、こんな良い人からあんなのが育つんだ?
「ほら! それより! 頭上げて! アタシ達の新メニュー食べに来てくれたんでしょ? 熱い内に召し上がれ!」
「そうじゃな……では、有り難くいただこうかの」
そう言うと、爺さんはおもむろにスプーンに手を伸ばし、スープをすくい取った。
「ほぉ……ええ香りじゃ。見た目も立派じゃの」
そうだろうそうだろう。
嬉しい言葉だ。胸が熱くなる。
「どれ……」
ズズッと音を立ててスープを啜る爺さん。その姿を、俺は固唾を飲んで見守った。
そして、
「な、なんと……っ……!」
驚愕の声が響く。
その瞬間、店内の視線全てがこちらに向いた。
「うーむ、こりゃあ……美味い!」
わははと笑いながら今度は麺を口に入れる爺さん。その瞬間の、衝撃を受けた顔を見て俺はふっと笑みをこぼした。
「おぉ……かつてない食感……じゃが美味い!」
「あ、ありがとうございます!」
心からの感謝を、頭を下げて伝える。
――美味い。
確かに言った。言ってくれた。
それは、俺にとって千の謝罪に勝る、一番欲しかった言葉だった。
――ああ、そっか。
おっさんが俺を配膳担当にした意味が、今分かった。
「おーい、俺にもひとつ頼む!」「わたしもー!」「こっちにも頂戴!」
爺さんの一言がきっかけになったらしい。様子を見ていた他の客達が口々に注文を始める。
「おっさん!」
「ガッハッハ! 来たぞ来たぞ、どんどん回していけ!」
おっさんの声が厨房に響く。熱気が立ち込める中、素早く動いてラーメンを完成させるおっさんとイケス。
俺とカナエはそれを急いで客席へと運ぶ。
「お待たせしました!」
「ありがとうカナエちゃん! これが、張り紙の……?」
「そうよ! 熱い内にどうぞ!」
次々に運ばれていくラーメン達。
届くと同時に、各々が食器を手に取り、麺を、スープを口に入れる。
「お、美味しい……!」
「うん! 麺がしっかりしてて食べ応えがあるねぇ!」
「凄っ……このお肉……溶ける……!」
「最高……!」
あちこちで飛び交う歓声に、俺は誇らしい気持ちになった。
ああ、よかった……ちゃんと、届いたんだ。
俺の――俺達の想い……この一杯に込めた、全てが。
「いらっしゃいませー!」
席がひとつ、またひとつと埋まっていく。疎らだった客足はゆっくりとその勢いを増し、気付けばテーブルもカウンターも満席になっていた。
「おっさん、注文! とんこつ五杯だ!」
「おう、任せろ! イケス、どんどんいくぞ!」
「はい!」
熱気と笑顔で溢れる店内。俺達はまるで一つの生き物のように動き続けた。
「シノ! とんこつ三杯上がりだ!」
「はいよ!」
威勢のいい声に反応して、俺とカナエがひたすらにラーメンを客席へ運ぶ。
「いやぁ、こんなの初めてだよ! スープが濃厚なのにしつこくない!」
「この茹で卵、美味しー! どうやって作ったの?」
その一言一言が、俺の胸を熱くする。緊張でガチガチだった朝の自分が嘘みたいだ。
この皆の笑顔は、紛れもなく俺達の努力が実った証だった。
「シノ! アンタはそろそろ洗い場に行って!」
空の器を運びながらカナエが言う。
確かに、誰かが洗い場に行かないと器が足りなくなりそうだ。山積みになった器を見て俺は思った。
「分かりました! けど、一人で平気ですか?」
「余裕よ! いいから! さっさと行きなさい!」
流石の台詞だ。
頼りになる先輩に後を任せ、俺は洗い場へと走った。
「……さーて、やりますか!」
バシンと頬を叩いて気合を入れる。
そこからの時間は、飛ぶように過ぎていった。
「とんこつ一丁上がったぞ! シノ、行けるか!」
「はいよッ!」
昼時はとうに過ぎた。
器を洗っては配膳に戻り、器が溜まったらまた洗い場へ。目まぐるしく動き回ってる内に、俺の体は汗でびっしょりになっていた。
でも、不思議と疲れは感じない。客席から聞こえる「美味しい!」の声が、俺の原動力になっていた。
「――ラスト、一食! 持ってけ!」
「はーい!」
夕暮れ時、おっさんの声でカナエが動く。
長かった一日が、ようやくその終わりを告げようとしていた。
「スープがもうねえ……終いだな!」
最後の客への提供が終わり、店内の熱気が少しずつ落ち着いていく。
「……ふぅ」
洗い物を終えた頃には、店内に残る客は誰も居なくなっていた。
「完売……か」
呟いたのはイケスだ。
「ガッハッハ! やったな、おい! どの器も完食だったぜ!」
おっさんが豪快に笑いながら、俺の頭を撫でてくる。
自分の料理を残さず食べてもらえた。
料理人にとってなによりも嬉しい事実に、俺も思わず笑顔になった。
「完全勝利ね! 村長達の悔しがる顔が見たいわ!」
カナエが両手を腰に当てて得意げに言う。
「まだ油断はできないけどね。今日のことが村長に知れたら、またなにか仕掛けてくるかも……」
「なあに、奴らがなにしようが叩き潰しゃいいんだ! シノが作った料理にゃ、そんだけの力がある! 今日の村の連中の顔、見ただろ?」
「店長の言う通りよ! 心配ないわ!」
来てくれた人達の顔を思い出す。
店内に溢れたあの笑顔は、間違いなく俺達が作ったものだ。
「なあ、シノ」
「ん?」
「楽しかったろ?」
その一言に、俺は少しだけ目を見開いた。思い返せば、確かに目まぐるしくて、緊張して、汗だくで……それでも。
「おう、楽しかった! 最高にな!」
そう言った俺を見て、おっさんは満足そうに笑った。
「へっ、その意気だ! だが、まだ終わりじゃねえ! 試食会は明日までだからな! 頼んだぞ、てめえら!」
そうだ、まだ始まったばかり。村の人達の笑顔、今日だけで終わりになんかさせない!
決意と覚悟を胸に。それぞれが自信に満ちた顔で頷いた。
「……よし! そんじゃ、飯食ったら仕込みだ! 今日より多めに準備すんぞ! 気合入れろよ!」
おっさんの声に、皆が威勢良く返事をする。
「材料が足りませんね。色々調達しないと」
「そうだな。肉やら骨やら……イケス、頼めるか?」
「はい、任せてください」
こうして、俺達の反撃、その一日目は終わりを告げた。
――また、明日。
今日よりもっと美味しいラーメンで村中の皆を……そしてアイツらにアッと言わせてやる。
「……見てろよ」
心に灯る火で、俺の胸は燃え盛っていた。
次回「一杯入魂・承」
お楽しみに!
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