一章二十一話[邪教徒]
『――料理人スキル。食材鑑定Lv2、発動』
アイテム名:ボア肉の厚切りステーキ
種別:料理
可食適性:〇
毒性:無
うおお、来た来た来たーー!
鉄板の上で景気よく脂を飛ばしている肉の塊を前に、俺のテンションは容易く最高潮に達した。
「一番美味え肉の食い方っていやあ、やっぱこれだろ!」
冗談みたいな量の胡椒(っぽい物)で肉をコーティングして――焼く。
ただそれだけの、シンプルな最適解が、目の前にある。
「まだか……!」
「焦んな! もうちょいだ!」
そんなことを言われても、肉の焼ける香ばしい匂いが食欲を刺激して止まない。ジュウジュウ音を立てる厚切りのステーキは、まるで「早く食べろ!」とでも叫んでいるかのようだ。
思わず唾を飲み込む俺。ナイフとフォークを握る手にも力が入る。
「なによ、みっともないわね! ちょっと落ち着きなさいよ!」
「いやでも先輩! ここで冷静でいられる男なんか、漢じゃないですよ!」
隣で呆れたように呟くカナエの言葉を軽く流し、俺は目の前の肉に全神経を集中させる。
カウンターに用意された鉄板。その上でじっくり焼かれた肉の表面は、こんがりとした焼き色がつき、脂がキラキラと輝いている。まるで芸術作品だ。いや、芸術なんかよりずっと価値があるかもしれない。
なんたって、これは――食えるんだから!
「――よーし、いいぞ!」
そうしておっさんは手際良く道具を使って鉄板からステーキを皿に移し、ドンっと俺の前に置いた。
待ち侘びた瞬間、頭の中が幸福感で満たされていく。
もう、我慢の限界だ!
「いただきます!」
勢いよくナイフを入れる。すると、肉の表面がまるでバターのように割れ、中からじゅわっと赤みを帯びた肉汁が溢れ出す。
ミディアムレア。
一口大に切ったそれをフォークで取ったら、欲望のまま口の中へ。
瞬間、濃厚な旨味が舌の上で爆発する。
最高級の黒豚を思わせるような柔らかな肉は、胡椒のピリッとした刺激がアクセントになって、噛むたびに幸せが全身に広がる。
「う、めえ……! 反則だろこれ……!」
「なによ大げさね。たかがボア肉でしょ?」
思わず叫ぶ俺に、カナエが冷ややかな視線を投げてくる。
「いやいやいや先輩! 先輩も食べてください! 食べれば分かりますって!」
「はいはい」
俺の熱量に負けたカナエは、溜め息を吐きながらも自分の皿に盛られたステーキを切り、そして口に入れた。
「ま、まぁ、確かに……悪くないわね!」
そう言う彼女の頬が僅かに緩むのを見て、俺はにやりと笑った。
「ガッハッハ! ありがとよ! ……んで、それは良いんだが――」
調理を終えて席に着いたおっさんが言う。
「――まだ帰って来ねえのか、イケスの奴は?」
「知らないわよ。先に帰ってて、って言われただけだし」
あからさまに不機嫌になるカナエ。
まあ、当然か。
何故なら、
「なんなのよ! 皆だんまりで! アタシ達がなにしたって言うの!?」
昨日まで普通に話していた村の人達。
しかし、今日は違ったらしい。
よくない噂とやらの内容を確かめようとカナエ、イケスの二人が声を掛けて回ったものの、村人達は一様に沈黙、もしくは知らぬ存ぜぬという答えで、話にならなかったとか。それどころか、顔を合わせただけで踵を返す人もいて、尋常じゃない雰囲気が漂っていたとのこと。
そんな中で、カナエを先に帰らせたイケスは、今も一人で聞き込みをしていて……まだ帰って来ていない。
「そうか……そりゃ嫌な思いさせたな」
「別に? そんなことより……新メニュー開発しなきゃ、でしょ?」
「おう、そうだぜ! 奴らがどんな悪評をばら撒いたのか知らねえが、んなもん全部吹っ飛ばすくれえ美味いもんを作りゃいいんだ!」
豪快に笑うおっさんの姿が頼もしい。
「つーことで、まずはコイツなんだが……どうだ?」
そう言って示されたのは、今しがた食べたステーキだ。
んー……どうだ、って言われてもな。
「めちゃくちゃ美味い、けど……」
「けど?」
「目新しさはないわね。今のメニューにも焼豚があるんだし。インパクトに欠けるわ」
「へっ、はっきり言いやがるぜ! ま、その通りだな! これじゃ、客の度肝は抜けねえか!」
いくら味が良くても、ただの焼き肉じゃ逆転の一手にはならない。もっと斬新な、誰もがアッと驚く一品が必要だ。
「今までにないもの……か」
「どうだシノ? なんか思いついたか?」
「んー……いや、今すぐはちょっと……」
今すぐは……な。
本当は一つ、ある。
ここに来てから今日まで食べた物を参考に、もしかしたら? というメニューが。
ただ、それを作るには、どうしても時間がかかり過ぎる。実際にできるかどうか……自信もない。
「なによ、頼りにならないわね!」
「そういう先輩はなにかアイデアあるんですか?」
「う、うるさい! 今考えてるのよ!」
「ガッハッハ! まあ、時間はあんだ! ゆっくり考えようや!」
その後も、それぞれあーでもないこーでもないとアイデアを出し合った。
焼くが駄目なら煮る。煮るが駄目なら炒める。
肉、野菜、魚に穀物。色んな食材を色んな方法で調理して試行錯誤を重ね、それでも、結局なにも決まらないまま――
「――ただいま帰りました……」
すっかり辺りが暗くなった頃、ようやくイケスが帰って来た。
「おうイケス! やっと帰ってきやがったか!」
「すみません、遅くなって……」
「ホントよ! 皆心配してたんだから!」
「ごめんごめん。ちょっと手間取ってね……」
イケスはそう言うと、疲れた顔でカウンターの椅子にどっかりと腰を下ろした。
いつも冷静沈着なこの人がこんな風に気怠そうにしてるのは珍しい。
やっぱり、村人達から辛い対応をされたのかな?
「……でも、お陰で分かりましたよ。噂のこと」
イケスのその言葉に、場の空気が一気に張り詰める。
俺も、カナエも、おっさんも、息を飲んで言葉の続きを待った。
「――“邪教徒”……村長が、僕らのことをそう呼んでいたそうです……」
「んだと!?」
「それ本当なの!? お兄ちゃん!?」
なんだなんだ? 邪教徒?
その言葉を受けた途端、弾かれたように反応するおっさんとカナエとは対照的に、キョトンとなる俺。
「常連さんにしつこく聞いて確かめたからね、間違いないよ……『能無しを働かせるアトリエは、教会の意に背く邪教徒の店だ』って……そういう評判が村中に広まってるみたいです」
「そんな……」
「チッ! 道理で客が来ねえ訳だ! クソッタレが!」
ショックを隠せないカナエと、烈火の如く怒りを露わにするおっさん。
二人の挙動だけで分かる。
邪教徒……貼られたそのレッテルが、どれだけ重たいものなのか。
それが、俺のせいだってことも。
「ど、どうするのよ店長? 邪教徒だなんてそんなの……ただの悪口じゃ済まないわ!」
「そうだね……教会から認定されたら最後、僕ら全員捕縛か追放、最悪の場合は――」
そこで言葉を切ったイケスだったが、言わんとしたことはなんとなく察せられた。
とんでもないことになったな……。
誰も、なにも言えず、静寂が重くその場にのしかかる。
だが――
「――ふざけんじゃねえ!」
そんな空気を裂くように怒声が響く。
おっさんだ。
「俺達はなあ! 真っ当に飯作って、真っ当に客に出してるだけだ! それをなんだ? 邪教徒だあ? 笑わせんな!」
怒りに満ちた表情でテーブルを叩くおっさん。
「店に能無しがいるからなんだってんだ! 村の連中もよお! 教会の言う“正しさ”とやらが、そんなに絶対なのか? そうだってんなら俺ぁ、正しく生きようとは思わねえ!」
再び机を叩くおっさん。
その熱に当てられたように、
「そうよ……そんなの、納得できない」
「カナエ……」
「だって、そうじゃない! 元はといえば、因縁つけてきたアイツらが悪いのよ!? なのに、なんでアタシ達がそんな風に言われなきゃならないの!?」
悔しそうに声を震わせるカナエ。
そんな彼女の肩に、イケスがそっと手を置く。
「そうだね……うん、その通りだ。大丈夫。僕らは、なにも間違ってないんだから」
静かに、けれど芯の通った声でイケスが言う。その言葉に、カナエは小さく頷いた。
「……っ……」
俺は、なにも言えなかった。
ごめんも、ありがとうも。
この状況……火種になっているのは、俺だ。俺がここにいるせいで、皆を危険に晒すことになった――そう思うと、言葉が出なかった。
「――顔上げろよ、シノ!」
おっさんの声が、沈み込む俺の意識をグイっと引き戻す。
「てめえがそんなツラする必要はねえ! もっと堂々としてりゃいいんだ!」
「……でも、俺が――」
「――うるせえ! 何度も言わせんな! 能無しだろうがなんだろうが、関係ねえ! てめえの居場所はここだ! ここでいいんだよ!」
おっさんの言葉は、まるで雷のように俺の胸に響いた。
自責と、後悔の念。抱いたそれらを全部吹き飛ばすような力強さに、思わず目頭が熱くなる。
「店長の言う通りよ! アンタがいなくなったら、誰が皿を洗うと思ってんの?」
「そうだよ、シノ君。自分を責めたって、なにも変わらない。それより、今できることをやろう。皆でさ」
その言葉に、胸の奥でなにか熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「……っ、皆……ありがとう、ございます!」
やっと絞り出した声は、情けない程震えていた。
――決めた。
俺は、絶対負けねぇ! こんな理不尽、全力でぶっ潰してやる! 俺が……皆の居場所を守るんだ!
その為に、
「……おっさん、頼みがある」
「おう、なんだ? 言ってみろ!」
「新メニューなんだけど……俺に、任せてくれないか?」
それを聞いた途端、おっさんは目を丸くする。
カナエもイケスも、キョトンとした表情で俺を見た。
「シノ、アンタ何!? 急にどうしたの!? 冗談なら笑えないわよ!?」
突っ込みを入れてくるカナエに構わず、俺はおっさんを見つめた。
「俺は本気だ! 頼む、おっさん! 俺にやらせてくれ! 絶対、村の連中の鼻を明かすような、すげぇ一品作ってみせるから!」
頭を下げて懇願する。
そこに慌てた様子でイケスが、
「ま、まあまあ、顔上げなよシノ君。気持ちは分かるけど、君一人じゃ――」
「――いいぜ!」
「店長!?」
驚くイケスを余所に、おっさんはニヤリと笑って俺の肩をバンと叩いた。
「ガッハッハ! いい目してんじゃねえか、シノ! そこまで言うなら、一日やる! 食材も調味料も好きに使って構わねえから、てめえの自由にやってみろ!」
「おうよ!」
俺は拳を勢いよく上げて応えた。
胸の奥で燃える決意が全身を駆け巡り、心と体を熱くする。
「ちょっとシノ! 本気なの? 能無しのアンタが料理なんて……どうするつもりよ!?」
「熱意は買うけど……本当に大丈夫かい? 記憶だってまだ……」
カナエとイケスが心配そうな顔で言う。
確かに、時間も限られている中で、能無しの俺を信用しろと言っても難しいだろう。
でも――
「これは、きっと俺が――能無しの俺が、やらなきゃいけないんです! 大丈夫! 俺、絶対やってみせますから!」
親指を立てて堂々と宣言する。
邪教徒だとか能無しだとか、そんなレッテルは、俺が纏めて引っ剥がしてやるよ!
「よく言ったシノ! その心意気、料理にぶち込んでみせろ! 期待してるぜ! てめえらも、それでいいな?」
そのおっさんの言葉が決め手になったらしい。
「分かりました。店長がそこまで言うなら……シノ君、新メニューの方は、君に任せるよ」
「ふん! せいぜい頑張りなさい!」
言われるまでもない。
頭の中はすでにフル回転。さっきまで漠然としていたアイデアが、徐々に形になり始めている。
――いける。
肉、野菜、穀物、調味料――必要な物は揃ってる。この店のありったけを使って、誰もが唸るような最高の一品を作るんだ。
見せてやるよ――俺の料理を。
「……それじゃ、僕らは集客の方法でも考えようか」
「そうね! 少しでも多くの人に食べてもらえるように、舞台を整えなきゃ!」
「よっしゃ! いっちょ派手にやろうぜ!」
おっさんの豪快な声に、カナエもイケスもそれぞれ気合いの入った表情で頷く。
皆の覚悟が、熱気となって場を満たしていた。
「こっちは任せろ! シノ……頼んだぜ!」
「了解!」
俺は拳を握りしめ、意気揚々と厨房に入った。
カウンターの向こうでは、おっさん達が早速作戦会議を始めている。
どうやら今日は、長い夜になりそうだ。
「……ごめん、優莉」
帰るの、ちょっと遅くなりそうだ。
でも、ここで逃げるのは、俺じゃない。そうだろ?
呆れ顔で笑うその人の顔が浮かんで、俺も思わず微笑んだ。
ワイルドボアのお肉。
イメージは鹿児島産の黒豚。やや甘味がある脂が絶品!
次回、「俺の料理」
乞うご期待!
※ブクマ、評価等もよろしくお願いします!