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一章十七話[不遜にして不穏な者達]

「――シノ、こっち! 皿、置いとくわよ!」

「ありがとうございます! ……って、ん?」


 もしかして今、名前で呼ばれた?

 まさかの不意打ちに目を丸くしながら、俺は積まれた皿に手を伸ばした。

 昼の一件以来、なんだかカナエとの距離が縮まったような気がする。

 さっきの休憩の時だって、


『――アンタ、体ほっそいんだから。しっかり食べなさい! ほら、器貸して!』


 と、頼んでもないのにどんどん鍋をよそってきた。

 お陰でしばらくはお腹パンパンで少し気持ち悪かった。その時は新手の嫌がらせかと思ったが、どうやら違ったみたいだ。

 ほっこりした気持ちで俺は皿を洗う。


「――よし! 今の客が帰ったら店仕舞いにするぞ!」


 おっさんの声が厨房に響いた。

 もうそんな時間か。

 客室をさっと眺める。談笑する客が数組。料理はほぼ平らげており、追加の注文もないようだ。

 昼の一件以降、どうなるか不安だったが、ここまで何事もなかった。

 どうやら平和に一日が終わりそうだな。

 そう思い、ホッと一息ついた時だ。


「――失礼するぞ!」


 突然、バンと勢いよく扉が開き、恰幅の良い男が店内に踏み込んできた。

 即座に対応するイケス。


「いらっしゃ……ッ……“村長”」


 村長――そう呼ばれた男は、肉付きのいい達磨のような顔を動かし、イケスを一瞥する。


「こんばんは、イケス君。悪いが、今日は食事に来た訳ではない。分かるね?」


 村長が口髭を弄りながら言う。


「店長はいるかね? 話がある」

「……少々、お待ちください」


 と、イケスが呼びに行く前に、


「ここにいるぜ!」


 威勢のいい声と共に、厨房から出てきたおっさん。


「よぉ、“ホアード”! 珍しいな! てめえがウチに来るなんてよ!」

「相変わらず無礼な……私は村長だぞ」


 あからさまに不機嫌になる村長に。おっさんは不敵な笑みで返す。


「へぇ、そうだったのか? すまねえな! 今までもこれからも、この村の村長はあの爺さん以外いねえと思ってるからよ!」

「貴様…………父は、とっくに引退した。いい加減認めたらどうかね?」

「させたんだろうが! どっかの親不孝者がよ!」


 厳しい口調のおっさん。一触即発の雰囲気に、その場の誰も動けずにいる。

 一瞬の膠着。ホアードが蔑むように鼻を鳴らす。


「……ふん、まあいい。今日は、そんな事を言いに来たのではない」

「じゃ、何の用だ?」

「何の用……だと? しらばっくれるな貴様! 昼間は、息子が随分と世話になったらしいな?」


 口元をピクピクと震わせながら言うホアード。その巨体の背後から、一人の男が姿を現した。

 ニヤニヤといやらしい笑みでこちらを見るのは――


「――なんだ、カーバッド! また来てくれるたぁ、よっぽどウチの店が気に入ったみてえだな!」

「ふざけるな! すべて聞いたぞ! 貴様、息子が怪我でもしていたらどうするつもりだったんだ!?」

「ガッハッハ! なぁに、てめえの息子ならそう簡単にへこたれねえだろ? そんなことより、あんま騒ぐんじゃねえよ。他の客に迷惑だ!」

「なんだと!? 貴様、我々を侮辱する気か!」


 一段と声を高くするホアード。



「侮辱だなんて大袈裟な! 俺ぁ、ただてめえの息子がタフだって褒めてやってるだけだぜ?」


 おっさんはわざとらしく大袈裟に手を広げて肩をすくめる。


「この、無礼者めが……!」


 ホアードの顔がさらに赤みを帯び、口髭が怒りに震えている。


「まあまあパパ。店長さんも、落ち着いてよぉ。僕は大丈夫だからさぁ」


 どの口が言うのか、カーバッドがニヤニヤした顔で一歩前に進み出る。


「それより、昼間の英雄さんはどこかなぁ? 彼にも是非来てもらいたいんだけどねぇ? 」


 その声には嫌味がたっぷり込められていた。

 昼の一件――カーバッドが絡んできたあの騒動を思い出して、俺は思わず拳を握りそうになる。でも、ここで反応したら余計に面倒になるだけだ。

 深呼吸。

 そうして平静を装いながら、俺は皿を洗う手を動かした。


「そうだ! 能無し(ノーマン)はどこにいる!? 今すぐ呼んで来い!」


 息子の言葉へ便乗するように詰め寄るホアード。


「呼ばねえよ! アイツは関係ねえ!」

「いいや、そうはいかんぞ! 奴が息子に手を上げたことは分かっている! 見ろ! この痣を!」


 その言葉に合わせてカーバッドが服の袖を捲り上げる。

 俺は皿を洗う手を一瞬止めてチラリとそちらに視線を向けた。

 確かに、その腕には赤みを帯びた痣が浮かんで見える……けど、


「いや大袈裟過ぎんだろ……」


 思わず率直な感想が漏れる。

 おっさんも同じことを思ったようで、カーバッドの腕を一瞥すると、呆れたように鼻で笑い始めた。


「ガッハッハ! なんだその可愛い痣は! てめえ、女の子にでも引っかかれたのか? そんなんで喚いて、恥ずかしい奴だな!」

「なんだとぉ!?」


 カーバッドの顔が一瞬で歪み、ホアードもまた怒りに目を吊り上げる。


「貴様、息子を愚弄するか!? この痣は、貴様の店で起きた不始末の証拠だぞ!」

「不始末だあ? ハッ! 元はといえば、てめえの息子がうちの看板娘に絡んできたのが原因だろうが! こっちは正当防衛だぜ!」

「黙れ! 言い訳は聞かん!」


 ホアードがおっさんの言葉を遮り、ドンとテーブルを叩いた。店内に響く重い音に、客達がビクッと肩を震わせる。


「いい加減にしやがれ! てめえらが騒いでるせいで他の客が迷惑してんのが分からねえのか!?」


 おっさんが一歩前に出て、ホアードを睨みつけた。


「そんなことはどうでもいい! さっさと能無し(ノーマン)を出せ! 責任を取らせる!」


 ホアードの声が頂点に達し、その巨体がさらに一歩前に迫った。

 だがその時――


「――もうやめて!」


 鋭い声が響く。

 その主は、カナエだ。

 おっさんと村長親子の割って入った彼女は、体を震わていたが、その声には確かな迫力が込もっていた。

 その場の全員が思わず動きを止める。


「アンタ達、いきなり来てなんなの!? さっきから聞いてれば、シノがなにしたってのよ? どこかの困ったちゃんに絡まれてたアタシを助けてくれただけじゃない! アイツに責任なんかないわよ!」

「なんだと!?」


 ホアードが顔を真っ赤にして反論しようとするが、カナエは怯まない。

 むしろ一歩前に出て、彼を見据えた。


「その痣だって、大したことないじゃない! いつからそんなヘタレになったのよアンタ! そんなの、お兄ちゃんなら一発で消せるわ! やってあげましょうか?」

「ぐ……ッ!」


 カーバッドが目を丸くして何か言い返そうとするが、カナエの勢いに気圧されて言葉に詰まる。

 その隙に、おっさんがガハハと豪快に笑い出した。


「さっすがウチの看板娘だ! 言ってくれるぜ! おいおい、どうすんだホアード? てめえの息子がヘタレじゃねえってんならよ! ここらで大人しく帰った方がいいんじゃねえのか? たまには村長らしく、器の広い所を見せてくれや!」


 おっさんが肩を揺らして言うと、ホアードの顔がさらに険しいものになった。


「どこまでも、馬鹿にしおって……! 貴様らぁ……!」

「パパ、もういいよぉ。こんな奴らにこれ以上時間使ったって無駄さぁ」


 苦虫を噛み潰したようなホアードと対照的に、余裕の笑みのカーバッド。


「それよりも、このことを神父様に報告しようよぉ。あの方なら、きっと分かってくれると思うからねぇ」

「神父だあ? おいおい、親父の次は教会に泣きつくってか? とことん情けねえ奴だな、てめえは!」


 おっさんの声が鋭く響く。カーバッドはニヤリと口角を上げ、薄気味悪い笑みを浮かべた。


「なんとでも言いなよぉ。でも、この店で能無し(ノーマン)が暴力を振るったって事実は、教会に知らせないとねぇ?」

「はぁ!? 馬っ鹿じゃないのアンタ! 恥を知りなさいよ!」


 カナエが前に出てカーバッドを睨みつける。その眼光は鋭く、厨房の包丁よりも切れ味があるかのようだ。


「カナエの言う通りだ! どうせ自分らに都合の良いように報告すんだろうが! まったく、見下げ果てた連中だぜ!」

「貴様いい加減に……ッ!」


 ホアードは顔を真っ赤にして何か言い返そうとするが、カーバッドがそれを手で制した。


「パパ、落ち着いてよぉ。こんな下品な連中と口論したって、僕らの品位が下がるだけさぁ。後のことは神父様に任せればいいよぉ。あの方なら、この店の不埒な態度を正してくれる筈だからねぇ」


 その言葉に、ホアードは一瞬躊躇ったように見えたが、やがて鼻を鳴らして頷いた。


「ふん……まあいい。息子の言う通り、これ以上貴様らと話しても時間の無駄だ。……覚悟しておけ! 教会は我々ほど甘くはないからな! ……行くぞ、カーバッド」

「うん、パパ。……じゃあねぇ、店長さん。それと、カナエちゃん。英雄さんにも、よろしくねぇ」


 カーバッドが最後に投げかけた言葉には、嫌味と嘲りがたっぷり含まれていた。二人とも踵を返し、ドカドカと足音を立てながら店を出ていく。

 扉がバタンと閉まる音が店内に響き、ようやく静寂が戻った。


「ったく、なんて親子だよ……」


 おっさんが呆れたように肩をすくめると、カナエがフンと鼻を鳴らした。


「ホントよ! あの村長も息子も、自分たちが偉いって勘違いしてるだけのアホだわ! シノ、アンタは気にしないでいいからね!」


 カナエが俺の方を振り返り、力強く言い放つ。その言葉に、俺は少しだけホッとした気持ちで頷いた。


「……ありがとうございます」

「ガハハ! 何だシノ、元気ねえな! 照れてんのか? 男ならもっと胸張れよ! お前は悪くねえんだからな!」


 厨房に戻って来たおっさんが豪快に笑って俺の背中をバシンと叩く。その衝撃で思わず皿を落としそうになったが、なんとか堪えた。

 その様子を見てカナエがクスリと笑った。

 店内の客たちもようやく緊張が解けたのか、ポツポツと会話を再開し始める。

 イケスが静かにこちらへ近付いて来て、小声で呟いた。


「……彼ら、教会に持ち込む気みたいだね。気を付けた方がいいよ、シノ君。特に、あの神父様には」

「はい、そうですね」


 嫌と言うほど分かります。

 陰険な顔を思い出し、少し気分が沈んだ。


「ハッ! 神父の野郎がなんだってんだ? 心配すんな、イケス! 俺がいる限り、シノにもこの店にも、手は出させねえからよ!」


 おっさんは自信満々に言い切るが、イケスの表情はどこか曇ったままだった。

 昼の一件から、事態は更に面倒な方向へ進んでいる気がする。


「……教会、か」


 俺は小さく呟きながら、遠くの窓の外を見やった。夜の闇が広がる中、教会の尖塔がぼんやりと浮かんでいるのが見える。

 やがて客席に人がいなくなり、


「ま、色々あったが、今日は終わりだ! 三人共、片付け頼むぞ! 俺ぁちょいと一服してくる!」


 おっさんがそう言って裏口へ向かうと、カナエが呆れたように溜め息をついた。


「ったく、いつも最後はこれなんだから……シノ、皿洗ったら、アンタもこっち手伝ってよね!」

「分かりました!」


 俺は苦笑しながら返事をし、再び皿を手に取った。

 店内の喧騒が落ち着き、静かな日常が戻ってくる。だが、どこかで引っかかる予感が拭えない。

 村長の最後の言葉――


『覚悟しておけ』


 その台詞が、ずっと頭の中で反響していた。

次回「静かな決意」

乞うご期待!


※ブクマ、評価等もよろしくお願いします!

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