一章十五話[ありふれた日常]
「やあ、おはようシノ君。手の方は、もう大丈夫かい?」
「はい、お陰様で! すっかり元通りになりました! ありがとうございます!」
翌朝。
自室から出た俺は、同じく自室から出てきたイケスとバッタリ鉢合わせた。
「よかった! それなら、今日は頼んだよ!」
「任せてください! 昨日の分まで頑張ります!」
気合を込めて声を張る俺に、イケスはフフッと微笑みを返す。
「……そういえば、昨日は店長から色々教わってたみたいだね。どうだい? なにか得られるものはあった?」
「はい、凄く勉強になりました! 新しいことを知れて楽しかったし……なんだか、俺も料理したくなっちゃいましたよ!」
「へぇ、そっか……。なら、その時の味見は僕にさせてよ」
「ありがとうございます! その時はぜひお願いします!」
そんな会話を交わしながら一緒に階段を降りていくと、
「おう、二人とも! ちょうどよかったぜ! たった今、朝飯ができた所だ!」
おお、それは確かにナイスタイミング!
厨房から漂ってくるこれは……炊きたてのご飯と、それと……魚? 焼けた魚の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。鼻から既に美味しい予感に満たされ、自然とテンションが上がった。
「魚屋さん、今日は調子良かったみたいですね」
「みてえだな! あの野郎、わざわざ釣果を自慢しに来やがったぜ!」
「あはは、あの人らしいです」
「まったくだ! おかげで良いのが手に入ったから文句はねえけどよ!」
上機嫌に笑うおっさんとイケス。
「まあ、なんだ。これでカナエのやつも機嫌直るだろ!」
「そうですね、大好物ですから。ありがとうございます。気を遣ってもらって」
気にすんな、と手を振るおっさん。
成る程、カナエ先輩は魚好き……っと。頭のメモ帳に早速追加だ。
それなら、今度刺し身でも切ってみるか? 一応捌けるし。
それでちょっとでも俺への態度が変わればいいんだけどなー。
「……んで、そのカナエはどうした? まだ寝てんのか?」
「あれ? 先に降りた筈ですけど……」
辺りを見渡す俺達。
だが、どこにもカナエの姿はない。
「あー……じゃあ、“あそこ”だな」
「ですね、間違いなく」
え? どこ? 二人だけ納得しててずるい!
一人、会話についていけない寂しさを感じていると、
「シノ君。いいかな?」
イケスに名前を呼ばれ、視線を向ける。
「悪いんだけどさ。ちょっとカナエを呼んで来てくれる? 多分、外にいると思うから」
「え?」
俺ですか、イケスさん? 人選合ってます?
暗に表情でそれを伝える。
「まあまあ、そんな顔しないで。お願い! 面白いものが見れると思うからさ!」
くっ、イケメンからそんな風にお願いされると断りにくい。同性にも効果を発揮するとは、なんて罪作りな顔面なんだ。
仕方がない。
渋々ながら、口車に乗って動くことにする。
「えーっと……」
外にいる、って言ったか?
そうして店の扉に向かう途中、おっさん達がニヤニヤ笑っているのがチラッと見えた。
「な、なんだよ……?」
不穏な予感を抱きつつも、俺はとりあえず店の外に出た。
「さーて、どこに……」
居るんだ? と思ったが、
「……ああ、いたいた」
探すまでもなかった。
店のすぐそば。しゃがみ込んでいるカナエの後ろ姿が目に入る。
なにしてんだろ? 軽い好奇心を胸に、俺はその背中に声を掛けた。
「すみませーん、カナエさ――」
瞬間、絶句する。
思わず見開いた視線の先――そこには、餌に夢中なニャンコ(又多尾)が一匹。それと、その背に顔を埋めて悦に浸っている妖怪――じゃなくてカナエの姿があった。
「――ッ!?」
俺の声に反応してバッと振り向いた彼女と目が合う。
瞬間、互いに硬直。
「…………」
「…………」
気まずさの極致みたいな沈黙。
お互い無言のままだったが……「なにか言ったら殺す」、俺を見るカナエの目には確かにそう書いてあった。
やがて、
「……なによ?」
空気に耐えかねたか、カナエの方から口を開いてきた。
「あ、えーっと……朝ご飯です」
「そう、分かった……先行ってて! すぐ行くから!」
取り繕うようにそう言うと、カナエは猫の餌やりを再開する。俺はその言葉に大人しく従って、先に店に戻った。
「……やあ、シノ君。カナエは?」
「すぐに来る、だそうです……というか、あの、イケスさん?」
待っていたかのように声を掛けてきたイケスに物申す。
「うん、言いたいことは分かってる。でも、面白かったでしょ?」
「いや、死ぬかと思いましたよ……」
勘弁してくれ。
確かに面白かったけど、こんな所で命を懸けるのは、割に合わない。
食器を並べながら笑うイケスに恨めしげな視線を送る。
「ごめんごめん。ちょっとでも二人の距離が縮まればと思ってさ」
どう考えても逆効果です。本当にありがとうございました!
この後、一体どんな顔でカナエと会えばいいのか。今から頭が痛い。
そりゃまあ、
「意外な一面は見れましたけどね……」
「だろ? アイツ、あれで可愛いものに目がないんだよ。口では絶対認めようとしないけどさ」
イケスは楽しそうに言いながら、俺の肩をポンと叩く。
案外、悪ふざけをするタイプだったんだなこの人。
「――楽しそうね、二人共」
突然背後から聞こえた声にビクッと肩を震わせ振り返る。そこには、いつの間にやら店に入ってきていたカナエが、腕組みをして仁王立ちしていた。
「おはようカナエ。いや〜、シノ君がね? 君の意外な一面を見てすっかり感動しちゃったみたいだから」
余計な火種を投下するイケス。
ちょっとイケスさん!? なに言ってんすか!?
「……へぇ?」
その言葉を受けたカナエは目を細めて俺を見据える。
刺さる視線。痛い! 痛過ぎて物理的になにか飛んできてるんじゃないか錯覚するレベルだ。
「い、いや……その……猫、好きなんですね……?」
「別に、ただご飯あげてただけよ」
なんとか紡いだ言葉に、カナエはそっぽを向いてぶっきらぼうに返す。
それ以上の追求は諦め、即時撤退。だって怖いもんこの人! さっきまで猫にデレデレだったとは思えない威圧感だよ!
「まあまあ、カナエ。シノくんも悪気はなかったんだし。それに、ニャンコに夢中な姿。可愛かったってさ」
「イケスさん!?」
言ってねえよ!? 確かに思いはしたけど、口には出してねえよ!?
誰か、あのイケメンを止めろ!
またしても爆弾をぶち込むイケスに、俺は目で訴えた。
「はぁ!? なにそれ、バッカじゃないの!?」
予想通りの態度で怒鳴るカナエ。その顔が一瞬で赤くなったのは、きっと照れてるとかいう、そんな可愛い理由じゃない。
やり過ぎだよイケスさん!
「――なんだてめえら、盛り上がってんな!」
聞いたような台詞と共に会話へログインしてきたのはおっさんだ。
「楽しそうなとこ悪ぃが、飯だ! ほら、冷めねえ内に食え!」
おお、待ってました!
俺は我先にとおっさんの声に反応し、気まずい空気から逃げるように卓に着いた。
炊きたてのご飯、焼いた魚の切り身に卵のスープ――素晴らしいラインナップだ。どことなく和を感じる。確かに、これは冷める前に食べたいな。
「よお、カナエ! てめえも早く座れ! 魚が冷めたら勿体ねえぞ!」
おっさんが声をかけると、カナエはまだちょっとムスッとした顔で、
「……分かったわよ」
とだけ言って、渋々席に着いた。俺の真向かいに座る形。なんか余計に気まずい配置だな、これ。
カナエの視線をチラチラ感じる気がするけど、気にしない。気にしたら負けだ。とりあえず、今は目の前のご飯に集中しよう。
『――料理人スキル。食材鑑定Lv2、発動』
アイテム名:竜魚の塩焼き
種別:料理
可食適性:〇
毒性:無
ということで、早速竜魚とやらを一口。
「旨っ! おっさん! この魚、すげえ旨いな!」
「当たり前だ! なんたって俺が目利きして、俺が焼いたんだからな!」
と胸を張るおっさん。
誇らしげにするのも分かる。
外はパリッと、中はホロッと崩れる白身。この食感を出すには、絶妙な火力と焼き時間の調節が必須だ。
「流石は店長、塩加減も完璧ですね……ほら、カナエも食べなよ? 美味しいから」
「言われなくても食べるわよ!」
ぶっきらぼうに鼻を鳴らすカナエ。相変わらず不機嫌な様子の彼女だったが、魚を一口食べた瞬間、彼女の頬が少し緩んだのを、俺は見逃さなかった。
本当に好きだったんだ。意外と分かりやすいな、この子。
「……なにニヤニヤしてんのよ? 気持ち悪い」
「えっ!? いや、別に! なんでもないです!」
慌てて否定する俺に、おっさんとイケスがまたしても笑い出す。
「ガハハっ、シノ! てめえいい度胸してんな!」
「ですね。シノ君……うちの妹が可愛いのは認めるけど、道は険しいよ? 頑張ってね」
「そこッ、うるさい!」
ピシャリと言うカナエ。
やれやれ、勘弁してくれ。これを優莉が聞いたら血を見ることになるぞ。
ホント、厄介な大人達だ。朝から騒々しいことこの上ない。
――でも、悪くないな。
呆れ顔で食事風景を眺めながら、俺はそんなことを思った。
「――よぉし! 飯食ったらそれぞれ準備だ! てめえら、今日もしっかり頼んだぜ!」
その言葉に全員が声や頷きで返すと、おっさんは満足そうな顔で厨房に引っ込んだ。
「……さて、僕らもそろそろ作業に入ろうか。こっちの食器は僕が洗うから、シノ君はまたカナエの手伝いをお願いね」
それを聞いて嫌そうな顔をするカナエだったが、それだけでなにも言わなかった。
諦めたか? そうかもしれないが、とりあえず拒絶されなかったことが嬉しくて、俺は「はい!」と笑顔で返した。
「カナエ先輩! 今日もよろしくお願いします!」
「ふんっ、足引っ張らないでよね?」
そんな会話をしながら、俺達は道具を取って作業を始める。
その様子を、さっきのニャンコが窓から眺めているのが見えた。
魚の匂いにでも釣られたかな? 今度、俺も餌あげてみよう。
昨日より少し慣れたこの場所で、またなにか新しいことが待っている。そんな予感がして、胸が高鳴った。
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次回「ありふれた烈情」
乞うご期待!