一章十二話[嫌われ者]
「一番テーブル! あがったぞ!」
「はい! カナエ、お願い!」
「爺ちゃんのとこね! 了解!」
「カウンターの方もあがりだ! イケス!」
「行きます! ……お待たせしました」
「シノ! そっちは大丈夫か?」
「問題なし!」
威勢のいい指示と返事が飛び交う。
凄まじい活気と熱気。これはもはや戦場だと言っても過言はない。
店の方は、大盛況だ。
暖簾を出した途端に待ってましたとばかりに人の波が押し寄せ、テーブルもカウンターもあっという間に席が埋まってしまった。
おっさんはずっと鍋を振り続けていて、イケスは料理を客に提供したりカナエに指示を出したり、その上会計もしていて忙しそうだ。カナエも、ホールとして客の相手から空いた席の片付けと掃除、お待ちのお客様の案内など、俺には絶対向けないような笑顔でこなしている。
俺は俺で、カナエやイケスが持ってくる食器達を相手に延々と格闘していた。
「こっち、お水頂戴!」
「はい奥様、お待たせしました」
「ねぇママー、ごはんまだー?」
「はーい! ボク、ちょっと待っててねー!」
好き勝手に繰り出される注文。
それをカナエやイケスが連携して見事に捌き切っている。
料理の方も、おっさんが中華レンジっぽい形の焜炉や作業台でいくつもの鍋と包丁をフル稼働させ、凄まじいスピードで全ての注文に対応している。食材の加熱時間を全て把握していないとできない芸当。無駄なく精練された動き。その様は人間離れしていて思わず見惚れそうになった。
「――っと、いかんいかん!」
俺の方も余裕がある訳じゃない。
次々に返却口へと積まれる食器の山。それを全速力で洗っては水切り棚に並べて、乾いたものは所定の位置に戻していく。
正直、思った以上の忙しさでついていくのがやっとだ。一分一秒足りとも無駄にはできない。
「いらっしゃいませー!」
「ありゃー、カナエちゃんは今日もべっぴんさんだべ! うちの嫁とは大違いだ!」
「はいはい。おじさん、今日はなににするの? いつもの?」
「んだ! よろしく頼むべ!」
カナエを見た途端笑顔になる男性。
「ご馳走さま。美味かったわ!」
「はい、ありがとうございます奥様。またのご来店をお待ちしてますね」
そう言われて頬を赤らめながら出ていく女性。
「二人とも人気者だなー」
おっさんの料理が最高なのは当然として、あの兄妹を目当てに来ている客もそれなりにいそうだ。
聞こえる声と返却口越しに見える風景をチラ見しながら、俺はそんな感想を抱いた。
次々に入れ替わる人の波。
「ご馳走さん! ヴァル坊や! また腕を上げたのう!」
「おー、なんだ爺さんいたのか! ありがとよ!」
使った食器類を自ら返却口に置きながら話しかけてくる老人。
見覚えのある顔だ。確か……門番の人だっけ?
「もう帰んのか?」
「いいや、これからまたお勤めじゃ。まったく、老人使いが荒くていかん!」
「そうか、大変だな! 頑張れよ! 居眠りすんじゃねえぞ!」
「余計なお世話じゃ!」
などと言いつつ、お互い笑顔なんだから気心の知れた仲だというのがよく分かる。ちょっと羨ましい。憧れる関係だなー。
なんて思っていると、
「……お主も、頑張っとるようじゃな」
「え?」
不意打ち。
まさか話しかけられるとは思ってなかった。
動揺。咄嗟に言葉が出ず、一拍置いて返事をする。
「あ、ありがとうございます」
「うむうむ……能無しとして色々と辛いこともあるじゃろうが、負けるでないぞ。精一杯やっておれば、それを見ている者は必ず居るもんじゃ」
「えっと……はい、頑張ります」
労いと励まし。
それは突然だったけど、なんだか……少しだけ元気を貰えたような気がした。
「まあ、なんじゃ……ヴァル坊をよろしくのう」
そうやって去っていく背中に、俺は言う。
「ありがとうございましたー!」
精一杯の、感謝を込めて。
***
ようやく客足が落ち着いてきたのは、日がやや傾き始めた頃だった。
「ふぅ……俺らもそろそろ飯にすっか? 腹減ったろ?」
全ての注文を捌ききって手が空いたらしいおっさんが言う。
休憩か。そいつは願ったり叶ったりだ。
四人ともあまりの忙しさに昼ご飯を食べる暇すらなかったからな。
「今いる客が帰ったら一旦閉めんぞ。二人にもそう伝えろ」
「あいよー」
食器の方も粗方片付いて手持ち無沙汰だった俺は、おっさんに言われた通り、二人のいる客室へ歩いていった。
「あ、イケスさん。店長が、もうちょっとしたら休憩だ、って」
「うん、了解。じゃ、テーブルのお客様が食べ終わったら暖簾を下ろそうか」
そう言いながらカウンターやコップを拭いているイケスの姿は、さながらバーのマスターみたいに見えた。
「何してるの? 喋ってないで手を動かしなさいよ」
と、厳しいことを言うのは、今まさに料理を運んで帰ってきたカナエだ。
「今いるお客様で昼は最後だってさ、カナエ」
「あらそう? 分かったわ」
という二人の表情は涼しげで、全然疲れた様子が見えない。
流石だな。俺も負けないようにしなきゃ。
「ところでシノ君、洗い場の方は大丈夫かい?」
「はい。まあ、なんとか……後はお客様待ちですね」
「へぇー、そっか。凄いね! 初日なのに」
「ふんっ、大したことないわよ!」
兄妹で真逆のことを言う二人。
「いやいや、そんなことないって。大したもんだよ。カナエなんて、最初はさ……」
「うっさい! アタシのことはいいのよ!」
「へー、それは詳しく聞きたいですね」
「アンタね……!」
怒りを露わにするカナエだが、客の手前目立ったことは出来ないようだ。ここぞとばかりにいじり倒したい所だが、これ以上は後が怖いので止めておく。
「なんて、僕も初めての時は全然だったんだけどね」
「へー、そうだったんですね」
まあ、最初は誰でも初心者だ。皿洗い一つ取ったって、いきなり上手くやれる訳がない。俺がたまたま経験者だったってだけの話だ。知る由もないだろうが。
「だからさ、実はちょっと心配だったんだ。店長が決めた事とはいえ、任せて大丈夫かなって」
「それは……知らなかったです」
でも確かに、食器を運んでくる度にイケスから「大丈夫?」とか「きつかったら言ってね」とか、逐一声を掛けてもらってた気がする。あれは、そういうことだったのか。
「杞憂だったけどね。多分、皆驚きだったと思うよ? 君があれだけ動けるなんてさ」
「いやそんな……お役に立てたなら良かったです」
こんな初歩で褒められるのは久しぶりだ。なんだかこそばゆい。
そう思っていると、
「ふんっ! なにいい気になってるのよ! できて当然のことができただけじゃない!」
うん、そうだな。言い方はきついが、その意見には賛成だ。まだまだこれから、やれることはどんどんやらせてもらおう。
「やれやれ、厳しい先輩だな……ごめんねシノ君」
「大丈夫ですよ。先輩の言うこともごもっともですから」
「大人だねぇ。見習ったら? 先輩?」
「嫌よ! なんでアタシが!」
ツンツンした態度のカナエ。
それを見て、イケスは言う。
「……でもさ。ああ見えてカナエも心配はしてたんだよ? 君のこと」
「え?」
「はぁ? なんのこと?」
そ、そんな馬鹿な……あのカナエ先輩に限ってそんなことある訳が……
ニヤニヤしながらイケスが言う。
「いやだって、君が一番気にしてたでしょ? 何度も何度も、あんなにチラチラ視線送ってさ」
「べ、別にそんなんじゃないわよ! コイツがグズグズして途中で皿が無くなったりしたら迷惑じゃない! だから、見張ってただけ!」
「はいはい」
噛みつくような勢いのカナエを飄々と受け流すイケス。最初から思ってたけど、やっぱいいコンビだな二人。漫才師の職業があれば是非転職をおすすめしたい。
などと、雑談に花を咲かせていると、テーブルのお客様も料理を食べ終わったみたいだった。
「カナエ」
「はいはい」
それを察するや否や、阿吽の呼吸で食器を片付けに行くカナエと会計を済ませるイケス。
やれやれ、やっと休憩か。
そう思って気が抜けそうになった時――
――バタン!
勢いよく開かれる扉。
そこから四人組の男達が店の中に入って来るのが見えた。
残念……休憩はもうちょっとお預けか。
内心そう思ったが、それを態度に出す人間はこの場にはいなかった。流石、皆プロだな。
「いらっしゃいませー」
食器を運びながら抜群の営業スマイルで対応するカナエ。
そうして通されるまま、四人は空いているテーブルに座った。
それを確認して、
「しょうがない。あの子達で最後にしよっか。ごめん、ちょっと外行ってくるねー」
すかさず外の暖簾を片付けに行くイケス。
俺は俺で洗い場に戻り、回収されてきた食器を洗う。
「お待たせしましたー。食器とお水、置きますねー」
「やあやあカナエちゃん! 今日も変わらず可愛いねぇ!」
そんな会話が聞こえたのは、彼らが洗い場から一番近い席に陣取っているせいだ。たまたまだろうが、お陰で返却口を隔てた先の声も姿も筒抜け。その気はなくても目に入った。
カナエに声を掛けていたのは、四人の中で一際目立つ男だ。
若い。シノと同年代くらいだろうか、恰幅のいい体型。他三人の村人スタイルな服装と違い、そいつだけが明らかに仕立ての良い貴族みたいな服を着ていて、ひと目で金持ちと分かる。
「いやぁ、お店が再開して良かったなぁ。これでまたカナエちゃんに会えるねぇ!」
「ええそうねー。“カーバッド”さんに会えてアタシも嬉しいわー」
清々しいくらい見事な棒読み。
だが、それも仕方がないかもしれない。
上から下まで、カナエを見るそのねっとりとした視線からは、下心が丸見えだった。
「……で、なににするの? いつものでいい?」
「そうだねぇ。お願いするよぉ」
「お連れの皆さんもそれでいいわね? じゃ、ちょっと待ってて」
確認という名の強制。有無を言わせぬ注文対応を終わらせてさっさと厨房に入るカナエ。
そんな態度を取られていても、まるでご褒美を貰ったかのような笑顔を崩さないんだから、カーバッド……この男もアレだな。なかなかの強者だ。
「はははっ、やっぱりいいなぁ……皆も、そう思うよねぇ?」
舌なめずりするような声でそう問われて、全員が頷きを返す。
分かりやすい。力を持った金持ちのボンボンと取り巻きの関係。嫌な感じだ。個人的には、好きになれない。苦手なタイプだな。多分、カナエも同じ気持ちなんだろう。注文を取った後は、あいつらからなるべく遠い席の掃除をゆっくりしている。
「本当にいい店だよねぇ。ご飯も美味しいし、素敵な女の子もいるし……本当の本当に、大好きなんだけどさぁ――」
その一瞬の間に、嫌な予感がした。
「――それなのに……なんでだろうねぇ? なんだか、不快な顔が見えた気がしたなぁ?」
そう言ってカーバッドが目を向けたのは……他でもない、俺だった。
クソ……またかよ。
舌打ちしたい気持ちをなんとか抑え込む。
経験上、こういうのは相手にしたら駄目だ。俺は顔を逸らして、作業に集中する振りをした。
「おやぁ、聞こえなかったかなぁ? 能無しっていうのは耳も悪いらしいねぇ?」
うるさい、黙れ。
不快な声の向こうにある不快な顔を想像して、俺はどんどん不快な気持ちになった。
「おい、能無し! カーバッドさんが声掛けてやってるだろ! なんとか言えよ!」
「まったくだ! これだから能無しは……」
「無視してんじゃねえぞこら!」
取り巻き共も口々に喚き立てる。
柄が悪い。
やれやれ、他のお客さんがいなくなってて良かった。
ここで騒ぎを起こしたら俺はともかく、店の評判に関わるからな。
今は、とにかく耐えるんだ。
「まあまあ、みんな落ち着いてよぉ。……久しぶりだねぇシノくん? 最近見ないから、どうしたのかと思ってたよぉ? まぁだ生きてたんだぁ?」
席を立って返却口越しに声を掛けてくるカーバッド一味。
重そうな体でわざわざご足労ありがとよ。
だが構ってる暇はない。回れ右してとっとと席に戻れ。
「聞いたよぉ? コトハさんが亡くなったってねぇ……とても、とぉっても残念だよぉ……あんなに優しくて、良い人だったのにねぇ……」
俺の祈りも虚しく、ねっとりとした口調で喋り続けるカーバッド。
コイツ……一体何が言いたいんだ?
「……本当に、なんでだろうねぇ? 運が無かったのかなぁ? キミのような出来損ないを産んじゃうくらいだもんねぇ」
ニヤニヤ、クスクスと取り巻き達が嗤う。
出来損ない、か。言ってくれるぜ。
でも、俺の事はいいんだ。何を言われようが響かない。だから、頼むから……
「いや、馬鹿だったのかなぁ? さっさと捨てれば良かったのにねぇ? キミも、そう思うだろぉ? 能無しなんかに関わるから、こうなるんだってさぁ」
放っておいてくれ。お願いだ。じゃないと、もう……
「愚かだよぉ。キミのお母さんもお父さんも。みんなみぃんな……この店もねぇ」
「黙――」
カッと。その顔に皿を投げつけそうになった時だ。
「――お待たせしましたー」
声が掛かる。その主は、カナエだ。
「“愛情たっぷりポムライス”四人前ですー。皆さん、席に着いて召し上がってくださいねー」
相変わらずの棒読みで有無を言わせない対応。それに従ってカーバッド一味はそれぞれ大人しく席に戻った。
「……ちょっとアンタ! 騒ぎ起こすならひっこんで休憩してれば? というか行って! 迷惑!」
という俺への悪態も忘れない。アフターフォローも完璧だ――
「――ただいまー! ごめんごめん、ちょっと酒屋の婆ちゃんにつかまっちゃって…………なにかあった?」
そういえば居なかったイケスが戻ってきて言う。
だが、
「ああ、なるほど……」
客席と俺の方を見てだいたいの状況を察したらしい。
「よし! それじゃあ、シノ君は先に休憩行こっか。部屋が奥にあるからね。後のことは僕らに任せて!」
図らずもカナエと同じことを言うイケス。
こちらは気遣いが見える。言い方次第で随分印象が変わるもんだな。
「分かりました……すみません、お言葉に甘えます」
正直、この場に居たくなかったから助かる。
いい口実を得て、俺は言われた通りに奥の部屋へ向かった。
「おう、シノ! 休憩か?」
「うん、お先。……そうだ。さっきは、ありがとな」
カナエの来るタイミングが良過ぎた。多分おっさんの差し金だろう。
「なんのことだ? ……まあ、奥で待ってろ! 昼飯持ってってやっからよ!」
昼飯。その言葉を聞いて、ちょっとだけ元気が出た。
今度はなにが食べれるんだろう?
頭の中を無理やりそれ一色に切り替え、俺は部屋のノブを回した。
カーバッド。反対から読むと……?
次回「火の用心」
乞うご期待!