一章十一話[消えない罪]
場所は店の客室――
「――今日からお世話になります、シノ・シルヴァーンです! よろしくお願いします!」
おっさん達三人と俺。職場の朝礼みたいな雰囲気の中、努めて明るく、ハキハキした態度で一礼する。
瞬間、「ふんっ!」と向かい合わせにいるカナエが不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、そこは見ない振りをしてやり過ごした。
「店長から話は聞いてるよ。大変だったね……もう聞いた名前かもしれないけど、僕はイケス。イケス・リーレイト。こちらこそ、これからよろしくね」
そうして差し伸べられた手を掴む――
『――料理人スキル。食材鑑定Lv1、発動』
個体名:イケス・リーレイト
年齢:27
性別:男
職業:料理人
可食適性:✕
やっぱシノよりは年上か。でも俺自身とはほぼタメだから、ちょっとだけ親近感を感じる。
職業は言わずもがな。改めて見ると穏やかで落ち着いた雰囲気が全身から滲み出ていて、おっさんとはまた別の意味で頼りになる大人って感じだ。仲良くなれそう。
その一方で、
「……なによ?」
こちらの視線に鋭い睨みで返すカナエ。
やれやれ、嫌われてんのは相変わらずか……ま、そんなすぐに変わる訳ねえよな。
「君の番だよ。ほら、自己紹介」
「なんでそんな事しなきゃいけないのよ?」
横にいる兄に言われて反抗的な態度の妹。
「なんでって……昨日店長から聞いたろ? 彼が霧に――」
「――そんなこと知ってるわよ! 霧に当たったんでしょ?」
「じゃあ――」
「――嫌よ! 別に、名前なら昨日聞いたからいいでしょ? だいたい、本当に忘れたの?」
探るように言われて、俺は「まあ……」と曖昧な返事しかできなかった。
「なによ……それ。なにもかも忘れたった言うの? あの日のことも? そんなの、あんまりじゃない……!」
その口から出た憐憫の言葉は、決して俺に向けられたものじゃない。
その証拠に、
「“ロズ兄”に、助けられたくせに……!」
ロズ? それって……俺が使ってる部屋の?
見た覚えのある名前に、何故かその場の全員が反応した。
「カナエ――」
「――もういいでしょ? アタシ、そろそろ掃除しなきゃいけないから!」
誰かになにかを言われる前に。そんな様子でスタスタと厨房の方へ歩いていくカナエの姿を、俺は目で追いかけた――
『――料理人スキル。食材鑑定Lv1、発動』
個体名:カナエ・リーレイト
年齢:16
性別:女
職業:“芸術家”
可食適性:✕
「……ん?」
と、つい声を出してしまったのは、視界に捉えた彼女の職業が思っていたものと違ったからだ。
芸術家、ね。意外な才能というかなんというか……てっきりこういう店で働く人間は皆料理人かと思ってたけど、違うみたいだな。
「まったく、アイツは……ごめんねシノ君。後で言って聞かせとくから」
「いやそんな……」
といった所で、
「よし! 自己紹介は終わったな!」
今まで沈黙して成り行きを見守っていたおっさんが口を開く。
「じゃあイケス! てめえは朝の仕込みだ! 包丁は任せんぞ!」
「はい、分かりました」
指示を受けてからの行動は迅速に。すぐに足を動かして厨房の方に消えるイケス。
一方で残った俺達は、
「シノ、てめえはとりあえず裏方だ! 洗い場任せるからな!」
裏方か。カナエや村人の反応を考えれば、まあ当然だろうな。
「案内してやっから、まずは食器やら道具の場所を覚えろ!」
「了解!」
いいね。バイト時代を思い出すこの感じ。
思えば、現代でも初めてやった仕事は皿洗いだったな。新人職員、見習いといえばやっぱこれだ。ちょっと自己紹介では色々あったが、切り替えていこう。
そう思いながらおっさんに連れられて厨房に入った。
「…………こっちの棚が皿。そっちの引き出しがフォークやらスプーンやら……こっちに鍋で、そこが道具置き場だ」
テキパキと次々に食器や道具の位置を教えてくるおっさん。
俺は脳をフル回転させてそれらを覚える。
「……んで、ここがてめえの持ち場だ! 水の使い方は井戸と同じ、そこの取っ手を動かしゃいい!」
「なるほど……」
石造りのシンクにレバーが付いている。手押しポンプ、ってやつか……これを動かして水を出すみたいだな。
良し良し。これなら学生時代に似たようなことを体験した覚えがある。問題なく使えそうだ。やってて良かった田舎式。
「泡袋は……ほれ、そこの壁だ。そいつを使え!」
壁から飛び出すように打ち付けられた釘に、石鹸ネットみたいな物が引っかかっている。どうやらこれがスポンジの代わりみたいだ。
良かった。水洗いオンリーではないらしい。衛生管理も大丈夫そうだ。流石だな。安心した。
「っと、ここまで。一気に駆け抜けたが、どうだ? やれそうか?」
愚問だな。俺を誰だと思ってやがる!
おっさんの問いに対し、俺はどこぞの熱血主人公になりきったような気持ちで親指を立てて一言。
「任せろ!」
「へっ、いい返事じゃねえか! じゃ、次だ!」
その後は飛ぶように時間が過ぎていった。
厨房の他に食料庫や作業場なんかを見て周り、その場所を頭に叩き込む。
途中、イケスが作業している所がチラリと見えたので観察。四角い中華包丁みたいな物を片手にひたすら野菜を切る姿は、顔が良いこともあって中々絵になるなと思った。野菜達も均等に切り分けられている。速さも申し分ない。どうやら腕の方も良いみたいだ。
「……んで、ここが便所だ! 開店中は客も使うからな! てめえの場合は……まあ、気を付けろ!」
確かに、鉢合わせになると相手によってはトラブルになりそうだしな。俺としてもそれは避けたい。開店中はなるべく洗い場に引き篭っていよう。
と、そんな感じで一通り案内し終わったおっさんは、
「そんじゃ、俺は仕込みに入るからな! てめえはカナエの方を手伝って来い!」
「え? ちょ、待――」
――しかし抗議の声は届かなかった!
スタスタと厨房に消える背中を恨めしく眺める。
マジかよ……よりによってあの子となんて、無茶振りにも程があんだろ。いや人によっては羨ましい展開なのかもしれないが、生憎俺にそんな趣味はない。相手が美少女だろうが、きついもんはきついんだ。おっさん、カムバーーック!
と思ったが、俺の為にずっとおっさんを捕まえておく訳にもいかない。
「しょうがない、か……」
全く気は進まないが、一人で客室のテーブルを拭いているカナエの方に歩いていった。
こちらに気付いた彼女と視線がぶつかる。
「……なに?」
不機嫌さを隠そうともしない態度のカナエに一瞬怯みそうになるが、なんとか口を動かして言葉を作った。
「いや、おっさ……店長が手伝えって言うからさ。なにか出来ることがないかなー、って」
「能無しになにが出来るって言うのよ……まったく、余計なお世話だわ」
容赦の無い言葉の刃に心が折れそうになる。でも、
「俺だけなにもしないって訳にもいかないし……」
「必要ないって言ってるのよ!」
にベもない。
こいつめ……こっちが下手に出ていればいい気になりやがって。
いいだろう。そっちがその気なら、こっちにだって考えがある。
「……分かりました。じゃ、勝手にやらせてもらいます」
「好きにすれば?」
言質は取った。
つーわけで、覚悟しろよ?
心の中で啖呵を切り、俺はカウンターに置いてある台拭きを手に取った。
そして、
「ちょっと! なにしてんのよ!?」
今まさにカナエが拭いているテーブルを、俺も拭き始めた。
「ここはアタシがもうやってるでしょ!? 別のとこ行きなさいよ!」
「え? だって、好きにしていいんですよね? だったら俺がやりたい所を勝手にやります。カナエさんこそ、別の場所行ったらどうですか?」
「こ、の……ッ!」
ギリッと歯噛みするカナエ。
効いてる効いてる。いじめられっ子がいつまでも反撃しないと思うなよ? こちとら中学時代はそれなりの修羅場にいたんだ。それに比べたらこんなもん、屁でもねえ!
「……ふんっ! いいわ! そんなにやりたいならやってれば?」
そうだ。勿論、そう言うしかないよな?
けど、まだ終わりじゃねえぞ!
捨て台詞を吐いて一番遠いテーブルに移動するカナエ。それを追いかけて、俺はまた同じことをした。
「なんでついて来んのよ!?」
「いやー偶然ですよ偶然。たまたま俺もそっちを掃除したいと思って」
「ふざけてるの!? どっか行ってよ!」
「嫌です」
動かざること山の如し。
そんな俺に憤怒の形相を向けるが、すぐそこにおっさんやイケスがいる手前、実力行使はできない様子。
残念だったな。この場に限っては俺の方が味方は多い。
お言葉に甘えて、好きにやらせてもらうぜ!
「逃がすか!」
その後も、カナエが移動するのに合わせて歩き回る俺。
逃げられては追いかけ、また逃げられては追いかけ……それを何周かした所でようやく、
「はぁ、はぁ……ホ、ホントに、なんなのよ……もう!」
疲れか諦めか、或いは両方の感情を顔に浮かべてカナエは動きを止めた。
よし! 付き纏い作戦成功だ! ……元の世界でやったら捕まるだろうな。
「どうしました先輩? もう限界ですか?」
「この……ッ……! 随分、いい性格になったじゃない、アンタ」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてないわよッ!」
もはや何を言っても無駄。それが伝わったのだろう、声のトーンを一つ落としてカナエは言った。
「はぁ……もう、いいわ。分かった。手伝いたいなら手伝えばいいじゃない」
「ありがとうございます」
長い溜め息と共に吐かれた言葉に対して、大袈裟な礼をして答える。
「それじゃ、アンタはテーブル……はもう終わってるわね。ムカつく」
二人で仲良く拭きまくったからな。多分いつもよりピカピカになった筈だ。結果オーライ。一言余計だったのは聞き流そう。
「ふんっ……なら、そうね。椅子でも拭いてきて。そのくらいなら能無しでも出来るでしょ?」
「分かりました」
「ちゃんと並べながらよ? 綺麗に出来てなかったら承知しないから」
「はいはい、っと」
「……まあいいわ。じゃあ、アンタはあっちから。挟み撃ちでやるわよ。時間もないわ。ほら、さっさと動いて!」
「アイアイサー!」
そんな掛け声と共に踵を返した俺は、言われた通りカナエとは反対の位置から作業を始めた。
そこからは、無言。
今までのドタバタが嘘だったみたいにお互い一言も喋らず、辺りには衣擦れと椅子が床を引っ掻く音だけが響いていた。
「…………」
「…………」
気まずさの極みのような静けさ。ただ機械的に黙々と作業をこなしていく中、
「……ねえ」
その静寂を破ったのは以外にもカナエだった。
「はい?」
「アンタ……本当に、なにも分からないの?」
端と端から始めて、そろそろお互いの持ち場が近くなってきた頃、そんなことをカナエは聞いてきた。
「まあ、はい」
「アタシのことも? お兄ちゃんのことも?」
分からない。
コクリと頷いて答える。
「店長のことも? 自分の家族のことも?」
分からない。
コクリと頷いて答える。
「“友達”のことも?」
友達……? 誰のことだ?
分からない。
けど、なんだか……胸がざわつく。
「“ロズ兄”のことも……忘れちゃったの?」
ロズ……だって?
そうか、友達……そうだったんだな。
シノにも、そんな奴がいたんだ。てっきり居ないかと思ってた。勘違いだったな。それは、良かった。
でも、
「ごめん、俺には……」
分からない。
ここで出会う全員が、俺にとってははじめましてだ。
首を振って、その事実を肯定する。
「そう……」
そんな俺の様子に眉をひそめて俯くカナエ。その表情は、悲しそうにも、悔しそうにも見えた。
そんな彼女を相手にどうしたらいいか分からず、とりあえず手を動かす俺。
そこへ――
「――おーいシノ! 仲良くやってるとこ悪いが、 ちょっとこっち来い! てめえに渡すもんがある!」
と言うおっさんに「仲良くない!」という抗議の声すら上げずに黙ったままのカナエ。一方、俺は助かったとばかりにいそいそと厨房の方へ向かった。
その去り際、
「……消えな……のよ……」
「え?」
小さな声。思わず聞き返す。
「……記憶が消えたって、“罪”は消えないんだから……」
カナエが呟いた言葉が、妙に心に残った。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
気にしないように、平静に努めておっさんの前に立った。
「で、なんだよ? 渡すものって?」
「おう、こいつだ! ほらよ!」
そう言っておっさんが手渡してきたのは、
「これって……!」
「うちの戦闘服だ! かっけえだろ?」
エプロンだ。それも、おっさんが付けているものと同じ、黒い生地に赤い紐のツートーンカラー。胸の部分にはなにか……炎を象ったような紋様が赤い糸で刺繍されていて、俺の中の少年心がくすぐられる。
「ちょうど一着余ってて良かったぜ! そら、着てみろ!」
「お、おう!」
促されておもむろに袖を通す。
思えば、元の世界では店を出す筈だった俺がこの有り様なんだよなー。
ふとそんなことが頭をよぎったが、不思議と悪い気はしなかった。
「なんだ、似合ってんじゃねえか! サイズもピッタリだな!」
「そ、そうかな?」
こっちの世界からすれば余所者の俺だけど、今この瞬間は、なんだか正式に仲間になれた気がして嬉しかった。
「ホントに、ありがとなおっさん」
「なに言ってやがる! 本番はここからだぞ! 気合い入れろよ?」
「おう、任せとけ!」
頑張ろう。
俺を仲間と、家族と認めてくれた人達の為に。
――ヴァルドの店『アトリエ』。本日開店だ!
次回「嫌われ者」
乞うご期待!
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