一章九話[ただいま、おかえり、はじめまして]
「――見えたぞ! あれだ!」
再び村人達からの陰湿な視線と言葉に耐えること数十分。おっさんの声に釣られて俯いていた顔を上げる。
「おお、これが……」
「そうだ! 久しぶりの我が家だぜ!」
誇らしげに言うおっさんの家――兼店は、村の中心っぽい部分にあった。四方の道が交わるちょっとした広場で、民家や店がそこかしこに建ち並んでいる。
野菜や果物を売っている店。色んな雑貨が雑多に並んでいる店。はたまた魔法関係っぽい怪しげな雰囲気の店。そんな多種多様な店が並ぶ中でも、存在感を失うことなくそこにある。
立派……というかお洒落な佇まい。二階建ての木造で、ナチュラルな風合いの外壁の上に明るい色の屋根が乗っているその様は、まるでカフェや美容院みたいに思える。なんだか芸術家でも住んでいそうだ。
そう思いながら入口にある看板を見れば店の名前は――
「――“アトリエ”……」
似合わねー。本当におっさんの店かよこれ?
心の底からそう思ったが、
「……てめえ、今失礼なこと考えやがったろ?」
「いやいやそんな、滅相もない!」
口にするとまた拳骨が飛んできそうだったのでやめた。
などと喋りながら店の入口の前まで来た時、
「ミャー」
そんな声と共に、ストンと軽やかに落ちてきた影が一つ、こちらを待ってましたとばかりに擦り寄ってくる。
「おっさん、空から猫っぽいのが!」
「おう、ニャン公! 元気そうじゃねえか! てめえ相変わらず人ん家の屋根でくつろいでやがったな?」
「ミャー」
そうやっておっさんにされるがまま撫でられているそいつは、喉をゴロゴロ鳴らしてご満悦。二本の尻尾をピンと立てて……
「……え? 二本?」
見間違いかと思って目を凝らして見る。だが、その愛らしいお尻からは、これまた愛らしい尻尾が二本生えていた。
「猫又! 猫又だ!」
「なんだ急に騒がしいやつだな! 別に珍しくもねえだろ、“又多尾”なんざ!」
「マタタビ……?」
興奮する俺とは対照的におっさんの態度は冷静だ。
どうやらこの世界ではこれが普通らしい。やっぱり、俺の中の常識はここじゃ通用しなさそうだ。
又多尾と呼ばれたそいつを眺めながらそんなことを思った。
「ここで飼ってんのこいつ?」
「馬鹿言え! 時々飯を食わしてやってたら勝手に住み着いただけだ! 全く、迷惑な話だぜ!」
そんなことを言う割にはめっちゃ懐かれてる。全然撫でるのやめないし、可愛がってることはバレバレだ。地域猫って感じか。
「名前とかあんの?」
「やめとけやめとけ、名前なんざ! そんなもん付けたって、辛くなるだけだ! こいつだって、どうせあと何年か経てばよ……」
そこまで言って言葉を切ったおっさんの表情は、少しだけ悲しげに見えた。
まあ、気持ちは分かる気がする。生き物ってのはいつかいなくなる。それも、大抵の場合は自分より先立っていくもんだから、生き物に名前を付けるって行為には、それなりの覚悟がいる。大袈裟かもしれないが、少なくとも俺は思う。
「そういや、大丈夫かな……“アイツ”」
そう言って思い出したのは、家に置いてきた同居人のこと。
まだ子猫だった時に拾ったまっくろくろすけ。その暗い見た目から“アン”と名付けた俺の家族の姿を、思い出すのと同時に心配になった。
アイツ……今頃寂しい思いしてないかな? トイレも水も替えてないし……ご飯も、ちゃんと食べれられるかな?
まだ一年程度の付き合いだけど、次から次に不安が湧いてくる。
「まあ、優莉がいるから大丈夫、だと思うけど……」
俺に何かあったら後は頼む。なんて、普段からよく冗談でそんなことを言ってたけど、まさかそのフラグを回収する羽目になるとは……今朝アンのやつを撫で回してる時は思いもしなかった。
「早く、帰らないとな……」
俺には、待ってるやつがいるんだから。
帰らないといけない理由が、またひとつ増えた。
アンとは正反対の真っ白な毛並みをしたそいつを見ながら、俺は再び決意を固めた。
「……よしよし、てめえにも後で飯くれてやっからな!」
「ミャー!」
カチリと錠前の開く音。そのままおっさんが店の扉を開けて中に入る。それを目で追う又多尾。どうやら店内には入ってこないらしい。よく弁えてるニャンコだ。
行儀良くお座りをしているそいつに背中を見送られながら、俺もおっさんの後に続いて店の中に入った。
***
良い店だ。
一目見てそう思った。
内装は大衆食堂というより、お洒落なカフェやバーっぽい。ちょっとした宴会ができそうな広さで、その割にはどうやら掃除が行き届いているらしい、木製のテーブルとカウンター、そして床にも埃一つとして見当たらない。店の名に相応しく壁には綺麗な風景画が飾ってあって、雰囲気倍増。落ち着いて物を食べるにはこれ以上ない環境だ。本当におっさんの店かよ? と、再び芽生えた気持ちはそっと胸にしまっておく。
カウンターの奥には長めの暖簾で仕切られた空間。おそらくその向こうが調理場なんだろう。客席からは見えないタイプの間取りだ。調理工程は企業秘密、ってことかな。
しかし、そうなると、
「他にも従業員いる……よな?」
「そりゃ一人じゃ回せねえからな! てめえも知って……」
と、そこで言葉を切るおっさん。
「いや、なんでもねえ……まあ、アイツらのことは後でな」
アイツら……ってことは何人かいるのか。
大丈夫かな? 俺って村の人達からめちゃくちゃ嫌われてるみたいだけど……上手くやっていけるか心配だ。
「それより腹減ったろ? コイツでなんか作ってやっから、ちょいと待ってろよ!」
キバニー片手に厨房の方へと消えたおっさんを見送り、俺は手近なカウンター席に腰を掛けた。
「あ、しまった」
せっかくだから調理風景を見せてもらえばよかったな。
そんな後悔が頭をよぎったが、一度座った体はまるで根っこが生えたかのように椅子から離れようとしない。
「つっかれたー……」
溜め息と共にカウンターへ突っ伏して脱力する。
この世界に来てからまだ数時間くらいしか経ってないと思うけど、色んな事があり過ぎた。
おっさんの手前なんとか気張ってたけど、体力的にも精神的にも、もう限界に近い。本当はこれからのこととか、色々考えないといけないんだけど、
「まずは飯……だな」
駄目だ、腹が減り過ぎて頭が回らない。
静かな店内で一人、腹の音がやけに響く。
「まだかなー、おっさん……」
そういや、この世界に米とかあんのかな?
こんな時はとにかく肉をおかずにご飯をかき込みたいもんだ。脂の乗った肉を頬張り、口の中でご飯と合わせる。肉の旨味と米の甘みが渾然一体となったそれをキンキンに冷えたやつで流し込んだらもう……たまらない。
「っと、いかんいかん。お酒は二十歳になってから、ってな」
いや待て。ここは異世界。俺のいた現代とはその辺の基準も違うかもしれない。まだ希望はある。後でおっさんに聞いてみるとしよう。
「それはそうと……」
想像してたら喉も乾いてきた。
とりあえずなんでもいいから、飲み物ないかな?
そう思って辺りを探すが、目の届く範囲には何もなさそうだった。
「厨房の方なら、あるか?」
仕方がない。どうせ調理風景を見たいとも思ってたんだ。良い口実と思って動くとしよう。
「よっこらせ……っと」
そうして重い腰をあげようとした時だった。
――バタン。
突然、入口の扉が開く。
「ただいま帰りました! 店長、いますか?」
そんな声と共に店に入ってきたのは、金髪の青年。
俺……というかシノよりは年上かな? 少なくとも二十歳は超えていそうだ。色白で鼻が高く、声の印象と合わせて温和そうな雰囲気を醸し出している。控えめに言ってイケメン。女性人気が高そうだ。背中に籠を抱えている所を見るに買い物帰りかなにかかな?
そう思ってまじまじと見ていると、向こうもこちらに気付いたらしい。
視線と視線がぶつかる。その瞬間、
「なっ――」
「――なんでアンタがここにいるのよ!?」
重なる声。
細い目をカッと開いた青年の背後から、荒々しい声と共に一人の少女が飛び出してきた。
見た感じは十代。青年と同じく金髪で、幼さの残る可愛らしい顔立ちだが、今は驚きと怒りが混じったような険しい表情でこちらを睨んでいて、正直ちょっと怖い。
「答えなさい! なんで、アンタが、この店にいるわけ!?」
少女が凄い剣幕でまくし立てながら歩み寄ってくる。
「いや、あの、えっと……」
しどろもどろになった俺は、その気迫に押されるように思わず後ずさりして――
――ガッシャーン!
足が椅子に引っかかり、盛大に転んでしまった。
「おい、なんかすげえ音したぞ! 大丈夫か……」
騒ぎを聞きつけて奥からすっ飛んできたおっさん。だが、その二人の顔を見た途端に頬を緩めて、
「……って、なんだてめえら! 久しぶりじゃねえか!」
両腕を開きながら勢いよく歩み寄り、そのままガバッと二人を抱きしめる。
感動の再会。と、傍から見ればそんな光景だったが、残念ながらその場の空気は最悪だ。それを知ってか知らずか、おっさんは明るく嬉しそうな声で二人を迎える。
「ただいま! 元気そうでなによりだぜ!」
「お、おかえりなさい。店長こそ、元気そうで……」
呆気にとられてぎこちない態度の青年。その一方で、
「ただいま、じゃないわよ! 店長! コレはどういう事!?」
おっさんの腕を振りほどき、少女が不機嫌な態度で指を指す。その先にいるのは当然、俺だ。
「ま、まあまあ、落ち着きなよ“カナエ”。店長が困ってるだろ?」
「落ち着ける訳ないじゃない! なによ! お兄ちゃんは平気なの!? だってコイツは……コイツのせいでッ!」
「いや、だからそれは……」
ワーワーギャーギャーと喚き立てる少女とそれを宥める青年。どうやら二人は兄妹のようだ。見た目の特徴と、会話の内容からそれだけは分かった。
「あー……その、なんだ。すまねえなシノ。悪い奴らじゃねえんだが」
「いやまあ、大丈夫」
当事者なのに蚊帳の外にいる俺に対して、ちゃっかり避難してきたおっさんがそっと耳打ちする。
うん、大丈夫だおっさん。ここに来るまでの道中で人に嫌われることには慣れた。あれだけ村人からの刺すような視線に耐えてきたんだ。それに比べればこんな美少女一人。どんなに敵意を向けられたって別になんてことは……ちょっと泣きそうになるくらいだ。全然平気。
「おーい! てめえらいい加減にしねえか! 帰って来て早々兄妹喧嘩なんざ見せんじゃねえ!」
「店長の言う通り、そろそろ機嫌直しなよカナエ。ほら、店長がこうして無事に帰ってきたんだから、まずはそのことを喜ばないと」
「っ……分かってるわよ! 分かってるけど……」
まだまだ煮え切らないといった様子の少女――カナエだったが、二人がかりでは流石に分が悪いと思ったのだろう、火に水を掛けたように態度が徐々に落ち着いていき、
「……ふんっ!」
最後にこちらをひと睨み。プイッと顔を逸らしておっさんに向き直り、
「…………おかえりなさい」
ボソッと呟くように再会の挨拶を口にした。
「おう! ガッハッハ! てめえも相変わらずだな! ま、元気なのはいいことだ!」
「店長もね! 何ヶ月も旅して帰ってきた人には見えないわ」
そう言って笑い合う二人の間にはなんだろう……なんとなく、親子にも似た絆を感じた。
「それで……」
と、その場の雰囲気がある程度落ち着いた所で、改めて口火を切ったのは青年だ。
「店長。その、彼は一体……?」
「そうよ! 説明して! なんでコイツがここにいるのよ!?」
再燃する疑問。
二人からの追求を受けたおっさんは少し考える素振りをして、
「あー……まあ、なんつーか色々あってな。とりあえずコイツとは一緒に暮らすことになった! よろしくな!」
「え?」
「はぁ!?」
俺の肩を掴んで引き寄せながら高らかに宣言するおっさんに対して、予想通りの反応を返すカナエ。青年の方も少し困ったように眉を顰めた。
「暮らす……って、ここで、ですか?」
「おうよ! ちょうど一部屋空いてんだから、問題ねえだろ?」
「問題だらけよ! なにがどうなってそうなるの!?」
寝耳に氷水をぶっかけられたように騒ぐカナエ。だが、おっさんも負けていない。
「そりゃあ、コトハの事はてめえらも知ってるだろ? もうコイツには身寄りがねえんだ!」
「だからって……別に、ウチじゃなくてもいいじゃない!」
「馬鹿かてめえは! 他に誰がいるってんだ! コイツのことを面倒見て助けてやれるような奴が! この村のどこにいんだよ! シバの野郎がいなくなってから今まで、誰もいなかっただろうが!」
「それは……っ」
炎のような声の勢いに押され、カナエは言葉に詰まる。青年の方も、状況をただ静かに見守ることしかできないようだった。
「なあカナエ、“イケス”。分かんねえか? コイツは……シノのやつは今、てめえらと一緒なんだ」
「……どういう意味?」
それは、俺も聞きたい。
カナエと、それからイケスと呼ばれた青年。その場の全員の視線が集中する中、おっさんは話を続ける。
「十年前、てめえら兄妹は両親を失った。それまでの幸せから突然引き離されてよ。まったく、ひでえ話だぜ。理不尽だと思ったよな? 大切なものを全部壊されて……苦しかっただろ? 悲しかっただろ?」
「あ、当たり前じゃない! パパも、ママも、大好きだったんだから……っ!」
声を震わせて訴えるカナエ。
「そうだな。当たり前だ。そんなことになって平気でいられる奴はいねえ。家族を失うってのは、それだけの絶望だ。んな事は、てめえらが一番よく分かってんだろ?」
「そう、ですね」
重く頷くイケス。
「シノも同じだ。あの日、シバのやつがいなくなって……そして今、コトハもいなくなっちまった。独りぼっちだ。そんな奴を放っておけるか? 放っておける訳ねえじゃねえか!」
「でも、コイツはノーマ――」
「――能無しだからどうとかくだらねえこと言うんじゃねえぞ! いいか? 何度も言ってるが、コイツがそうだったからって、悪いことなんか一個もねえんだ! コイツのせいにしていいことなんか、なにもねえんだよ!」
堂々と言い切るおっさんに、カナエは反論できずに黙った。
重苦しい沈黙。
誰も何も言わずにいる静寂の中、
「……分かりました」
それを切り裂いたのはイケスだった。
「確かに。あの日、絶望の中にいた僕達に手を差し伸べてくれたのは、店長でした。それからずっと見守ってくれたのも、育ててくれたのも、店長です。感謝してもしきれません」
「へっ! 泣いてる子供がいたら助ける。大人として当然のことをしたまでだ! 礼なんかいらねえよ!」
深く頭を下げるイケス。その頭を乱雑に撫でるおっさんは、まるで本当の父親のように見えた。
「だから、僕も、そうなりたい。泣いてる誰かがいたら、手を差し伸べられる。そんな大人に……」
ボサボサになった髪を整えもせず、俺の方へ歩み寄って来るイケス。
その距離が徐々に縮まって、縮まって、縮まって――
「――これからよろしくね、シノ君」
「お兄ちゃん!?」
差し伸べられた手。
「は、はい! よろしくお願いします!」
握り返したその掌は、とても……とても温かく感じた。
「カナエ」
「……なによ?」
不意に呼ばれて不機嫌そうな返事をするカナエ。
まだ納得できないという様子の彼女に、イケスは言う。
「君が彼に思う所があるのは知ってる。僕だって、正直どうしたらいいかまだ分からない。だから、今すぐ心の整理をしろなんて言わないし、仲良くしろとも言わない。ただ――」
スっと一呼吸、
「――彼がここに居ることだけは、許してあげてもいいんじゃないかな?」
そう問われて、カナエは困惑の表情を浮かべる。
「…………なによ、なんなのよ。店長もお兄ちゃんも、なんで、こんな奴に……」
ギリッと歯噛みしながら声を漏らすカナエ。
認めたくない。許したくない。
口には出さなくとも、俺の事を睨みつけるその顔には、はっきりとそう書いてあった。
男女二人、悪い意味でドキドキする見つめ合い。嬉しくない状況が少しの間続き、それから、
「はぁ……もう、分かったわよ。好きにして」
深い溜め息の後、諦めたように力無くその言葉を口にした。
「すまねえな二人とも。勝手に決めちまってよ」
「いえいえ、店長が勝手なのは今に始まったことじゃありませんから。今回はまあ……少し驚きましたけど」
「ハッ、言いやがる! ま、ありがとよイケス! ……カナエもな!」
「……別に。なんか、このままじゃアタシばっかり悪者みたいな感じだし……」
「みたい……っていうか、完全に悪者だったね。ホント、頑固者は父さん譲りかな?」
「うるさい!」
フンッ、と不貞腐れた顔で兄に噛みつくカナエだったが、それ以上はなにも言わなかった。
どうやら話はまとまったようだ。
やれやれ、正直冷や冷やしたが、なんだかんだで認めてもらえた……ってことでいいんだよな?
少なくとも、いきなり追い出されるようなことにはならなそうでよかった。とりあえず一安心だ。
――グゥ。
「おっと、そういや飯作ってる途中だったぜ! 悪ぃなシノ、もう少し待ってろ! すぐ出来っからよ!」
「ああいや、お構いなく……」
空気を読まない腹の虫。その音を聞いておっさんが思い出したとばかりに言う。
「イケス! てめえらはどうする? 一緒に食うってんなら作るぞ!」
「いえ、大丈夫です。僕らはもう済ませてるので。それより、買い出しの方がまだ少し残ってて……」
「なんだ、そうなのか。そんならそっちは任せるぜ! ついでに野菜も取りに行ってくれ。今回も良いのができたみてえだからな!」
「はい、行ってきます。夕方には戻りますので」
「おう、頼んだ!」
威勢よく言うおっさんに愛想良く返すイケス。
イケスがカナエに「行くよ」と声を掛け、店の扉に手を掛けた。
「あ、そうそう。店長、お店の方はいつから再開ですか?」
「明日からだ! 流石に、今日は色々疲れたぜ!」
「分かりました。長旅お疲れ様です。今日はゆっくり休んでください。準備は僕らでやっておきます」
「おう、悪ぃな! お言葉に甘えさせてもらうぜ!」
という会話を最後に、バタンと扉が閉まる。
訪れる一瞬の静寂、
「やれやれ……」
と、こぼすおっさん。
「まあ、なんつーか……なんとかなって良かったな!」
「なんとか……なったのかこれ?」
「何言ってんだ! カナエはともかく、イケスは認めてくれたじゃねえか! 全く、一時はどうなるかと思ったぜ!」
そう言ってガハハと笑うおっさん。完全にこっちの台詞だが、それを突っ込む気にはなれなかった。
――グゥ。
いい加減限界だ。考えることは山ほどあるけど、このままじゃ脳が働かない。
「よし! そんじゃチャチャッと作ってやるからな! 座って待ってろ!」
「あいよー」
再び厨房に消えるおっさん。
俺は倒れっぱなしだった椅子を立たせ、大人しくそこに座った。
束の間の独り時間。
「はぁ……本当に大丈夫か俺?」
イケスはともかく、カナエの方は……きっついな。
敵意むき出しの表情と声を思い出す。あれと、一緒の職場になるのかー。
「…………駄目かもしれない」
思わず漏れた不安は、誰にも聞かれることなく、自分の鼓膜を震わせるだけだった。
次回「赤くて辛くて」
乞うご期待!
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