シェリーの過去
シェリーは本名をシェルイーズ・クレメントという。
テオキッド王国にクレメント公爵家の長女として生まれた。
父と母、同じ第一夫人から生まれた兄と、第二夫人が生んだ兄、第三夫人が生んだ妹、第四夫人が生んだ弟がいる。
母親の身分の高さから、クレメント家の娘の中で最も地位が高いのはシェリーだった。
シェリーは生まれた時から自分の魔力量が規格外に多いことに気付いていた。
そういう人間は、稀にいるらしい。
生まれ出た時点で既に魔法職の成人並以上の魔力を持っていると、生まれた時から自我がハッキリとあり、頭脳労働職の成人並以上の思考力を持っているのだ。
それは外から見ただけでは分からないし、あまりに稀な事例なので、わざわざ赤子の魔力量を測ろうとする親もいない。
シェリーは周囲に知られないまま、「普通の赤子」の振りをして、自分の周りの人間達を観察していた。
そして、動き回れる幼児になった頃には結論を出す。
他人は信用してはいけない。
その「他人」には、両親や兄姉弟妹も含まれる。
自分以外の人間は、自分を守るために信用してはならない警戒対象だと判断したのだ。
どうせ言葉の分からない赤子だと油断して、シェリーの近くで品性に欠けた話題ばかり披露していたのだから、シェリーの信頼を得られなかった家族も使用人も自業自得である。
この世界の生き物は、全て魔力を持っている。勿論、人族も。
魔法は魔力を消費して使うものだが、自分が素質を持っているものしか使えない。
魔力量は生まれ持った成長限界までは訓練次第で増やせるが、素質は生まれ持ったもの以外が後天的に増えることは無い。
魔力量、魔法の素質、共に高貴な血筋の者が多くなる傾向が強い。
旧時代から、魔力量の多い者や魔法の素質の多い者を権力者達が囲っては自分達の血筋に取り込み、そうして手に入れた力で更に権力を増強し、国を築いてきた歴史があるからだ。
魔力量を測定する魔道具はあるが、数値化出来るものではなく、道具の上限以上は測れない。
魔力量を測定する時は、無色透明な棒に見える魔道具の持ち手を握り、魔力を流す。
魔道具の測定部分が魔力を感知すると、右側から色の付いた光が点滅していく。
順番は、青、赤、緑、白、紫、金、だ。
点滅する光の色が多いほど魔力量も多いという結果になる。
一般的な平民は、赤までが大半で、貴族は緑以上でなければ周囲から軽視される一因となる。
紫まで点滅すれば魔法職でエリートになれる可能性が高く、金の結果は滅多に出ない。
金が結果の出る最大なので、仮に数値化した場合、金を百以上とすれば、百でも百万でも百億でも出て来る測定結果は同じく「金」だ。
周囲を信用していないシェリーは、別に義務という訳でも無い「魔力量の測定」を、のらりくらりと躱し続けていたが、測定すれば確実に金の光までが点滅しただろう。
魔力量を測る魔道具はあるが、魔法の素質を調べる道具は無い。
魔法の素質は、「自分の魔力を消費して使えるかどうか」で調べるしかない。
また、「この世界に存在する魔法である」という概念の無い魔法は発動しないと言われている。
この世界に存在する魔法は、稀なものでは「聖」「光」「闇」「空間」、珍しいものが「呪」「毒」「付与」「雷」「氷」となる。
一般的なものとしては、「火」「水」「風」「土」「身体強化」「軽度治癒」があり、素質を持っているならば、この中のどれかは持っているものだ。
人族や獣人族が使える魔法は以上だ。
この世界には、長命種のみが契約によって使える魔法も存在するが、この場では割愛する。
因みに、錬金術はこの世界では魔法に分類されていない。
作業の過程で魔法や魔力を使うものだが、分類上は「学問の一種」とされていて、科学分野の学問だ。
腕の良い錬金術師となるのに必要なのは、魔力や魔法の素質よりも、頭脳と知識である。
シェリーは周囲の人々を誰も信用していなかったので、魔法の素質の話を聞きかじると、家人の目を盗んで一人で密かに自分が持つ素質を探った。
子供向けの魔法の教本に、「この世界に存在する魔法」と「もし素質を持っていたら発現する方法」が記載されていたので片っ端から試したのだ。
結果、シェリーは自分の持つ魔法の素質が「聖」「光」「空間」という稀なものが複数の他、珍しい「毒」「雷」「氷」、一般的な「水」「火」「身体強化」であることを知った。
ただし、この中で「聖」だけは特殊で、素質が分かる発現だけはしても、独学では聖魔法は使えるようにならない。
聖魔法は、聖職者のみが創造神から使用を許された魔法とされている。
軽度治癒で治せるのは軽い怪我だけだが、高度な聖魔法ともなれば、身体欠損のような重傷から、老化や寿命が原因以外のあらゆる病、全ての状態異常からの完全回復が可能だ。
そして上位の聖職者には、稀な魔法素質である「聖」を持っている聖魔法使いでなければなれない。
この世界では、聖職者を目指す者は必ず一度世俗を離れて修道院にて修行することが求められる。
修道院での修行の結果で聖職者としての身分は決まり、振り分けられる。
聖職者は担う役割によって、「神官」「司祭」「シスター」に分かれ、「神官」と「司祭」は上級まで、「シスター」は特級までランクがあり、「聖」の魔法素質の無い者は中級以上には昇れない。
また、修道院の修行だけでは着くことの出来ない位として、「大神官」「神官長」「大司祭」がある。
大神官は、世界に一人。
永世中立を掲げる聖職者だけの国、世界で最も古くから続く国家である『神世国』に存在する大神殿の長のことだ。
大神殿も世界に一つだけである。
神官長は、各国に一つずつ存在する神殿の長のこと。
因みに、この世界で「神殿」と言えば、「神を祀る場所」で、聖職者以外は王族であれど立入禁止の場所である。
日々、神官達が神に祈りを捧げ、その国の安寧を願っている。
大司祭は、王国や帝国の王都や帝都に在る大聖堂の長。
大聖堂は、司祭と神官が多数在籍し、祭事と神事の儀式を行うことが出来る場所だ。祭事を取り仕切るのが司祭、神事を取り仕切るのが神官と役割が分かれている。
大きな国では、地方に聖堂も複数存在する。
聖堂に居るのは司祭のみ。神官が居ないので、聖堂で行えるのは祭事だけだ。
この世界で「祭事」と「神事」が分けられているのは、王政や帝政、貴族制度のある国では政略結婚が主流であることが理由だ。
カイトレス王国のように、結婚が神事であれば離婚が許されない。
だが、その昔、それでは不都合の多い数多の国の王侯貴族が神事の扱いとならない結婚を求め、大神殿へ陳情した。
大神殿は、「司祭の扱う祭事としての結婚の儀式」を「神の前で神との約束を宣言する儀式」ではなく「神の前で人間同士の約束事を神へ報告する儀式」と決定した。
それが現代の「大聖堂または聖堂での結婚の儀式」で、必要な手続きさえ踏めば離婚が可能となった。
ただし、大聖堂や聖堂で結婚の儀式を行うのは大抵が王族か貴族である。
平民の結婚式は、人の住む集落があれば必ず一箇所は造られる教会で挙げられる。
教会での結婚式が祭事であるか神事であるかは、その国の国教の教義次第だ。
教会に居るのはシスターか神官である。
時代のニーズに合わせて宗教的な規則を変える柔軟な姿勢を持つこの世界の聖職者に、シェリーは好感を覚えた。
シェリーは自分に「聖」の魔法素質があることを知ってから、いずれ家を出て聖職者を目指すことは決めていた。
自分の魔力量の規格外な多さや、稀であったり珍しい魔法素質を幾つも持つ有用性は、確実に権力者からの搾取対象になると予想がついたからだ。
幼児期にそんな予想がついてしまうほど、シェリーの周囲の人々は大人も子供も欲にまみれた言動が多かった。
尤も、人なんて大抵が欲の塊なものだろうけれど。
七歳頃には、そんな達観した子供になっていた。
見た目は波打つ明るい金髪にエメラルドグリーンのパッチリした垂れ気味の二重の天使のような美幼女だ。常にニコニコ微笑んでいるシェリーが、心の中で老成したような感想を人類に抱いているとは誰も思わなかった。
いずれ家を出て聖職者になるつもりのシェリーは、できる限り面倒な貴族の社交に関わらずに済ませたかったが、信用出来ない家族には聖職者を目指すことも「聖」の素質があることも伝えていないのだから、全ては避けられない。
社交は貴族の義務でもある。
一応、国際的に共有されている認識として、「聖」の魔法素質を持つ者が聖職者を目指す場合は、生まれ持った身分の義務以上に聖職者を目指すことが推奨されることになっているので、シェリーが貴族の義務を放棄しても責められることでは無い筈だ。
けれど、「大抵の人類は欲の塊」なのだ。
テオキッド王国では、過去にも「聖」の素質を持つ令嬢や令息が存在したと思われるが、稀なる魔法素質の遺伝を狙われて囲われ、軟禁状態で家畜のように複数の権力者と子作りをさせられた疑いがある。
この疑いは、シェリーが公爵家の図書室でテオキッド王国の貴族の系譜を読んでいて気付いたものだ。
庶子扱いや養子になっている子供達の特性の類似点や年齢差から、信憑性は、かなり高いと思われた。
絶対に同じ目には遭いたくない。
そう思うシェリーだったが、子供の身では一人歩きが難しい。
そこでシェリーは規格外の魔力量を更に鍛えて増やし、「魔力消費が多過ぎて誰も使えない幻の魔法」と言われている空間転移を使えるようになることを目指した。
ただでさえ素質を持つ者が稀な「空間」の魔法の一種である空間転移は、詳しい資料も残っていない。
一歩間違えば死と隣り合わせの手探りの修練になるが、シェリーが怯むことも諦めることも無かった。
自室に一人で籠もっている振りをして、拝借した男の子供の使用人の服に着替えて目深に帽子を被り、こっそり城下町と自室を転移で行き来出来るようになったのは九歳の時。
けれど、社交を躱し続けて得られた自由時間は、そこで終わりを告げた。
五つ年上の王太子の婚約者選びの茶会へ、王命での強制参加の運びとなったのだ。
シェリーは公爵家の令嬢で、母の元の身分も第一夫人で高い。
血統が良くて、公の場に姿を表さずとも噂が出回るほど見た目も極上と来れば、五歳差くらいは問題になどならない。
他の家に取られる前に王家が囲ってしまおうと、最低年齢での参加となった。
当時、王太子の年齢は十四歳。
テオキッド王国の特権階級の十二歳から十八歳の子供のみが通学を許される王立学園の三年生であり、シェリー以外の茶会参加者の令嬢達も、全員が学園の生徒だった。
九歳のシェリーとは体格がまるで違う令嬢達は、茶会で王太子に群がると色仕掛けをふんだんに使って媚びまくっていた。
勝手にやっててくれ、と思って大人しく茶を飲んでいたシェリーとは大違いである。
そして、それが良くなかった。
王太子の興味を引き、目を付けられてしまったのだ。
シェリーは九歳で王太子の婚約者に指名され、定期的な王太子との茶会と王太子妃教育が義務付けられた。
王太子の妃が将来に渡って唯一人ということは有り得ないが、当時テオキッド王国王太子の婚約者として決定していたのはシェリーだけだった。
シェリーにとって、心底迷惑な話である。
しかも、王太子の婚約者に指名されたことで魔力量の測定が強制され、シェリーの魔力量が滅多に現れないほど多い「金」であることもバレた。
これで、稀な素質まで持っていることがバレたら家畜コースだ。
シェリーは一般的な素質の魔法以外の素質を隠した。
先に独学で自分の素質を確かめておいて良かったと思った。
持っている素質の発現の仕方が分かっていなければ、隠し方も分からなかっただろう。
シェリーは、公には「魔力量は規格外だが、水と火の魔法素質しか無い公爵令嬢」ということになった。
身体強化も、いざという時の為に使えることを隠した。
さて、婚約者の王太子だが、外面では「紳士で有能な完璧な王子様」の振る舞いをしていたが、とんでもない変態のゲス野郎だった。
何しろ、シェリーを婚約者に選んだ理由が、「あの中で一番泣き顔が唆りそうだと思ったから」だ。
九歳の女児に十四歳の男が思うこととしてアウトだろう。
何故シェリーが隠された王太子の本音を知っているかと言うと、自分に目を付けた本当の理由が知りたくて空間転移で密かに王太子を尾行けている内に、腹心の側近に下卑た笑みを浮かべながら本人が話しているのを聞いたからだ。
何でも、「あの子の泣き顔を想像すると最高にヌける」らしい。
最低だクソが。
シェリーの王太子への評価が暴落の一途を辿っていく。
この世界に空間転移の魔法が存在することは知られていても、「使える者など居るはずがない」というのが常識のため、城や要人であっても空間転移を使った侵入者や追跡者への対策も警戒もゼロだ。
シェリーの調査は非常にやりやすかった。
ともあれ、そんな理由で選んだのだから、欲望に忠実な変態王太子は当然、シェリーの泣き顔が見られる状況を作り出すよう行動する。
外面を保ちながらのソレは、ストレートに意地悪をするより余程卑劣でえげつない手法となった。
王太子はシェリーを直接責めることで孤立させたりはせず、シェリーの我儘せいで周囲が王太子から責められるという状況を作っては、「本意では無いんだけど」という困った顔をしながら五つも年下の婚約者を悪者に仕立て上げた。
更に、実際にはシェリーが言っていない、どころか思ったことも無い内容の「王太子への告げ口」があったとでっち上げ、「婚約者のシェルイーズ嬢から聞いたのだが」と前置きして、「まさか、貴殿が(君が・貴女が)そんなことをするとは信じられなくて、内密に確かめようと思った」と、シェリーの周囲の人間やシェリーへ好意的な態度の人間を個別に呼び出しては気遣うように語り、シェリーへの不信感を煽った。
王太子の狙い通り、シェリーは周囲から警戒されて孤立し、遠巻きにされてヒソヒソと負の感情で噂されるようになった。
元から疎遠な家族や家人との溝も益々深まった。
シェリー本人には、全くのノーダメージであるが。
シェリーは元々周囲の人々を誰一人信用していないし、好意を持っている相手も一人も居ないのだ。
いずれ家を出て聖職者になる将来設計が、いずれ国も出て聖職者になる将来設計に変わるだけだ。
シェリーは王太子妃教育の合間にせっせと変装して下町に空間転移で行き来し、平民の生活知識や金銭感覚を身に付け、古着屋に流れて売られていた城勤めの使用人の制服や貴族の男児用子供服を購入し、空間魔法で自分だけが出し入れ出来る「亜空間収納」を作成して保管しては、それらの変装アイテムを使って城や学園に潜入し、王族や要人の秘密を握った。
この時、シェリーはまだ十歳だ。
王太子はこんな危険人物を、よくも「泣き顔が唆る」などという理由で婚約者に指名したものだ。
尤も、シェリーにとって変態でゲス野郎なだけで、テオキッド王国の王太子は外面のお陰で人気者だし、有能というのも嘘ではない。
もし、シェリーが規格外の魔力量を持って生まれたお陰で赤ん坊の頃から自我と思考力が大人並みで、チートレベルの魔法使いで、ドライで気の強い性格でなければ、王太子の思惑通りにシェリーは孤立したことを苦しみ泣いていただろう。
しかし、シェリーはシェリーだ。
亜空間収納には、たんまりと飲料も食料も現金も着替えも入っている。
家族や使用人に嫌われて食事を抜かれようが、マトモに食べられる物が出て来なかろうが、人目の無い場所でこっそり腹は満たせるし、誰も世話をしてくれずとも、頻繁に観察している平民の生活を実践して身につける丁度いい機会だとしか思わなかった。
王太子のでっち上げた「シェルイーズ嬢の告げ口」のせいで、本当に屋敷内で「使用人の職務放棄やそれを黙認する家族」という「王太子の婚約者への虐げ行為の事実」が出来上がったので、一人では着られないドレスを王太子から贈られた時は、「身支度を手伝ってくれる使用人が一人も居ない」ことを理由に王室宛に送り返した。
その後、王家とクレメント公爵家の間で騒動が起きたらしいが、シェリーは「事実をお伝えしたまでですが?」と、すっとぼけた。
平然としているシェリーに、王太子は激しく執着するようになり、「シェリーを泣かせる為」に講じる手段がエスカレートして行った。
たまたま足下に寄って来たから、肩に留まったから、そんな接触でシェリーが一撫でしただけの小動物や小鳥などが惨殺されるようになった。
王城や公爵家の庭園で、シェリーが散策中によく愛でていた一画の草木や花が踏み荒らされたり焼き払われる事件が続いた。
学園でも人気者の王太子は、公爵令嬢相手でも煽れば危害を加えそうな思慮の浅い令嬢を見繕っては思わせぶりな態度を取り、明言はせずに「君と恋人になりたいけど婚約者が邪魔」だと匂わせた。
身分や立場上、危害を加える目的で狙われることは想定内のシェリーだが、王太子のゲスなところは、「思慮の浅い令嬢」をわざわざ見繕っているところだ。
思慮の浅さ故に、穴だらけの計画で感情に任せて突っ走った「王太子の婚約者の公爵令嬢に危害を加えようとした、それ以下の身分の令嬢」の末路など、破滅しか無い。
当然、王太子も令嬢を助けたり庇ったりなどしない。「そのように受け取られていたとは」と悲しげに眉を下げるだけだ。
婚約者との茶会の度、シェリーは王太子から耳許で囁かれた。
「君のせいで、また一人、破滅してしまったね」
「君に愛でられたばかりに可哀想なことになる花は、次は何処の花だろうね」
「君が触れていた小鳥が惨いことになっていたそうだけど、君が犯人みたいなものだよね?」
普通の神経の令嬢だったら、病むか怯えて引き篭もるだろう。
だが、シェリーは普通とは言えない神経の持ち主だった。
あぁ、ぶん殴りてぇ。
おおよそ天使のような見た目のご令嬢とは思えない口調で、脳内で王太子を罵っていた。
この王太子、物証は何も残さずシェリーへ攻撃を仕掛けられるくらいには有能なのだ。
これ以上、シェリーへの執着で攻撃手段がエスカレートすれば、植物や小動物だけではない罪無き被害者が出る。
そう、予測がついた。
いくら好きでも親しくもない者達だからと言って、「法に照らし合わせて死罪相当の罪を犯した者」以外が、「自分の感情を引き出す為に殺される」ことを看過出来るほどシェリーは無情ではない。
そこまで無情だったら、そもそも「聖」の魔法素質を持って生まれることは無いのだ。
「聖」の素質が稀であるのは、魂の段階で神が資格有るものを選別しているからだと伝わっている。
本質的な悪人は「聖」の素質を備えられない。それが、この世界の理だ。
シェリーはドライな性格で気が強い性質だが、罪無き者への慈悲の心も、守るべき存在への慈愛の心も、本質として存分に持っている。
だからこそ、幼い頃から周囲の人々を信用するという判断を下せなかった。
見た目が大人になるまでなんて、待っていられない。
シェリーは王太子の目を欺く為、「ショックで寝込んでいる」、「怖くて部屋から出られない」と言い募ってダミーの食料を抱えて自室に閉じ籠もり、その間、転移の距離を延ばす為にひたすら空間転移の練度を上げ続けた。
魔法の練度を上げる最も手軽で単純な方法は反復である。
ひたすら既知の範囲内で空間転移を繰り返す間、やっと良い反応をしたシェリーに快哉を叫びながら自慰に耽る王太子の姿を目撃したが、気持ち悪いので記憶から抹消した。
人払いしたとは言え、執務室で何をやっているんだか。
変態クソ王子。
しかし、シェリーはその後も何度か王太子の「独り言付き自慰」を目撃する羽目になる。
どうやら、あの変態、婚前は証拠が残るからという理由でシェリーへ精神ダメージを与える攻撃しかして来ないが、結婚後は肉体へ苦痛や傷を与えて「調教」することが楽しみで堪らないらしい。
因みに、この時シェリーの年齢十一歳、王太子は十六歳。
予想以上の気持ち悪さの変態だったことに危機感を募らせ、シェリーの魔法能力は一気に覚醒した。
行ける。
『私は聖職者になります。二度と戻りません』
そう記したメモを残し、シェリーは忽然と姿を消した。
クレメント公爵家の自室から。そして、テオキッド王国から。
やがて、神世国の辺境に在る修道院に、「シェリー」と名乗る膨大な魔力量で「聖」の素質を持つ修道尼僧が現れ、史上最速最年少で特級シスターまで駆け上がる実力を見せつけた。
特級シスターは還俗不可だが、生き方を自分で選べる。
シェリーはロシュール帝国の帝都ロシュランへ向かい、冒険者として生きることを選んだ。
シェリーが消えたことで暴走にブレーキがかかり、自滅せずに王太子の地位を保っている元婚約者からしつこく手紙が来るが、全て帝都の大聖堂で留められ処分されるように手配している。
聖職者にとっては、王族より特級シスターの方が、比較にならないほど尊ぶべき上位の存在である。
神世国と敵対したくない国々でも、他国の王族より特級シスターの方が扱いが上だ。
シェリーの元婚約者が権力を笠に着れるのは、テオキッド王国の中だけ。
一歩国を出れば、シェリーの方が「強い権力者」なのだ。
「あんまり煩いと立場を弁えさせなきゃならなくなるけど、面倒臭いわ」
信用出来る仲間も出来て、充実した日々を送るシェリー。
パーティの仲間達と一緒に暮らす帝都の屋敷で、器用なネリーに髪を編んでもらいながら拗ねるように零せば、尖らせた小さな唇をスノウの白くて細い指が揶揄うように突ついた。
主人公達の過去と、さらっと世界観を書いてみた「チュートリアル」でした。
主人公達のパーティ紹介後、本編開始です。