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スノウの過去

 スノウは本名をエリザベス・ターレンという。

 生まれはカイトレス王国。ターレン侯爵家の令嬢だった。


 カイトレス王国は、国教の教義に従い同性婚禁止、そして厳格な一夫一妻制であり、結婚が神事となる国柄ゆえに、一度結婚してしまえば何があろうと離婚は決して認められない。


 結婚で人生が決まる。


 この言葉が、洒落にならないほど重い国である。


 スノウは、生まれた時からカイトレス王国第二王子の婚約者だった。

 カイトレス王家とターレン侯爵家を結ぶ政略結婚を前提とした婚約だ。


 教義と国法を聞けば、相当に固くて真面目な男女関係を築く貞淑な国のように聞こえるが、そんな事実は何処にも無い。


 何故なら、一夫一妻制で離婚が許されないだけで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから。


 国教の教義を基に作られたカイトレス王国の国法は、()()()()()()()()()()()、解釈次第で抜け道だらけのザル法だ。


 だが、意外とカイトレス王国の治安は良いし、民達から結婚関連の不満が上がってくることも少ない。


 結婚後に例えば立場の強弱から一方への虐待が起きたとしても、法によって()()()()()()()()()()()()

 だが、「利益関係の無い目撃者」が現れて犯罪行為だと立証されば、加害者は連行される。

 更に、伴侶を虐待して労役刑に処された加害者の労役によって発生した賃金は、被害者である夫または妻の生活費として支給される仕組みになっている。

 その辺りの被害者の救済措置は、ザル法の割にしっかりしているのだ。


 立場の強弱で夫婦間の虐待が起きても犯罪行為としての立件や被害者の救済が難しいのは、貴族や富裕層などの権力を持つ人々だ。

 そしてまた、夫婦間で立場の強弱がハッキリと出やすいのも、そういう地位の人々である。


 それでも夫婦間の殺人事件は、この国では滅多に起こらない。


 厳格な一夫一妻や離婚絶対禁止の国法は、国教の教義が基になっている。

 だから、


『神事で結んだ婚姻を、人間の勝手な理由で壊す為に犯した殺人』


 カイトレス王国に於いて、伴侶の殺害は、宗教上そのように扱われる。


 その為、結婚した伴侶の殺害は、「一般的な殺人」とは別枠で裁かれるのだ。


 ──異端審問として。


 審問の内容が公開されることは無いので実態を知る者はほぼ居ないが、()()()()()より余程悲惨な目に遭う、とだけは平民でも子供の頃から言い聞かされているし、結末は必ず『死』だ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、夫婦間の殺人は早々起こらない。


 結婚後に相手に不満が出ても、離婚さえしなければ()()()()()違法行為に当たらないのだから、()()()伴侶以外に癒やしを求めてストレスを解消し、その後は家庭に戻って「夫婦」を続けるのが「普通」という国だ。


 ただし、これも「平民の普通」。


 貴族は政略結婚がほとんどなので、夫婦間の立場の強弱は単純ではなく、敵対する家や派閥の横槍も含めて思惑が入り乱れるのが常だ。


 さて、政略により生まれた時からスノウの婚約者だったカイトレス王国の第二王子だが、貴族達からは「博愛王子」と呼ばれていた。


 第二王子は、()()()()()()()愛に溢れた王子だった。


 その()()()の割りを食うのは、いつもスノウだった。


「だって可哀想じゃないか」


 それが口癖の第二王子は、誰かから「お願い」されると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()他の令嬢とデートに出掛け、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が頻繁に目撃されていた。


 スノウと会う約束が守られた回数は、ドタキャンされた回数の半分以下である。

 それも、「約束が守られた回数」に、婚約者の同伴が義務である夜会やパーティーを含めて、だ。

 公務に等しいそれらを抜かせば、約束を守った回数とドタキャンの回数の比率は1:9になる。


 よくある話と言えばそれまでだが、「誰にでも優しい博愛王子」の「優しさ」は、婚約者のスノウにだけ発揮されなかったのだ。


 当然、スノウの立場は苦しいものになっていた。

 ()()()()()()()()に蔑ろにされる令嬢、というだけでも立場が無いと言うのに、相手は王子だ。

 公に王子が蔑ろにする態度は、貴族達の忖度を呼ぶ。この辺りは国教の違いの無い、「王政の国の貴族の態度」というものなのだろう。


 侯爵家の令嬢、王子の婚約者、そんな「本来の立場」など、「目に見える実際の関係」の前では意味を成さなかった。


 スノウは社交の場では常に笑いものとなり、国中の貴族令嬢から見下されてマウントを取られていた。


 父親のターレン侯爵は、「家に恥をかかせる不甲斐ない娘」としてスノウを虐げ続けた。


 女性であったせいか、ネリーのように分かりやすい暴力を受けることは無かったが、世間の目の無い屋敷内で自分の親から虐げられながら育つのは、心が死んでいく日々だった。


 父親から命じられ、婚約者に「他の令嬢と二人きりで会うことはお止めください」と「お願い」した時には、第二王子から呆れの視線と叱責を受けた。


「あのね、君はいずれ私の妃になって王族になるんだよ? なんで優しくできないの? 私の婚約者としての権利ばかり主張してないでさぁ、()()()()愛を持とう?」


 叱責を、そんな言葉で締め括られて、スノウの中で何かがプツリと切れた。


 多分、我慢とか、忍耐とか、淑女教育や王子妃教育で抱え込んだ「あるべき姿」を維持する気概とか、優しくされることへの未練とか。


 ───婚約者への情とか、貴族としての義務とか、国への忠誠心とか。


 そんなモノが、きっと、繋いでいた糸を最後の一本まで千切って、奈落の底へでも落ちて行ったのかもしれない。


 スノウにだけ優しさを与えない「誰にでも優しい博愛王子」は、スノウの「お願い」だけ受け取らず投げ棄てた。

 それは、「いつも通り」のことだったけれど、スノウの心は変わってしまった。


 もう、「この王子」と「この国」と「この家」の為に努力することは出来ない。


 虐げられる日々に死んで行っていた心が、生まれた時から決められていた人生の、他の道を模索し始めた。


 スノウは自分が生まれた国の「常識」を知っていたし、教義の違う他国でも、身分の高い男性が愛人を囲うのは「普通」だと聞き及んでいた。

 王子と侯爵令嬢の政略結婚なのだから、結婚後に「立場が強い方」になるのは王子の方だという覚悟もしていた。


 だから、()()()()王子が「婚外恋愛」に勤しんだとしても、特に思うことなど無かっただろう。

 周囲の貴族達だって、王子の()()()()が発揮されるのが()()()だったら、『唯一の妻』であるスノウを見下すことなど出来なかったし、しなかっただろう。


 そういう「常識」の国なのだから。


 カイトレス王国の()()()、確かに「婚外恋愛」を楽しむ者が多い。身分を問わず。

 お陰で国際結婚はトラブルになりがちで、国として推奨されていないくらいだ。


 けれど、それだけ不倫や不貞に寛容であるのは、()()()()()()()()()()()()()()()


 一度結婚してしまえば一生涯添い遂げる()()()なのだから、政略など関係無しに自分で結婚相手を選ぶ平民でも、結婚前に相手への調査は欠かさない。

 調査段階で許容出来ない欠点が見つかれば、「恋人のままでいましょう」となり、結婚は取りやめる。

 平民は王侯貴族と違い、「婚約」という契約を結婚前に用いることが無い。


 ()()まで行ってしまえば、この国では身分を問わず()()となる。

 その関係を覆すことは、決して出来なくなる。


 だが「婚約」は、「神事ではなく()()()()()()()」の扱いなので、()()()()()()()()()()()()()()()()とされている。

 問題が出れば覆すことが出来る関係だが、誠実さを強く求められる契約関係、という解釈なのだ。


 他国から見れば矛盾だらけの感覚だろうし、法の解釈がおかしいと思うだろう。


 だが、カイトレス王国では、()()である()()()()、いくら伴侶以外と大っぴらに逢瀬を重ねて睦み合おうが、夫婦どちらの名誉も傷付かないが、()()()()()()()である()()()()()同様の振る舞いが見られれば、名誉が著しく損なわれるものなのだ。


 通常ならば名誉が傷つくのは「不誠実な側」である「博愛王子」だが、王族と侯爵令嬢という身分差が、スノウを一方的に「()()()()()不誠実に扱われるほど価値の無い令嬢」として貶めた。


 それは、侯爵令嬢かつ第二王子の婚約者であるスノウが出入りする全ての場所で、使われている使用人達からさえ軽んじられるほどの価値の無さとして認識され、国中に広まって行った。

 スノウの扱いは悪化の一途を辿り、生きづらい環境は心身を蝕み続けた。


 また、王侯貴族の結婚には、最も重要であり、平民と決定的に異なる部分がある。


 女性の純潔の重視、だ。


 平民では結婚相手の条件に「女性側の純潔」が入ることなど、まず無い。だが、王侯貴族では必須条件となる。


 純潔を失った令嬢は王族や貴族には嫁げなくなるし、貴族女性の純潔を散らしてしまった貴族男性は、独身であれば必ず責任を取って娶らなければならない。


 婚約が維持されているのだから、流石の「博愛王子」も最後の一線()()は越えていないようだが、それも時間の問題だろとスノウは考えた。


 放っておいても勝手に寝取られそうな気もしたが、人間同士の契約で済んでいる「婚約」の内に()()ならなそうだったら、最終手段として、自分が婚約者以外の男と純潔を散らさなくては。

 責任を取って結婚されないように、相手は出来れば平民か既婚者がいい。


 そんなことを考えるほどに、スノウは追い詰められていた。


 婚約者だけじゃなく、家も国も捨てたい。

 だって、もう、()()()()()の為に努力できない。


 けれど、もう、いっそ出奔したくとも、「王子の婚約者」のままでは常に監視が付いている。その全てを掻い潜って逃げるのは、当時のスノウには不可能だった。


 出奔したければ「王子の婚約者」の資格を失って監視を外される必要があると考えたスノウは、「資格を失うには純潔を失えばいい」という結論に辿り着いたのだ。


 ()()()()()()()()()ことは、既に分かっていた。


 気配や雰囲気で「手練れだ」というのは感じるが、常に見張っている複数の監視が、スノウが何者かに襲われた時に助けに入ることは無かったから。


 スノウは立場上、狙われることや襲われることが多かった。


 監視が「ただ見てるだけ」の役目に徹しているのだから、襲われた時にスノウ本人が抵抗しないだけで、多分簡単に純潔は失えるだろうと()()()()


 親から虐げられて育ち、婚約者の「博愛王子」のせいで周囲から見下されて笑いものになり、何処へ行っても何処の使用人達からも軽んじられて生きて来たスノウは、「嫌だ」と思える感情は失わずに持っていても、自分を大切に扱うことが出来なかった。


 何処か心が壊れた考え方で()()を固めていたスノウに、ある日()()がもたらされた。


 ()()()()()()()()()()()()()から「抱いて欲しい」と「お願い」された「博愛王子」は、相手の純潔を散らし、見事に寝取られた。


 いつかやるだろう。


 その思いは、スノウだけでなく「博愛王子」の周囲の大人達が総じて抱えていた予感ですらあった。


 今までだって貴族令嬢からの際どい「お願い」は多々有り、それを「博愛王子」は全て、「だって可哀想じゃないか」と叶えていた。


 口づけて欲しい。抱きしめて欲しい。同衾して添い寝して欲しい。というものまであったのだ。

 今までは、王子の判断で最後の一線だけは守っていたのだろう。

 愛に溢れる「博愛王子」でも、政略結婚が流れてはマズイという考えくらいはあっただろうから。


 けれど、いつかその()()を誤る日が来ると、スノウも周囲の大人達も思っていた。


 未亡人が婚約者の居る未婚の令息に、閨の技術を指南することは珍しくない。


 ただし、その「未亡人」は、しっかり調査を入れた上で親が選んだ相手に限る。


 第二王子は「親が選んだ閨指南の未亡人」の相手をしたことが、これまで何度もあった。

 だから迂闊にも判断を誤り、調査の入っていない未亡人を、親に報告もせずに勝手に抱いたのだろう。


 ()()()だから、純潔はとっくに失われていると思い込んで。


 結婚相手を自分で納得して選ぶ平民は別だが、政略結婚の貴族の場合、()()()()()で『白い結婚』を維持することがある。

 兄の妻に男子が生まれるまでの期間限定だったり、どうしても後継者に据えたい優秀な子を養子とすることが婚前契約に盛り込まれていて『白い結婚』が前提の結婚だったり、まぁ()()だ。


 だから、「白い結婚の未亡人」は、十分に想像して警戒するべき「有り得る存在」だった。

 第二王子が()()を知らなかった筈は無い、王族や貴族男性の常識でもある。


 夫の事故死で結婚から僅か半月で出戻った、()()()()()()、血筋も年齢も第二王子の妃として不足無い若き未亡人。


 まぁ、「博愛王子」は未亡人に嵌められたのだろうというのが周囲の見解だ。スノウも同意だった。

 それでも、決まりは決まりである。


 貴族女性の純潔を散らした独身の第二王子は、責任を取って娶らなければならない。

 王位を継ぐ可能性の無い第二王子の妻は『王妃』としての能力を求められることも無い。

 貴族男性と同様に、「純潔を散らした責任を取って」結婚することに特段の問題は存在しないのだ。


 スノウの社交界での評価の低さもあり、「博愛王子」の婚約者の交代は、王家からあっさりと許容された。


 第二王子との婚約が解消されたスノウは「役立たず」と父親から罵倒され、更に国中から価値の無さを笑われることになった。


 けれど、それに傷つくことなど無い。

 むしろ、間に合って良かったと、スノウは密かに喜びに打ち震えていた。

 ()()()()を取る覚悟はしていたけれど、出来ることなら避けたかったし、やりたくも無かったのだから。


 監視の目が離れたことを察知したスノウは、闇を付与したローブに身を包み、夜陰に紛れて家を出た。

 それからは風を纏い、闇で姿を隠したまま、飛ぶように駆けて国境を目指した。


 カイトレス王国を無事()()したスノウが目指したのは、祖国よりずっと強大なロシュール帝国。

 心が変わったあの日から、いつか逃げ出す時のために磨いた魔法の腕で、冒険者として生きていく道を選んだ。


 祖国を出るまで、素質があるのに一度も使ったことの無かった呪魔法の能力が一番成長していたことには驚いた。

 きっと、国に居た忍耐の日々に、胸の内でずっと呪詛の力が高まっていたのだろう。


 スノウが冒険者の呪符師として頭角を現し始めた頃、カイトレス王国で動きがあった。


 なんと、第二王子を寝取った未亡人が異端審問にかけられた。


 未亡人は第二王子を寝取って王子妃になるため、「白い結婚の未亡人」の立場を欲し、夫を事故に見せかけて殺害していた。


 異端審問で妻を亡くして独身に戻った「博愛王子」だが、新たな結婚相手は見つからなかった。


 当然だろう。


 あれだけ衆目の中で長年婚約者を蔑ろにした上に、今後もいつ現れるか分からない「白い結婚の未亡人」に簡単に嵌められて寝取られた男だ。

 しかも件の未亡人は、「博愛王子」を寝取るために異端審問にかけられるような罪まで犯していた。


 ()()「博愛王子」を寝取るために殺されるのが、『白い結婚』の夫だけだと何故言える?


 今後も似たような輩が現れた場合、今度殺されるのは、()()()()()()()()()()()


 令嬢達が「博愛王子」との逢瀬を楽しんでいたのは、自分たちが()()()()()だったからだ。

 実際の身分は自分達より高いのに、使用人達からまで軽んじられるスノウを見下しながら、王子様に甘やかされるのは愉快なゲームだった。


 けれど誰も、空席となった嘗てのスノウの立場になりたい令嬢など居ない。自分が奪われ虐げられ軽んじられる側になるなど御免被る。

 結婚後に寝取り目的の貴族女性から殺される可能性までチラつくのだから、尚更だ。


 国際結婚の推奨されないカイトレス王国内で結婚相手の見つからない「博愛王子」は、何をトチ狂ったのかスノウを呼び戻して妻に迎えようと考え、迷惑にも考えを実行に移した。


 そして、似た容姿の「冒険者スノウ」が元婚約者のエリザベス・ターレンだと判明した日から、しつこく諦めず、互いにとっくに王侯貴族の適齢期を過ぎているのに、スノウに帰国して自分と結婚するよう要請し続けていた。


「いや、『愛を教えてあげる』って何? キモいキモいキモいキモいキモいキモいキモいキモい・・・・・・」


 不思議なことに、婚約者だった頃にはあれほどスノウだけを蔑ろにしていた「博愛王子」は、今はスノウ以外には非常に素っ気なく冷淡になっているらしい。

 それは、スノウにとって非常にどうでもいい情報だった。


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