ブラウの過去
ブラウは本名をアルバート・コネットと言う。
生まれはフレイネン王国。コネット公爵家の四男だ。
四男となれば後継者のスペアとなる可能性もゼロに近い。
いずれ、政略で父親が選んだ家の令息と結婚することになるだろうと考えていたブラウは、将来家を出て経済的に自立するため、子供の頃から騎士を目指していた。
同性との政略結婚に対して思うことは特に無い。
後継者争いを防ぐために、「子供が出来ないこと」を目指しての同性婚なのだから、別に伴侶との性行為は義務じゃない。
家同士の利益を考えて、政略で婚姻契約を結ぶ同性の伴侶は、気の合う相手なら最高のビジネスパートナーにもなれる。
それに、家を継がない貴族令息や王位を継がない王子は同性婚が義務であるような国々では、「娼婦の産んだ子供は、どれだけ父親の特徴を持っていても、その男性の子として認められない」という法がある。
同性婚を強いられる貴族以上の身分の次男以降の令息の、心身の健康の為の救済措置として定められた法だ。
同性婚を常識と捉え、身分に基く義務として受け入れる教育を受けた令息達の、全てが同性を性対象としても受け入れられる訳では無い。
種の保存を目指す本能的なものか、割合としては異性愛者が多いのだ。
国家安寧の為だと同性婚を強いる相手が少数であるか、または有無を言わせず押さえつけることの可能な低位の身分の者だけならば、法整備の必要は無かった。
だが、王位を継がない王子も含め、後継者以外の貴族令息のほぼ全員が対象だ。
当主と後継者以外の貴族以上の身分の男性全てに禁欲を強いることは、現実として不可能だった。
実際、それが原因で滅んだ王家も複数存在する。
他にも、後継者以外の息子は幼少期に断種処置を施すよう王命を下した王家が滅んだという歴史も記されていた。
滅亡の歴史が積み上げられて、現在の法は定められたのだ。
つまり、同性婚をする後継者以外の貴族令息達は、考えようによっては、相手が娼婦であるならば縛り無く自由に遊べるいい身分である。
政略結婚の令息をビジネスパートナーとしてしっかり尊重し、若い性欲の発散は娼館で済ませられる気軽さは、一部の後継ぎ令息達から羨ましがられる身分でもあった。
父の決めた相手と婚姻を結ぶ頃には経済的に自立しておくためにも、ブラウは明るい気持ちで鍛錬に臨んでいた。
適性があったようでメキメキと腕を上げたブラウは、その身分と実力、そして容姿の良さから、十代に入るとすぐに近衛見習いとして城に召し上げられた。
近衛見習いは城内の宿舎で生活することを義務付けられていた。
真面目に訓練に励んでいた当時のブラウは、遠征訓練以外の時間はほぼ全て、王城の中で過ごしていた。
フレイネン王国のお城には、ブラウにとって不幸なことに、夢見がちな「ヒロイン思考」の王女様が住んでいた。
王城内で生活し、訓練に励むブラウは、最悪なことにその王女様に見初められてしまった。
そしてブラウの人生設計は、メチャメチャに踏み潰されることになった。
その王女は王位継承権など持たない六番目の王女だった。
例え第一王女であっても、フレイネン王国では男性にしか王位継承権は認められていない。
その上、王女の母親は側妃の中でも身分の低い、伯爵家の第四夫人から生まれた女性。
本来ならば、形式上の身分が公爵家四男のブラウより上の王族であっても、他国の王女だった公爵家の第一夫人から生まれたブラウに対し、権力を笠に着た無理強いなど出来ない立場の王女だった。
だが、その王女には最強の後ろ盾が付いていた。
それは、重症シスコン王太子。
ロシュール帝国ほどではないが、フレイネン王国よりは大きな国の王女を母に持つ王太子は、国内に於いて絶大な権力を持っていた。
後ろ盾のしっかりした血筋も確かな次期国王だ。王太子の両親以外、誰も逆らえない。
可憐な見た目の王女は異母兄である王太子に溺愛され、王城内で敵無しの状態だった。
更に、王太子の側近達が王女の狂気的親衛隊として王女の願いを叶えようと動くのだから目も当てられない。
王女は、規則もルールも国外追放したかのごとく好き勝手に振る舞っていた。
王女が「欲しい」と願って手に入らないモノなど、それまで何一つ無かったことだろう。
「わたし、この人と結婚する!」
見初めたブラウを指さし、高らかに宣言した王女は、それまでの「か弱いブラコン王女」から生まれ変わり、全方位どの角度から見ても立派な「ブラウのストーカー」として殻を破って爆誕した。
シスコン王太子からの恨みの籠もった視線が、「王女を誑かしたブラウ」にグサグサと突き刺さった。
視線に物理的攻撃力があったなら、多分百万回は死んでいる。
ブラウは後継ぎではない四男だ。
異性と結婚する道は無い。
それに王女は、何処の家かまでは決まっていないが、それなりの貴族の家へ第一夫人として降嫁することが生まれた時から決まっていた。
夢見がちな王女は、常識も国外追放に処したらしい。
ブラウ本人が毎度懇切丁寧に説明した上で断ろうが、周囲の常識人が説得を試みようが、王女の「ブラウと結婚する意思」は変わらない。
そして、とうとう良識や遵法意識も放逐した王女は、とんでもない妄言を吐き始めた。
「だったら三人の兄達を排除すればいいのよね? そしたら貴方が次のコネット公爵なんだから、わたしを娶れるわよ!」
さも良案のように、キャッと両手を合わせて恥じらいながら宣う王女が、ブラウには化け物に見えた。
なんだコイツ、本気で言葉が通じねぇ。
慄いたブラウが距離を取ろうとしても、王太子を味方に付けているストーカーから身を隠せる場所など王城には無い。
危険だから騎士以外は立入禁止になっている訓練場だろうが、女人禁制の男性宿舎だろうが、親衛隊を引き連れて意気揚々と侵入して来てはブラウを捕獲しようとする。
逃げるブラウに何を勘違いしたのか、王女は「次善策」と名付けた次なる妄言を吐いた。
「貴方の気持ちは分かったわ。私を連れて逃げて? 二人で愛の逃避行よ!」
やめてくれ助けてくれと頭を抱えるブラウを他所に、恋愛物語のヒロイン気分で暴走する王女。
ブラウの立場は日を追う毎に悪くなって行く。
だって、三人の兄を排除して次期コネット公爵に、って自分より格上の貴族を三人も殺しての家督簒奪だろ。
拷問、後、公開処刑で断頭台じゃねぇか。
王女を連れて愛の逃避行って、確実に賞金首だよな?
地位の低い王女だから国家反逆罪にはならなそうだが、王室反逆罪は適応されるだろう。
あの王太子なら絶対やる。下手すりゃ何とかこじつけて国家反逆罪も引っ張るかもしれねぇ。
騎士を目指す少年ブラウは、法と刑罰の知識が普通の少年より豊富でリアルに想像も出来る。
王女が化け物から、死神に見えるようになった。
もう自分で努力しても、どうにもならない。
ブラウは一時帰宅の体を取り、未消化だった休暇をまとめて取得して公爵家に顔を出し、父や兄達に相談することにした。
近衛見習いとして城に上がる時、「騎士なら、男なら、身にかかる災は己で払う力量を見せろ」と激励した父親には叱責を受けるかもしれないが、現状を放置して悪化の一途を辿るよりは余程良いと思った。
実家に戻り、父と兄の揃った父の執務室で、先ずは災いを己で払う力量が無かったことを父に詫びれば、「そういうことか」と安堵と納得の溜め息を吐かれた。
「私の激励がお前を縛っていたんだな。酷い噂が流れているのに釈明に来ないお前の意思を測りかねていたが、理由が分かり安堵した」
兄達も、強張っていた顔が和らいだ。
ブラウは、後継者の座を狙う意思を持ったことなど生まれてこの方一度も無いこと、兄達と敵対する意思も全く無いこと、王女に懸想どころか好意を僅かでも抱いたことさえ無いこと、当然、王女を拐かして国外逃亡する意思も計画も皆無なことを、真摯な態度で父達に告げた。
父達も、ブラウが噂の釈明に来ないことで「どういうつもりだ?」と思っていたが、ブラウが王女から逃げ回っていること、目撃する周囲の常識人はブラウにとても同情的であることは、調べに出した部下からの報告で聞いていたので疑惑はすぐに解消された。
疑いが晴れたところで、ブラウは自身の窮状を父に訴えた。
王女の後ろには王太子が居て、王太子の後ろには大国の王女だった王妃が居る。
それを盾に欲望のままに暴走する王女を止められる者が、誰もいない。
その上、王太子の側近達は王女の願いを無理を通してでも叶えようとする狂気的な親衛隊となっている。
王太子の側近ということは、王太子が王位を継いだ時には国の要職に就くことが確実なエリートであり、将来の国家上層権力者だ。
親衛隊を引き連れて暴挙に出る王女への対抗手段が、ブラウには見つけられない。
それらの状況を鑑みてブラウは一つの決意を父に語り、そして願った。
「俺をコネット公爵家から除籍して追放してください」
ブラウの母も他国の王女だった。
しかし、王妃の祖国に比べて国力が弱い国の元王女だ。
このままブラウが「公爵令息」としてフレイネン王国に身を置けば、王太子と側近達による権力尽くの強要で、王女が望んだ形の犯罪者にされる気がする。
王女の望みを叶えさせられれば、ブラウが処刑されるだけでは済まない重大な罪を犯すことになる。
家や領民を巻き込みたくない。
だから、自分を除籍してほしい。
王太子の後ろに王妃と王妃の祖国がいることを考えれば、無理強いの結果であってもブラウが重罪犯にされた時、母の祖国の口添えがあっても安心は出来ない。
王女がブラウに望む犯罪行為は、それほど重大な結果に繋がるものだ。
幸い、元から家を出て自分で身を立てるつもりで鍛錬に励んでいたブラウには、戦う力があるし、騎士の訓練の中には「自分の世話は自分でする」というものもあった。
公爵令息の身分を失い出奔しても、冒険者となって自分の食い扶持を稼ぎ生き延びるくらいは今すぐにでも出来そうだった。
「俺はロシュール帝国を目指します。あの国なら、王妃の祖国の力でも勝手は出来ない。偽名を使い、帝国が手放すのを惜しがるくらいの実力ある冒険者になって、自分の選んだ人生を送ります。フレイネン王国の地は、二度と踏みません」
決意の固いブラウの様子に、父と兄達は新たな門出を祝福し、送り出すことにした。
コネット公爵はブラウを公爵家から除籍し、勘当したことを国に届け出た。
四男にそれほど重い罰を与えた理由としては、「公爵家の人間であり近衛を目指す騎士見習いでありながら、事実無根の流言への対処を怠った、または解決する能力が無かったことは、我がコネット公爵家の男子として相応しくないため」と公表した。
実際は円満な除籍と出奔であり、道中の路銀に不自由しないよう、父からも兄達からも換金しやすい手頃な宝石などを餞別として貰っていたけれど。
コネット公爵がブラウを除籍、勘当したという届け出は、滞り無く受理された。
王女を溺愛する王太子はともかく、国王にとっては、それほど重要視していない第六王女が暴走する原因であるブラウが自ら国を出てくれるなら文句は無かったのだ。
家族とは円満な別離で、国王からの干渉も無く、国に居た頃も常識人達は同情的だったし、友人との交流は密かに続けることも出来ている。
ブラウの出奔後の現状は、ネリーに比べると随分とマシなように見える。
ただし、ネリーに干渉して来るのはネリーの親と国王夫妻で、執着しているのは第四王子。
次世代に代替わりする頃には、ネリーへの干渉も追手の力も減少することが期待できる。
ネリーの祖国、アドギス王国の王太子と第四王子の仲はあまり良くないし、生家のハイデガー侯爵家の次期当主である兄は王太子の側近で、弟のネリーにもネリーに執着する第四王子にも一切興味が無い。
王太子が王位を継いだ後まで、「恋心」などという私的極まりない事情で国力や国家予算を使うことなど許さないだろう。
しかしブラウの方は、王太子がフレイネン国王になってからが本番だ。
あの王女がブラウに飽きて執着を止めない限り、いずれ国王と国王の側近という国の最上層部の権力を恣にして、ブラウの捕獲に勤しむだろう。
「早く飽きてくれねぇかなぁ。つーか、なんでまだ未婚なんだよ。確か俺より三つ四つ年上だったよなぁ?」
げんなりと頬杖をつくブラウは、一国を相手取っても逃げ果せるだけの『実力者』になることを目指して今日も邁進する。