皇城からの帰り道
帝都のメインストリートの全てに通じる中央噴水広場にて、ロシュール帝国宰相ベンジャミン・リンデン公爵からの依頼の一つを終えた皇城からの帰途、『豪華絢爛』の面々は、生きた障害物のために足止めを食らっていた。
宰相閣下からの依頼は表向きのごく普通な討伐依頼が一件、そして、政治的理由で表沙汰には出来ない解毒治療の依頼が一件だった。
表沙汰に出来ない方の依頼は冒険者ギルドも通せない為に、聖職者としてのシェリーが個人で受けている。
皇城内の一室で人払いをして宰相閣下と会い、二つの依頼を受けた後、緊急性の高い解毒治療の依頼を済ませる為に隠し通路から他の一室へ向かった。
隠し通路の先の部屋で豪奢な寝台に横たわっていたのは、ロシュール帝国皇太子殿下。
強大国であるロシュール帝国の皇帝は、国力に見合う強大な権力を持ち、過去の歴史と現在の権力故に様々な意図や恨みで命を狙われる。
その魔手は次期皇帝である皇太子へも、当然伸ばされるものだ。
毒耐性を上げる訓練は勿論受けている皇太子だが、今回の毒は複数の毒見役も擦り抜けた、少々たちの悪い代物だった。
呪魔法と組合わせ、対象を固定した呪毒だったのだ。
呪毒を作成するには呪魔法の使い手と毒魔法の使い手、更に錬金術師が必要である。
呪毒自体は偶に闇市に流れていることもあるが、皇太子に使われたような、毒耐性の訓練を積んだ貴人にまで効くような品質の物が闇市で出回ることは無い。
そこまでの上物は完全にオーダーメイドであり、オーダーする先は闇ギルドだ。
表側の組織である冒険者ギルドに所属するスノウが「稀少」と評されるのは、「呪」の魔法素質を持つ者達は、扱う魔法の印象から差別や迫害を受けがちであり、その多くが世の中に恨みを抱いて地下に潜るか闇ギルドに所属してしまうからだ。
彼らの能力は厄介だが、呪魔法というものは、使用者より上位の呪魔法使いには解析が可能であり、解析が出来れば、かけた時の数倍の魔力と引き換えに解呪も可能だ。
スノウは、闇ギルドの齎す呪魔法の解析と解呪が可能な程の、上位の呪魔法使いである。
それは、表側では非常に稀少であり、貴重な存在だった。
皇太子が受けた呪毒も、スノウならば解析と解呪が可能であり、高度な毒魔法を扱えるネリーであれば解毒を行うことが可能だった。
だが、特級シスターの『状態異常完全回復』であれば、一発で呪毒の解呪と解毒、更に毒で侵されて傷んだ身体の治癒と快復までが可能だ。
必要な対価はスノウとネリーに解呪と解毒をしてもらった場合と比べて桁が上がるが、次期皇帝の治療に金を惜しむ必要などロシュール帝国には無い。
隠し通路の先の部屋で、シェリーは即座に聖魔法を施し、皇太子は快癒した。
隠し通路から元の部屋へ戻り、その場で「特級シスターへの対価」をシェリーが受け取ると、『豪華絢爛』は、「帝国領内の人里近くの森の洞窟で発見されたA級相当の魔獣の番の討伐駆除」という一件の依頼をA級冒険者パーティとして受けた形で皇城を後にした。
今回の件は、表向きは『豪華絢爛』という冒険者パーティを呼び出しての「冒険者への討伐依頼」の体を取っているが、実際は『豪華絢爛』メンバーである特級シスター個人への、難度の高い治癒依頼が主要だった。
シェリーは冒険者ギルドに所属する冒険者でもあるが、聖職者として力を使う場合、必ずしも冒険者ギルドを通す必要は無い。
だが、特級シスターのシェリーだけを皇城に呼び出せば、何かあったと勘繰られる。
その事態を避ける為に、宰相閣下は『豪華絢爛』ごとシェリーを呼び出し、討伐依頼を出す形にした。
このやり方は、双方納得の上で事前に結ばれている契約によって、「緊急性の高い特級シスターの治療が必要な事態」が発生した場合に、整えることになっている体裁だ。
双方が整えた「体裁」には、対外的には大神殿の許可が無ければ使えないことになっている『特級シスターの最上位クラスの聖魔法』の、大神殿からの使用許可状も含まれている。
特級シスターへの依頼とは、大陸一の強大国であるロシュール帝国の宰相閣下でさえ、このように手順を踏んで体裁を整え、適正な対価を支払って成るものなのだが、『豪華絢爛』の足を止めた生きた障害物は、
「特級シスター様ッ!!」
と、衆目を集める大声で呼びかけ、特級シスターであるシェリーを含む『豪華絢爛』メンバーの行く手を遮って、勢い良く土下座をしている。
シェリーには、帝都の大聖堂から選出された精鋭の神官兵が数名付けられ、彼女が帝都内を移動する際は私服にて密かに警護に当たっていた。
シェリーの行く手を塞いで土下座する簡素な身なりの男を取り押さえようと動いた神官兵を、シェリーは目線で留め、一先ず成り行きを見ることにした。
「どうかっ、どうかっ! おれ、あ、わたし、の父を、助けて下さい!」
ブラウとノワがシェリーの両サイドに立ち、威圧感満載の状況にも関わらず、男はシェリーが立ち止まったのを良いことに、己の要求を声高に主張する。
シェリーに留められている神官兵の殺気が膨らみ、シェリーの両脇に立つブラウとノワの眉間にシワが寄った。
シェリーは何も反応しない。
男の主張は続く。
一応言葉に気を付ける気はあるのか、何度も「おれ」という一人称を「わたし」に言い直し、「おやじ」を「父」に言い直し、語尾を敬語風に言い直しながらの男の主張をまとめてみたところ、
帝都から徒歩一週間ほどの位置に在る「カシシ」という村の農民である男の父親が、「恐ろしい病」にかかった。
村のシスターに相談したところ、それは「不治の病」であり「特級シスターか大神官様にしか治せない」と言われた。
村のシスターから、帝都に行けば特級シスターが居ることと特級シスターの制服の特徴を教えられ、「優しい方ならお願いすれば助けてくれるかも」と励まされた。
貧しいから金は払えない。
だけど大切な親だから助けて欲しい。
という内容だった。
男が口を開くごとに、シェリーの両サイドで眉を顰めているブラウとノワだけでなく、後ろで黙っているネリーの表情も不快げに歪められ、無表情のスノウの纏う空気が重く冷たくなって行った。
シェリーに「待て」をされている神官兵など、凶悪殺人犯のような顔つきになっている。
「カシシ村の教会シスターね・・・。一度修道院に収容して再修行が必要みたいね・・・」
シェリーの呟きを拾った神官兵の一人が、一度大聖堂へ戻るために走った。
神世国へ、「聖職者の背反行為」の報告を上げるのだ。
聖職者になるには、修道院での修業を終えて神世国から資格を与えられる必要が有り、中級より上の聖職者には、「聖」の魔法素質を持つ聖魔法使いでなければなれない。
だが、修道院の修行さえ終えて資格を得れば、「聖」の素質が無くとも下級や、物凄く努力した者であれば中級の聖職者にはなれる。
地方の教会に居るのはほぼ下級シスターや下級神官であり、聖堂や神殿の雑役を担うのは下級司祭や下級神官である。
修道院の修行は厳しいものであり、聖職者の心得を叩き込まれるものだ。
だが、それでも元の性格が完全に変わるようなことなど無い。人の性根というものは、完全に入れ替えることなど出来ないものだ。
下位の聖職者には、別に「神が魂の段階で選別し、本質的な悪人には授けない」と言われる「聖」の素質は求められていない。
それは、下位の聖職者の中には、この世界では宗教上「悪」に数えられる性質を持っている者も居ると言う事。
一般的に分かりやすい「悪」であろう罪業の種に限らず、例えば、「博愛」。例えば、「自己犠牲」。それらを聖職者へ強要する精神。
「聖」の素質を持たず聖職者を目指す者の理由は、様々だ。
多くを占めるのは、行き場を失い、手に職を付けて生きて行く為に修道院に入って聖職者の身分を得たい者。
これは親を亡くした子供や夫を亡くした夫人などが多く、怪我や生まれつきの障害などで家を出された者も居る。
他には、借金などでそれまでの生活を失い、取り敢えずの衣食住を求めて修道院の門を叩く者。
街で仕事に就く能力は無いが田舎で土仕事をするのは嫌で、「綺麗な仕事」に就けると期待して聖職者を目指す者。
優しい聖職者のイメージへの憧れや、聖職者の制服への憧れを胸に訪れる者。
等々だ。
行き場を失くして修道院の門を叩き、修行を終えて下位の聖職者となった者達については、これまであまり問題を起こしたことが無い。
彼らは元社会的弱者として辛酸を嘗めた経験があり、聖職者の規律に背いて今の立場を失い、再び弱者として社会に放り出される怖さを知っているからだ。
だが、それ以外の上に挙げた理由で聖職者を目指した者達は、根底に甘えや浮つきがあり、修行を終えても本質は変えられない。
大神殿が世界的に大きな権威を持ち、上位の聖職者達が俗世の王侯貴族に劣らぬ立場や権力を持っていても、組織ぐるみの汚職や腐敗とは無縁でいられるのは、「聖」の素質を持つことが条件である上位の聖職者には、神が魂の段階で選別する為に本質的な悪人が居ないからだ。
問題を起こす聖職者は、「聖」の素質を持たず、根底に甘えや浮つきを持つ下位の者だけであり、それらは上位の聖職者によって速やかに取り除かれ、対処が行われる。
それが、この世界の宗教界の秩序である。
「求めに応じることは出来ません」
目の前で土下座する男を見下ろして、シェリーは静かな声だがハッキリと言い切った。
「どうしてっ‼」
ガバリと顔を上げてシェリーを睨みつける男。
ノワがサッとシェリーの前に出て、ブラウが黙って大剣の柄に手をかける。
駆け寄ろうとする神官兵は、シェリーが未だ視線で留めている。
シェリーは静かな声で理由を述べる。
「特級シスターの聖魔法の対価、高位の神官の儀式の対価を個人が勝手に変えることは禁じられています。対価を決めるのは大神殿。私は大神殿に背く行為を拒みます」
「神に仕える聖職者は弱い者の味方なんだろ⁉ 金持ちや偉い貴族だけ治してもらえるなんて不公平だ!」
「治癒を受けた者は公平に正当な対価を払っています」
「なんで! 聖職者のくせに弱い者を見捨てようとするんだよっ‼」
「『特級シスター』という聖職者は世界に十人も存在しません。そんな存在の力を使わなければ治らないほどの病を、自分だけが対価を払わず特別に治してもらおうとする、その傲慢さを自覚しなさい」
「でも出来るんだろ⁉ 出来る力があるのに、なんでやってくれないんだよっ⁉ 出来るんだから頼まれたらやるべきだろ⁉ 聖職者のくせに出し惜しみするなんておかしいだろう! アンタ、特級とか偉ぶってるけど、うちの村の優しいシスターと全然違うな! 聖職者とは思えない冷たさだ!」
話にならない。
溜め息を吐いたシェリーの背中に、そっとネリーとスノウの手が添えられた。
「冷たくて結構よ」
添えられた手の温かさに力を得て、シェリーは淡々と応じると、ギリギリの状態で「待て」をされていた神官兵の鎖を放すような視線を送る。
飛び出して来た神官兵達が男を押さえ付け、再度口を開く前に口ごと拘束して連行した。
連行と言っても、暴れる男を簀巻きにして担いで行ったのだが。
「帝都にあんなのが出るって、久々ねぇ。さっさと戻りましょ」
特級シスターへの暴挙に凍りつき、固唾を呑んで成り行きを見守っていた噴水広場の衆人の緊張を解くように、ネリーがいつもの口調で声を上げ、シナを作った仕草で仲間達を促せば、広場の時間が通常通りに動き出す。
場の空気を一瞬で凍りつかせるのは得意でも、一瞬で溶かす方向は苦手なシェリーは、「ふっ」と息を吐いてネリーに微笑みかけると、仲間達と共に拠点へ歩き出した。




