また逢う日まで
優秀な猫である私でも、老いには勝てない。
ここ数年は、日向ぼっこをするだけの毎日であった。
そんな中、猫神様がいらして「そろそろですのでご準備を」と告げた。
我が家には、いくばくかの未練があったが、老いさらばえた屍をさらす気はなかった。
猫は猫らしく、ふらりと去って消えゆくのみだ。
私は昔気質なのだ。
皆に囲まれて大往生など、考えもつかない事であった。
私をこの家に招いた婆さんは、すでに呆けている。
最近では私を見ても「どなたさんじゃろ?」と首をかしげるばかりだ。
住み着いて間もなくは婆さんが一人で住んでいて、私の接待は全て婆さんが担当していた。
たまに婆さんの話を聞いてやれば、いつも亡き旦那のことばかり。
だが、いくら聞いてもろくでもない奴で、それを懐かしむ婆さんの気持ちは全くわからない。
どうやら手のかかる、五歳年下の旦那であったようだ。
「来世では、五歳ぐらい年上のしっかりした旦那さんをみつけなくちゃねえ」
話の最後は毎回この台詞で終わる。
私の相づちも「その通りだな」と毎回同じだった。
もちろん、高等言語である猫語は婆さんにはわかっていなかったようだが。
婆さんの娘の美智子が通いだしたのは、五年ほど前からだ。
行方不明になった婆さんが、隣り町で見つかったのが原因だった。
その五十メートル後ろを、私が監視しながらつけていたのは内緒だ。
それ以降婆さんの呆けは急速に進み、私の接待は美智子が引き継ぐことになった。
ちりん。
猫鈴が鳴る。
夏の風鈴ほど風流でもなく、ただ私の存在を示すだけのものだ。
人間という者は首輪などをくくりつけ、所有権を誇示したがる。
まったくもってくだらない。
ちりん。
だが、私は少しこの鈴の音が気に入っていた。
美智子が、寝転ぶ私を見て微笑む。
婆さんほど気の利いた女ではなかったが、美智子のおかげで食事は豪勢になった。
美智子が来るまでは、毎日が煮干しやらで少々飽きていたのだ。
あのゼリーのやつなどは、さすがの私でも感動するほどの美味だった。
甘ったるい声で私の名前を、ちゃんづけで呼ぶのは勘弁してもらいたがったが。
ありがとう、美智子。
声も出さずにただ見つめる。
今声を出すと、すこし甘えた声になってしまいそうなのだ。
この歳で、それはいささか恥ずかしい。
美津子はいつものように、夕ご飯の準備にかかった。
ちり……。
首輪を外す。
もう家猫ではなくなるからだ。
住所など書いていたら、後が大変だ。
「おいで」
婆さんの声が聞こえた。
おどろいて振り向くと、縁側に婆さんが座っていた。
年季の入った座椅子が、ギシと唸り声をあげた。
「おつかれさま」
まるで呆ける前のような婆さんが、いたわる声で言う。
婆さんの膝の上にのると、背中を手のひらの温かさがひろがる。
ゆっくりと行き来する婆さんの指の感触が、懐しく心にしみた。
「もう、いってしまうのかい?」
婆さんの問いかけには答えずに、私は立ち上がった。
後ろを振り向かずに縁側から飛び降りる。
狭い庭をかけ、低い塀に飛び乗った。
猫神様とは、もう話はついている。
来世では、ランクを一つ下げて人間になることを選んだ。
性別も雄と決めている。
「婆さん、あと五年は生きろよ」
もちろん声は出さない。
鳴き声ならまだしも、泣き声になってしまいそうだったから。