8
「同情したの?」
そう言って喜田はアイの肩を掴んで立ち止まった。
「え?」
先程まで顔を俯きがちにしていた時とは、雰囲気が急に変わった喜田にアイは戸惑う。
だが、デリケートな問題に踏み込んだ自覚はあった。家庭環境に恵まれたアイにとって、喜田の独白は、ただただ可哀想な子どもだった。そんな喜田に、何かしてあげたいと思ってしまったのだ。
「同情もあるかもしれないけど!私はあなたのためにーー」
そう言った瞬間、アイは視界が揺れたのを感じた。
身体が言うことを聞かず、そのまま地面に転がる。頬にアスファルトが着いた頃、漸くアイは自分が殴られたのだと分かった。
「誰が同情してなんていった?俺が寂しい人間だと思ったの?」
乱暴に髪を掴まれてアイは立たされる。
「痛い痛いいたいいたいいいいっ!!」
「うるさい」
その瞬間、アイの目が銀色の光を捉える。
ーーーーーナイフだ。
アイは人生で初めて、自分では止められないほど全身が震えるのを感じた。
どうしようどうしようどうしよう。
このままじゃ殺される。
大声をあげて助けを呼べばーーーーーー
助けが来る前にきっと殺される。
走って逃げればーーーーーー
すぐに追いつかれて殺される。
アイの身体の異常は震えだけに止まらず、溢れる涙を止める事は出来なかったし、身体中の毛穴という毛穴から汗が吹き出していた。
「ごめんなさい!あ、謝るから!ああああ謝りますから!どうか殺さないでください!」
それでも死にたくないと、必死に懇願の声を上げることがアイにできる精一杯の事だった。
映画や本の世界で、武器を持った相手に素手で戦う主人公。どんなに殴られても、勝つまで挫けないキャラクター。
そんな作品をいくつも観たし、読んだし、楽しんだのに。
日本の恵まれた環境で、愛されて育ったアイは、悪意を持って殴られた事も、乱暴に髪を掴まれたことも、人から故意に痛みを与えられたことも無かった。
だから
「いいよ。殺さないよ」
その言葉に素直に安堵したし、
「でも、俺傷ついたからね?悪いと思ったならさ」
着ているワンピースの正面がナイフで裂かれる様を見ながら、皮膚が巻き込まれないように震えを最大限止める事しか考えられなかった。
「その格好でさ。得意な新曲のダンス踊ってよ。それで許してあげる」
素直に従うしか、生きる道はないと思った。