5
しとしとと、雨が降る。
グラスに入ったハイボールを傾けながらテレビを眺める。内容は全く入ってこないが問題はない。雨音の存在を消すための、ただのBGMだ。
駄目だ。最近調子が悪い。
就職してから二十余年。普通に生きてきた筈だ。働いて食って寝る。その繰り返しに、社会の中の名もない一人でいることに、安心感を得て明日も生きる。
それなのに、どうも心がざわつく。
理由は勿論わかっている。
少年と遊んだ、たかが数回。
それが。たったそれだけの事が。俺の頭の中をこれ程までに掻き回しているのだ。
俺は家族にすら隠し事をして、長く一人で生きてきたから大丈夫。普通の人なら、偶然に子どもと遊ぶ機会もあるだろう。そんな言い訳で、普通を演じる。
いや、違う。
普通を装って、確かに俺は喜んでいた。
認めよう。俺は少年に笑いかけられることが嬉しかったのだと。
でも、もう終わりにしよう。
「じゃ、お疲れ」
「お疲れ様でーす」
いつも通り、由美ちゃんに鍵を任せて廊下を歩く。
いつも通り、ビルを出て空を見上げる。
予報通りに雨は止み、晴れた空がそこにあった。
「おじさん」
少年が一人、笑みをたたえて立っている。
「キャッチボールするか」
俺は別れを告げるため、返事をした。
公園に移動したものの、俺達はキャッチボールをせず、ブランコに乗っていた。
「ごめん、おじさんまだ身体きついかなと思ってボール持ってきてないや」
そう言いながらも帰る気配のない少年。
お前何しに来たんだよ。いや、身体ひとつでも遊びに誘えるのが子どもの常識か。
さすがに、明日も仕事があるのに走り回る気力はないので、自販機で買ったジュースを片手にブランコに腰掛け今に至る。
「もう一人はどうした」
「リズは今日病院に行くっていってた」
そこで、ふとあの子の昭和臭漂う発言を思い出す。
「あんまり彼女に心配かけるんじゃないぞ」
すると、ソーダを片手にきょとんとした顔でこちらを見た。
「リズは彼女じゃないよ」
さも当たり前のように言うが、無自覚か。
どこまでも少年らしくて、笑ってしまいそうになるのを堪えた。
「お前がどう思ってても、あの子がどう思ってるかはわからないだろう」
「うーん。なんて言ったらいいのかな?リズのはそういうのじゃないんだよね」
思い至る事があったようだが、どうやら少年少女の淡い恋愛とは違うようだ。
「リズはちょっと家族と上手くいってないから、僕を弟に当てはめて家族ごっこすることで安心してるっていうか。言葉にすると難しいね。上手く言えないや」
そう言って少年はソーダをぐっと煽った。
あの子にも色々とあるようだ。ニュースで取り上げられるような虐待やネグレクトではなくても、家庭内不和は昔から至る所に存在する。そんなものがなくたって心の内は十人十色だから。俺がそうであるように。
「でも、リズは僕を好きだと思うし、僕もリズは好きだよ」
その声音には恋愛の色はない。
「おじさんのことも僕は好きだよ」
しかし、その笑みには色がついて見えた。
「そうか」
苦しくも、嬉しいと感じた心に蓋をして俺は告げる。
「少年、今日で遊ぶのは終わりだ」
「え、どうして」
大きく見開いたその瞳が、言っている意味がわからないと語る。
「言うのが遅れたが、本当は未成年が知らないおっさんと遊ぶのは駄目なんだ。通報されたら警察がくる」
「未成年がだめってこと?」
「そうだ」
もしかしたら、駄々をこねられるかもしれない。泣き出すかもしれない。そう思う程度には、この少年が「少年らしい」と思っていたのに。
なんだその顔は。
何故そんな顔でこっちを見ている。
「よかった、じゃあ大丈夫だ」
安心したとでもいうように、いつもと変わらない微笑みがそこにあった。
「なにが大丈夫なんだ」
動悸がする。鼓動が早い。何が起こっている。
「そういえば自己紹介もしてなかったもんね。僕もおじさんの名前も知らないし」
違う、そうじゃない。そうじゃないだろ。
「僕、夜露。二十二歳。普段はお家でシステムエンジニアのお仕事をしてます」
信じられない。
「ごめんね、ずっと少年って呼ばれてたから慣れちゃってて」
嘘だ。
その声も、顔も、笑顔も、雰囲気も、体格も、その全てが少年だ。
「嘘だ」
「嘘じゃないよ。免許証みる?」
普段は、個人情報だとかには人一倍気を使っているのに、俺は動転して渡された免許証をそのまま覗いてしまう。
夜露
確かにその名前で、免許証には俺が予想もしてなかった事実がそこに載っていた。