10
「まま」
「待って」
まま。ぼくさびしいよ。
「ママ」
「待って」
ママ。ぼくかなしいよ。
「おかあさん」
「待って」
おかあさん。おれつらいよ。
「お母さん」
・・・・・
お母さん。俺のことみてよ。
喜田は何かの音で目を覚ました。
しばらくぼうっとしていたが、落ちかけた陽がオレンジ色に部屋を染めていることに気づく。
どうやら、うたた寝をしてしまったようだ。段々と意識が醒める中、正面にあるパソコンの画面が目に入る。
あの一件から七日後、アイが失踪したと実名で報道された。警察は、事件に巻き込まれている可能性があるとみて捜査を進めていると発表したが、テレビのコメンテーターや週刊誌は言いたい放題である。顔を隠したネットの住民らは、それに輪をかけてひどい。
ーーーーひた
その音は、ぼんやりディスプレイを眺めていた喜田の耳に静かに届いた。
ーーーーひた、ひた、ひた
玄関の廊下から、フローリングを素足で歩くような音が近づいてくる。
ーーーーひた、ひた、ひた、ひた、ひた
一人暮らし状態の自宅で喜田は、廊下とリビングの扉をわざわざ閉めたりはしなかった。足音は、確実に近づいて来ている。
ーーーーひた。
音が、止まった。
喜田は、深く静かに息を吐き出したあと、壁側のパソコンに向けた視線を漸く、リビングの入り口に向ける。
鈍色を右手に握った、アイが立っていた。
ーーーーひた
目が合った喜田へとアイは一歩近づく。
ーーーーひた、ひた
一重がちなのが印象だったその目元は、落ちくぼみ、黒ずんでいた。
ーーーーひた、ひた、ひた。
喜田に手を伸ばせば届きそうな距離で立ち止まると、不自然に右を吊り上げた口元が大きく歪んだ。
「ねぇ、今の私生きてると思う?死んでると思う?どっちのが怖い?」
オレンジ色に染まった世界で、
暗く、昏い、その瞳は喜田だけを映す。
喜田はどうしようもなく震える。
「ああ」
「やっと、俺だけを見てくれた」
終