始まりの物語 Ⅲ
無事に学校へ到着。
なんだか変な疲労が体に蓄積されているが、家から学校までの距離がかなり長くなっていることが関係しているのだろうか。理由は分からない。
これでも体は動かしている方だから問題がないと思っているが、何せ朝の六時半に出発して到着した時間は八時だ。これでも早い方ではあるが、もう教室には数人集まっていることだろう。
いやぁ、夏になったら大変だ。
流石に歩いて学校に行きたくない。
……この二人みたいに車で送ってもらおう。
「随分と遅い到着ね? 依代君」
「私たちよりも早く出て遅く到着って何してたんですか先輩」
「少しコンビニで立ち止まってました。あと葵ちゃん、おはよう」
朝の挨拶を済ませる前に家を出てしまったのでこの場で挨拶を済ませる。
やはり「おはよう」がないと朝は始まらない。
「おはようございます。朝のランニング帰ってきたら先輩もう学校に行ったって聞いて唖然としましたよ、流石にこの距離歩いて行くのは頭良くないですって」
「確かに……かなり疲れたよ。夏は歩いて行かない方がいいね」
まだまだ肌寒い日は続く。それでも体は温まっているし汗も少しかいてしまっているほどだ、歩いて行くのは涼しい季節がいいだろう。
「あ、そう言えば伊達見ました?」
「……どういうことかしらね、それは」
「……あっ」
そう言えば、家を出る時に伊達を誘ってるとか何とか言ったような気がしないでもないような。
「一人は危険だということを自覚してないみたいね、全く何を考えながら歩いて来たのかしら?」
「それは、すみません」
「逆に加藤君が一緒ではなかったことが幸運なのかもしれないわね。貴方が完全に意識しきれていない状態で問題が起きたら、二度と離れることのない呪縛になりえるわよ。それほど貴方の立ち位置は危険な場所なの」
朱里や葵の立場〈廻奇の社〉からすれば、依代集という人物は一番身近にいる一般人という存在だ。
本人すらも知らなかったとは言えど両親とも〈廻奇の社〉で働いているし、朱里に至っては写真まで見せられていた。
ただ、今回は状況が変わってしまった。
贖罪と呼ばれる存在との邂逅、〈赤き虎〉の力を使い贖罪に勝利、葵と共鳴するように〈赤き虎〉の継承者のようになってしまっている。
もう彼は――――一般人とは呼べない存在になってしまっている状況なのだ。
「痛い目を見る前にちゃんと自覚した方がいいですよ。先輩には私たちと同じにはなってほしくありませんから…………」
葵がそう言うと朱里は下駄箱の扉を少し強めに閉めた。
「自覚していなくてもダメ。これから登下校は一緒に行動しなさい、それが貴方にとっても私たち〈廻奇の社〉にとっても最善の選択よ」
「……まぁ、何も知らない俺からどうこう言えることはないですもんね。ここ大人しく従います」
朱里は集の言葉を聞くと足早に自分の教室へと向かって行った。
「何と言うか……こういう時同じ教室じゃなくて良かったって思うよ」
美人が不機嫌になるだけで場の空気がガラリと変わる。
たった三人しかいない下駄箱の一角でさえ窮屈な空気に変わってしまったというに、教室が同じだと思うとゾッとする。
「お姉ちゃんが怒ることなんて滅多にないですよ、基本的に他者への興味はないですから。でも先輩は別なんです……私にとってもお姉ちゃんにとっても」
「確かにね。俺は今監視対象みたいな感じだし、興味持つなってのは無理な話か」
「…………私も教室に行きますから、勝手に帰ったりしないでくださいよ」
「文芸部あるから勝手に帰れないって」
葵は三階にある一年生の教室へと向かって行った。
これで下駄箱には集一人だけが取り残されることとなった。
やけに静かに感じる周りを見れば、もう既に皆が各々の場所へと向かっている。時間は八時十五分と登校時間ギリギリだ。
「――――もう〝普通〟でいることは諦めないといけないなぁ」
〈廻奇の社〉で説明した〝コード〟という存在。
〈赤き虎〉灼天との邂逅。
まるで信じられない贖罪という悍ましい存在。
それと戦う運命にある者たち。
普通であれば、決して知ることはなかった世界。
自分の行動が大切な人への害に直結してしまうのなら、朱里と葵の言葉に従っていた方が良いだろう。
受け入れきれてない。
理解できてない。
そんな状態で何かが起こってしまえば、自分では想像もつかないような地獄を目の当たりすることになるのだろう。
そう考えると〝普通〟でいるって言う事が、どれだけ良いことなのか分かる。
普通に生活をして。
普通に恋愛して。
最後はきっと笑顔で死ねる。
「もう一回、話し合わないとな」
自分が受け入れるための一歩として、まずは最初から整理しないといけない。
気になることは全て聞かないといけないな。
授業中にまとめるかぁ……。
◆
これまでに起こった気になることを考えていたら、いつの間にか放課後が目の前にあった。
今は掃除の時間で、男子トイレの掃除を伊達と共に行っていた。
「あっ、そう言えば伊達」
「おあ?」
「今日の朝、お前の彼女に会ったぞ」
もう放課後に近い時間に今日の朝のことを持ってくるのはどうかと思ったが、二人なった今になってこの話を思い出した。
「あー知ってるよ、昼飯の時にライン来てた『依代くんに会ったよ!!』って。どうだった? かぁいかったろ、俺の彼女は」
「そうだな。お前と相性ぴったりな彼女さんだったよ」
「……で? お前の方はどうよ、調子は」
「まぁ、あんまりだよね」
「今日ずっとなんか考えてたもんなぁ。教室に来た時から辛気臭い顔してるし、おっシュー言っても普通に返してくるし、授業中はボケーっとしてるし、昼飯の菓子パンの粉はまだ口元に付いてるし」
「いや、最後のは気付いたら言えよ」
そのまま手で口元を拭って洗い流す。
「何を考えてたんだ? 集」
「言葉にするのも難しいことだよ、本当に。俺自身も意味が分かんなくて困ってたんだ」
「んだよ、それ。まさか高二になっても厨二病かかってんの?」
「数学の難問がフェルマーの証明とか、長文問題が二十問連続で出題される国語のテストとか、英語のリスニングのはずがフランス語に切り替わってたとか、理不尽なものってあるだろ?」
「いや、最後のはホントにあったことじゃねえか」
「俺はそんな理不尽に巻き込まれたんだよ、いつの間にかさ。それを今日は解決しようと思ってるんだけど、なんか良い案ない? 伊達」
聞きたいことは決まってる。
やらないといけないことも決まってる。
ただ、まだ覚悟が決まってない。
普通から異常への一歩が踏み出せないのだ。
だから友人である伊達に思い切って聞いてみたのだが、そんな伊達はあっけらかんと即答してしまった。
「正直でいればいいだろ? そんなの」
「…………」
「普通にしてればいいんだよ。面倒なことは面倒なことをしてくれる奴に任せて、自分は自分のことをちゃんとやる。結局のところ人間関係の究極はこれに尽きる。まぁ、これは長い話になるんだけどな俺と俺の彼女である――――」
「なるほどね」
「おい、最後まで聞けよ」
「いや掃除の時間終わったしいいかなぁって。それに俺は部活あるし、お前はどうせ彼女のこと迎えに行くんだろ?」
掃除道具を片付けてスマホを見れば時刻は既に帰りのホームルームを行っている時間帯で、二人は完全に遅れていた。
女子トイレを片付けている二人の女子生徒は集たちのことを無視して教室へと戻っているいるし、トイレ掃除担当の先生は自分の教室へホームルームを行っていることだろう。
「やべっ、いつの間にかこんな時間かよ! おい、戻るぞシュウ」
「分かってるってば」
こんな意味の分からない相談に真面目に答えてくれるなんてな……
「(俺は良い友人を持ったよ)」
意外に足が速い伊達の後ろを追うように教室へ戻る集の姿に、もう迷いはないように見えた。




