始まりの物語 Ⅰ
楽しく平穏な暮らし。
人生というものにふり幅はいらず、ただ真っすぐ普通に生きていけたら良かった。
例えば賞状を貰ったら少しは有名になれるかもしれない。
例えば何かの大会で優勝したら色んなところで有名になれるかもしれない。
例えばテレビに映ったりなんかしたら日本で有名になれるかもしれない。
でも、それは俺の人生には必要のないことだ。
普通でいい。
普通が一番いい。
忙し過ぎず、暇過ぎず、つまらな過ぎず、楽し過ぎず、頑張り過ぎず、だらけ過ぎず。
どこかに必ず〝余裕〟という空白があるような生活をしていきたかった――――
「流石に……もう無理なんだろうなぁ」
「なにを黄昏てるんですか、荷解きを手伝って下さいよ先輩」
「依代君、そこの荷物は台所用で足元にあるのは食器だから気を付けて持って行ってね」
新築の一軒家。
二階建ての設計になっているが、地下にもフロアが存在するため実質三階建てのような感じだ。
学校からは離れてしまったが電車を使うまでもないと言った距離だろう。歩きでは少し遠いが自転車がないので仕方ない。
本に興味を持ち始めた頃から通っているあの本屋は電車よりもバスで向かった方が安く済むようにはなったがバス停からと考えるとこれまた意外に歩く距離にある。
そして周りには、コンビニからスーパーまで何でも揃っているといった立地の良い場所。
「(……はぁー)」
遡ること二日前。
回帰の社と呼ばれる場所から無事に帰宅した後の出来事であった。
家族の雰囲気はこれと言って変わることなく、いつも通り。
ただ一つの問題を除いて……
『それで――――どっちが好きなの?』
回奇の社の頂点にいる菅原白衛。
朱里と葵の父親である彼は、とんでもない爆弾を知らん顔で渡してきた。
良い人である。
物腰も柔らかで、優しさが体から溢れ出ているような見たことのないタイプの大人だった。学校の先生なんかしていたらモテモテだったに違いない。
ただ、そのとっつきやすい笑顔の裏に隠されている闇を感じ取れなかったのだ。
『す、好きとか、考えたこともなかったってば。俺だって急なこと過ぎて脳が追い付いてないんだよ』
『言い訳はいい。どちらが良いかを言え、それで済む話だ』
『父さんも毎回毎回厳しすぎるって! 今回くらいは俺の味方してよ!』
『いいか? これはお前の問題だ。朱里と葵のどちらが好きか、答えはそれだけだろ?』
怪しいなぁ。今までだってこんなに正解を急かすことなんてなかった。
『……ちょっと、面白がってないよね?』
『…………いや、そんなことはないぞ?』
『面白がってんじゃんかよ! 少しは俺に考える時間をくれよ、本当に頭が爆発しそうなんだから』
『よし……ならこうしましょうか――――朱里ちゃんと葵ちゃんの二人と生活をする』
『なんでそうなんの!?』
『その方が正解に間違うことがなさそうだし、ね』
『なら白衛にはそう伝える。集、お前は引っ越しの準備をしておけよ』
とんとん拍子で事が運び、今の状態になってしまっている。
もう意味が分からない。
一体どうやったら同棲という話になったのか。
一体どう説明して二人と同棲という話になったのか。
そもそも、何で二人はこんなに乗り気なのか。
「ちょっと、依代君?」
「……はっ、はい」
「変なこと考えてないで働いてもらっていいかしら? まだまだ荷物はあるのだけれど?」
「別に変なこと考えてたわけじゃないですよ? ただ何がどうなってるのか分からなくなってしまっただけです。急に同棲なんて言われてこんがらがってますからね? 俺は」
取り合えず口だけではなくて手も動かそう。
これ以上突っ立ってると何を言われるか分からない。
ここに来た瞬間から主導権は向こう側にあるのだから。
「何故かしら、こんな美人な姉妹と同棲できるっていうことに思うことでも?」
「普通なら喜ぶはずだよね」
「そりゃぁ喜んでるよ、俺だって男だしね。でもその喜びを純粋に受け取れてないわけでさ、もう感情なんて置き去りになってるって話」
「……まぁ、深く考えても仕方ないじゃない。依代君は私たちと暮らせて嬉しい、私たちは依代君を奴隷のように使えて嬉しい。そう考えればいい関係じゃない?」
「いや、俺だけ扱い雑過ぎるでしょ」
あまり文芸部にいる時と変わらない会話に少しは安心する。
新しい家で新しい環境での新しい生活というのは、期待と不安に迫られるものだ。
だが、その中で唯一変わらないのが〝言葉〟である。
突然の同棲となって緊張しているのは自分だけで、二人とも何も変わっていない。いつもと違う点と言ったら私服か制服かと言ったところだろうか。
「そんなに気にすることじゃないでしょう? 一年生の頃からそう変わっていない関係性よ」
「……そんなんでした? 俺って」
「私は依代君からイエス以外の返答を貰ったことがないもの」
「それは普通の頼みごとだからですよ?」
「そこ! イチャイチャしてないで早く片付けて!」
「すみませんでした」
そうだった。会話を弾ませている場合ではなかった。
しかし……こうして改めて見てみると俺の荷物少ないな。
ほとんどが部長と葵ちゃんものばかりだ。
一階はほとんど完成。二階は各自で片付ければいいだろう。
「それじゃ、俺は自分の荷物の整理してくるね」
「分かりました」
だが、それにしても本当に荷物が少ない。
家にある大量の本たち、タンスや勉強机といった重たいものは全部業者の人たちが運んでくれた。自分で運ぶものの大体が衣類のみ。
しかもファッションに興味がないから服も少ない。
「さーて、俺の部屋は……っと」
階段を上って一番最初に見えた扉には我が家でも使われていた『集』の名札がぶら下がっていた。
もう既に自分の部屋は決められていたらしい。
隣には『葵』と『朱里』書かれた名札がぶら下がっているところを見るに、二人は同じ部屋で過ごすのだろう。
「道理で、俺の部屋が狭いわけだ」
本棚に囲まれた机が壁際にあり、その隣にはベットが置いてあるシンプルな間取り。
家から運び込まれた衣装ケースと雑貨が片付けられた箪笥は空いたスペースに並べて置いてあり、それ以外には場所がない。
ただ一人で過ごすには丁度いい広さである。
「さて、さっさと終わらせて本屋でも行こうっと。確か今日は『誰でも極められる護身術 投げ技編』の発売日だったはず……いや『蹴り技編』を先に買ったほうがいいかな?」
そんなことを考えながら少ない荷物をすぐに片付けた集は、いつも通り運動しやすいトレーニング用の服を着て階段を降りて行く。
「あれ? どこに行くんですか?」
「少し本屋に行ってくるよ。帰りに何か買ってきた方がいいかな?」
「外に出るなら私も一緒に行かないといけないんですから少しだけ待ってて下さい」
「あぁ、そんな話もあったっけ。でも少し本屋に行くだけだよ? 大丈夫じゃない?」
この家の決まり事その一、集が外出する場合葵か朱里と必ず共にすること。
「いいですか? 先輩は私たちにとって重要な人物なんです。〈回奇の社〉に運ばれた時にそう言われたはずですけど?」
「そうだね……帰り際に確かに言われたよ」
「先輩にもいつか分かる時が……というか理解しないといけない時が来るんです。今はまだその時が来てないだけですけど、どうせすぐに来ます。向こう側の奴らも先輩の体を狙ってるんですからね」
それに――――
「私から離れると先輩の体に刻まれたその証が反応します。私は大丈夫ですが、先輩はその刻まれた証から徐々に燃焼して…………最終的には焼死しますよ?」
「ん!? 初耳だよ、それ!!」
「それはそうですよ。まぁ、今日の夜にでも説明されるでしょう」
〈赤き虎〉〝灼天〟様から。
「はは、はははは…………それなら今日は二人のお手伝いでもしようかな?」
「それは良い判断ですね。お姉ちゃんも私もあとは自分の部屋の整理だけなので、それが終わったら近くのスーパーにでも行って晩御飯の支度でもしましょう」
「い、いいね。それ」
「はい。分かったならリビングで大人しく待っていて下さいね? 私たちが良いというまで読書でもしていて下さい」
そう言って階段を昇って行く葵の背中を茫然と眺めた。
本当に何も考えることが出来ずに立ち尽くした。
「(……終わった)」
何が? とは聞かないで欲しい。
記憶は曖昧。
大事なことはさらっと流れるように伝えられる。
二人との同棲生活。
非日常との出会いというのは、こうもついて行くことが出来ない事象なのかと思い知らされる。
完全に理解していないことは嫌だと思うが、完全に理解してしまった時に確実に後戻りが出来なくなってしまうのは怖いものだ。
自分の両親の働き先を知った時にすら思考は置いて行かれたというのに。
世界で起こった奇跡の代償――――贖罪。
姿形は何者でもあり何者でもない。動き変形する誰かの奇跡から生まれた負債。
階級が決まっているほど危険度があり、自分の両親はそれと戦ってきたというではないか。
「(……あれ?)」
もしかして生まれた時から普通ではなかった?
いやいや! そんなことはないだろ。
親が共働きであまり家にいないのも普通なことだし。
家がマンションの一角にあることだって普通だろ?
友達だっているし、す、好きな人だって幼稚園の頃に出来たことあるし?
いやでも……同級生とその妹と同棲してる奴なんて周りにいるか?
いや、俺が知らないだけでいるだろうな。世界には七十億人もいるんだしいてもおかしいことではないろう。寧ろ、いない方がおかしいまである。
あれ……? でも高校生だよなぁ。いや、でもいるか…………いるか?
ん? ん? あれ、普通って何だっけ?
――――そうして、依代集は考えることをやめた。
◆
一週間の最後の日。
誰かは家族と、誰かは友達と、誰かは恋人と……。
どこか遠出してみたり、近くの公園で過ごしたり、家でゆっくりと時間を過ごしたり……。
私は、この世界からその幸せな光景を見ているのが好きだ。
「こら! また仕事サボってる」
振り返れば、頬を膨らませてしかめっ面をした女性がいた。
その黒い髪は風に揺れると爽やかなミントのいい匂いがして、その白い肌は太陽に反射してより一層美しく見える。
「あはは! ごめんごめん命」
「また…………探してるんですか?」
「――――うん」
もしかしたら、この世界から連れ出してくれるかもしれない人。
思い出す度に口角が上がっていくのを感じる。
「だって、私たちに反応したんだよ? こっちの世界の人間が。少しは期待してみたいじゃん!」
「詩ちゃん」
「分かってる!! 分かってるって、そんなことッ……でも期待くらいしてもいいじゃんか」
あの時の戦いで取り残されたのは、私が迷惑をかけたから。
ここから逃げられないのは、私が弱いから。
命もここにいるのは、私が悪いから。
「〈星空弾圧〉から早三年くらいになるのかなぁ。私たちがここで生きてきて」
突然起こる各地での奇跡の連続によって贖罪の大群が押し寄せてきた大戦。
それはまるで空に散りばめられた星のような数で、その黒い靄で空が覆われたことによって名付けられた。
「食べ物を食べなくても生きていける。水を飲まなくても大丈夫。勝手に人の家に住んでいようが、勝手に電車に乗ろうが構わない。でもね、限りない自由を手に入れた代わりに強大な恐怖と戦わないといけないよね。寝ても覚めても、寝る時も起きる時も、何が起こるか分からない。それが私たちが生きている場所……」
世界と世界の間の世界。
それが奇跡の代償を払うために用意された世界と言ったところだろうか。
「あの時に取り残されたのは私たちと朱里ちゃんだったよね。朱里ちゃんは何者かによって助け出されたみたいだけどさ」
毎日毎日、あちらの世界を眺めている。
声すらかけられない向こう側の世界を、羨ましそうに眺めている。
「私はね、詩ちゃん。――――助けられることを諦めようと思ってるよ」
「は!? どうし――――」
「そんな自分にとって都合が良い期待をするなら、多くの贖罪を祓って世界に貢献しようと思う。その方が世界にとって都合がいいでしょう?」
助けて欲しい。
助けて貰える。
助けに来てくれる。
そんな……そんなどこまでも都合の良い展開など、この世界にありはしない。
「それが――――私に出来る最後の戦いだよ」
願っても。
頼っても。
縋っても。
無駄なことだ。
私が出来ることは、助かった朱里ちゃんが平和に暮らせるようにすること。
…………そして詩ちゃんを死なせないこと。
いつの日までになるか分からないけど、私が隣に立っている時は命に代えても守ってみせる。
それが、私の宿命なのだから――――




