〈赤き虎〉 Ⅳ
御簾の奥。
皆が息を呑んだ。
興味をそそられ、痛々しく燃える炎を凝視しているのだ。
〈廻奇の社〉の重鎮。つまり、〈廻奇の社〉の役割を担う者たちはただの一般人が燃えている姿を見て面白がっているのだ。
そこに誰も心配する者はいない……――――家族を除いて。
集の母親であり、〈廻奇の社〉に知らされる数多の奇跡的な情報を管理している依代花火は、集の様子が激変した直後に立ち上がろうとしていた。
だが、それは止められた。
「落ち着け」
言うまでもなく、隣に来ていた隆守にだ。
「…………落ち着いてるわよ」
奥歯を砕かんばかりに噛み締めて集を見る。
〈廻奇の社〉の者として、ここで集を助けるわけにはいかないのだ。
言うならば〈赤き虎〉を奪い取った者。この場所は現実でいう所の栽培所のようなものだ。
自分がお腹を痛めて生んだ子であろうと関係はない。今、依代集という裁かれる対象でしかない存在を助けるわけにはいかない。
「なんで……こうなるのよッ……」
自分たちの息子は普通に育てていたはずだった。
子供の頃から平和な世界で暮らせていたはずだった。
怪我や危険なことはあれどこちらの世界で生きるよりは何億倍とマシなもの。これからもっと長生きして、温かく幸せな家庭を築いて笑っていてくれるはずだった。
それなのに――――
「どうして……」
悔して涙が溢れ出す花火は、握りしめることの出来ない畳を削る。
だが、その時だった。
集の体を燃やしていた炎がフワッと消えた。
「……いい」
集の声がし、ハッと顔を上げるとそこにいたのはまるで別人だった。
「知らんが、この体はよく馴染むなぁ――――っと!!」
バァン! と畳を叩き、横になっていた体を起き上がらせた。
「それに男の方がいい。葵は筋肉が足りてないしな」
右手を広げたり閉じたりを繰り返す姿。
日本人特有の黒い髪はそのままだったが、その双方は深紅に妖しく光る。
それに床を叩く反動で体を起こすなどという芸当は、普通の人間ではほぼ不可能だろう。
この場が騒然とした。
「君は……まさか――――」
「よう、悪いな。こっちの体の方が調子良くてな、戦う時はこっちを使うわ」
手を前に翳した集に握られたのは、この場で誰しもが見たことのある深紅の大剣だった。
それは〈赤き虎〉を継承していた葵が握っていた武器。
まるで日の出の時のような紅――――名を〈紅獄剣〉
「〈赤き虎〉〝灼天〟様」
「お前と会うのは二度目だったな。今代の社長」
◆
近くにいれば自然と汗が滴ってくるような気がするほどに、チリチリと焦げるような香りがするような気がするほどに、その存在は炎を纏っていた。
実際は熱さなどない。実際はどこも焦げてなどいない。
それなのに、これほどまでに脳が勝手に想像してしまっている。
「それで? こいつから聞きたい話は終わったよな?」
その深紅の瞳は、まるで御簾の奥にいる人が見えているかのようであった。
「ここにはこいつの両親もいるらしいな。あんまり虐めてやんなよな、しかもここにいるんだろ? そういう情のない本性が昔から嫌いなんだよ。普通に生きてる時の分厚い情の皮は捨てちまったのか? いくら環境が閉鎖的だからって関わったモンを排除か監視ってのは臆病者がすることだ。そういう所が俺がお前らに力を貸したくならない要因の一つなんだよ」
はぁ、と深く溜息を吐いて高い天井を見るようにして集は顔を逸らした。
「…………それでも、こういう事情が世界に存在するということは一般に知られてはいけません。我々には元々持っている手札が少ないですから、最も簡単で効率の良い手段を取るしかなかったんです。ただ〝灼天〟様がそう仰るというのなら、それは我々がまだまだということ。申し訳ありませんでした」
「別に俺にそういうのはいらねえよ。ただ、俺がこいつの中にいるって可能性を知っているのに――――楽観的な殺意や興味を向けて来た奴がいてな?」
怒りというものは目に見えないものの一つだ。
感情というのは目に見えるものではなく、肌で感じて他者へと伝播していくものである。
その怒りというのはどんな形をしていて、どのくらいの強さで、どれほどまでに大きいのか。
それは誰かに見えるものではない。
だから、この瞬間に理解出来てしまったのだ。
「正しさを履き違えてる奴は俺の近くに来るんじゃねぇ……この世で二番目に醜い存在だ。心当たりがあるやつは呼吸を出来てる内にここから消えろ、死にたくなければな」
見えてしまっているのだ。
集の背中を守護するように佇む虎が――――
それを〝灼天〟だと理解出来ない者は、この場にはいないだろう。
それは集の両親である隆守たちも同様であり、集の知り合いである朱里たちも同様だった。
誰しもが恐怖しただろう…………
その身に揺らめく炎が空気を焦がし、灰に帰す姿を。
「…………ッ!!?」
どこから小さな悲鳴が聞こえたと思いきや、慌ただしくこの場を去っていく複数の存在を目で流し非常に獰猛な笑みを浮かべる集の姿は集本来の姿ではないことを表すようであった。
「はっ、腰抜けが。無駄に年を重ねた結果がこれだぞ? 少し肺を焦がしてやろうとしただけで慌てふためいて逃げる。随分と殺意から逃げて生きてるなぁ、あの老害らは。少しは自分も戦いに身を置いたらどうだ?」
結局、この場に残ったのは集のことを知っている者だけとなってしまった〈願廻殿〉。
だが、妙な静けさは集のからからと鳴る笑い声によって無かった。
「――――さて、ここに残ったのはこいつのことをよく知ってる奴だけになったようだな。邪魔者がいなくなったことだし、少し真面目に話をしようか。そもそも体裁だろう? こんな形にしたのは」
その時、ようやく全員の御簾が巻き上げられ奥から姿を現した。
「まずは隆守と花火さんに謝罪をしたい。これは僕の不甲斐なさが呼んだ結果だ、すまない」
社長と呼ばれた男性――――菅原白衛とその隣に静かに座る女性菅原翠は深々と頭を下げた。
子供を……しかも自分たちの親友とも呼べる者の子供をこんな場所に呼び、裁こうとしてしまったことに対する謝罪だということは分かっている。
こんなこと、普通は許されることではない。
だが、
「いや、いい。俺は大丈夫だと思っていたしな、謝るなら花火に」
意外にも隆守は平然としていた。
何を根拠に大丈夫だと思っていたのかは分からないが、集を見つめる瞳はどこか安心しているように感じる。
ただ問題は花火の方だった。
「本当にすまない」
「……〝灼天〟様が守ってくれなかったら私は動いてました。きっと、この場所は見るに堪えない空間になっていたことでしょう。分かってると思うけど、親は子供のためなら何でもやる。それが大事な一人息子なら尚更ね。…………心の中で大丈夫なんじゃないかって少しでも考えてた私も悪いけどさ、次は助けることを躊躇しないから」
「……本当に、申し訳ない」
きっと自分もそうだろうと思う。
家族が危機の渦中にいて、自分は助けられる所にいるのに助けてはいけないなど我慢できるだろうか?
尋常ではないほどの罪悪感が押し寄せてくるが白衛は体を起こした。そして、今一度深々と頭を下げる。
これは今こちらを見ているかも分からない集に対して。
大人として。
こんな場所に呼んでしまった責任として。
謝らなければ心が先に進まない。
「――――では、改めて話を聞かせて貰いたいと思います。頼めますか? 〝灼天〟様」
「任せろ……と言いたいところなんだが、多分〝奇跡〟が起こる負荷に繋がるかもしれん。だからあまり長く説明しないほうがいいだろう。だからまずは分かっているところから……一つ目は、俺に非常に馴染むこの体だ。理由は知らないが住み心地がいい、入りやすく扱いやすい、まるで俺のために用意された専用の体みたいにな」
そう言って集は小さな火の玉をお手玉の容量で遊び始めたり、前兆二メートルほどの大剣を振り回し始める。
端から見ても窮屈な感じや重さと言ったものは感じられないほどだ。
「葵の体では引き出せなかったものが、集くんの体では引き出せるという事ですか?」
「そういうことだな。葵はまだまだ鍛錬が足りてなかった、こいつに勝てる点で言えば場馴れしていたことくらいか。この体は良い才能を持ってるぞ? 鍛えられた筋肉、柔軟な思考回路、自分を操作する感覚。どれをとっても戦うためには十分過ぎるほどだ。俺が入れば、間違いなく〈運命級〉と渡り合うことが出来る」
「では、これからも集くんの体の中にいるということですか?」
「いや、それは難しい。これは二つ目の理由なんだが……」
あれだけ称賛していた集の体に触れながら、首を横に振った。
その理由に真っ先に触れたのは、
「〝コード〟というのが関係しているというわけですね?」
こういう場ではいつも以上に口数が少ない隆守であった。
「そういうことだ。俺がこの体に入っていられる理由の主は、近くに葵がいることだ。今もきっと〈願廻殿〉の外で姉妹共々待っているんだろう。だから俺はこの体を都合よく利用することが出来る。詰まるところ、〝コード〟というのは何かと何かを繋ぐ役割をしているもの。逆に考えてみれば、灼天以外の存在もこの体を使える可能性があるってことだ」
「もしかして……他の守護神様たちとも――――ということですか?」
「あぁ、あいつらは当然として……問題は贖罪にも当てはまってしまうということだな」
この言葉を聞いた瞬間に毛穴から汗が噴き出るのが嫌でも分かった。
数多の贖罪と戦ってきた者である隆守たちには、その可能性があるという時点で焦燥に駆られてしまう。
もしも、あの悍ましい存在が人間の体――――集の体に乗り移ってしまったらと考えると、いつも冷静な隆守ですらも無意識に拳を握ってしまっていた。
「まぁ、その可能性は無くすことは出来る。これは当人たちが了承すればだがな」
「それは一体…………?」
「同棲してしまえばいい」
さも、当然のことだろうと言いたげな表情の集であったが、
「同棲……同棲かぁ――――――同棲!?」
当人の親である白衛は、急激な緊張から突飛由しもないことを言われ大きく混乱した。
「学校が同じなのは幸いだし、後は同じところで生活してしまえば贖罪に付け入る隙はない。理由は、俺がいつでもこいつの中に入れるからだ。人間の事情は分からんが、葵は問題なさそうだし良い案だと思ってるぞ」
そんな混乱している白衛を置き去りに集は様々な理由をつけて推し進めようとするが、まだまだ行く手を阻む者がいた。
「私から離れようとさせるのは如何なものかと思います。まだまだ修行が足りていませんので」
「私も愛息子と離れるのはちょっと……」
初めて言葉で参戦してきた翠と、ただ愛情が深い花火の母親コンビだ。
「まぁ、それはお前らの会話次第だな。後は本人たちで進めてくれ、俺は一度葵の所へ戻る」
「「え?」」
ブワッと纏っていた炎を消えると、集の体はまたしても力なく床に伏せた。
また気を失ったのかと心配そうに花火らは集の顔を除くが、意外にも直ぐに目を覚ました。
「――――ッ!!?」
「集!」
「か、母さん?」
「大丈夫? 体は何ともない?」
「いや、特に問題はないよ。でも凄い夢を見てたんだ……」
「どんな夢だ?」
「何か……ここで言うのもあれなんだけど、大きくて毛並みが真っ赤な虎の背中に乗って空を走ってる夢なんだけどさ。まさかこの年になってこんなメルヘンチックな夢を見るとは思わなかったよ」
あははは、と渇いた笑みを浮かべる集であったが、夢の話を聞いた者たちは気が気でなかった。
お前は今までその虎に体を乗っ取られていたんだぞとも言えないし、それ以上にメルヘンチックなことがお前の身に起こっていたぞとも言えない。
「あ、そうだ。自己紹介がまだだったよね? 僕の名前は菅原白衛。隣にいる美人さんは僕の妻で翠って言うんだ。気軽にお義父さんって呼んでくれていいよ?」
「菅原……?」
「…………そうだよ、朱里と葵のお父さんさ」
掴みどころが難しいネタを華麗にスルーされた白衛は、文字通り真っ白な灰になりかけていた。
「まさかの部長と葵ちゃんのお父さん!? すみません! 俺、結構舐めたこと言ってました」
「いやいや全然大丈夫さ、こちらこそ本当にすまない。本来ならこんな場所じゃなくて、僕の家で話し合うべきものだった――――それで、話は変わるんだけどさ」
「はい?」
「君は朱里と葵……どっちが好きなんだい?」
「????」




