プロローグ 咲結編 【変わらない日々】
咲結編
春休み。私は家でダラダラと過ごしていた。
「やっぱり、ゴロゴロするのは快適~」
舌足らずで、甘ったるい声が、ある部屋から聞こえてくる。
肌触りの良いモフっとしたクッションに埋もれて、私はフワフワなマフィンをパクッと食べた。寝る事と食べる事は大好きなのだ。
窓からくる暖かい日差しと、爽やかな風がとても気持ち良い。
(そういえばリビングにお菓子、まだあったな。)
気づいた私は、重たい体を起こして、リビングに向かった。
☆☆☆
高校に入り、私は今年で二年。今の春休みが終われば、正式に二年生となる。
この毎日は、ほぼ変わりはしないと思うけど・・・、いや、あまり変わってほしくないな。
もういっその事、ずっとずっとこのままでいいと思ってしまうぐらいだ。
みんなが言う、これからの話や将来の事、進路や、勉強の事。確かに、とても重要だし大事だとは思う。
けど、そういう話はなんか、頭が痛くなる。私は、ちゃんと出来るのか。やっていけるのかって。
不安になるんだ。たぶん、それは私が単に安心が好きすぎるだけの問題だと思うけど。
そして、ふとしたときに気づく。
私は何ができるのだろうって。
リビングに向かうと、ポケットの中に入っているスマホの光が点滅していた事に気づく。確認すると、やはりメールが来ていた。
直ぐにメッセージのページを開き、確認をする。だって、こんな古いアプリを使って送ってくる人なんて、お母さんだけだもの。
「・・・・、はぁ」
けれど、私は溜息をこぼした。
【今日も帰って来られない。ごめんなさい。】
一行、これだけが書かれている。期待していた内容ではなく、肩を落とす。
もう一週間程だろうか、母が家に帰って来ないのは。だが、その事を咎められる権利は私にない。直ぐに帰って来られないのは、重大な理由があるからだ。
その理由を言えば、皆驚いた顔をするだろう。たとえば、私の母が、ブランド企業の女社長なんだ、なんて言ったら・・・。まぁ、事実なんだけど・・・。
社長、と言っても母は叔母の会社を引き継いだという感じで、積み上げられてきた物を継続した様なもの。どんな会社なのかは、詳しく知らない。たしか、食品関係だったかな・・・?
あやふやなのは理由があって、実を言うと私は、母に会社との関わりをシャットダウンされているのだ。そんなことをされては、詳しい情報など分かるはずもない。人から聞いた話の方が多く、あやふやなのだ。けど、今の情報は間違ってはいないと思う。
もう一つ。父はというと、私が小さい頃に母と離婚しているので もうここにはいない。離婚理由は性格の不一致だったらしい。この話も、あやふやにしか覚えていない。
そして離婚後に、母が会社を引き継ぐことになったというわけ。
「はぁ」私はまた、溜息を吐いた。そこからだったな、母が変になったのは。
今の状態になってしまったのも、この事があってからだと思う。
その変化は異常で、いつも絶えない笑顔をくれていた母の顔は段々と冷たくなり、無機質なロボットの様にまでなった。他にも、口を聞いてくれなかったり、酷いときは私を避けるような態度をとられた。
時間が経って、やっと今は、笑顔を取り戻してきているけど、離婚の真実や会社の事は一切話してくれていない。まるで、他人に対する接し方のようで、私は壁を感じる。まだ、母の心にある傷が癒えていないのだ。母にある辛さが早く消えて欲しいと心から願う。
けれど私は、不幸に母が離婚し、社長になってからの思い出を、ほぼ覚えていないのだ。小学生の頃だと思う。その出来事たちは私の脳内にほぼ残っていない。なので、その時に感じた[自分の感情〕でさえもわからないのだ。
年をとると、忘れてしまうというのは、この事だと思うけど・・・。
誰かがその蓋をあけてくれない限り開かない、みたいなそんな感覚に似ている。だから、私はその蓋を開き、真実を聞きたい。いや、聞かせて欲しいのだ。
☆☆☆
もう、時計は四時を回っている。
来るかな? そう思った時、ピーンポーンと家のベルが鳴った。
「かえちゃんだ・・・!」
私は、みるみるうちに笑顔になって、駆け足で玄関の方に行き、勢いよくドアを開いた。
すると、かえちゃんはビックリした顔をして、「お前、早すぎ」と言って、ハハッと笑った。そんな、かえちゃんの反応に私も笑顔がこぼれた。
かえちゃんとは、篠原 楓という、幼稚園の頃から一緒の幼馴染。ちなみに、お隣に住んでいる。
たぶん、母より一緒にいる時間は長く、私にとって家族と言えるぐらい、大きな存在だ。
男の子だけど、料理が上手で、いつも夜ご飯と朝ご飯を作りに来てくれる。家事も得意で、家の事は何でもやってくれたし、教えてもくれた。
今思えば、私の体調管理も身の回りの事も全部かえちゃんが面倒を見てくれていたと思う。お母さんみたいに。
小さいときから一緒なので、私の性格も知っているから心を許すことのできる人でもあって、唯一甘える事ができるのもこの人だけだと思う。かえちゃんは、私が一人の時、お母さんの様に寄り添ってくれた大切な存在。本当に感謝している。
「あ、そうだ。これ」すると、かえちゃんは手に紙袋をもっていた。私の好きなお店のロゴマークがプリントされている。
「わぁ、私の好きな豆大福・・・!?」
「お前、これ好きだろ?」うんっ、私はそういうと、かえちゃんの手から豆大福を貰う。
「かえちゃん、ありがとねっ!」私は嬉しくて袋の持ち手をぎゅっと握り、かえちゃんに笑顔を向けた。すると、かえちゃんは顔を隠すように下を向き、「・・・あ、ああ。じゃあ、夕飯作るからな」と、言って素っ気ない態度でキッチンへと向かってしまった。私は、うん、と掠れる声で返事をする。
最近、かえちゃんの態度が素っ気ない。どうしてだろうか、少し怖い。
☆☆☆
グツグツと鍋が煮立っているが聞こえる。
「ねぇ、かえちゃん!今日もご飯一緒に食べてくれる?」料理をしているかえちゃんに、おねだりをしてみる。今日も一人で夜食を食べるのは嫌だったからだ。
「ん?ああ、いいぞ。じゃあお前、課題でもやってろよ。ここで見てるから」
「うん」私は返事をし、ノートやプリントをテーブルに出した。
「それと咲結、母さんから、連絡貰ったか?」
「あ、うん。今日も帰れそうにないって」
自身が無い声で答えた。お母さんの事には、なんか、弱気になっちゃうんだよね・・・。
「そっか、大変だよな・・・。俺も咲結の母さんから連絡きたぞ」
連絡があったと聞いて、私は反射的にかえちゃんの方を向いた。
「気になるか?」かえちゃんは意地悪に笑う。無論、私は首を縦に振った。
「咲結をよろしくお願いしますだってさ」今度は、優しく笑ってくれた。
望んでいた内容で、深く安堵する。私は、そっか、と小さく呟いた。
「ほんっと、俺もいつの間にか咲結の世話係だもんな」からかうように言われたので、私は拗ねる様に口を尖らせ、「確かにそうだけど・・・。私、かえちゃんが居ないと何もできないよ」と、訳の分からない言い訳をする。事実上、本当にそうだと思う。
反応を伺うと、一瞬できた間の後、楓は口を開いた。
「・・・まぁ、別に俺はお前の事、死ぬまで面倒見てやっても良いけど」楓の頬は、少し赤く染まっている。
意味深なその言葉に咲結は一瞬ビックリした顔をして、柔らかく笑った。その笑顔にまた、楓の頬は熱くなる。
「それは嬉しいな~!けど、かえちゃんも将来の事あるだろうし、死ぬまでなんて、かえちゃんお爺ちゃんだよ」咲結の反応は、照れもなければ、無反応でもない。いつも通りであった。残念ながら、楓の言っていた意味は伝わらなかったらしい。緊張感があった空気が一気に崩れる。楓は大きな溜息を漏らし、空気が抜けた様にしゃがみ込んだ。
そう。この清水咲結という少女は、とんでもない鈍感野郎だった。理由は精神年齢が育っていなく、小さく無邪気な子供のように、とても純粋だから。
勿論、楓は恋愛など咲結に教えていないので、恋愛は咲結にとって得体のしれない謎。それ故に、相手からの好意も恋愛ではなく、違う意味で受け取ってしまう。いわゆる、鈍感になってしまったのだ。恋の“こ”文字も知らない、箱入り娘よりもひどい少女。それが、清水咲結。
急にしゃがみ込んだ楓に、咲結は心配になってトコトコと駆け寄った。
「か、かえちゃん、どうしたの?大丈夫?」
すると、楓は咲結のおでこに指をもっていき、ピンっとデコピンをした。
「痛っ!」うう、と悶える咲結に、楓は「何でもねぇよ、バ―カ!」と、言って立ち上がる。
咲結は、何だったのかと思い、あの後、楓に何回も謝った。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
二人目の主人公は、清水咲結という主人公です。
イメージ花は、タンポポ。
一人目とは違い、結構マイペースで裏表のない、そして鈍感な性格・・・。
口もそこまで、悪くはないですね (苦笑)
幼馴染の楓君は、咲結に好意を抱いているかも・・・。
話の続きは咲結編、とついているものから繋がります。