俺と彼女とそれからもふもふ
「ただいま~ 」
奥の部屋まで聞こえるよう大きな声を張り上げる。
真っ暗な部屋に響くがらんどうな音。
相変わらず、静まりかえったまま。閑寂。静寂。空寂。
今日で何日目だろう。
靴を脱ぎながら思い出す。
彼女のこと。
「挨拶はきちんとすること!学校で習わなかったの?」
うん、ちゃんと守ってるよ。
俺が「ただいま」を忘れると、もふもふと共に仁王立ちした彼女が登場するのは、もはや定例行事。
ああ、そうか、もふもふ。
俺は彼女が置いていったもふもふの存在を思い出す。
「ただいまもふもふ、寂しかったかい?」
もふもふを抱き上げて彼女の残滓を探す。
名前どおりの触り心地に癒され、懐柔されていく。
「もふもふ聞いてくれよ。今日、お昼に注文した弁当を誰かが取り間違えてさ」
あれから家での話し相手は、専らもふもふが担ってくれている。
「俺はいつもの330円の弁当を注文したのに、取りにいったら400円の弁当しか残っていなくてさ。
しかもよく見たら、よりにもよってゴーヤーが隅にいたんだよ。
午後は午後で眠気に襲われてさ、コーヒーをもらいに給湯室に行ったら、海で水着で花火だとよ。若いのが楽しそうだから、入りずらくて、結局カバンにあった龍角散をなめて眠気撃退したよ。」
もふもふの漆黒の瞳は純真無垢のきれいさで、嫌でも彼女を思い出させる。その瞳に自分の悄然とした顔が映り込み、慌てて視線を逸らした。
「さあ、明日も仕事だ。頑張らなきゃ。」
翌日いつものように帰宅し、玄関扉を開けたとき、そこには “日常” があった。
「まーくん? なに突っ立ってるのよ。はやく入れば?」
「……なんで? 帰ってくるの来週じゃなかった!?」
「おじいちゃん、術後の回復が思ったより早くて。
自分はもう大丈夫だから、早くまーくんのところに帰ってやれって、うるさくてね。」
妻の料理が手際よく食卓に並んでいく。
「3週間くらい一人でも平気だったのに。おじいちゃんも心配性だな。」
俺の言葉にふっと妻が笑った。
心のうちを見透かされたようで、思わず目線を逸らし、見えない彼女を探す。
どたどたと音がして、小さい足で、でんっと立ちふさがった彼女。
「パパ、挨拶は? いつもいっているでしょ」
脇に犬のぬいぐるみを抱えたかわいい娘。俺の娘。愛娘。
その姿に自然と頬が緩む。
「ただいま、さくら。」
おかえり俺の日常。
「「「いただきます」」」
わいわいと賑やかになったわが家に安堵しながら、俺は妻の十八番ゴーヤーを口に運んだ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
初めは「1000字って難しい」と思っていましたが、書き終わってみると「長い文章を考えるのが苦手な私には丁度良い分量だったのでは?」と思い直しています。
また元気があれば書いてみたいと思います。
楽しい企画をありがとうございました。