プラトンの美のイデア
昔、プラトンという哲学者は考えた。
美しいものを粉々にすると、粉になってしまって、美しさは失われてしまう。
では逆に、美しさを成り立たせている構造を抜き出したらどうだろうか。
そうやって抜き出した構造を集めてさらに構造を抜き出すことを繰り返せば、完全な美しさ、つまり美のイデアに到達するだろうと。
有名な話だ。
少し後の文献によると、プラトンは美のイデアを抽出することに成功したと書かれている。
だが今、どこにあるのかは知られてない。
それは永久に失われ、文献でしか確認できない。それが定説だった――。
◆
営業である地方都市を訪れた際、先方の都合で長い待ち時間ができてしまった。
ホテルにいても退屈なので、そんな時は町を散策することにしている。
ある店の前に粗大ゴミの山が積まれていた。
家具や、置き物、古いものばかりだ。
つい眺めていると若い男性が説明してくれた。
骨董屋の主人――彼の祖父が亡くなったというのだ。
「気に入ったものがあったら、ぜひ持っていってください」
彼はそう言ってくれた。
ちょうど手元にあったカゴの中の懐中時計に私は目をつけた。
ゼンマイを巻いてみたのだが動かない。
「ああ、それは壊れてます」
と男性は言った。
枠に文字が彫られている。ラテン?
昔、友達と学んだラテン語の知識を久しぶりに思い出す。
『プラトンの美のイデア』
変色して判読不可能な文字盤には細いスリットが開いている。
私はそこを凝視して、ムーブメントそれ自体ではない気配を感じて息を呑んだ。
それが本当に「そこにある」と確信したのだ。
気が動転していた。私は恥知らずになっていた。
詳細を語らずに私は、その懐中時計を譲ってくれと男性に頼み込んだ。
男性は快諾したが、私が対価を払わせてくれと言うと、無料でよいとのことだった。
しつこく迫っても怪しまれるかなと、私はただでその時計をもらってしまった。
◆
自宅に帰って、懐中時計をそっと分解した。
中にあった「それ」を丁寧に引き出して、親指ほどのガラス瓶に移し、コルク栓をした。
机の中央にそれを置き、じっと眺める。
プラトンの美のイデア――。
美しい……。
美しいという感覚がとめどなく溢れてきて、尽きるところがない。
なんということだろう。これは恐ろしいものだ。
もしこれを眺めたまま、飢えて死ねと言われれば、迷うことなくそれができてしまいそうだった。
人生において感じてきた様々なものの価値が、自分の中で溶けていくのを感じた。
絶対に届かなかったはずの、届かなくてよかったはずのゴールを、目の前に与えられてしまった。
人生の目的とは、人類の目的とは。
プラトンは、紀元前において、「成し遂げて」いたのだ。
◆
私達人間は感じる。
美しいとか、楽しいとか、面白いとか。
それは、進化の過程で人間に備わった、遺伝子の生存のための本能である。
でも人間は知性を持ってしまった。だから、環境を操作するのではなく、感じ方の側を理解しはじめた。
食べて増えて喜んでやがて誰しも苦しんで死んでいく、それ以上の存在になろうとした。
完全に純化された、感情それ自体。
イデア。
世間の人々は、花や女性を眺めては「美しい」と口にしている。
しかしその美しさはどれも、物質的な具体に宿るものにすぎない。完全に純化されたものでは全くない。
完全に純化されたそれは、ずっとすごいものだ。
美のイデア――。
それはうっとりと人の心を支配してしまって、飽きることのありえないものである。
これの存在が世間に知られれば、奪い去られてしまうに違いなかった。
よければ博物館行きで、それでもいつかどこかで行方不明になるに違いなかった。
――だから私は隠した。
ゴミのように無価値に見えるが、身につけていて不思議でないもの。透明な部分があって、スリットから中が少し覗けるもの。そこに封印して、でも誰かが見つけた時のために、小さくラテンで「プラトンの美のイデア」と書いた。
美のイデア、それとずっと一緒にいるためである。
だが近頃、あえて懐から取り出さずとも、思い出すだけでその美しさに胸を打たれるようになってしまった。
これは、どういうことだろう。
今の私は、価値観がイデアに支配されてしまっている。
これでは完全に、「美しさ」の奴隷ではないか――。