取り敢えず、酒が欲しい。
暗い暗い闇の中。どこまでも続く世界を、俺はただたださ迷っていた。
肉体は無い。ただモヤの様に漂っているだけ。いつからここに居たのか。どれくらいさ迷っているのか分からない。
自分が何者なのか、何者だったのか。これから先、何処へ行くのだろうか。
何もかも理解出来ない。
ただ俺は、この闇の中をさ迷うだけ。
ある時、ふと声が聞こえた。
あどけない無邪気な声。
『お花さん、お花さん、パァ!っと大きくなるですよー!』
それと同時、自身が桃色の光に包まれたかと思えば、スーっと浮かび上がるような感覚。
ハッ!と視界を開き眩しい光を取り入れれば、目の前には俺を見下ろす桃色の髪の幼い娘。
と、同時に感じる酷い喉の渇き。
「お花さん、お花さん、こんにちはなのです。」
桃色という変な色の頭をした娘はそう言って嬉しそうに笑う。その無邪気な笑顔は無垢な子供そのものだ。
だが俺は、そんな事には構っていられない。
『あー?なんだ?お前。……それより喉が渇いた。酒をくれるとありがたいんだが。』
とは言ってみたものの、桃色の娘はニコニコ笑ったままで酒を取りに動こうとはしない。
『なんだよ、お前。俺に何か用でもあるのか?取り敢えず、酒だせ酒。』
喉の渇きが尋常じゃない。
一先ず寝ている身体を起こそうとするが、どうやら上手く身体が動かない。
「モモ殿。何事、か……?」
目の前に、今度は緑色の髪をした、こちらも幼い娘が降り立つ。
『なんだ?コイツ、どっから来たんだ?』
「ぬ!お主何者!もしや曲者か!」
緑色の娘は警戒心丸出しで、俺に短刀の切っ先を向ける。
確か、どこかで聞いたことあるな。これが所謂“忍び”とかいうやつか?
『うるせぇなぁ。そんな物騒な物よりも、酒くれ、酒。』
「何事ですか?モモさん、シノブさん。」
こりゃまた人数が一気に増えた。
先頭には真面目そうな水色の髪の娘。その後ろには、赤色の髪の娘と灰色の髪の娘もいる。揃いも揃って、奇抜な色の頭だ。まさかこの歳で不良なのか?
あぁでも、今そんな事は関係ない。俺はもう限界だ!
『いい加減、酒くれよ、酒。分からねぇなら大人連れてこい。』
「むっ。貴方……。何者です?」
「……あや……しい。」
怪しい?まぁそうだろうよ。
大の大人が道端で倒れていりゃ、そりゃ怪しいだろうよ。
だが自力でどうにかしようにも、未だに身体はピクリとも動きゃしねぇ。
『誰でも良いから酒くれよ、酒!それとも何か?俺の言葉が理解出来ねぇとか言わねぇよ、……な?』
おや?と首を捻る。
言っててふと気付いた。
目覚めて以降、コイツらが俺の言葉に返事した事があったか?……いや、無い。
つー事はコレ、こいつらには俺の声が聞こえていないんじゃないか?
その証拠に、俺がいくら酒をくれと言っても誰一人動いてないじゃないか。
それに俺自身、身体……いや指の一本すら未だに動かせないでいる。
これはつまり、そういう事なのだろう、と――。
「お酒、ですか?……マスターに相談してみないと、何とも言えませんが……。」
『いや、聞こえてたのかよ!』
「はい?」
『すまん。気にするな。』
どうやら、俺の声が聞こえていないのでは?という懸念は杞憂だったらしい。
……だがそうすると、この娘達は俺の声が聞こえていて、敢えて無視をしていたという事になるんだが。
それに、未だ身体が動かせないというのは……?
「呼ーんだ?」
そんな呑気な声と共に俺の視界に飛び込んできたのは、スラリとした線の細い女性だった。
「あぁ、マスター。丁度良い所に。こちらの方がお酒を欲しいそうなのですが。」
『おー。頼むわ。』
やっとか。やっと、酒が飲める。
「んんんー?具体的に何が良いの?日本酒?ビール?ワイン?」
可愛いらしく首をコテンと傾け、女は問い掛けてくる。
恐らく酒の種類を聞いているのだろうが、全て知らない名だ。というか、正直どうでも良い。何でも良い。酒が欲しい。
『酒なら何でも良い。早くしてくれ。喉がカラカラなんだ。』
「ふぅん。喉乾いたならお水の方が良いと思うけどねー。……っと。はい、取り敢えず3つとも用意してみた。」
どこかに取りに行くのだと思っていたが、驚くべき事に彼女はその場でソレを出して見せた。
一つは透明な液体。
一つは黄色く透き通った、泡の浮かぶ液体。
一つは紫の澄んだ液体。
酒だ!
酒だ、酒だ、酒だ!!
どれも見たことがない。だが、非常に美味そうだ。
思わず俺は飛び起き、妙な形状のコップを掴むと、一杯、二杯、三杯と飲み干していく。
『……ぷはぁ!うめー。生き返るー!』
喉を焦がすアルコールが胃に落ち、全身に暖かな熱が広がって行く。指先の末端まで血が通い、活力が漲って来た。
勢いのまま顔を上げ、周囲を見渡す。
すると、周囲を囲った女共が未だ俺を見下ろしている事に気付く。
左から、ピンク、灰色、水色、赤、大きな灰色、緑。全員、見事にカラフルである。そのうち、『大きな灰色』を除く子らの身体は皆小さく、幼い子供といったところか。
対して『大きな灰色』こと、酒をくれた女性はそこそこの身長もあり、恐らく子供らの母親なのだろう。
スラリとした身体にほどほどなサイズの胸。色白な肌と、色素の薄い灰色の瞳。そして髪色は、薄く灰色っぽくはあるが、ほぼ白髪。
パッと見は若く見えるが、髪色からして相当歳の行ったBBAか?
しかし子供らはこの母親の事を『マスター』と呼んでいたような。……一体、どういう事だろう。
だが、そんな事はどうでも良い。それよりもおかしな事が、今、目の前で起こっている。
現在俺は、しゃがんだままの彼女たちに見下ろされているのだ。
酒を飲む際、俺は思わず体を起こしたはずだ。しかし俺は未だ、子供らを見上げている状況だ。
――もしやこいつら、巨人か?
思わず後退ろうとして、また、身体が動かない。
ハッ!と自らの身体を見下ろし、確認する様に目の前に手のひらを広げ――。
『な、なんじゃこりゃぁぁぁ!?』
目の前で揺らぐ緑色のツル。
複数に枝分かれした緑色の細長い身体。
そこに、思い描いていた肉体は存在しなかった。
――その後、いろいろと話を聞いた。
俺はどうやら『アサガオ』とかいう植物に転生していたらしい。
魔王がおり、魔法があり、魔族や亜人族の居る、所謂ファンタジーな世界。
人間しかいなかった俺の世界とは、根から異なる世界。……たぶん。
そして、異世界ということは髪色の常識も異なっていた。
若いうちは黒く、老いれば白くなる俺達とは違い、この世界には様々な色の髪色があるらしい。
白髪混じりの母親だと思っていたBBAも、単なる銀髪で、実は頭の緩い小娘でだった。本人曰く“人形”らしいのだが。
また、小娘を“マスター”と慕うカラフル頭の子供らも、小娘が作り出した“人形”だそうだ。
まぁ、あの歳で不良でないなら良いか。正直、俺には関係ない。
どっちにしろ、植物になってしまった俺はここから動けないわけでして。
アホな人形らを眺めつつ、
俺は今日も大好きな酒を飲む。