ランドセル背負って
友達と肩を並べて歩く息子の姿は。
とても楽しそうに嬉しそうに笑っていて。
優しい風が吹くたび舞い散る桜吹雪は、子どもたちを守るようにみんなの頬を掠めて通る。
美里はそのキラキラと輝く光景を見て、そっと目を細めていた──
息子の祐介が退院して、一年経った。
大病を患い、七ヶ月も入院していたことが信じられないくらいに元気に過ごしている。
保育園も無事に卒園し、次はいよいよ小学校だ。今までは送り迎えしていたが、小学生ともなるとそうはいかない。
車で五分の場所でも、子どもが歩くと結構な距離だ。
朝は結構車通りもあるし、友達とふざけ合って道路に飛び出したりしないかと、美里は不安になっていた……そんな時。
ポロン
スマートフォンに誰かからメッセージが届いたようで、美里は洗濯物を畳む手を止めた。
「お母さん、けいたい鳴ったよー」
「ありがと、祐介」
息子が持ってきてくれたので、中を確かめてみる。祐介と仲のいい友達の、ママグループからのメッセージだった。
『よかったら明日、ランドセル背負わせて、子どもたちを小学校まで歩かせてみない?』
ダイくんママからのメッセージだ。このグループは他に、サクくんママ、まあくんママ、それに裕介の母親である、美里……通称ユウくんママの四人だけだ。
全員が初めて入学する子で、男の子ばかり。さらに二学年下にはこれまた全員同い年の弟がいて、仲がよくなるのも必然と言えた。
『行くー!』
『お願いしまーす』
美里が返信する前に、サクくんママとまあくんママの返事が入る。もちろん美里も行かせる気満々だったが、一応息子に確認してみた。
「裕介、明日ランドセル背負って、ダイくん達と小学校まで歩いてみる?」
その問いに裕介は瞳をらんらんと輝かせて、「行くー!」とぴょんぴょん飛び跳ねている。
そんな可愛い息子を美里は無理やり抱きしめてから、『参加超希望!』とメッセージを送ったのだった。
翌日、下の子らを保育所に送った後、近くの公園で待ち合わせをして小学校に向かわせる。
子どもたちを先に歩かせて、四人の母はすぐ後ろからついていく形だ。しかし、そこは卒園したばかりの四人組。しっかりした女の子が一人でもいれば違ったのだろうが、みんながみんな、マイペースなのである。
「こらー! 大! 一人で先に行かないーっ!」
「朔弥、寄り道しないよ! 真っ直ぐ歩く!」
「正樹とユウくんは、もうちょっと一生懸命歩こうか」
のんびり歩く二人に、まあくんママがそう促してくれた。母親の言葉に正樹は、「ダイくんに追いつこう!」と言っていきなり走り出した。
「待ってぇ」
裕介もみんなを追いかけようと走り出した途端。
ほんの少しの段差に足を取られて、ガツンと膝小僧を打ち付けてベチャッとこけた。
あっちゃあ、と美里は思わず天を仰ぐ。
「うわぁあああん!! いだいーーーーッ」
手をついたので、どうやら怪我は膝小僧だけで済んだようだ。実戦さながらにランドセルに本を詰め込んだのが仇となってしまい、少し反省する。
「だいじょうぶ?」
「ユウくん、がんばって」
「いっしょに手ぇつないであるこうー!」
美里が手を貸そうかどうか悩んでいる間に、先に行っていた子どもたちが戻って慰めてくれた。
裕介はまだグスグスと泣きながらも友達に引っ張り起こされて、なんとか歩き始める。
買ったばかりのズボンには、もう穴が空いてしまっていた。それほど勢いよくこけてしまったにも関わらず、裕介は友達のおかげもあって、泣き言も言わずに頑張っている。
大きく、なったんだなぁ。
少し前までなら、ずっとビービーと泣いていたことだろう。『抱っこ』と言い出して、途中で諦めてしまっていたかもしれない。
裕介は大きく、そして強くなっていた。
子どもは、いつのまにか逞しくなっていくのだろう。
そうして少しずつ手を離れていってしまうのだ。
今はまだでも。
いつか、本当に来る巣立ち。
友達と肩を並べて歩く息子の姿を見て、胸の痛みを押さえつけるように奥歯をグッと噛みしめる。
まだまだそんな日が来るまでには十年以上もあるというのに、なにを感傷に浸っているのだろうと今度は苦笑した。
「それにしても」
手を繋いで歩く、子どもたちの姿を見ていたサクくんママが声を上げる。
「ユウくん、一緒に卒園できてよかったねぇ」
春の陽だまりのように暖かい言葉は、美里の心に光を当ててくれる。
長い長い病院での闘病生活。ママ友や園の子どもたちの手紙や絵やメールに、どれだけ励まされたことか。
「ありがとう、みんなのおかげだよ」
「私なんか卒園式の時、ユウくんの姿を見るだけで泣けてきちゃったよー」
そう言って笑うのは、まあくんママだ。確かに彼女は卒園式の間、ずっと大泣きしていた。その涙の理由に裕介のことも含まれていたならば。
こんなに、こんなに有難いことはない。
卒園式の時はウルっと来たくらいで泣きもしなかったのに。
周りの人達がどれだけ己の息子のことを考えてくれていたのかを知って、美里はこの時初めて声を詰まらせた。
「一緒に卒園できて、一緒に入学もできて……本当に嬉しいね!」
最後に放たれたダイくんママの言葉に、美里はたまらず涙を見せてしまう。
みんなの気持ちが優しくて、嬉しくて。
無事に入学を迎えられる我が子が、誇らしくて。
「本当にありがとう……これからも、息子ともどもよろしくね……っ」
微かな嗚咽と共にそう伝えると、みんなはそれぞれに応えてくれる。
当然というように笑う声が聞こえてきて、深く、深く感謝した。
よき仲間に恵まれたのだ。美里も、裕介も。
子どもたちの方を見ると、裕介はすっかり機嫌もよくなり、とても楽しそうに嬉しそうに笑っていて。
優しい風が吹くたび舞い散る桜吹雪は、子どもたちを守るようにみんなの頬を掠めて通る。
美里はそのキラキラと輝く光景を見て、そっと、目を細めたのだった。