知らない声〜返歌〜
伊月さんの「知らない声」のディオ目線です。キャラ崩壊はもちろんだし、とにかく怒られる前に先に謝っときます。ごめんなさい。
冷静にならないと、そう思う。滾るような意識の底で自分の名を呼ぶ声が何度も聞こえた。
冷静に、慎重に。そう、容易に抑えてきたはずの感情が、今になって止めどなく溢れてくる。
いつもより少し溶けた声音。
頼むからそんな声で俺を呼ぶなよ。自分がどれだけ最低なやつか、そんなの自分が一番分かってる。
噛みつくように口づけた脳内に、これでもう友人には戻れないな、と冷めた声が聞こえた。
✴︎✴︎✴︎
彼の存在を認識したのは士官学校生時代。はじめは、女だと思った。男にしては細すぎる体の線。風にきらめく金髪と、泉から掬い出したような澄んだ青の双眸。彼の姿はたちまち噂になり、彼は自分の居場所を無くしたのだった。
思えば俺とイルが共に行動するようになったのは必然だった。その容貌の所為で好奇の目に晒されるイルと、准将の父を持つ所為で敬遠される俺。互いに理解者をもたなかったこと、それが二人を結びつけたのかもしれない。
はじめ俺は、彼を手に入れようとする者の多さに呆れた。斯く言う俺も最初はイルを女と間違えたほどであり言えた筋合いではないと言われて仕舞えば反論はできない。
しかし、それはともかく俺は長らく彼の唯一の友人であった自信がある。幸運な事に俺は男に欲情する体質でもなかったようで、彼をそういう対象として見なかったことも理由の一つだ。
彼は「自分をまともに認識してくれる特別」として俺のことを捉え出した。
俺も、理解者になってやりたいとそう思っていた…はずだった。
暫くの間、俺はイルと離れるときがなかった。俺がイルと一緒にいる事で、イルを狙う奴らもそばに近づき難くなる。それを知っていてのことだった。その立ち位置に満足してもいた。
俺がイルと行動を共にしなくなったのは、イルに彼女ができた日からだった。
イルの彼女は、ここでは珍しい、女子の学生だった。緩いウェーブのかかったロングの茶髪、新緑の色をした瞳。文句なしの美人だった。二人が並んで歩く光景はそれは絵になった。いつしかイルを狙うものは影を潜め、俺が一緒にいるべき理由もなくなったのだ。
俺は媚びてくる同期以外の話し相手を失った。
そうしてはじめて、知りたくなかった感情を知った。
そういう目で見ないことが、友人でいるための唯一の手段だった。否、そういう目で見ないにしても、流石に友人と言い張れる域を超えた感情。
お前の隣に、俺以外の奴がいるのが苛つく、とか。
✴︎✴︎✴︎
隊に配属されてからは、同室であるにも関わらずイルと過ごす時間が減った。俺が配属になったのは特殊部隊。イルの配属はスナイパー部隊。勤務場所も勤務時間もずれている。
ある日の作戦が終わったあと、廊下に友人の背を見つけ、声をかける。
「ディオ!」
自分より長身な彼は、ぱっと笑みを見せ駆け寄ってきた。見上げた瞳がきらりと光を放つ。
「無事?怪我はない?」
「ああ、お前は?」
「うん、なんともなかったよ!」
「そうか。よかった」
ほっとして、張り詰めていたものが解ける。
二人で他愛ない話をしていると、背後から名を呼ばれた。特殊部隊の同僚。
「ディオ、ミーティングするってさ!」
「あ…ああ、すぐ行く」
応えてから、久しぶりに会った友人を振り返る。
彼は一瞬、寂しげな表情を見せ
「夕飯は一緒に食べれそう?」
「多分、な。」
「じゃあ待ってる」
俺はイルの肩を叩いて、その場を後にする。見送る視線を感じて、できるだけ早めに帰ろうと思った。
結局ミーティングは長引き、終わった頃には夕飯の時間などとうに過ぎていた。
…この時間なら流石に眠っているだろう
そうたかをくくって部屋の扉を開く。同室の彼を起こすまいと気をつけて開いたのに。
「…お前、なんで起きてる」
イルはくすくすと笑いを零した。
「だって、せっかく帰ってきたのに、おかえりって言う人がいないと悲しいでしょ?」
「俺のことはどうでもいいんだ、明日も早いのに」
友人は、ディオだって明日早いじゃん、と反論して。そしてふと不安げに
「…嫌だった?」
と小声で尋ねた。嫌なわけがない。
でも、そんな目で見上げられると、あぁ、この顔を誰にも見せたくないな、なんて思ってしまうから、勘違いする前に否定して欲しくなって、困るんだ。
言える筈もなくただ、
早く寝ろ、と応えた。
✴︎✴︎✴︎
作戦は、失敗だった。
要人の頭を撃ち抜くはずだったスナイパー部隊の場所が敵に割れていたのだ。崩れたスナイパー部隊は大きな損害を出した。
被害は特殊部隊にも及んだ。攻め込まれた前線で、上司が撤退命令を出したのだ。この状況で撤退を選べば勢いに乗った敵方に殲滅されることが、分からないはずがなかったのに、負けるわけがないと予備の作戦を考えていなかった。そのつけが回ったのだ。次々と仲間が倒れていく中。自分のものか相手のものか分からない血を延々浴びながら、幾人かは尻尾を巻いて逃げ出したと聞いた。
壊滅しかけながらもなんとか撤退し、基地へ戻ってこられたのは5日後だった。
疲れ切って帰った特殊部隊にはミーティングが待っていた。
「大体、あいつらが崩れたのが悪いんだ。あんな簡単な仕事、へましやがって」
その言葉を口火に兵士たちがスナイパー部隊を非難し始める。撤退を命じたのは俺の直属の上司だった。彼は重傷を負い、医務室にいる。
彼を責めるつもりなどないが、あの命令の所為で俺たちの隊が一番の被害を出したのは一目瞭然だった。それを、なぜ言わないのか。なんのためのミーティングか分かったものじゃない。
今回の失敗はスナイパー部隊のせいだと、そう話がまとまりかけていた。
「恐れながら、今回の失敗は我らにも非があるのではないでしょうか。スナイパー部隊に頼りすぎて作戦立てを怠ったことは考慮しないのですか」
目が一斉に自分に向く。
「いや、それは」
弁明しようとした同僚を、上司が遮った。
✴︎✴︎✴︎
「准将の息子だからって良い気になるなよ」
投げかけられた言葉が耳に残る。何も、裏の手を使って特殊部隊へ配属してもらったわけではない。自分の実力で配属になったつもりだ。父の威光に頼る気などさらさらなかった。それでも
「…ふざけんなよ…」
想像よりはるかに低い声が喉に響いた。今回の犠牲はスナイパー部隊の失敗よりも、それに対応できなかった特殊部隊構成員に責任がある。絶対だと策を講じていなかった上官、不利と見るや否や逃げ出した同僚。そいつらが自分よりも上に立って偉そうに議論しているのに、吐き気がするほど苛つく。俺なら上手くできたとは言わない。でも他部隊へ全責任をなすりつけるやり方は非道だ。
落ち着こうとするのも馬鹿馬鹿しく、大股で部屋へ戻ろうとした、その足を止める。
聞き慣れた声と、違う声がいくつか。
気づいた瞬間、声の方へ足を向ける。
角を曲がって見えた光景に、ぐらりと世界が揺れた。
壁に押さえつけられているのは、確かにイルだった。周りを取り囲むのは、歩兵の同僚数人。友人の力は強い方ではないと、それを分かっていての行動か。感情が、急速に沸騰する。
足を早めると同時に同僚の一人がイルのシャツをたくし上げる。ふと、空気が変わるのを感じた。
ほんの、一瞬、息が止まった。
お前、まさか、
重い、重すぎる感情、嫉妬、怒り、懇願。抱いてきたものが瓦解する。
思い切り殴りつけた。聞いたこともない破裂音にも似た音。
「…おい。何やってるんだ貴様ら。」
手加減無しで殴ったから、暫くは口がきけないであろう事を分かった上で問う。許す気など無い。今の俺にそんな余裕は無い。
「ディオ…」
「別に撤退したことは些細な事だ。だが、」
本当は撤退したことだって、この腰抜共が、と怒鳴りつけてやりたいところだ。それだけなら、まだ目を瞑ってやるものを。
「理由が理由なら俺は貴様らを許さない。」
イルに手を出される事が、これほど俺の嫌悪を掻き立てるとは。自分でも把握していなかった。
「……来い、イル」
それに、こいつが。
一瞬の空気の変化が、ふっと蘇る。
…なぜ諦めようとした、あんな奴らにそれを許すのか。抱き上げた体温が無性に憎らしくて、またそれと同時に、抑えがきかないくらいに。
✴︎✴︎✴︎
部屋へ入ると、イルをベッドに放り投げる。
「ちょっ…ディオ、何?」
困惑した顔をする友人の上に跨る。
今、怪我はないか、大丈夫か、と心配して見せれば、俺は彼の危機を救った唯の友人でいられる。
しかし、口をついて出たのは違う言葉だった。
「……何考えてるんだ。」
責め立てるように言葉を継ぐ。
「お前、諦めたろ」
勘違いなら良いと思った。
「え……?」
失念していたのか、少し目を見開いて聞き返された。
「服脱がされそうになった時。もういいって思ったろ」
言い募るとイルは罪悪感を滲ませ、目をそらした。
その動作が、俺の推測の正しさを証明する。噛み締めた奥歯が鳴った。分かっていても肯定されるのは堪える。
「お前、何されるかわかっていたろう」
ここからなら、まだ、誤魔化せる。
一瞬逃げ道を探してしまった。自分がこんなに最悪な人間だとは思いたくなかった。友人のふりしてずっと隣にいたのに、いざとなったら他の奴らと同じなのか。結局俺はイルをなんだと思っていたんだ。友人という免罪符が、効かなくなるのは怖い。
今一言だけ、謝ってくれればいい。そうしたら「次は助けてやらないからな」と友人の顔に戻れる。外れそうな箍を、押し戻せる。
望んでいた答えは、なかった。
「……ディオには関係ないでしょ。」
気づけば、彼の両腕を押さえつけていた。あ、もう後戻りできないな。冷静な声が、灼けつく頭に囁く。
なにが、関係無いだ。俺の気も知らないで。
静止の声を聞かずに、手の力を強める。スナイパーの彼の力ではどうしたってこの手を退ける事はできるはずはない事は分かっている。
仄かな優越感と支配欲。
そこまで考えて、これはあいつらと同じだ、と気づく。今の俺と同じようにこいつの自由を奪って、同じ感情を味わっていたのか。許して、渡してたまるか。二度とさせない。この感覚は俺のものだ。
ずっと胸の奥で溜め込んできた感情が言葉になって次々に露わになる。
誤魔化しようがない、どうしようもない。ここまで曝け出したら。
「…腹が立つんだ。」
感情のままに首にキスを落とすと、青色の瞳。今、お前はどう思ってる?俺に恐怖でも抱いているだろうか。それともまだ友人だと信じているのか。
抗おうとしたのが伝わってくる。そうだよな、逃げたいに決まってる。でも、それなら、さっきあいつらに迫られた時はなぜ最後まで抗わなかった。あいつらに許されたはずの事が、俺に許されない道理があるものか。逃げたいなら逃げてみろ、と思う。逃すものか、とも。
お前が他の奴のものになるくらいなら、俺が抱く。
これが、果たして言葉になったのかどうか。
「ディオ……まって…」
「待たない」
そう言って、噛みつくような口づけを交わす。
こんな事をして、もう完全に友人への退路は途絶えた。このキスの後、彼はどんな目で俺を見るのだろうか。嫌悪、憐憫、侮蔑。どれであろうと引き返す術は残されていない。堕ちるとこまで堕ちた、と思う。それでも後悔している余裕は無かった。
「っ……いいよ」
「……何が」
キスから解放された第一声。予想外の言葉に怯んだ。
彼はにやぁと笑う。扇情的な笑みに、言葉を失う。
「俺とセックスしたいんでしょ?」
言い放たれた言葉、あっけにとられるしかなかった。しかも、
「ディオとなら……いい。」
こんな台詞が続くなんて。
これでは、どっちが主導権を握っているのか分からないな、と取り戻しかけた思考が言う。
「……お前、煽ってるって自覚あるのか」
手首を押さえていた手を外す。思わず溜息を吐いた。全く、これだからこいつは。
「流されて言ってるなら俺はお前を殴るぞ。」
「流されてじゃないよ?」
再び笑みをよぎらせ彼は続けた。
「セックスでディオの隣を手に入れられるなら、それでいい。」
俺の隣という言葉に、ふっと口角が上がるのが分かった。
お前の隣が欲しかったのは、俺の方だ。
「……馬鹿だな。」
手で触れた頬が僅かに熱を持っている。
「そんなことしなくても、俺の隣はお前のものだろうが。イル。」
これは恋愛感情なのだろうか。
考えてみたのは一瞬。すぐ、そうでなくても良いと思い直す。
お前が欲しいと思った、その感情に変わりはない。
それなら。
「もう、我慢しないぞ?」
「……うん。いいよ。」
この状況に、溺れて仕舞えば良い。
ディオはもうちょっと冷静かなとも思ったんですけど、怒ったら理性飛ぶからセーフかなって。ぐちゃぐちゃ考えてるのが好きなのでうるさくなりましたすみません。