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羊飼いの休日  作者: 橘 塔子
第三話 トリックスターズ・ララバイ
7/21

「トリック・オア・トリート!」


 パーテーションの向こうで賑やかな声が響いて、私は立ち上がった。

 来たな!


 今日は玄関ドアは開け放している。入ってすぐの打ち合わせスペースに、十人ほどの子供たちが並んでいた。下は幼稚園児から上は小学校三、四年生くらいだろうか。みんな近所の子供たちで、通勤途中に見覚えのある子も多い。

 オフィス用に改装された室内を珍しげに眺める彼らは、一人残らず可愛らしく仮装していた。

 人気の特撮ヒーローのつなぎを着た男の子、シフォンのドレスとティアラを着けた女の子……黒いワンピースにとんがり帽子は魔女の扮装だろうか。モンスター系に化けたがる大人たちと違って、ずいぶん健全で微笑ましい。


「いらっしゃい。お菓子をあげるからイタズラしないでね」


 玄関先で待ち構えていた環希たまきさんが、笑いながら子供たちを迎え入れる。小さな仮装行列の後ろからは、引率役の大人も数人入ってきた。

 環希さんに目配せされて、私は日下くさかくんと一緒に打ち合わせスペースに出て行った。


「わあ、可愛い!」


 彼らの目は、人数分のお菓子の袋を抱えた日下くんよりも、私に集まった――私の肩にとまった相棒に。

 黒ミミズクのエリーは、ぶすっとした様子で大きな目を半分閉じている。子供が嫌いなことに加えて、自分の格好もお気に召さないのだろう。

 モフモフした体にオレンジ色のマントが被せられ、頭の羽角の間には小さな王冠がちょこんと乗せられているのだ。どちらも、昨日私が急いでこしらえたもの。材料は近所の百均ショップで調達した。

 子供たちはハロウィンバージョンのミミズクに大喜びである。


「これフクロウ?」

「ミミがあるからミミズクだよね!」

「ねえ、触っていい? 撫でても怒らない?」


 目をキラキラさせて集まってくる。


「うちのマスコットのエリーよ。大人しいから触っても大丈夫。優しく撫でてあげてね」


 環希さんは子供たちを手招きしつつ、「暴れたら唐揚げにするぞ」と言わんばかりの視線をエリーに送った。

 私がエリーをテーブルの上に下ろすと、彼はちょっと縋るような目で私を見上げてきた。辛抱しなさい、社会貢献活動よ――私はエリーの傾いた王冠を直しながら心の中で呟いた。 


 今日は地域のハロウィンイベントだった。

 保育所から小学校低学年までの子供たちが公民館に集まり、思い思いの仮装をして、近所を回ってお菓子をもらう。もちろん行き先は事前に承諾を得られた家だけだし、大勢で押しかけて迷惑ならないように十人程度のグループごとにルートが決められている。他愛のないイベントとはいえ、トラブルのないように運営するのは大変そうだ。


 今年はSCも協力させてもらうことにした。分譲マンションにオフィスを構えている立場で、しかも今年の夏にはちょっとした騒動も起こしてしまった。あまり一般的ではない業務内容だからこそ、こういった機会に地域との親交を深めておくべきだというのが環希さんの意向である。

 それは私も同感で、土曜日の今日、お手伝いのために出勤してきた。日下くんは面倒臭がっていたが、私がエリーの衣装を作っているのを見て俺も出ると言い始めた。コスプレを見て笑ってやろうと考えたのだろう。まったく……。

 結局、海外出張中の九十九里つくもりさんを除く三人で、イタズラオバケたちをお迎えすることになった。カボチャを置いたりコウモリ型のシールを窓に貼ったり、ささやかながらハロウィンの飾り付けをするのは結構楽しかった。


 エリーはだいぶ警戒していたけれど、子供たちは意外にお行儀がよい。順番に頭や背中を撫で、彼がホウと鳴く度にきゃあきゃあと笑った。よかった、受けてる。


「はいよ、一人ひとつずつな」


 日下くんが駄菓子を詰め合わせた袋を配る。紙袋の口にリボンを結んだのは彼自身だ。ありがとうお兄ちゃん、などとお礼を言われて満更でもなさそう。

 環希さんはといえば、引率の役員さんたちにSCのパンフレットを見せながら業務内容の説明をしている。営業活動が不要な業種とはいえ、広報は大切だ。

 うん、やっぱりやってよかったな――鮮やかな色彩と賑やかな笑い声の響くオフィスを見渡して、私がほっとした時だった。


 フギャッ、という悲鳴が子供たちの間から上がった。

 子供の声ではない。続けて、激しい羽ばたきの音。


 もがいているのはエリーだった。その首根っこを小さな手が掴んでテーブルに押しつけている。

 集まった子供たちの中では年長の方だろう。小学校四年生くらいの男の子。仮装した子供たちの中で、一人だけTシャツとハーフパンツの普段着姿である。他の子たちを押しのけて割り込み、エリーを鷲掴みにしたのだ。エリーは翼でテーブルを叩きながらギュウギュウと呻いている。


「やめなよう、りゅうたくん……」


 隣にいた忍者装束の男の子が止めるのを、その悪ガキは肘で押しやった。頬の丸い横顔は楽しそうな笑みを浮かべていた。

 意図的な乱暴であることは明白だった。やめなさい、と私が制止する前に、後ろから伸びてきた手が悪ガキの襟首を引っ張った。


「弱い者いじめしてんじゃねーぞ、坊主」


 日下くんは平静に、でも若干低めの声でそう言って、その子をテーブルから引き剥がした。

 解放されたエリーは体勢を立て直し、ぶわっと羽毛を逆立てる。前傾姿勢で翼を広げ、くちばしをカチカチ鳴らして、今にも飛びかからんとする勢い。私は今度はそっちを止める羽目になった。


「駄目! やめなさいエリー」


 鉤爪の生えた脚を掴んで強引に腕に乗せると、興奮した様子で暴れる。子供たちがびっくりしたように後ずさった。


「落ち着いて、よしよし……ね、もう大丈夫だから――いたっ」


 腕に感じた痛みに、私は小さな声を上げた。エリーの鉤爪がブラウスの布を突き破って皮膚を傷つけたらしい。普段のエリーなら力を加減して、決してこんなヘマはやらないのだけれど、ずいぶん怒っている証拠だ。

 当の悪ガキはというと、日下くんの手を振り払い、握り締めていた掌をパンパンと叩いた。毟り取られたエリーの黒い羽が舞う。


「ふん、何だよそんな鳥。くっだらねー」


 声変わり前の子供の声でそう毒づき、さっきの忍者姿の男の子からお菓子の袋を引ったくって、くるりと身を翻す。引率の大人たちが咎めるのも無視して、さっさとオフィスを出て行ってしまった。


「……今時珍しくとんがった子ねえ」


 環希さんが肩を竦めた。役員さんの一人が申し訳なさそうに、


「すみません、隆太りゅうたくんっていうんですけど、あの子ちょっと……トラブルが多くて」

「ガキ大将なんですか?」

「違うよ、隆太くん、すぐ叩くから嫌い! ねー」


 女の子がそう言って、隣の子と肯き合った。他の子たちもそうだそうだと声を上げ始める。

 まあいつもあの調子じゃ、子供のコミュニティでうまくやれているとは思えない。お菓子を奪われた男の子はしょんぼりと俯いている。


「……シングルファザーのご家庭だったんですが、お父さんが再婚されてから問題行動が目立つようになっちゃって。私たちもどこまで立ち入っていいのか……」


 役員さんのそんな困惑声が耳に入って、複雑な気持ちになる。家族関係に起因する寂しさ、満たされなさは、私も近いものを知っていた。

 周囲の気を引きたいがための粗暴な振る舞いならば、躾のなってない子だなんて安易に非難はできなかった。もちろん、だからといって友達や動物を苛めていいというわけではないけれど。


「まだお菓子もらってない子は?」


 日下くんはさっきの忍者くんに改めてお菓子の袋を渡してから、周囲を見渡した。はーいとあちこちで元気のよい返事が上がる。この切り替えの早さは子供ならでは。

 私の腕にとまったエリーは足下を気にしているようだった。穴が開いたブラウスの布に血が滲んでいる。ズキズキ痛むので、傷口の割には深く刺さってしまったのかもしれない。急に大人しくなってしまった黒い鳥は、心なしか気まずげな様子に見えた。


 小さな騒ぎはあったものの、SCのおもてなしはまずますの出来だったと思う。

 子供たちは満足げにお菓子を抱え、エリーにバイバイと手を振って次の家に向かう。

 彼らを見送ってから、日下くんはエリーの頭を軽く小突いた。


「このバカ鳥。ガキにイジられたくらいでカッカすんな。蓮村はすむら、腕大丈夫か?」

「うん、ちょっと引っ掻かれただけだから」

「消毒しておいた方がいいわね。いらっしゃい」


 環希さんがキャビネットから救急箱を出してきた。

 エリーは素っ気なく舞い上がり、王冠とマントを振るい落とすと、不機嫌そうに部屋の奥へ飛んで行ってしまった。

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