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羊飼いの休日  作者: 橘 塔子
第二話 ホーリーナイト・ラプソディ
5/21

 夜の公園はやはりイルミネーションで飾り付けられてはいたが、通りに比べると人が少なかった。

 私は額の汗を拭いながらエリアスを探す。コートのポケットに納めたUVIを構えたいところだったが、あれビジュアルが拳銃に似ているので、人目のある場所ではなるべく出したくない。


「エリアス! どこにいるの!?」


 私は鋭い声で呼びかけた。肩を寄せてスマホで自撮りをしていたカップルが、驚いたように振り返る。息を切らせて血相変えて外国人の名前を呼んでる女なんて、さぞかし不審だろう。


「エリ……」


 シュッ、と空気を切る音がした。反射的に身を屈めたのは、就職して九ヶ月で身についた勘だったのかもしれない。

 頭上ぎりぎりを何かが横切ったかと思うと、さっきのカップルが揃って跳ね飛ばされるのが見えた。黒い塊が物凄いスピードで通り過ぎて行ったのだ。

 私はポケットからUVIを引き抜き、構えた。自慢じゃないが一度だって的に当てたことがない。でも、何もせずに見逃すわけにはいかなかった。


「吸血鬼がいます! 皆さん離れて!」 


 大声で叫んでから、その塊を狙ってトリガーを引く。一回、二回――当たらない!

 三回目を照射する前に、そいつはぽーんと跳ねた。街灯の鉄柱を蹴って、ゴムボールみたいにこっちへ突進してくる。青白い顔とぎらぎらした赤い目、そして異様に長い二本の牙――雄体の吸血鬼だ。

 何度見てもやっぱり慣れない。怖い。私は萎えそうになる両足に力を込めて、トリガーを引いた。


 そいつの動きが止まった。右腿が火を噴いている。当たったのか?


「よけろ蓮村はすむら!」


 反対方向から駆けつけてきたのは日下くさかくんだった。作業用の上下に防刃ベストを着込んだ彼は、すでにUVIを構えている。どうやら当てたのは私ではなかったらしい。

 吸血鬼は日下くんと私を素早く見比べて――私の方に飛びかかってきやがった! 距離が近かったし、チョロいと判断したのだろう。


 後方にのけぞった私が尻餅をつくのと、空から何かが降下してくるのは同時だった。

 吸血鬼は体の向きを変え、それをかわした。さっきと同じく跳ね上がって逃れる。しかしそれはすでに奴の着地点に移動していた。

 砂袋を思い切りバットで殴りつけたような音がした。吸血鬼の体がくの字に折れ曲がり、水平に吹き飛んで近くのベンチに突っ込む。


「よくも邪魔してくれたな、クソ雑魚」


 黒づくめの衣服、白い髪、気味が悪いほど整った顔立ちの男は、私の不肖の相棒。獲物の腹に強烈な蹴りを食らわせたエリアスは、不機嫌この上ない声で罵った。たぶん今SCでいちばん怒っているのはこいつだ。ライトグリーンの瞳に血の色が浮かんでいる。


「ただで済むと思うなよ。頭の皮をむしり取ってやる」

「エリアス、やめ……」


 なさいと言おうとして、転んだ拍子にスカートが捲れ上がっていることに気づいた私は、慌てて裾を押さえた。やだ、タイツが破れてる!

 エリアスの歩を止めたのは日下くんだった。彼は凜々しい顔を険しくし、印象的な三白眼で睨み据えている。UVIの照射孔はエリアスの足下に向けられていた。不可視の光線を一発撃ち込んだのだろう。


「手ぇ出すな、トリ頭。後は俺がやる」

冬馬とうまおまえは……何度言わせる。向けるな! それを俺に!」

「うるせえ。獲物を食い殺すつもりなら、まずおまえを燃やす」


 ああもうこいつら……。


「やめ……」


 なさいという私の言葉は、またしても遮られた。無残に潰れたベンチを跳ね飛ばして、吸血鬼が起き上がったのだ。内臓をやられたのか口から血を吐き出し、両手両足も妙な方向にねじ曲がっているけれど、それでも逃げようとしている。

 日下くんが舌打ちする。反応はエリアスの方が早かった。

 彼は瞬きする間に奴の前方に回っていた。躊躇なく胸倉を引っ掴むのを見て、あやばい殺しちゃう、と思ったのだが――。


 エリアスは右腕一本でひょいとその吸血鬼の体を釣り上げた。死んだウサギでも持ち上げるような仕草である。奴は唸りながらもがいているが、エリアスの腕はびくともしない。

 すかさず日下くんが撃った。吸血鬼の左腿、右脛、右肩が順番に火を噴く。獣じみた絶叫に顔をしかめたものの、エリアスは一歩も動かず、そして日下くんの紫外線が彼を焼くこともなかった。


「そら」


 エリアスは四肢の動きを封じられた吸血鬼を地面に叩きつけた。

 走り寄った日下くんの手には細いロープ。化学繊維に銀を練り込んだ特注品だ。吸血鬼の頭を踏みつけて縛り上げる作業は手慣れたものだった。さっきの仲間割れ寸前が嘘のような、実に滑らかな捕獲完遂である。


 私は何だか気が抜けて、結局役に立たなかった自分のUVIをしまった。

 エリアスと日下くんのコンビネーションは未だによく分からない。罵倒の応酬はお互い本気なのだろうが、根っこのところでは信頼し合っているみたい。だからこそエリアスはUVIの射程範囲内に身を晒せるし、日下くんは確実に標的だけを狙えるのだ。


「終わったぞ。帰ってケーキを食おう」

「まだ後始末が……」


 日下くんは周囲を見渡して渋い顔になった。いつの間にか公園には大勢の野次馬が集まり、たくさんのスマホが私たちに向けられていた。時折フラッシュの小さな光が弾ける。

 私は急いでインカムに呼びかけた。


九十九里つくもりさん、捕獲完了しました。人が集まって来ちゃったので撤収急ぎます。搬送車回して下さい」

「了解。お疲れ様でした」


 ものの五分でやって来た警察が現場を整理し、搬送車が吸血鬼を詰め込んで去って行った。変な画像や動画がネットにアップされないことを祈るしかなかった。





「僕は警察署に寄ってから帰ります。悪いけど、二人は電車を使ってもらえますか?」


 機材を片付けた後、九十九里さんはそう言って社用車のミニバンに乗り込んだ。


「俺も一緒に行くよ」

「日下くんは実働で疲れてるだろう。早くオフィスでシャワーでも浴びるといいよ。じゃあ蓮村さん、また後で」


 九十九里さんはいつもと同じ穏やかな笑顔を見せて、車を発進させた。

 事前申請なしの急な業務だったから、取り急ぎの報告が必要なのだろう。明日から仕事納めまで、私も事務作業で忙しくなりそうだ。


「俺も先に帰る。腹が減った」


 エリアスもまた素っ気なく言って、その姿を夜の鳥に変えた。まだ近くに人がいるのに! 私が慌ててもお構いなしだ。

 悠々と飛び去っていくミミズクを見送っていると、


「しゃあねーな……行くぞ」


 日下くんはくるりと身を翻し、公園の出口へ向かっていく。防刃ベストを脱いで、その上にベンチコートを羽織った格好だから寒くはないだろう。

 私は破れたタイツを気にしながら、ダウンコートの前を合わせた。あーあ、髪がくしゃくしゃだ……。

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