絹と勇太、そして愉快な仲間たち
窓際のテーブル席で、ドリンクバーのコーヒーを前に、俺たちはしかめっ面を突き合わせていた。
正確には俺たちのうちの三人が、だ。唯一エリアスだけは、季節限定パイナップルパフェを一心不乱に食っている。
あー、何つーか……凄絶な美青年がファミレスでパフェ食ってる絵っての、なかなかにシュールだ。しかも怜二と互角にタイマン張れるヴァンピールときた。
ちなみに、深く食い破られたはずのエリアスの喉元には、今や擦り傷ひとつ残っていない。怜二も同じで、削り取られた肩の肉はすでに回復していた。ただシャツだけは如何ともしがたく、怜二はざっくり破れた袖を気にしている。
店内に客の姿はまばらだった。店の外はまだうっすらと霧がかかっているが、自分がどこにいるのか俺はもう把握していた。何のことはない、怜二と食事をしたレストランのすぐ近くである。
絹さんに訊くと、彼女もこの場所を知っているという。このファミレスに入ったことはないものの、土地勘はあるとのこと。ようやく話が噛み合って俺はほっとしたのだが、話をすればするほど、俺たちの認識の差違が明らかになった。
「つまり……蓮村さんたちの世界では吸血鬼――と呼ばれる生き物が害獣認定されているということですね? あなたやこちらの男は、それを狩る専門職だと」
怜二は黒く戻った髪を掻き上げながら、簡潔に話を纏めた。すでに『世界』をいう単語を使っている。絹さんの生きる社会は、俺たちのそれと同一世界にあるとはとても思えなかったのだ。
吸血鬼に血を吸われた人間は催眠症と呼ばれる意識障害に陥る。その治療薬を作るために、加害個体を迅速に捕獲するのが彼女らの仕事。エリアスはかなり高位の吸血鬼にもかかわらず、事情があって今は絹さんの舎弟なんだって。
それ以外の社会システムや時代感覚はまったく同じなのに、そこだけ違っているのがとても奇妙だった。何だっけあれ、平行世界? ってやつかも。
「事故的なものかな……一瞬道が繋がって、私たちが接触してしまったとか」
「あの霧が原因? そんな非現実的な……」
「そうでもないわ、勇太くん。こっちの吸血鬼は別の世界からやって来るのよ。平行世界のひとつとも考えられてる」
「ここで正解を推測しても、証明できなければ意味がない。要は、もとの世界に帰れればいんだよ。幸い霧が晴れてきたからきっと……ってもう、気が散るなあ!」
怜二は向かいの席でパフェを食うエリアスに苛ついて、バンとテーブルを叩いた。
「よくそんな暢気に食べられるよね! 君たちの種族には緊張感ってものがないのかい」
「俺はエネルギー代謝が活発なんでね、糖分摂取が必須なんだ。何せ血を吸わないからな――どっかの若作りジジイと違って」
「黙れトリ頭。ああもう……ウエハースは途中で食べるんだよ。アイスをそんなに急いで食べると……ほら見たことか、頭がキーンとしただろ? 下の方のゼリーの味が台無しじゃないか」
「……おまえも食いたきゃ頼めば?」
キーンときたらしい眉間を摘まみながら、エリアスは面倒くさそうに言った。
……どうにもこの男を憎めなくなってきたぞ。行動は過激だし空気は読めないしデリカシーは皆無だが、陰険な奴ではなさそう。変身能力といい、動物っぽい。またミミズクに化けてくれねえかな。
顔に期待が出ちまったのだろうか、怜二に睨まれて、俺は慌ててコーヒーを啜った。
絹さんは黒い瞳に好奇心を浮かべて、頬杖をついた。
「訊いていい? 勇太くんと怜二くんって……恋人同士なの?」
「そうです」
間髪を入れず、怜二が答える。珍しく前のめりな口調だった。
「あなたの世界の常識ではおかしいでしょうが」
「ええ……まあね。正直、驚いてる。でも、あなたたちお似合いに見えるわよ」
フォローはしてもらえたが、絹さんの戸惑いはもっともだと思う。
話を聞くに、彼女の世界では吸血鬼に人格を認めていない。人間を襲う凶暴な生物、いわばヒグマみたいなもん。ヒグマと付き合ってるんです、なんて真顔で言われたら俺だって正気を疑う。
「この変態、傍に寄んな。マニアックが伝染る」
口の悪いエリアスが、わざとらしく窓際に身を寄せた。絹さんはぺしっと彼の白い頭をはたいた。
「やめなさいってば。怜二くん昔は人間だったんだって。あんたとは精神構造が違うの」
「DNAレベルで肉体の組成が変わるなんて気味が悪い。おまえらそのことに対して何の疑問も持たないのか」
「霧になったり鳥になったりできる奴に言われたくないよ。ハゲろ」
「おまえこそハゲろ。ハゲ散らかってろ」
おまえら小学生かよ。
俺は咳払いをして身を乗り出し、逆に尋ねてみた。
「絹さんの方はどうなんですか? すごく息ぴったりだったけど」
絹さんとエリアスは同時にしょっぱい顔になる。本当は好き同士なのに素直になれない二人……という感じではなさそうだ。本気で嫌がってる。相手ヒグマだもんな。
「絹は俺の鎖を握ってる。不本意だが一蓮托生だ」
パフェを平らげたエリアスは、ふうと息をついて背凭れに凭れた。
「だから俺は、こいつを守ることにした。何十年か後にこいつの寿命が尽きて、解放される日までな」
ぎょっとするような物言いだったが、エリアスに悪意はなさそうだった。絹さんは無言で肩を竦める。
うわあ……一生傍にいると言ってるようなもんじゃないか。意味的にはロマンティックなプロポーズと同じなのに、まったく色気がないのはどうしてだ。
でもちょっといいな、こういう恋愛感情抜きの絆。痴情に左右されないぶん、長続きするのかもしれない。
「ああなるほど、飼い主ね」
怜二が嫌味たっぷりなセリフを吐きやがって、その後数分間、エリアスとの罵倒の応酬が続いたのだった。
エリアスと怜二は面白いくらい反りが合わないようだが、これだけ会話が続くってことは、根っこの部分では共鳴しているのかもしれない。エリアス、本当に気に食わない相手はガン無視するものね。あとミミズクになって髪を毟るとか。
怜二と勇太くんの話は衝撃的だった。
吸血鬼が表向きは架空の生物になっている世界。人間社会に根を張って暗躍する吸血鬼の組織や人狼の群れ、そして何よりも人間から吸血鬼への変容――想像できない。彼らの世界の吸血鬼は、こちらよりもより強い感染力を持っているのかもしれない。そんなおっそろしい生き物がこっちにいなくて本当によかった。
そういう事情なら、怜二が勘違いして私を襲ったのも仕方がない。不幸な出会いだったと思って水に流そう。
「あの、蓮村さん、誤解とはいえ乱暴な真似をしてすみませんでした」
私の気持ちを見透かしたように、怜二は改めて謝罪した。
「謝らないで。先に撃ったのは私の方だし」
「あの判断の早さには感服しました。さすがはプロだ」
「いえ、私はオフィスワークが本業なの。上司や同僚はもっと強いわ。そうそう!」
私はハッと気づいて、エリアスの腕を掴んだ。
「あんたも謝んなさい。勇太くんにセクハラしたんでしょ?」
「してない。ちょっと匂い嗅いだだけだ」
「それを世間ではセクハラと言うの!」
「あいつだって俺の体を触りまくったじゃないか!」
「あー、いいっすいいっす、実害なかったんで」
勇太くんは人の好い笑顔で遠慮するが、怜二の方は険のある眼差しをエリアスに向けている。今にも襲いかかって頭から囓りそうだ。申し訳ないけれど、この子相当に執念深そう。ここでケジメつけとかないと一生恨まれる気がする。
結局私は、羽根を毟ってチキン南蛮にするわよと脅し上げて、何とかエリアスに詫びを入れさせた。
「あ……霧が晴れてきた」
勇太くんが窓の外を見て明るく言った。
白い紗幕に隔てられていた街の風景が、ずいぶん鮮明になってきた。看板の電飾やお店の灯りや交差点の信号機や、忙しなく行き交う通行人――そんなごく普通の夜の街が、今はひどく安らかなものに見えた。
スマホを確認すると、電波が戻ってきている。私は心から安心した。
「今のうちに帰ろう。それぞれ元の世界に戻れるはずだ」
怜二は伝票を取って席を立つ。自分とエリアスの分は私が、と言おうとしたら、勇太くんが下手くそなウィンクとともに首を振った。
「言ったでしょ。あいつ大金持ちなんです。迷惑かけたお詫びに、ここはいいかっこさせてやってください」
中身は千歳オーバーの吸血鬼と分かってはいても、見た目十代の少年に奢らせるなんて社会人としては恐縮してしまう。
いちばん食っているエリアスは、厚かましくも平然と立ち上がった。こいつには一般常識の再教育が必要だな。
「今度また会ったらご馳走するわ」
会計を済ませた怜二に、お礼を言ってからそう告げる。
「ご縁があったら」
と、怜二は魅惑の微笑みを浮かべ、
「今度はメシ食いに行きましょう!」
と、勇太くんは私の手を握った。男の子らしい、力強くてあったかい手だった。
こうして、私たち四人の不思議な夜は終わりを告げる。
釈然としない思いは残ったが、何もかも解明するのは無駄に思えた。それよりも、おかしな出会いをしたこの二人との別れを名残惜しく感じている。
ファミレスの自動ドアを出ようとした時――外から新たなお客さんが入って来た。
「あれ?」
「お?」
私たちは同時に声を上げた。
それは日下くんだったのだ。彼もまた霧に連れ去られたのか、捕獲作業中の服装のままだ。
彼と一緒に入って来たのは、初めて見る男の人。勇太くんと同年代だろうが、背が高くて胸板が厚くて、体がひと回り大きい。彫りの深い精悍な顔立ちに、無造作な茶髪がよく似合っていた。
その人を見て、勇太くんと怜二が私と同じような反応を示す。なるほど、彼は……。
日下くんは驚きと安堵の混じった表情になった。
「蓮村! エリアスまで、何でここに?」
「勇太と怜二じゃねえか。今夜デートだとか言ってなかったっけ? あ、こいつは冬馬ってんだ」
ワイルドイケメンの方は、気安げに日下くんの肩を叩いた。
「いきなり霧に巻かれてよ、鼻も利かねえし参ったぜ。そしたらこいつに出食わして」
「ちょっと揉めたけど、何か誤解があったみたいだ。すごいんだぜ、凌牙は違う世界の人間で、しかもオオカミ男……ってあれ、みんな知り合い?」
日下くんは私たちを見回した。祭りの後のような空気を感じ取ったらしい。
「ああ、うん、知ってる……」
「おまえ遅れてるぞ、冬馬」
「さっさと帰るよ、おバカわんこ」
「お疲れー」
私たちは連れ立ってぞろぞろと店を出た。これ以上滞留していたら、九十九里さんや環希さんまでやって来そうだ。ますますややこしくなっちゃう。
外に出て空を見上げたら、街の灯りに照らされた明るい空に、辛うじて星が瞬いていた。
「じゃあ、ね」
「うん、また」
私たちは手を振り合って、それぞれの帰路に着いた。日下くんは首を捻りながら、エリアスは何の未練もなさげに大股で、私は――。
少し進んで振り返る。異世界の住人たちは、賑やかに去っていくところだった。怜二は勇太くんの肩に腕を回し、凌牙くんがそれに文句をつけている様子。人間と吸血鬼と人狼と――種族は違えど、何て楽しそうな後ろ姿だろう。さっき話を聞いた印象とはずいぶん違う。
何かひとつ歴史が、あるいは環境が違えば、私たちの世界もああなれたのかもしれない――。
再び霧が出てきた。
白い、生き物のような水の粒子は、すべてを曖昧に不明瞭に包み込み、私たちを静かに隔てた。
「ミスティ・カルテット」完
キャラクターの使用をご快諾くださったつづれ しういち様に心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。