四
片山さん親子がSCを訪れたのは、ハロウィンの翌週の金曜日だった。
お父さんは仕事を早退してきたのだろうか、ネクタイを締めたスーツ姿で、息子の隆太くんは学校帰りらしくランドセルを背負っていた。
「息子から聞きました。こちらで乱暴を働いたそうで……本当に申し訳ありませんでした」
役員室のソファに腰掛ける前に、片山さんは深々と頭を垂れた。傍らで隆太くんも神妙に頭を下げる。
「鳥をいじめてごめんなさい……!」
一週間前の悪童ぶりが嘘のようだ。その理由を、私はたぶん知っている。
役員室にお茶を運んできた私は、デスク脇のポールに止まったエリーをちらりと見やった。黒いミミズクは客人の来訪になど無関心に目を閉じている。
片山さんはそちらに目をやって、あれが件の鳥だと気づいたはずだが、コメントはしなかった。隆太くんはといえば、子供らしい無遠慮さでまじまじと眺めている。
無理もない。エリーの首にはカードが吊されている。
そしてそこには、マジックで書かれた「ぼくはわるいみみずくです。ごめんなさい。」という謝罪文。
あの夜、人型に戻ったエリアスがこっぴどい仕返しをしに行ったことを、私は幸いにも察知することができた。何とか思い止まらせて、戻ってきた奴に懇々と説教したのは言うまでもない。
小学生相手に大人げないと思わないの、こっちで暮らす以上こっちの常識は守りなさい、と説いて聞かせたが、
「別に本気で殺すつもりはなかった。海に落ちる前に掬い上げられた」
なんてしゃあしゃあと嘯くものだから、罰を与えざるを得なかった。それで、この反省カードを一週間ほど首に吊しておくことにしたのだ。
環希さんは可愛いと言って目を輝かせ、日下くんは爆笑して写真を撮りまくり、出張から帰った九十九里さんは次にやったら銀の首輪をつけるよと冷ややかに脅した。
「どうぞお気になさらずに。彼に怪我もなかったですし、ご本人に謝ってもらえたら十分です」
環希さんは愛想良く微笑んだ。エリアスがあんなことをやらかして、謝罪すべきはむしろこっちの方なのだが、この人も結構面の皮が厚い。
九十九里さんとそう年齢が変わらないように見える片山さんは、勧められてようやく着座した。これ皆さんで、と菓子折を差し出してから、
「ご厚意で地域のイベントに協力して頂いたのに、親としてお恥ずかしい限りです。本当はもっと早くお詫びに伺うべきたっだのですが、妻が体調を崩して入院してしまって」
「まあ……奥様は大丈夫ですか?」
「私の留守中に切迫流産を起こしまして……いえ、手当が早かったので母子ともに無事です。明日には退院できます」
彼はお茶を出した私に軽く会釈をした。礼儀正しい、真面目そうな人だ。シングルファザー歴が長いと聞くけれど、きっときっちり子育てしてきたんだろうなあと想像できる。
隣でオレンジジュースに口をつける隆太くんを眺めて、
「塾から帰ったこいつが倒れている妻を発見しましてね、すぐに119番通報して救急車を呼んだんです。救急隊員の方に妊娠していることをちゃんと説明して、その後に私の携帯に連絡してきて……医師の話では、搬送があと三十分遅ければ危なかったそうです。こいつに助けられました」
と、その髪を掻き回すように撫でる。
私は驚いた。きっとそれはあのハロウィンの夜だろう。私に見えていたのはエリアスがドアをぶち破ったところまでだった。本人に暴挙の理由を尋ねても、緊急事態だったとしか答えない。
隆太くんはその後単身で奮闘したのか。賭けてもいいけれど、エリアスはそこまで手を貸すような奴じゃないから。
小学四年生の男の子が、新しいお母さんと小さな命を助けるために必死に考え、勇敢に闘う姿が目に浮かんで、私は胸が詰まった。
よかった、この子の家族が生きていて。たとえ今はぎこちない関係だとしても、こんな形で壊れてしまったら、きっとこの子の一生の傷になったはずだ。打ち解ける機会も喧嘩する機会も、永久に奪われてしまうのだから。
「怖かったでしょうに、偉かったねえ」
私は思わずそう言うと、隆太くんは照れ臭げに口を歪め、片山さんは相好を崩した。
「子供だとばかり思っていたのに、いつの間にかしっかり成長していて、驚かされました、お恥ずかしながら今の妻とは再婚なんですが、隆太にはずいぶん寂しい思いをさせてしまって……この子が粗暴な振る舞いをしたのは私の責任なんです」
彼はもう一度頭を下げた。
「この機会にとことん話をしました。その中で、こちらでの出来事も話してくれまして」
「そうでしたか。ご家庭の事情は様々でしょうけれど、話を聞いてくれる人がいるのは心強いことですものね」
環希さんはしみじみと呟いた。彼女自身かなり特別な家庭で育ってきた人だから、思うところはあるのだろう。
隆太くんが、くいっと私の袖を引っ張った。
「あのこれ……鳥さんに」
サブバッグの中から出てきたのは、ポテトチップの小袋。片山さんが首を傾げた。
「隆太、ここの鳥はそんなもの食べないだろ。父ちゃんもよく知らないけど、猛禽類は肉しか食べないんじゃないのか? ねえ?」
最後の「ねえ」は私に向けたもの。私はちょっと迷ったが、
「本人に訊いてみて。こっちいらっしゃい」
と、隆太くんをポールの傍に連れて行った。
間抜けなカードを提げたエリーが、面倒臭そうに目を開ける。薄緑色の瞳が、実に傲岸な様子で人間の子供を見下ろした。隆太くんがびくっと身を竦ませるのが分かった。
「こ、これ、こないだのお詫び」
おずおずとポテチが差し出されると、エリーはバサッと翼を広げた。そのまま滑らかに滑降して、アルミ袋を掴む。どうやらお気に召したようだ。
部屋の天井を一周した後、私の肩に舞い降りてホホウと鳴く。ポテチは離そうとしなかった。
隆太くんはようやく笑顔になった。私もほっとして笑った。
「これで仲直りね」
私が肩を突っつくと、隆太くんは背伸びをして私の耳元に顔を寄せた。
「お姉さんも、助けてくれてありがとう」
小さい声で、そう囁かれた。
「あんたも結構いいとこあるのね」
日が暮れて人型に戻ったエリアスは、ベランダの手摺りに腰掛けてポテトチップを摘まんでいた。私がそう褒めると、フンと鼻を鳴らす。
「あのガキの家がややこしいことになったら、どうせ俺の責任にされるからな」
「ま、あんたがあの子にちょっかい出さなければ、帰りが遅くなることもなかったんだもんね」
「あいつ、継母を嫌っていたはずなのに、何で助けたりしたんだ?」
俺なら迷わず見殺しにする、と呟くエリアスに、私は溜息をついた。
「嫌いでも何でも、目の前で苦しんでいる人がいたら助けるでしょ? 助けるのよ、私たちは」
おそらくエリアスは、本当の意味で理解しないだろうと思う。彼は人間とは異なる法のもとに生きている存在だ。どちらが良い悪いではなく、シンプルに概念が違う。
けれど、最近少しだけ感じている。
理解はできなくても、彼はそのように動けるようになってきたんじゃないだろうか。それが学習なのか適応なのかは分からないけれど。
人間の子供を許したように。家族を助けるチャンスを与えたように。
そこに心とやらが籠もっているかどうかなんて、大した問題ではない気がするのだ。
「憎んだり、頼ったり、助けようとしたり……人間同士はよく分からん」
エリアスの溜息は私よりも大きかったが、決して軽蔑しているふうではなかった。
ちょっと困ったような横顔を眺めて、私は、そろそろあのカードを外してやろうと思った。
「トリックスターズ・ララバイ」完