運命の逆召喚 6話
「……戻って来たのか。俺は」
視界に映るのは見覚えのある天井。ベッドの少し硬い手触りを確認しながら、有斗は自分が自室に戻って来た事を実感する。
相変わらず部屋は暗いままだが、不思議と落ち着く独特の匂いは間違いなく自分の部屋である事を主張していた。
先ほどまで有斗が居た、森林の香りを微塵も感じさせないくらいの日常の匂いだ。……その匂いを感じ取った有斗の体は、本能の命ずるままにその活動を止めていく。
次第に意識もぼんやりとして、手や足も思い通りには動かなくなる。……やがて、重くなった瞼に耐えきれず、有斗は瞳を閉じた。
数分前の激闘を忘れるように。
「……。気をつけて。これまでの戦いとは何もかもが違うのだから」
目の前の赤毛の少女はそう呟くと、振り返り、簡素な小屋のドアへと歩いていく。
懐かしい声だった。
これまでに何度も聞いたような懐かしい声色。
その声に見送られて世界へと向かう。
見渡せば、そこはのどかな田舎の風景。
川はゆるりと流れていき、小鳥がさえずる山の麓のような。
しかし……空は暗く、今にも雷雨が世界を脅かそうとしている。荒んだ風と、乾ききった地面からは、生命の息吹があるようには到底思えない。
希望をどこかに置いて来たような、暗いどんよりとした空気が世界中を包み込んでいる。
それでも……進まなくてはいけない。
だからこそ……ここまで来た。
最後の目的へと、歩き出す。
それが、大切なものを守る唯一の方法だから。
翌朝、ジリリリリリリリ!!!
という目覚ましの音で有斗は目を覚ます。
目をうっすらと開けながら確認した、時計の時刻は朝の11時。予定していた補習の約1時間前だ。
ベッドから降りた有斗は、自分の格好を見て絶句する。
それもそのはず。今まで寝ていたはずなのに、来ている服は汚れだらけの学校の制服だったのだ。昨日帰った時……そのままベッドに倒れ込んだのを思い出した有斗は、同時に首からぶら下げている鍵の事についても思い出した。
「夢じゃ……ないのか」
吹き飛ばされた痛みや、殴った手の感触は今でも残っている。
おまけに土の汚れまで服についているとなれば、昨日の夜の事を現実と認めざるを得ない。
(いや……今はそれよりも、服をどうするか。今から洗濯したんじゃ到底間に合わないし……そうだ、孝俊!)
有斗は逡巡した末に、補習組ではない友人の事を思い出す。
(どーせ制服なんて着てないだろうし、1日くらいなら貸してくれるかもしれない)
テーブルの上で充電器に突き刺さっている携帯端末を引き抜くと、素早く画面を操作して、すぐさま孝俊の番号をコールする。
…………しかし、幸運の神様は有斗の状況などつゆ知らず。
都合が悪いのか、ただ単に寝ているのか……孝俊が電話に出ることはなかった。しかも電源が切れているとの音声を聞き、有斗は洗面台に倒れ伏した。
「滅多に電源切らねえのにアイツ……そういえば!」
頼みの綱の孝俊にさえ見放された有斗だったが、突然に何かを思い出したように、部屋に積み上げられているダンボールの類を漁りだした。
そして数分……お目当てのものを見つけた有斗は、上機嫌でシャワーを浴びて、探し当てた服へと袖を通す。
「……ま、着れない事はねえし。大丈夫だろ、これで」
有斗が見つけたのは、両親に送られてから一度しか来たことのない正装。……ようするに、なんちゃって制服で誤魔化そう。という魂胆だった。
何かの式典の日、あるいは真冬の極寒の中ならすぐにバレてしまうかもしれないが、白いシャツにスラックスなんて、一々注意深く見るような人間はいない。
しかも今は夏休み。補習の時間にそんな事を気にする人間なんて居ないだろう。
髪を乾かし、身なりを整えた有斗が時計を見ると、補習に出かけるのにはちょっと遅い時間。
慌てて必要なものをカバンに放り込み、忙しなく部屋を出る有斗だった。
「……はい、今日はここまでだ」
午後からとはいえ、有斗にとって授業というのを聞いているのは限りなく退屈。
3時間の退屈な時間を、真面目なふりをしてどうにかやり過ごした有斗だったが……これからの予定を思い出して頭が痛くなる。
(パトロールなんてロクな思い出がねえ……)
有斗は教師とこれまでに4回パトロールをしているが、決まってその教師は厄介なトラブルを引き当てる。……公務員としてなら優秀な嗅覚なのかもしれないが、付き合わされる有斗からすれば、面倒な事この上ない。
一度目は不良グループの抗争を喧嘩両成敗という形で終わらせた。
二度目は暴走した魔術兵器を1つ残らず撃破し、軍へ改善点まで送りつけた。
三度目は都市伝説と実際に遭遇し、捕獲。魔術都市本部へとその身柄を引き渡し、その金で焼肉の食べ放題で豪遊。もちろん有斗は喜んでついていった。
四度目はなんと未確認飛行物体を発見し、迎撃。逃げられてしまったものの、都市への直接的な被害を食い止めたとして勲章まで貰ってしまう始末である。
一体今度は何に巻き込まれるのか。
「天境、いるか?」
トラブルの元が、ガラガラと扉を開けて教室へと入ってくる。
「……いますけど」
「よかった。もしかしたらパトロールの件を忘れて帰ってしまったかと思ったよ。危うく留年の査定をしなければならない所だった」
静かな口調で恐ろしい事をいう教師だった。
「冗談でもやめてください、シャレになってませんって。……それで、今回は何をするんですか? 小梅先生」
朱巻 小梅は、しかめっ面をして口を開く。
「名前で呼ぶなと言っているだろう。ま、やる事はいつもと変わらないパトロールだ」
「それで毎回毎回新しい厄介ごとに巻き込まれてるんですけどね」
「やかましい。……全く、その減らず口を少しでも成績に活かせれば、補習など受けなくてもいいものを」
「それが出来れば今頃俺はここに居ませんよ……」
嫌々立ち上がり、有斗達は気だるげに教室を後にする。
「……小梅先生……これって」
有斗が小梅に連れてこられたのは、第8学区。主に高い偏差値の高校や、その付属施設。そして、第6学区から続く大きな商店街がある事で有名だった。
それだけならパトロールの必要がないようにも聞こえるが……この日に限っては、人の出入りが極端に多く、悪事が人々の目にも留まりにくい。
……要するに商店街の夏祭りである。花火こそないものの、3つの学区に跨る巨大商店街全体が総出でやっている夏祭りとなれば、立ち寄る学生の数も相当数になるだろう。
「ああ。お察しの通りだ」
腕組みをして、商店街の人混みを突き進む小梅と、その後を見失わないようについていく有斗。
側から見れば年の離れた兄妹だ。……到底、教師が生徒を引きずっているようには見えない。
「いや、無理がある……」
有斗達のいる巨大商店街は、縦の通りと呼ばれるメインストリートと横の通りと呼ばれるメインストリートが交差している。更に、そこから枝分かれするように、大小様々な路地まであるのだ。
おまけにこの人通りである。有斗はさっきから、背の低い小梅を見失わないように割と必死だった。……それほどに視界が悪いのである。
「だろうな、そう思って救援を呼んであるから心配するな」
「救援……?」
「うむ。この先の中央部分で待ち合わせをしている。……ほら、見えて来たぞ」
小梅が指差す先には、見覚えのある制服を着た2人の少女。
そのうちの1人……遠目からでもはっきりとわかるふんわりとした赤毛は、見間違えようもない例の中学生のものだ。
小梅は2人に手を振って近づいていく。
それに気づいた赤毛の少女は、後ろの有斗を見るや否や、苦虫を潰したような顔をするのだった。
「碧李! 纏衣! 待たせたな」
小梅はそんな纏衣の表情を見て、首を傾げる。
「……どうした?」
「なんでアンタがここにいんのよ! 有斗!」
纏衣は小梅の問いかけに応えることはなく、後ろでぐーたら歩いていた有斗へと突っかかってきた。
それに有斗は、目を逸らしながら答える。
「補習だ」
「は?」
「特別補習だ」
「嘘」
「嘘じゃねえ……」
纏衣に通り過ぎられた小梅は、待っていたもう1人。碧李へと話しかけた。
「有斗と纏衣は知り合いなのか?」
碧李は澄ました顔を崩さぬまま、少し困ったように説明をする。
「ええ、まあ。因縁というか、赤い糸というか」
「なんだそれは……」
今にも取っ組み合いの喧嘩に発展しそうな2人を、呆れた目で見つめる小梅だった。