運命の逆召喚 5話
メイスを振りかぶった少女の姿を見て、有斗は咄嗟に森林の中を駆け出す。
葉や枝が自分の体にぶつかるが、気にしている暇などない。もっと恐ろしいものが迫っているのだから。
不可視の魔術は連射は不可能……という事を身を以て知った有斗は、草木が入り乱れる森林を、姿勢を低くして少女の方向へ走った。
遠距離戦をするなら確実に有斗が不利だ。お互いに攻撃手段が存在しないならまだしも、相手だけに攻撃手段が存在する状況など理不尽以外の何者でもない。
ここで更に距離を取るなど愚の骨頂。有利不利の差を広げるだけだ。ならば、多少のリスクを伴っても近接戦闘に持ち込むべき。
走り出した有斗を確認し、少女は狙いを付けてメイスを振り下ろす。
もちろん打撃攻撃が目的ではない。恐れるべきはその先端から放たれる魔術。
「避けられるかッ!」
少女はメイスを振るい、魔術を行使した。どこから飛んでくるのか……上を見ていた有斗は突如、正面から壁と激突したように弾かれる。
それは今までの攻撃方法とは全く異なるもの。……つまり不意打ちに等しい。
「ッ!?」
そんな攻撃を有斗は避けられるはずもなく、無様な姿を見せて地面へと倒れ込んだ。
しかし、前を見てもそんな障害物など見当たらない。目の前には透明な空間と多少の草木。間違っても有斗の走りを妨げるような物体は存在しない。
「逃がさないわよ。……もう諦めたら?」
ふんわりと風に乗るようにして地面に降りてきた少女は、地面に這いつくばったままの有斗を見下したようにメイスを地面に立てる。
その目は相変わらず冷ややかで傲慢だ。自分の勝ちを確信していて、有斗を虫ケラと同列にしか捉えていない。
ロールプレイングゲームの、ちょっと体力の多い雑魚を見るプレイヤーのようだ。なんで早く倒れないのか。そういった意思がひしひしと伝わって来ていた。
……だが、有斗はまだ諦めてはいない。むしろ、希望が見えて来た。
状況は絶望的。力量差は明らかで、もう目の前に敵が迫ってきている。それでも、有斗は前を向く事をやめない。
「……諦めねえさ。諦めなきゃあ、いつかきっと何とかなる」
「そんな根拠のない自信で勝てると思ったのかしら? 見ていて哀れだわ」
「試してみるか?」
そう、呟いた瞬間だった。
有斗は伏せていた体を勢いよく起こし、拳を振りかぶって少女へと駆け出す。
「悪あがきを!」
しかし少女は油断していなかった。いつでもメイスを振れる状態にしておいた少女は、軽くメイスを振るって魔術を行使する。
有斗にとって、それは最大の試練。
……少女にとっては、それは本当に悪あがきにしか思えなかったのだろう。無謀に突っ込んでくる有斗を睨みつけて、小さく舌打ちをする。
だが、そこに付け入る隙が生まれた。
一寸の虫にも五分の魂。有斗の魂は決して少女に劣るものではない。
少女がメイスを振り下ろした瞬間、有斗は全身の力を抜いて……足を止めた。
「!?」
そして一秒待ち、再び有斗は掌底を繰り出す。相手を吹き飛ばす事が目的の、力を溜めてしっかり狙った会心の一撃だ。
少女は戸惑ったまま、回避もままならずに吹き飛ばされる。先ほどとは違い全力で放った有斗の掌底は、少女を数メートル離れた木に激突させた。
それは少女にとって予想外の行動だった。結果として攻撃は当たったが、有斗の行動は少女にとって余りにも不可解だ。
敵の眼前で動きを止めるなど、愚かという他にない。
「……アンタの魔術はもう見切った」
有斗は少女の方向へと、歩きながらゆっくり口を開く。
「考えてみればおかしいことなんだよな。魔術が見えないなんてことは。……術式を通した魔術を感知出来なきゃそもそも魔術、魔力を扱うことすら出来ねえ。俺は落ちこぼれだけど、そんくらいの才能はある。
……だけどよ、アンタの魔術は見えなかった。アンタがそのメイスを振るってから魔術が俺の腹に直撃するまで、俺には何も見えなかったんだ。でもそれは有り得ない。属性の法則に反しているんだ」
現代日本で提唱され、研究されている魔術法則の中でも最も有名な魔術法則。それが属性の法則だった。
通常、術式を通した魔術は1つの属性しか獲得できない。炎や水といった元素のような属性から、瞬間移動や念動力といたエスパー的な属性。はたまた破壊や創造といった概念的な属性も存在するが、その全てに共通して制限がある。
それが属性の法則。1つの魔術には1つの属性しか宿らないというのは今時小学生でも知っている事だった。
「メイスを再び動かす力と、不可視の属性、そして俺を足止めした力。……アンタの魔術はこの3つが共存している。って事は、自ずと答えが出てくるよな? 障壁の魔術師さんよ?」
有斗は少女の数メートル手前で立ち止まる。
「最初は、勢いが無くなったメイスを障壁で反射させた。俺にメイスを振るった時は、直接俺の腹に障壁を出現させたんだ。そりゃ見えねえはずだ。そしてついさっき、俺の事を足止めしようとしたんだろうが……そのおかげで魔術を見破れたぜ」
少女は自分の勝利を確実なものにしようとするあまり、自分の力を見せすぎたのだ。
「……だから、どうしたってのよ」
少女は座った状態のまま有斗を見上げる。
「私の魔術がバレたところで優位は変わらない。アンタに障壁を防ぐ手段は無いわ」
そう言い放って、少女は三度メイスを構え立ち上がる。
少女の言ったことは事実だった。有斗も精霊と契約したとはいえ、吹き飛ばされた時のような衝撃は防げない。明らかに戦力の差が存在する。
魔術の看破を成し遂げても、未だ絶大な差が有るのだ。
……だが、有斗はそんな事は気にしていなかった。否、戦力差なんて気にする必要はなかったのだ。
「そうかもな。でも防ぐ必要なんて無いさ」
「は?」
少女が間抜けな声を上げた瞬間、有斗は一気に少女の懐へと踏み込む。
右手に握った拳は、鮮やかな曲線を描いて少女の腹部へと迫った。……が、少女はその時点で既にメイスを振り下ろしている。
これで四度目の障壁の発動。少女は自分のすぐ前、有斗の拳が描くアーチを妨げるようにして障壁を配置する。
障壁の魔術は効果範囲こそ狭いものの、その強度は格別だ。それこそ戦車の砲撃にだって耐えられる強度がある。
まともに破壊しようとするなら、魔人……深淵に半身を突っ込んだ常識外れの魔術師が必要だろう。到底
有斗には破壊できる代物では無い。
ならばどうするか。考え続けた有斗は、障壁の魔術の致命的な弱点を見抜いていた。
有斗は少女がメイスを振り下ろしたのを確認すると、右手の動きを止めて右足で前蹴りを放つ。障壁の存在する空間を避けたその蹴りは、少女の腹部に深々と突き刺さった。
「ぐっ!? がぁっ!」
「障壁の魔術が連続で使えないのはわかってんだ。後出し出来るバリア……なんてチートもいいところだけどよ」
「近接戦でフェイントをかけ続けられたら、俺の方が有利だよな!」
障壁の魔術の致命的な弱点は、フェイント。
その絶大な強度と引き換えに、連続発動出来ないという弱点を抱えているのだった。
それでも、対魔術師ならそれは厄介な能力だろう。遠距離からの攻撃を主とした魔術師を相手に取るなら、後出しのバリアというのは絶対的なアドバンテージ。
だが、それは有斗には通用しない。いくら障壁が強かった所で、攻撃魔術を使わない有斗は接近し、殴る蹴るの徒手空拳がメインウェポンだ。連続発動出来ない障壁なんて空振りさせてしまえばそれで終わり。再発動の機会なんて与えられない。
喧嘩慣れした男子高校生と対魔術師の魔術を使う少女では、まともな喧嘩など出来るはずもないのだ。
有斗がゴロゴロと転がっていった少女を見ると、異形の姿はどこへやら。いつの間にか、出会った時の人間の姿へと戻っていた。
メイスを支えにしてよろよろと立ち上がった少女は、顔を上げるのもやっとといった様子だ。逆召喚師の反動なのか……あるいは別の因果なのか。
なんにせよ、戦闘続行出来るといった風ではなかった。
「……もうやめにしようぜ。抵抗の出来ない年下の女の子を殴る蹴る……っていうのは俺の趣味じゃねえし」
「はあ? ……勝者の情けなんてやめてくれるかしら。虫唾が走るわ」
少女の態度はあくまで生意気。自分が不利な状況だとわかってはいても、強気な態度だけは崩れない。
「ちげーよ。そもそも俺は戦いがしたい訳じゃない。ここから帰りたかっただけなんだって」
有斗はふーっとため息をついて、少女を諭すように待ったをかける。
「……鍵」
「え?」
「アンタが首からぶら下げてるその鍵。それを解錠すれば帰れるわよ。解錠の術式は鍵に刻まれてるから、後は魔力を注ぎ込むだけ」
有斗は鍵を手に取り、手の平から魔力を流し込んだ。
すると、ここに来た時と同じ……辺りを埋め尽くすような光が迸り、有斗の視界を真っ白に染め上げていく。
「え、ちょ……!?」
あまりに突然の出来事で、有斗は目を閉じざるを得ない。
そして次の瞬間に有斗が目を開けると、そこは元の自室。自分の部屋のベッドに有斗は横たわっていた。