運命の逆召喚 2話
燃え盛る紅炎を見に纏い、周囲の男たちを睨みつけながら纏衣は口を開く。
「どうやら問答無用って感じね。……アンタ、名前はなんて言ったっけ?」
小銃の銃口がこちらを狙っていると言うのに、一切の動揺をせずに落ち着き払った様子の纏衣。まるで精神のスイッチを切り替えたかのようで、さっきとは雰囲気がガラリと変わっていた。
「有斗だ! 天境 有斗!」
一方、有斗にはそんな余裕は無い。頭を抱えて地面に這い蹲り、聞かれたことに対して心底から叫んでいた。
それも当然だろう。
学生序列六位である纏衣は、普段から魔術を使った派手な戦闘に巻き込まれる事が多い。しかし有斗はそんな異能者とは違い、ただの一般高校生なのだ。少し魔術を齧った程度の実力しかない。
喧嘩の一つや二つ……環境の所為も有ってか、結構な数の荒事に巻き込まれてはいるが、それでも同格同士の殴り合いしか経験した事はない。それもギリギリ3人に勝てる程度の、素人に毛が生えた程度の実力。
自動小銃を構えたテロリストとの戦闘なんて想定外もいいところだ。とてもじゃないが、一端の高校生が勇気を持って立ち向かう事の出来る相手のレベルを超えている。
この賊に喧嘩を挑むのは、蛮勇って奴に他ならない。そう考えた有斗は、生き残るために最善の選択を取ったのだ。
「有斗……死にたくなかったらその場から動かない事。動いたら命の保証はしないわよ」
纏衣は軽く右手を振り上げる。
瞬間、テロリスト達の立っている真下の地面からそれぞれ火柱が吹き出す。鋭く細い火柱は、男たちの手元の自動小銃を寸分の狂いもなく打ち抜き、弾き飛ばした。しかも吹き出したのはペットボトルのキャップサイズの小さな火柱。
纏衣の精密なコントロールがあって初めて出来る技だ。並みの炎使いに出来る芸当ではない。
各々の武器は軽く30メートルほど吹き飛んで転がっていった。それを見て、拾える距離に武器はないと判断した男達は頭を切り替え、徒手空拳での戦闘に打って出た。
彼らだって素人ではない。いつまでも武器に固執せず、今出来る最善を選び取れるだけの経験は積んで来ている。
刹那、纏衣の背後。一番近くにいた男が、纏衣を羽交い締めにしようと両手を広げ飛び込む。
服の上からでもわかるがっしりとしたガタイに特殊部隊のようなベストを身につけたその姿は、訓練された兵士そのものだ。
しかし今この瞬間、男の前にいるのは訓練相手の人形なんかではない。学生序列六位の魔術師【紅魔陽炎】 八神 纏衣に、そんなマニュアル通りの格闘術など通用しない。
背後に迫った男を、纏衣は振り返って腕の一振りで薙ぎ払う。
纏衣の細い腕では到底力不足……かに思えたが、腕の動きを追尾するように紅炎が放たれ、あと少しの距離に迫っていた男を弾き飛ばす。
「ぐあっ!!!」
纏衣はそのまま動きを止める事なく紅炎を操り、周りの男達に向かって腕を向ける。その瞬間、纏衣の側を漂っていた炎が綺麗に男たちの中心を射抜き、3人を同時に弾き飛ばした。その間5秒である。
噴水の中心にあるオブジェに激突した男達はぐったりとして動かなくなった。
「ねえ、アンタもやるの? 今なら降伏させてあげてもいいけど?」
男達を睨みつけ右手を向ける纏衣に、男は明らかに狼狽えているようだった。……最早実力の差は明らかだ。
だが、男は狼狽えながらも降参する素振りは見せない。というより、降伏する事が出来ないように有斗には見えていた。
地面から纏衣の戦闘を見ていた有斗は、ある1つの異変に気付く。
「なあ! こいつら、目の色がおかしいぞ!」
有斗の言葉を不審に思った纏衣が男の瞳を見つめると、およそ人間には生まれないような文様が男達の瞳に浮かび上がっていた。
コンタクトの類ではない。それこそ、何かに刻み付けられたかのような、不可思議な文様が纏衣にははっきりと見えた。
色こそ綺麗な緑で日本人ではない事がわかるが、その眼は何処か焦点が合っていない。まるで何かに洗脳されているのでは無いかと纏衣は結論を出す。
(でも……それだと厄介ね。本体を倒さないといくらでも洗脳兵士が来るって事じゃない)
そう、ここで兵士を処理しても、結局はまた別に兵士が送られてくるだけ。それを理解した纏衣は周囲に意識を巡らせる。
もし黒幕がこの風景を見ているとしたら。……辺りの風景を見つめて、怪しい人物を探す。
既に一般市民は避難を済ませた様子で、公園はおろか、近くの道路にも誰1人として残っている人間はいない。怪しい人物がいればすぐにでも見つけられそうなのだが……。
(……駄目! どこにも見当たらない! どうして!?)
纏衣の視界には怪しい人物の影は映らない。術者の姿が見当たらないのだ。
そして周りに夢中になっていた纏衣は、自分に迫る男の拳に気づけなかった。
「URAAAAAA!!!」
およそ言語の発音ではない呻き声を上げ、男は振りかぶった右拳を纏衣に叩きつける。
「ひっ!?」
「させるかよ!!」
その拳が纏衣に触れるか否か、という瞬間だった。
いつの間にか立ち上がっていた有斗が、相手の拳をすり抜けるようにして、自分の拳を相手の顔に叩き込む。
クロスカウンターの要領でクリーンヒットした拳は、兵士を軽く3メートルほど吹き飛ばした。
「銃さえ無けりゃこっちのもんだぜ。……ボーッとしてんなよ、お前」
綺麗にカッコよく決めた……つもりでいる有斗は、纏衣を背にして気障なセリフを吐く。
「お、ま、え? 私には八神 纏衣っていう名前が有るんですけど?」
有斗が振り返ると、怒り心頭といった様子で腰に手を当てて、頰を膨らませた纏衣が睨んでいた。
さっきまでの勇ましい姿はどこへやら。中学生相応とも言える小生意気な態度にすっかり戻っている。
「……悪かったよ、八神。でも、ボーッとしてたのは事実だろ?」
「ボーッとしてた訳じゃありませんー! 敵の本体を探してたんですぅー!」
「は? 本体?」
未だに事の顛末を理解していない有斗に、纏衣は洗脳ではないかという自身の仮説を伝える。
「……てことは何か。この兵士たちはその黒幕とやらの刺客だと」
「多分ね。絶対さっきのそれが原因だと思うわ」
纏衣は、ベンチに置きっぱなしの有斗の鞄を指差す。あの立方体の事を言っているのだろうという事は、有斗にでも理解出来た。
「んな狙われるほど危険な物なのか? というか、知ってるなら勿体ぶらずに教えてくれよ」
「……有斗。アンタ魔術は苦手でしょう。能力とか個性とかそういう話じゃないわ。まともに魔術が使える人間なら、あの程度の銃弾でビビって伏せる必要はないもの」
纏衣は有斗の質問には答えず、有斗をじっと見つめながら話す。
纏衣の言っていることは本当だ。学生と言えど並みの魔術師なら、魔力で物理攻撃を跳ね返すくらい造作もない。自動小銃の連射くらいなら中学生でも耐えられる。それが出来ないと言うのは、相当な落ちこぼれの証だった。
「まあ、確かに俺は魔術は苦手だ。ほんの少しの自己強化くらいしか出来やしないさ」
「悪いことは言わないわ。その立方体……【鍵】を手放しなさい。でないと、さっきみたいにいつ襲われるかわからない生活を強いられる事になる」
纏衣は有斗の方に手を向ける。掌を上にしたその仕草は、それを寄越せ、と言う事なのだろう。
「ちょっと待てよ。これが何なのか知らないままそんな事言われても……」
「知ることさえ危険だって言ってるの。それの秘密を知ったが最後、争いを避けることは出来ないわ。常に狙われながら生きる事になるのよ。……さあ!」
纏衣は手を揺らし急かす。
その意味がわからない有斗ではなかった。本当に危険だと知っているからこその行動。有斗よりも物知りな目の前の少女は、本気で有斗の事を叱っているのだ。
それは生半可な魔術師が持つものじゃない。有斗みたいな人間が持ってていいものじゃないと。
「……八神の言ってる事はわかった。だから、これは俺が責任持って友達に返す。それでいいか?」
纏衣は目を細めて睨み、むーーー、と唸った後に、しぶしぶと言った様子で頷く。
「よし、じゃあ俺は……」
「帰れないわよ。ていうか帰さないわ」
「は?」
有斗はキョトンとした顔で纏衣を見る。
「アンタ、まさかこの状況で何事も無かったかのように帰れるとでも思ってたんじゃないでしょうね。しっかり私たち【ゼクス】の事情聴取を受けてもらうわよ」
「……何で俺がこんな目に」
有斗は現在、学園の治安維持部隊【ゼクス】の事務所へと連れてこられていた。
纏衣を始めとしたゼクスの各隊員には、鎮圧目的での攻撃魔術の行使が許可されている。それでも一回ごとに始末書を書かなければならなず、ついでに関係者として有斗も事務所に連れてこられたのだ。
纏衣の運んで来た冷たい茶を啜り、有斗は深いため息を吐く
適度に冷房の効いた事務所は涼しく、夏の暑さなど何処へやらだ。
「自分の運でも呪ってなさい。……ほら、調書」
纏衣はテーブルの上の書類を有斗の方へと差し出す。纏衣曰く、「これを書かないと帰れない」らしいので、有斗はボールペンを手に取り仕方なく空欄を埋めていく。
有斗がここに来るまでに聞いた話だと、こういう事案はたまにある事らしかった。
状況や時刻などを一通り書き終わると、ちょうど部屋のドアが開く。
「ただいま〜。あら? 纏衣ちゃん、お客さん?」
その声とゆるりとした動作は、有斗にとって見覚えがある。纏衣と有斗の姿を見て近づいてきたのは、数日前に纏衣の攻撃を無効化していた魔術師だった。
「あ、碧李さん。実は厄介なトラブルに巻き込まれちゃいまして。その関係者を連れて来たんですよ」
お茶を淹れていた纏衣は、上着を掛けソファに座った碧李に事の顛末を話す。
纏衣は男達を全員気絶させた後、遅れてやってきた学園警備隊へとその身柄を引き渡した。その後、ゼクスの事務所まで有斗と共に、学園警備隊の車で送ってもらったのだ。
ゼクスの事務所は、有斗の学校や駄菓子屋がある第13学区から少し遠い第6学区に存在する。第6学区には主に中等部の寮や高等部の寮が建てられていて、成績優秀者を中心にした街が作られているのだ。
何故ゼクスの事務所がそんな所に有るのか。それは、ゼクスの構成員が全員屈指の実力者だからである。
魔術都市の統括理事会直属であるゼクスの構成員全6人は、それぞれが学生序列150位以内に入るトップランカー。
並みの暴徒では傷つけることすらままならない。強力な魔術師集団なのである。
「怖いですよね。銃を持った集団が平然と歩いてる街なんて」
「その集団を平然となぎ倒せる人間の方が怖えよ……」
ギロッと睨む纏衣から目を逸らす有斗。
「あら、貴方は先日の……そういう事でしたか」
碧李が有斗を見て、何故か合点の言ったように頷く。
「どうも。碧李さん……でしたっけ? 俺は天境 有斗です」
尚も睨み続ける纏衣を尻目に、有斗は碧李に話しかけた。
「有斗さん、ですか。ウチの纏衣ちゃんがお世話になってます」
有斗は丁寧に頭を下げる碧李に会釈をして、調書を纏衣へと突きつける。
「ほら書いたぞ。俺は帰るからな」
調書を纏衣に握らせ、有斗は早足で事務所から出ていった。
「何よあいつ。……って、本当に最低限の事しか書いてないし。苦労するのは私なのに……」
書類を持つ手を震わせながら顔を歪めていく。纏衣が強く足踏みをして、自分のデスクに戻ろうとしたその時だった。
「あの……帰り方……とかぁ……教えてください」
事務所のドアを開けて情けない顔で戻ってきた有斗は、弱々しい声で2人に助けを求めた。
「高校生にもなって1人で帰れないとか、ちょっとどうかと思うわよ」
「しょうがねえだろ……。俺は第6学区なんて初めて来たんだから」
有斗達は、駅へと向かうカラフルなコンクリートの道を歩く。
一年中葉の付いている常緑樹の並木道は、犬の散歩やランニングをしている人達がたまに通るくらい。その全てが有斗と同い年くらいに見えているのは、さすが学生寮の街と言ったところか。
結局纏衣に頭を下げ、調書をしっかり書き直し、有斗は駅までの道案内をして貰う事になった。
「連れて来たのは私だけど、さすがに帰れると思ったわ。まさか方向音痴だったなんて」
「違うっつーの。初めて来た場所で方向音痴も何も関係ないだろ?」
「いや、案内用のターミナルがそこら中にあるじゃないの。何で使わないのよ」
纏衣が指差す先には、魔術師用の情報端末が設置されている。
お世辞にも単純な作りとは言えない魔術都市の街には、万が一迷った時のために地図などを表示するターミナルが設置されているのだ。
結構な頻度で設置されているそれは、魔術細胞から放出されるエネルギーを注ぎ込む事で起動するのだが……。
「えっと……ターミナルな、うん。えーっと……」
「まさか、ターミナルの起動が出来ないなんて言わないわよね。小学生でも普通にやってる事よ?」
「……出来ません」
目を逸らした有斗を見て、頭を手で押さえて深いため息を吐く纏衣。
「アンタどんだけ魔術適正無いのよ!? むしろどうやってここで生活してるの!?」
纏衣が叫ぶのも無理もないだろう。
この街は魔術師が魔術師のために作ったのだ。本当に、至る所に魔術的仕掛けが仕込まれている。纏衣がターミナルと呼んだ仕掛けもその1つだ。
その仕掛けが使えないとなれば、ここで暮らすのは不便極まりない。
「俺だってな! 必死こいて生きてんだよ!」
「限度があるでしょ!? 幾ら何でも限度があるわよね!? ターミナルすら起動出来ないで何でここに居る訳!? 」
「居たっていいだろうが! うー、これならさっきの……碧李さんに送って貰えばよかったぜ。どっかのちんくちりんと違って、優しく案内してくれたんだろうな」
正に売り言葉に買い言葉。わざとらしく、嫌味な態度になった有斗を見る、纏衣の感情はもう止められなかった。煽り耐性ゼロである。
「誰がちんちくりんよ! そうやってみんな見た目だけで判断して! 確かに碧李さんは綺麗で背が高くてスタイルも良くてみんなに優しくて女神のような人よ! でも、だからこそアンタみたいなのから守らなきゃいけないのよ!」
「アンタみたいのって何だよ!? お前には俺がどう見えてるって言うんだ!」
「男子高校生なんて、みんな性に飢えた肉食獣よ! きっと今だってあたしの事をいやらしい目で見てるんだわ! 」
「誰が見るか! 俺にだって選ぶ権利はあるんだよ!」
「何ですって!!!」
……その後、約十分に及んだ口喧嘩は、二人の駅への到着を持って終わりを告げた。
ゼクスに騒音の苦情が来て、纏衣がこっぴどく叱られたのは言うまでも無いだろう。