第2話 険悪な雰囲気
『えー、この後は実習が控えております。班ごとに整列し、その場で待機するように』
聞き覚えのない言葉に一は首を傾げる。
実習、とは何だっただろうか。
「双海」
「透でいいよ」
「じゃあ、透。実習って何だ?」
「え、知らないの? 入学式が終わり次第、早速異世界に転移させられるらしいよ、僕ら」
いきなり? 流石にそれは危険ではないだろうか。
顰めっ面を浮かべる一の様子を見て、透はけらけらと笑いながら言葉を追加した。
「異世界といっても危険な場所じゃない。アナザーの手によって既に救済された世界だと書いてあったし、与えられた課題をこなしながら一週間過ごすだけだよ」
つまり入学早々テストみたいなものをやらされるわけだ。班ごとに分けるというなら、その班とどう連携を取っていくかが重要になるだろう。
「班ってどこで分かるんだ?」
「しおりに全部書いてあるよ。読んでなかったの?」
どうせ堅っ苦しいことしか書いてないだろうと今まで放置していた事を思い出す。
尻ポケットに乱雑にしまわれたそれを引っ張り出すと、早速一は実習の班を確認した。そこにはA班と書かれている。
「透は何班?」
「僕はE班。イッチーは?」
「A班だ」
「え、ほんと? それラッキーかもよ。あの八津 征四郎と同じ班だ」
「なっ……」
イッチーといきなりアダ名を付けられたことに驚いた一だが、それよりも征四郎と同じ班という驚きの方が勝った。
よりにもよって1位と最下位が同じ班だとは。透みたくラッキーだなんて軽々しく思えない。絶対に何か問題が起こるだろうという懸念があった。
「面倒なことにならなければいいが」
「?」
何のことか分からない様子の透に簡単な別れを告げ、一はA班と書かれたプラカードを目指した。
すでにそこは大きな列が出来ていた。ざっと見た感じでは一班40人程度。となると、一学年だけでも8班はあるということだ。
異世ノ高校がどれだけ世間から注目されているかが伺える。ここに来て惨めな思いは出来ない。何かしらの爪痕を残さなければ、ずっと後悔することになるだろう。。
改めて気を引き締め直した一は、A班の最後尾に並んだ。
「ッああァ? 何だかクッセェなァ」
一が列に並んだ瞬間、先頭の方にいた男が突然声を上げる。臭いとは何だろう。誰かが入学式に納豆でも持ってきたのか。
「クソ弱ェ連中がわらわらと虫のように集りやがって。臭くて臭くて堪らねェ!」
どうやら一を含めた成績下位の人間に向けて言っていたらしい。
それにしても落ちこぼれに対して「臭い」とは。ずいぶんと特殊な感性を持った男だ。
「なァ、オマエ。弱ェ癖になんで此処にいる? お前ら炊事科に何が出来んだァ?」
臭いと言い放った男は炊事科の女子生徒に絡み出した。あまりにも粗暴が悪すぎる。女子相手にも一切の容赦が無かった。
「わ、私は……」
「あァ!? 聞こえねェよ」
男の取り巻きだろうか。複数人の男達は女子生徒がビクビクと肩を震わせている姿を見て下卑た笑みを浮かべている。
流石に見ていて気持ちの良いものではなかった。しばらく面倒事は起こしたくないと考えていた一だが、そうも言ってられない状況だ。
「お──」
「止めろ、貴様ら」
男を止めようとした一を遮って間に割って入ったのは、あの八津 征四郎だった。征四郎は女子生徒と男の間に立つと、キリッとした瞳で睨み付ける。
「炊事科に対して底辺とは聞き捨てならないな」
「──チッ。弱ェ奴を弱ェと言って何の問題がある?」
男は学年一の天才を前にして少しだけ怯む様子を見せるが、すぐに闘争心剥き出しで歯向かう。
「狼さん、ヤバイっすよそいつ!」
「首席っすよ!」
「るせェ、黙ッてろッッッ!!!」
狼と呼ばれた男が一際大きな声で怒鳴ると、後ろに控えていた取り巻きは大人しく口を噤む。
「貴様は理事長の言葉を聞いていなかったのか? 我らアナザーは一人では生きていけない。他者の協力あって初めて異世界の救済を可能にする。それすらも気が付かない貴様は、単体ではいくら優れていてもチームとして見れば──足手まといだ」
「ンだとテメェッ!!!」
「ふん。すぐに吠えるところも弱者故、か」
「ブッ殺すッ!」
狼は今にも掴み掛かりそうな雰囲気だ。あれだけ挑発されたら、沸点が低そうなあの男では我慢など出来やしないだろう。
周囲も何事かとこちらに視線を送る。入学早々、問題児チームだなんて思われたくはない。どうしたものかと一が悩んでいると、突如征四郎と狼の間に入る女性がいた。
「そこまでにしろ」
その女性は現れるや否や征四郎と狼の片脚を刈り上げ、二人は背中から床に叩きつけられた。
「ぐぁっ!」
「がっ!?」
小さい呻き声を上げて床に転がる二人。周囲の生徒達はこの女性が何をしたのか分かっていない様子。早業とは正にこういうことを言うのだろう。
「い、今の見えた?」
「いや、無理。早すぎだろ」
女性の足捌きを見てどよめく新入生。無理もないだろう。相当、戦い慣れしていなければ今の動きは追えない。
「ぃッてェな! 誰──!」
狼の言葉は最後まで続かなかった。凄味を利かせた表情で睨まれたら誰だってああなる。
「お前らA班の担当教師。吉原 摩耶華だ」
凛とした女性、それが第一印象だった。次いで浮かんだ印象は怖い人。とにかくこの人を怒らせてはいけないと一の本能が告げる。
「何か文句があるなら私が相手になろう」
女性は威圧感を放ちながら征四郎と狼に詰め寄る。
「い、いえ」
「チッ……」
二人が大人しくなったところで、摩耶華は改めて班の全員に向き直る。
「貴様らにも言っておくぞ。私の班で問題を起こした者はそれ相応の罰を与える。覚悟をしておけ」
正しく鬼教官。飴など一切与えない鞭のみで生徒をしごくタイプの先生だ。
どの生徒も表情を硬くしているのが分かる。摩耶華が担任だと分かって絶望しているのか、それとも恐怖か。
だが、この程度で恐れを抱くようではおしまいだ。
優秀なアナザーになる為には、自らを徹底的に追い込まなければいけない。辛ければ辛いほど、結果に結びつくと一は知っている。
そう意味ではこの人物に教鞭を振るってもらえるのは恵まれた環境だと言える。きっと容赦など欠片も持ち合わせていないだろう。
全員が静まり返った頃合いを見計らい、摩耶華は一同の正面に立つ。
「理解してもらえたところで早速移動するぞ。行き先は知っての通り、異世界≪ビギニング≫」
確かそこはアナザー候補生が必ず最初に訪れる異世界だったはずだ。これといった脅威は存在しない世界なので、初めて行く異世界なら妥当だろう。
摩耶華の引率のもと生徒一同は歩き出す。とうとう異世界に行けるんだという高揚感、知らない世界に対する不安と緊張感。
様々な感情が渦巻き合いながら──1学年一同、324名はこれから勇者になる為の道のりを歩む。