第三回 俺、初陣!
望郷の念が、無いわけでもなかった。
もう戻りたい。しかし、現世には戻れないかもしれない。いや、死んだのだから戻れるはずもない。
そう思わせたのは、人でも風景でもなく、夕食だった。
粗末で、塩辛い和食。腹は満たされるが、慣れぬ味に箸は思うように進まない。
(ハンバーガー喰いてぇ……揚げ物喰いてぇ……)
ジャンクフードへの強い渇望。それが望郷の念を掻き立てるのだ。
ここでネットラノベなら、未来の知識を使ってハンバーガーでもフライドポテトでも作るのだろうが、俺はそんな事はしない。もし、そんな真似をすれば、歴史が変わってしまう可能性がある。
歴史家として、それは禁忌だ。そして、俺は家康。天下を統一する義務がある。
(しかし、俺が天下人になれるのか……)
その夜、俺は布団の中でそんな事を考えた。
転生したなら、チートな能力を与えられるのがデフォだ。しかし、そんな感じは全くない。
(いや、待てよ)
俺は歴史家。しかも、戦国史、そして家康を専門とした歴史家だ。家康の足跡なら、全て判る。
この知識だ。この知識こそがチート能力ではないか。
「天下人にならねば……」
その為には、史実ルート順守。それさえ守れば、天下は俺のものになる。何としても、史実を守る。俺は心に誓った。
そう思った矢先だった。
「殿! さ、ご支度を」
襖が開き、大久保だが鳥居だが知らぬが、確かそんな名前の男に布団を剥ぎ取られた。
「支度って、こんな夜中に」
まだ外は暗い。夜も明けてない時刻だ。
「何を仰る。昨日話したでありませぬか。丸根砦に朝駆けを仕掛けるのでございますぞ」
「丸根砦。もしや」
確か、大高城に兵糧を入れたのが五月十八日。そして、今日は十九日。桶狭間の戦いがあった日である。
この時、家康は丸根砦を攻撃し、佐久間盛重と死闘を演じている。
(俺、戦えるのか……)
そうは思えども、やるしかない。今は弱肉強食の戦国時代なのだ。
「よし。すぐに支度をいたせ」
俺は覚悟を決めた。そう思い込もうとした。でなければ、俺は本当に死んでしまう。そしてそれは、歴史が変わるという事だ。
まだ夜も明けぬ暗い中を、俺は手勢を率いて大高城を出た。
甲冑は何故か重く感じず、用意された馬にもすぐに乗りこなせた。乗馬など初めての事であるが、そこは身体が家康だからだろう。
(脳は俺で、身体は家康)
いや、それはおかしい。運動は脳が司るものではないのか。
「まぁ、いいか」
俺は、独り言ちに呟いた。
「殿、先鋒が丸根砦に到着したようでござる」
酒井忠次が馬を寄せて言った。
この男は、終生家康を支えた功臣で、徳川四天王・徳川十六神将の筆頭だ。目を覚ました時にいた、厳つい顔の男だ。ついでに、蟷螂顔の男は石川家成で、先鋒を任せている。
「忠次。采配に不首尾があれば、遠慮なく申せ」
「御意。しかし、珍しいですな」
「何が?」
「殿は、俺に従わねば斬ると、常々申されておりましたからな。拙者が助言しても聞く耳も持たれませぬ。それが、拙者に意見を求めるとは」
なるほど。若い頃の家康は、暴君気質があったらしい。家康神話が浸透した現世では知り得ない話だ。
「忠次、話は後だ。家成に合図を出し、丸根砦を攻めさせよ」
忠次はホイ来たと頷き、すぐに指示を出した。
攻撃が始まった。それを俺は、本陣で眺めている。夜が明けようとする薄暗闇の中を、火矢が丸根砦目掛けて殺到する。
歓声が挙がった。伝令が次々と駆け込んでくる。その都度、俺は忠次を一瞥した。忠次は、ただ頷いて応えるばかりだ。
急報が入ったのは、すっかりと夜が明けた時だった。
「丸根砦から、大将の佐久間盛重が討って出た模様! 捨て身の猛攻に、石川隊が押されております!」
「数は?」
忠次が反射的に訊くと、
「およそ五百!」
という返事が返って来た。
「総勢です。佐久間は死ぬ気ですな」
俺は頷いた。
「殿、いかがなされます?」
「伊栗隊、吉岡隊を動かそう。左右から包むように。そして本陣を前進させる。兵力はこちらが上。勝てると思うが、どうかな?」
俺の脳内は、〔権現の野望〕というシミュレーションゲームで再生されていた。あのゲームでなら、何度も合戦は経験積みである。
「結構でござる。早速始めましょう」
伊栗隊、吉岡隊が駆け去り、俺も鞍上に身を移した。
丸根砦の前では、殺し合いが演じられていた。
絶叫。悲鳴。血臭。目をひん剥いて、男達が殺し合っている。
(これが、リアルか)
膝が震えていた。それは手にまで及んだが、忠次がそっと手を掴んだ。
「まるで初陣でござるな」
「すまん」
「構いませぬ。その方が拙者は好きでござる。人間らしゅうて」
また伝令が飛んできた。盛重の討ち死に。そして、丸根砦の降伏である。
「喋っている間に、終わりましたな」
忠次が、歯を見せて笑った。
確かに戦ったという気はしなかったが、それでも疲労感は強い。
暫くして、本陣に蟷螂顔の家成が現れた。先鋒だった故か、甲冑は血が滴るほどになっている。その家成の横には、生首を携えた青年。貧相な甲冑だが、眼光は鋭い。二人は俺の前で膝を付いた。
「盛重の首と、それを討ち取った栄生久兵衛でございます」
俺は頷き、ご苦労と言った。恩賞は、後程伝えるとも。
俺は空を見上げた。分厚い灰色の雲が、空を覆っている。もうすぐ雨が降るだろう。そして、その雨が家康と信長を飛躍させるものになるのだ。




