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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
二章
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秘剣・紫電閃・前編

 空高く鳶の舞う初夏の頃。

 ジエンとショウキは内海を隔てて本土に接する島国、オトメ藩を旅していた。

 国の中枢である東都から離れたこのあたりは、南方らしい気風の良さと、大きく海に面していることで昼夜の寒暖の差が小さく、過ごしやすい土地柄であった。


「オトメ藩といやあやっぱカツオだな。あと、うどん」

「食道楽ではないのだぞ……」


 ふたりで旅すること早三ヶ月。

 隣を歩くショウキの陽気な冗句にも大分慣れてきたジエンである。

 今夜の宿も決めていない風任せの魔剣奪還の旅も、おそらくは半ばを過ぎている。ジエンはそう感じていた。

 これまでに回収した魔剣は五十近い。元より、火事災害に遭おうと喪われることのない不壊性が魔剣の特質であるが、予想以上に順調であった。

 ジエンの心持ちも随分と上向いている。

 それは、認めるのはやや癪であるが、明日をも知れぬ旅路をからりと笑える隣の男のおかげもあろう。

 言葉にこそださないが、ジエンはこの年下の道連れに感謝の念を抱いていた。



 さて、ふたりが海沿いの街道を延々と歩いていたそのとき。

 ふとジエンは魔剣の“共鳴”を耳にして、誘われるように左手の海岸に目をやった。

 水平線の向こうまで続く大海原。

 ざあざあと音を立てて寄せては返す雄大な波。

 そして、遠く視線の先、波打ち際の岩に打ち上げられた人影を見て取った。


「……ショウキ」

「あん? ありゃ土左衛門か?」

「魔剣だ」

「へえ、そいつは幸先がよろしいじゃねえか!!」


 ふたりは急ぎ今にも波に攫われそうな男の元へと駆け寄った。

 近くで見てみれば、男は三十後半と思しき逞しい体つきをしていた。

 髷は結わえず、ずぶ濡れになってはいるものの、格好はそれなりに整っている。

 加えて、溺れても手放さなかったのか、手にはひと振りの打刀を握りしめていた。

 ジエンの腰の物が、彼にだけ聞こえる音色でひときわ甲高い鳴き声をあげる。

 男が手にしているのは紛うことなき魔剣だ。

 しかし、銘を確かめようと男の手から刀を抜こうとしても、がっちりと鯉口を握って離す様子がない。


「…………」


 手首を落とすか迷ったジエンは無意識に腰の刀に手をやっていた。


 瞬間、それまで気を失っていた男の目がカッと開く。

 次いで、抜き打ちの一撃がぱっと閃き、ジエンの胸元を危うく掠めた。


「ジエン!?」

「大丈夫だ。さすがに意識のない状態では狙いが定まらなかったらしい」


 そう言うジエンは、薄皮一枚で斬撃を避けていた。

 半歩を退いていなければあるいは致命傷であったか。

 男にはやはり意識はなく、抜き放った姿勢のまま砂浜に倒れ込んでいる。

 尋常な腕の剣客ではない。先の一撃はそれを証明している。

 意識のない状態では、ジエンとてあれほどの剣は放てない。

 どうにも、たまさか魔剣を手にした浪人というわけではないらしい。

 であれば、これも天佑か。ジエンは方針を変え、男を介抱することにした。


 その胸の内には、かつて諦めた筈の夢の燠火がちりちりと燃えていた。



 ◇



 突発的な事態が起こったときほど、ショウキという男は頼りになる。

 彼は目に着いた海女を口八丁で口説くと、海岸沿いの小屋を手早く借り受けてみせた。

 大して懐も痛めずに為されたその手腕は、端的に言って手慣れている。


「――そういう訳で、夜はちっと予定が入ったわ」


 濡れた白襦袢が肌に張り付いている海女に手を振りながらショウキはそう言ってにっかりと笑った。

 顔の刀傷といい、明らかにカタギの者ではないショウキが何故こうも行く先々で異性に好かれるのか、ジエンは甚だ疑問であった。


「構わんが、火遊びはほどほどにな」

「なんだなんだジエン。アンタ、あれか、禁欲生活か。やめとけやめとけ。そんなんはな、精力の減じたジジイ共の八つ当たりに過ぎんぜ」

「……おぬし、そのうち刺されるぞ」

「オレを刺せる奴は天下無双だな」


 素手でも一端にやれる戦巧者は肩を竦めた。

 それ以上はジエンも取り合わず、いまだ意識の戻らない男の介抱に移った。

 とはいっても、ジエンに医術の心得があるわけではない。

 できることといえば、水を吐かせ、濡れた服を脱がし、拝借した柴を囲炉裏に放りこんで暖める程度だ。


「で、なんでコイツ助けたんだ?」


 夜までの暇つぶしだろうか。

 茣蓙にどかりと座り込んだショウキは真面目な調子でそう尋ねた。

 一時はヤクザに与していた男だ。今さら追剥ごときにたじろぐことはない。

 さりとて、助けたことを非難しているようでもない。

 ショウキが気になっているのは、何故ジエンが心変わりをしたのか、そして、その先だろう。


「……剣士ならば、知らぬうちに得物を奪われるのは屈辱であろう」


 しばしの沈黙の後、ジエンは絞り出すようにそう告げた。

 その言い草には、拭いきれない血の匂いがこびりついていた。


 男が目を覚ましたのは小屋に運び込んでから二刻を過ぎたときであった。




「お助けいただいたこと、心より御礼申し上げる」


 状況を把握した男は、両拳を床につけて深々と頭を下げた。

 こうして向き合ってみると随分と精悍な顔立ちをしている。

 浪人というよりは武芸者といった趣をジエンは感じた。


「アンタ、名前は」


 離れた場所で、どこからか調達してきた干物を齧りながら、ショウキが問う。

 男はちらりとそちらに目をやった後、ジエンに向き直ってもう一度頭を下げた。


「拙者はコウセツと申す。どうぞお見知りおきを」

「それがしはジエン。向こうのがショウキだ」

「よろしくな。で、なんであんなところにいたんだ?」

「……乗っていた船が転覆したのだ」


 そのときのことを思い出したのか、コウセツの精悍な貌にわずかに苦味が走った。

 他に流れ着いた者は見当たらなかった。それが全てを物語っていた。


(転覆した、か)


 ジエンは心中でひとりごちた。

 彼らも船で本土からオトメ藩にやって来たのだ。ゆえに知っていることもある。

 内海は波が穏やかであり、航行距離も短い。

 ここ数日、時化があったという話も聞かない。

 つまりは、船が転覆するなどということはそうそうないのだ。


「災難であったな」

「……うむ」


 慰めるように言うと、コウセツは言葉少なに頷いた。

 奥歯に物が挟まったような言い草だ。

 何か事情があるのだろうとジエンは察した。

 追及するべきか迷うところだが、ひとまずは己の本題を先に述べることにした。


「助けた礼というわけではないが、その刀を譲ってはくれぬか?」

「……礼ではない、とは?」

「友人の形見なのだ」

「なんと! それはまた、奇遇というべきか」

「というより、アンタが形見(ソレ)を持ってたから助けたんだ。でないと見捨ててたぜ、たぶんな」

「であれば、こやつは拙者の命を助けたことになるのか。出入りの商人に掘り出し物だと押しつけられたのだが、なかなかどうして……」


 コウセツは枕元の刀を感慨深い目で見遣った。

 意識が戻るまで柄を握って離さなかったそれも、今は大人しく鞘に納まっている。

 そのままコウセツは何度か頷き、改めてジエンに向き直った。


「事情は理解した。そういうことでしたらこちらはお返ししよう」

「かたじけない」


 ジエンは深々と頭を下げた。

 剣は剣士にとって時に命よりも大事な身の証だ。

 それを“譲る”ではなく、“返す”としたコウセツの度量に感服するばかりであった。


「いやなに、拙者が眠っている間に奪うこともできたでしょうに。そうしなかった貴殿らの誠意に応えたまでのこと」


 ただ、とそこでコウセツは言葉を切り、顎をさすって数瞬、言い淀んだ。

 沈黙の満ちた小屋の中に、ぱちりと柴の爆ぜる音が響く。

 その音を合図にするように、コウセツは再度口を開いた。


「ただ、今しばらくお借りする、というわけにはいかぬか?

 ――恥ずかしながら、追われている身なのだ」


 あっけらかんとしたコウセツの物言いに、思わずジエンとショウキは顔を見合わせた。

 とはいえ、納得できる面もあった。


「では、コウセツ殿の乗っていた船は――」

「うむ。襲われて転覆したのだ。死体があがらぬとみては、今頃追ってきているやもしれぬな」


 はっはっは、とコウセツは豪快に笑った。

 この段に至ってようやく、ジエンは己が助けた男がひどく厄介な存在であることを理解した。



 ◇



 熱した薬缶の口に茶碗を被せ、水滴から真水を作って鍋に張る。

 近くの漁村でカツオの切れ端を仕入れてツミレにし、味噌や雑穀、干しておいたアカザとともに鍋にいれる。

 ぐつぐつと煮えるうちに米もほぐれ、味噌の匂いが小屋の中の磯臭さを押し流していく。

 欠けた茶碗に注いで口にしてみれば、ほぐしたカツオの身に味噌の味がよく沁みていて、ジエンは数瞬、鍋の熱さを忘れた。

 見れば、対面に座るコウセツも額に汗を浮かべながらふうふうと椀を吹いている。


「夏に鍋ってのも乙なもんだな」

「うむ、冷やものはコウセツ殿に酷であろうしな」

「御配慮、痛みいる」


 絶妙に和らいだ空気の中、男三人で汗を浮かべながら鍋を囲む。

 ひと通り鍋をつつき、シメのうどんをといた卵と共にいれる。

 煮立ったことで尖った味噌の風味を卵が包んで和らげ、それをコシの強いうどんが絡め取る。

 剣士の反応速度を無駄に活用して、三人の箸が麺を取り合うように入り乱される。

 そうして、おおむね三等分されたうどんを各々が啜る頃には鍋は見事に空になっていた。

 人心地ついたジエンが鍋を片付けているうちに、ショウキは再び小屋を出て行って、いくつかの徳利を手に戻ってきた。

 「このままじゃ話が進まねえからな」と、空いた茶碗に酒を注いでいく。

 ちびりと口にしてみれば、どうやら芋焼酎らしかった。喉の奥を独特の臭みが抜けていく。


「っかあ!! コイツぁ効くなあ!!」

「もう酔っておるのか、ショウキ」

「んなわけねえだろ。オレ酔わせたいなら美人に酌させろい」

「本当に刺されるぞ」


 呆れたようにジエンは半目になるが、ショウキに堪えた様子はない。

 横目で見ればコウセツも茶碗を傾けている。割合いけるクチのように見える。


「そういや、コウセツはひとりか?」

「うむ、武者修行の旅だ」

「いいね、武者修行。かく言うオレたちも天下無双の剣士を目指して旅してる途中だ」

「そうだったのか」

「おい」


 ジエンが冗談めかして驚いた表情を作ると、ショウキは露骨に憮然とした表情になった。

 本人としては存外、真面目に目指しているものらしい。


「……天下無双、か」


 ふと、コウセツの口から同じ言葉が漏れる。

 ジエンとショウキが視線を向けると、男はぐいと芋焼酎を呷り、静かに続けた。


「拙者はオウレイ派の道場にいたのだが、次期当主を置いて秘剣を授けられた」

「……本土のオウレイ派に指南を受けた時に聞いた話だな。彼の流派には“いなずま”の秘剣がある、と」

「うむ、拙者に授けられたのはまさしくそれだ」

「……」


 ジエンは手元の焼酎をくゆらせながら、揺れる水面に思考を映した。

 コウセツの言でおおよそ彼が旅に出ている理由もうかがい知れる。

 “秘剣”とは各流派における隠し技にあたる。

 それは流派の到達点を示す“奥義”とは存在理由を異にする。


 秘剣には秘されるに足る理由があるのだ。


 あらゆる流派には独自の技があり、癖があり、必然的に隙や弱点が存在する。

 そして、秘剣は流派の剣を悪用する者や、どうしても同門を殺さねばならないときに振るわれる。

 つまりは、流派における究極の返し技であり――殺し技(・ ・ ・)なのである。

 デイシン流の印可を授けられたジエンも、秘剣だけは教わらなかった。

 その性質上、秘剣が授けられるのは一代に一人か二人、基本的には当主のみに限られる。

 秘剣が広まれば、その流派自体が死ぬ危険性すらあるからだ。


「じゃあ、アンタが乗ってた船を襲ったのはその次期当主サマかい?」

「おそらくは」


 あっさりとコウセツは肯定した。

 そもそも秘剣を授けられたコウセツが旅に出ていること自体が、彼が危険を察知していたことを裏付けている。

 結果的には、次期当主に秘剣を授けなかった判断は正しかったと言わざるを得ないだろう。


「今代当主様は拙者に道場を継がせるつもりであったのだろうな」

「条理で考えるならば。秘剣を授けられたということはそうであろう」

「……器でないと申し上げたのだが」


 そう言ったきり、コウセツは口を閉じてしまった。

 ジエンもまたコウセツに剣客の業を感じて、それ以上の言葉を発することはできなかった。


 当主の器ではない。コウセツはそう言った。

 それでも、現に彼は秘剣を授かっている。

 それは矛盾だ。

 次期当主に先んじて秘剣を授かれば、そこに責任が生ずることは彼もわかっていた筈だ。

 それでも、彼は秘剣を授かることを受け入れた。

 同門を必ず殺せる技。秘された剣の魅力に打ち勝てなかったのだ。


 その感情を否定はできない。

 ジエンとて魔剣に取り憑かれて正道を外れた剣客だ。

 出奔して以来、道場に顔を出したことはないが、破門されていてもおかしくはないだろう。


 だが、それでも、ジエンもコウセツも剣を捨てていない。

 それは業であり、あるいは妄執であった。


 言葉をなくした二人の間で、囲炉裏に投げ込まれた柴だけがぱちぱちと燃えていた。



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