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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
二章
8/27

歯車の違えた日

 ジエンが二十を少し過ぎた初夏の頃だった。

 その日、彼は十年来通っているデイシン流の道場にて後輩たちの指導をしていた。

 ぎしぎしと軋む道場の板間を踏む音、木刀のぶつかり合う快音、威勢のいい掛け声。

 からりとした暑気の中、若き剣士たちは道着を絞れるほどの汗をかきながら熱心に稽古している。


「アモン、肩に力が入り過ぎだ。強く打とうとするな。早く打て」

「はい、師叔!!」


 乱取りの最中、端的に過ぎるジエンの指導に返ってくるいらえは溌剌としている。

 高弟や同じ指導役からは疎まれているジエンだが、下からのうけは悪くない。

 隔絶した実力と育んだ時間がそうさせているのだ。

 デイシン流道場では印可許しを受けた者は基本的に指導側に回る。

 八歳で印可を受けたジエンも例外ではなかったが、当時、大の大人が十に満たぬ子供に学ぶというのは風が悪く、自然な流れで幼年組の世話を押し付けられていた。

 それから十年。はじめは同年代相手のお守だったそれも、共に成長していくにつれてそれなりに見れるものになっていた。


「今日はここまで。神前に礼」


 一般稽古は日の出前から始まり夏の陽が傾く頃に終わる。

 この後は住み込みで鍛錬に励む高弟たちの内稽古の時間であるが、ジエンがそれに付き合うことはなかった。

 道場で学ぶことはまだいくらでもあるし、印可許しの立場で参加することも可能なのだが、修復しがたい人間関係がそれを阻んでいた。

 片付けと掃除を済ませると、ジエンは早々に道場を後にしていた。


 デイシン流道場は郊外にある。道場を囲む垣根から一歩外に出れば周囲は田んぼばかり。

 空は高く、汗の浮かんだ体に生ぬるい風が吹きつけ、方々でうるさく鳴く蝉の声が余計に暑さを感じさせる。

 駆け足で帰宅する通いの弟子たちに適当に挨拶を返しながら、ジエンはのんびりと畦道を歩く。


「師叔!!」


 ふと背にかけられた呼び声に振り向けば、道場の後輩であるアモン・アトリが稽古の疲れを感じさせない足取りで駆け寄って来た。

 アモンはジエンの五つ下。濡れたような黒髪と紅顔の美しい青年だ。

 手には瓜がふたつ。水筒代わりに持たされたものだろう。


「よかったらどうぞ!!」

「あ、ああ。いただこう」


 純粋な尊敬の眼差しに打たれ、ついジエンは瓜を受け取っていた。

 後輩の中でもアモンは特に目のある剣士だ。

 入門当初から指導していたこともあってよく懐いてもいるため、無碍にできなかった。

 ジエンは礼を言って、瓜にかぶりつく。

 井戸水で冷やされていた瓜は瑞々しく、仄かな甘さと喉を滴り落ちる果汁が汗をかいた体に沁み渡る。


「うまい」

「村の人がくれたんです」


 アモンは我がことのように喜んで、椿のような華やいだ笑みを浮かべた。

 アトリ家は武家であるが、家格はさして高くない。それゆえ、自身の足で治める村々を見回っているのだろう。

 似た立場にありながら、二十にもなっても剣道楽に過ごすジエンとは随分と違う働きぶりだ。

 もっとも、十年来の付き合いになるアモンがそれを指摘することはない。

 青年は年功の関係で印可こそ受けてないものの、実際には道場で十指に入る腕前になっている。

 ゆえに、ジエンの隔絶した技量を道場で誰よりも知悉しているのだ。

 アモンの純真な視線にはどこかジエンの剣才を崇拝するような色すらあった。


「今日の師叔は機嫌がいいですね。なにかあるんですか?」

「……おぬしはよく見ておるなあ」


 指についた果汁を払いながら、ジエンは困ったような表情になった。

 アモンはその気になれば高弟に、すなわちジエンと同格以上になれるだろうに、いまだに通いを続けているのはこちらに気兼ねしているからなのだ。

 道場内で席次を上げさせるなら、いずれ自分との関係も改めさせなければならないだろう。

 そんな世俗に塗れた思考ごと最後の一口を放りこみ、言葉を紡ぐ。


「クオウが剣を鍛った」

「……ああ、成程。クオウ姐がついに」


 端的な答えに、アモンが納得したように頷く。

 青年はジエンを通じてクオウとも親交がある。ジエンの言葉の意味するところもまた理解している。

 元服を過ぎているにも関わらず、ジエンはいまだに腰に大小を差していない。クオウの鍛った剣しか差さないと約束しているからだ。

 だが、それも今日までなのだ。


「では、これから御山に?」

「うむ。久しぶりに道場に顔を出したのにすまぬが……」


 ひと月の半分は方々の道場に邪魔しているジエンは後ろ髪を掻いてバツの悪い顔をした。

 他流派から学ぶことは多いが、当然、そこには自流派との重複や無駄もある。

 ジエンの目指す“モノ”には必要な工程であるのだが、そのために指導役としての任をまっとうしていない後ろめたさがあった。


「お気になさらずに。クオウ姐によろしくお伝えください!」

「う、うむ。伝えておこう。ではな」


 爽やかな笑みで見送られ、ジエンは若干の気まずさと共に御山へと足を向けた。

 ジエンが道場に居着かないのは、高弟たちに睨まれるのが鬱陶しいのがひとつ。

 もうひとつはアモンたち元幼年組に“師叔離れ”をしてほしいためなのだが、あまりうまくはいっていなかった。



 ◇



「来たな、ジエン!!」


 御山のふもとには腕組みしたクオウが待っていた。

 一体いつから待っていたのか、炉の火で焼けた肌が陽に当たってさらに赤らんでいる。

 ジエンは自然と彼女の汗ばんだ手を引いて木蔭へと連れて行った。

 昔からひとつのことに没頭しがちな彼女を気遣うのがジエンの趣味であった。

 もっとも、クオウも身の回りのことに無頓着なジエンをよく世話をしているので、お互い様であったが。


「あまり無理をするな、クオウ。おぬしの体は丈夫な方ではなかろう」

「なに言ってんだよ!! やっと……やっとお前に剣を持たせてやれるんだぞ!!」


 言って、クオウは顔を赤くしたままひと振りの刀をずいと差し出した。

 押しつけられるように受け取りながらジエンはクオウのかんばせを見遣った。

 挑むような視線にはしかし、どこか怖れを感じさせる陰りがある。

 はじめて己ひとりで打った刀だ。己が才に自信はあっても、完璧だとは思えないのだろう。

 鍛冶に関しては、勝ち気な態度に反してクオウはどこまでも正直だ。


 ジエンは無言で鞘を払う。

 露わになったのは直刃の二尺四寸五分。

 新雪の如き刃筋に乱れはなく、曇りのない銀の刀身は鏡のようにジエンの無精顔を映している。


「ど、どうだ?」

「うむ……」


 目釘を確かめた後、ジエンは二度三度と軽く振ってみる。

 ひゅん、と心地よい刃音が木陰に木霊する。

 悪くない、というのが第一印象だった。

 しっとりと手に吸いつくような感触に反し、切っ先は自ずから飛んでいくように反応が良い。

 やや切っ先に重心を寄せているのもジエンの好みだ。重ねも厚く、手応えもしっかりとしている。

 飾り気のない素直な使い心地はクオウの性格を反映したかのようだ。


「良いと思う」


 何度か確かめて、ジエンはそう告げた。

 途端に、クオウの顔がぱっと明るくなった。

 雲間から差し込む陽光のような笑顔に、ジエンの胸は秘かに高鳴った。


「そ、そうか。うん、さすがオレだな」

「ああ。おぬしでよかった」


 本心からそう告げると、クオウの頬は紅を差したように紅潮した。

 ふいっとそっぽを向いても、うなじまで赤くなっているのは隠しようもない。


「オマエのために打ったんだから、大事にしろよな!!」

「ああ、わかっているとも」

「なんで笑ってんだよ!!」


 本人も頬の熱を自覚しているのだろう。食ってかかる仕草に照れ隠し以上の力はない。

 素直なまでに素直なクオウを宥めながら、ジエンは胸裏から沁み出す愛おしさを押し殺した。

 鍛冶の神“毘沙の嫡神(ヴィシュラヴァス)”は嫉妬深い。

 ここで抱きしめてしまえば、ようやく鍛冶師としての一歩を踏み出したクオウの人生を台無しにしてしまう。

 クオウの剣で“天下無双”の剣士になる。かつての約束が心を縛る。彼女の頬に伸ばそうとした手を握りしめる。

 ジエンがどれだけ愛おしく思おうとも、クオウはいまだの神の掌の内にいるのだ。


「そ、そうだ!! アレも試してみろよ、ジエン」


 気まずい雰囲気を察してか、クオウは唐突にそう提案した。

 アレ、というのはジエンが今磨いている技のことだ。


 その頃、ジエンは“自分だけの技”の研究に没頭していた。

 剣士を木とするなら、流派は根である。

 ジエンは根を持たない剣士であり、自らの根を探す剣士であった。

 それゆえに、あちこちの道場に顔を出しては、秘かに絶望を積み重ねていたのだ。

 その果てに、人より引き出しの多い己の才を十全に活かすには、それに合う流派を探すより自分で作った方が早いと、半ばやけっぱちな気分で技の構築を始めたのだ。

 元より、あらゆる流派には長所があり、それと表裏に短所や弱点がある。

 デイシン流はたしかにジエンを剣の道に導いたが、それだけでは足りないのだ。

 たとえば、ジエンは同格のデイシン流の剣士に対すれば、十に九は勝利できる。

 流派を突きつめた結果、その破り方をも見出してしまったのだ。


 ゆえに、求めるは唯一無二の利剣。

 誰も真似することのできない絶技。

 天下無双とはすなわち、最強の一刀を振るう者也、と。

 ジエンは既に、その頂に指を届かせていた。


「――――」


 柄を握った両手を左腰に寄せ、居合のように切っ先を背後に寝かせる。

 瞳孔が収縮し、意識を集中させる。

 踏み込みに合わせて腰を旋回させ、肩、肘、手首、小指と力を伝達していく。

 それは技であって、技でない。

 敢えて言うならば、それは儀式だ。

 決められた動作・呼吸を鍵として、意識的に肉体の枷を外す一連の動作群。


 ――後に、“魔剣”の名で呼ばれる業の先触れ。


「――シッ!!」


 虚空に横一文字の線を描いて、なぞるように一刀を振り抜く。

 切っ先が走り、ひゅん、と控え目な刃音が鳴る。

 音よりも速く刃が仮想敵を断絶せしめた確信。

 クオウの前だと張りきったからか、会心の手応えをジエンは覚えた。


 次いで、不自然に軽くなった手元の感触に鼓動が止まった。


 慌てて振り抜いた手元を確認すれば、クオウの処女作は半ばで折れていた。


「――あ」


 茫然とした声がジエンの耳に届く。

 振り向けば、表情を喪ったクオウが目を見開いたまま折れた刀を見つめていた。

 また(・ ・)やって(・ ・ ・)しまった(・ ・ ・ ・)

 後悔がジエンの脳裡を駆け抜ける。


「クオウ、すまな――」

「悪い!!」


 咄嗟にジエンが口にした謝罪を遮るように、クオウは拝むように両手を合わせ、殊更に明るい声をあげた。


「やっぱこんなナマクラじゃジエンの腕に耐えられなかったな!! ハンパなモン渡して悪かった。怪我とかしてねえよな?」

「あ、ああ……その、クオウ?」

「うん? なんだそのツラは? 段平一本折ったくらいで鍛冶師がどうこう言うもんか。待ってろよ、次はもっと丈夫なヤツを打ってやるからな!!」


 だから気にするな、と。謝られてはこっちの立つ瀬がない、と。

 クオウの声は場違いなほど明るい。

 しかし、ジエンの耳にはひどく虚ろに響いた。

 小さな子供に“見捨てないでくれ”と懇願されているような、そんな響きを感じた。


「……クオウ」


 意を決して、ジエンはクオウの手を取った。

 一瞬、クオウがびくり、と震える。

 女鍛冶の掟は無論、彼女こそ重々承知している。

 それでも、ジエンの手を払わなかったのは幼馴染の友誼故か、あるいは――。


「クオウ、それがしは名刀を求めているのではない」

「ジエン?」

「それがしはただ、おぬしの鍛った剣がいいだけだ。他の誰でもない、おぬしの剣が」

「……」

「右手が左手に文句をつけることなどない。それがしの夢はおぬしの剣でこそ果たされる」


 だから見捨てることなどない、と。

 手を握ることしかできない己の不甲斐なさを呪いながら、それをおくびにも出さず、ジエンは告げた。

 壊れぬようそっと握った彼女の指先はざらりとした硬い手触りだ。

 一日中鍛冶場に籠りきりで修業を続けた手だ。

 十八にして一人で剣を打つことを認められたクオウはその実、先達たちの何倍もの時間を鍛冶に充ててきた。

 努力を怠らぬ天才であるからこそ、クオウは例外として認められたのだ。

 そして、その行程は全て、ジエンに剣を与えるため、ただそれだけの為に費やされてきたのだ。


「焦らなくていい。ちゃんと待っているから」


 同じなのだ。ジエンは思った。

 クオウがそうして修業を積み重ねてきたのも、自分が業を磨いているのも、同じ夢を抱いているからなのだ。

 まるで片翼の鳥のように。

 ジエンはクオウの為に。

 クオウはジエンの為に。

 その関係をなんというのか、ジエンは知らなかった。


「……ったく、気ィ遣い過ぎなんだよ、オマエは」


 しばらくして、潤んだ瞳を隠すようにそっぽを向いたクオウはぼそりと呟いた。


「というかな、鍛冶師に名刀でなくていいとか言ってんじゃねえよ!!

 こっちはひと振りひと振り魂込めて鍛ってるんだぞ!! 馬鹿にすんな!!」

「あ、いや、すまぬ。そういうつもりで言ったわけではないのだ」


 ジエンはしどろもどろに弁解するが、クオウはつんとそっぽを向いたまま。

 ますます情けない顔になっていくジエンを見て少女は秘かに溜飲を下げる。

 わざとではないにしろ、いきなり処女作を折られたのは堪えたのだ。

 多少は意地悪をしても許されるだろう。


「ぜったい、ぜぇったい、次はオマエの目ン玉が飛び出すような、すっげえ剣を打ってやるからな。待ってろよ!!」


 それでも、彼女は握り返した手を振り解くことだけはしなかった。



 ――胸の奥に、先を行くジエンに置いて行かれる恐怖をひた隠しにして。



 

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