表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
一章
6/27

出会い・中編

「ショウキてめえ、こんな凄腕どっから連れてきやがった!?」

「蕎麦屋の屋台に転がってたぜ」

「んだとぉ!? 相変わらずてめえのツキはおかしいぞ!!」

「けけ、日頃の行いの差だな」


 随分な言われようだ。

 荒々しい称賛の波を適当に受け流しつつ、ジエンはひとりごちた。

 壁際まで下がれば追いかけてくる者は少なくなった。というより、ショウキの元へ向かって行った。

 ご意見番と聞いていたが、ショウキは若い衆にかなり慕われているようだ。今も荒くれ者たちにもみくちゃにされている。

 たしかに人好きのする性格だ。見目もさっぱりとしていて良い。その上で、あの剣腕があれば人気も出よう。

 もっとも、初対面のジエンに外様であると明言した理由を考えれば、人気の高さは一概に利点ばかりとも言えないのだろう。なにせ、道場にいるのは若い者ばかりだ。


「――ショウキ殿!!」


 そのとき、道場に響いた凛とした声で狂乱じみた熱気がさっと静まった。

 おや、とジエンが片眉を上げて見遣れば、声の主は十四かそこらの袴姿の少年であった。

 まだ男と言えるほど熟してはおらず、化粧でもすれば少女に見えよう中性的なかんばせをしている。

 当然だが、ショウキにとっては見知った者らしい。両手を広げて歓迎の意を示している。


「見てたのか、イズク。どうだ、ジエンは? かなりのモンだろう」

「ええ、驚きました。まさかショウキ殿と伍する方がいらっしゃるとは」

「そうだろう。そうだろう」


 我がことのように喜ぶショウキに微笑みを返し、イズクと呼ばれた少年は真っ直ぐに壁際のジエンの元へとやってきた。

 自然と周囲を囲んでいた者たちも道をあけていく。

 歩く姿もそつがない。一見して、ヤクザ者の集まりにはそぐわない身綺麗な所作だ。


「お初にお目にかかります、ジエン殿。私はイズク。百足組の若頭をしております」

「ついでに言えば、頭の息子だ」

「おお、そうであったか……うん?」


 それとないショウキの補足にジエンは首を傾げた。


「ショウキよ、昨晩、百足組の頭は八十を越していると言うてなかったか?」

「お盛んだろ?」

「……」


 それで済ましてよいのか、とジエンは疑問に思ったが、ひとまず頷いておいた。世の中には枯れない木もあるのだろう。

 一方のイズクはさして気にした様子もなく、手下から木刀を受け取り、ジエンの前に差し出した。


「よければ、私にも稽古をつけていただけませんか?」

「こら、イズク!! その言い草じゃオレが稽古つけてもらったみてえじゃねえか!!」

「違うのですか?」


 真っ向から切り返されたショウキはぐっと言葉に詰まった。

 当人たちはともかく、傍から見れば先の試合はショウキが不利に見えたのだろう。

 実際、あのまま押し切れたのならジエンは勝っていた。


(実戦ならば、もう二、三は引き出しがありそうではあるが)


 敢えて言葉にはせず、ジエンは心中で自戒するに留めた。

 口にして、ではもう一戦となっても風が悪い。一度ついた決着を蒸し返すのは無粋だ。

 それに、次もお互い無傷で済ませられる自信は、ジエンにはなかった。


「他人に稽古をつけるなど十年ぶりでありますが」


 そう断りを入れて、ジエンは木刀を受け取った。

 途端に、ぱあっと顔を輝かせるイズクはとてもではないがヤクザの若頭にはみえない。因果とは不思議なものだ。


「本気でやってやれ、ジエン。そいつは面白いぞ。オレが保証する」


 如才なく手下たちを散らして稽古場所を確保したショウキが野次まがいに助言する。

 そうか、とジエンは小さく頷いてイズクの木刀に物打ちを合わせた。

 来い、と視線で告げれば、イズクは威勢の良い掛声とともに真っ直ぐに打ち込んできた。

 ジエンは丁寧に一刀目を受け、切り返しの二刀目、三刀目を受けて、早くもショウキの言葉の意味を理解した。


「イズク殿、誰に剣を習われた?」

「道場の皆に」


 イズクは衒いなく答える。

 周囲のヤクザたちの顔に誇りに似た表情が浮かぶのをジエンは見た。


(――良い剣士だ)


 さらに続けて切り返しを受けつつ、心中で感嘆の息を吐く。

 イズクの剣は未熟だ。体は細くて頼りないし、ショウキのような底知れぬ剣才も感じられない。

 だが、浮ついたところはなく、それでいて一刀一刀に迸るような熱意が込められている。

 常に相手を見据える視線の強さは成程、周りのヤクザたちに揉まれてきた故だろう。

 体の細さの割に、丁寧で力強い剣捌きは彼らに追いつこうとする努力の成果だろう。

 足運びに古流が混ざっているのはショウキが指導したからに違いない。

 流派固有の歩法はそれだけで一財産だというのに、随分と熱心に教え込んだものだ。

 その気持ちが、ジエンにもわかった。

 ショウキが烈火、ジエンが濁流ならば、イズクは芽だ。腐らず鍛えれば、いずれ大樹となる若い芽だ。

 だから、そのうちに、ジエンの指導にも熱が入っていった。

 内脇を絞めろ、剣線を下げるな、残心を怠るな、等々。

 イズクはそのひとつひとつを乾いた布に水が沁み込むように吸収していく。


「エイッ!!」


 ジエンの熱を受けてか、イズクの掛声にもさらに気勢が乗る。

 素直な剣であるというのは得難い素質だ。

 ジエンも、おそらくはショウキもついぞ持ちえずに教わる立場を抜けてしまった輝かしい素質だ。


(惜しい。尋常の道場であれば立派な剣士になれたろうに……)


 ただひとつ、生まれだけがイズクには具わっていなかった。

 ジエンはそのことが少しだけ悲しかった。

 その日の道場は、日が暮れるまで掛声が絶えることはなかった。



 ◇



 夕方。

 井戸で稽古の汗を流したジエンはショウキと共に昨夜泊った娼館へと戻って来た。


(本拠から離れた場所に床を持つのは、外様なりの気遣いか)


 あるいは頭首や上役に疎まれているからか。有り得そうな話だ。

 人気と実力を兼ね備えた若者など、年上からすれば目障りこの上ない。

 井戸水を被ってさっぱりとした頭でそう考え、自分が気にすることでもないかと思いなおし、据えられた膳に箸を伸ばす。

 今夜は鰹の刺身が主に出されていた。

 地域最大の港を持つだけあって、リシュウの魚は活きが良い。

 わさび醤油をつけて口に放り込めば、しっかりとした歯ごたえと、春先の引き締まった脂と旨みが舌を楽しませる。

 それを肴に飲む冷酒がまた喉をくぐる度に臓腑が諸手を上げて喜ぶ。


「おぬし程の剣士がこんな場末のヤクザに与しているのは、イズクがいるからか」


 ひと通り食事を楽しんだあと、ジエンは対面で、年若い新造と戯れていたショウキにそう切り出した。

 此方を向いた男の顔には、束の間、刀傷すら忘れてしまうような無邪気な笑みが浮かんでいた。


「オレは自分と同じくらいに強い奴には沢山会ってきた」

「であろうな」

「もしかしたらオレより強いんじゃないかって奴にも会ったことがある。アンタとかな」

「……」

「たまたまオレに運があったから勝ちを拾えた、生き残れた。そういう人生だった。だが――」


 ショウキは新造の剥き出しになった肩を慈しむように撫でながら、続けた。


「――だが、斬られてもいいと思えた奴は初めてだ」


 瞳に渇望の熱を秘めたまま、ショウキはそう告げた。

 手つきだけは優しく撫でさすられる新造の肩が、恐怖か、あるいは恍惚によってか、びくりと震える。


「アンタじゃ駄目だ、ジエン。今のアンタじゃまだ(・ ・)、な」

「であろうな。それがしの剣は手段だ。目的ではない」

「……惜しい。ほんとうに惜しいぜ。それほどの腕がありながら……」

「おぬしに言われたくはないよ」


 苦笑と共にジエンはそう返すに留めた。そして、それは本心でもあった。

 この男、ショウキというのはおそらく偽名だ。

 表舞台を避けている自分ですら“魔剣使い”の名は巷間に流布しているのだ。

 翻って、この派手な男の名が広まっていないのは甚だ疑問である。

 ヤクザ者に事情を訊くほどジエンは野暮でも無謀でもなかったが、それでもショウキが見かけ通りの人物ではないことは察しがついていた。


「それで、其の方はいつまでそうしておるのだ――」


 話を変えるため、ジエンは先ほどから顔を伏せている新造に水を向けた。


「――イズク」


 名を呼ぶと、新造はぱっと顔を上げて、思わずしまったという表情をした。

 ジエンは呆れたように溜め息を吐いた。


「若頭がなぜ陰間の真似ごとなぞしておるのだ?」

「あの、これは、その、ですね……」


 視線を逸らし、羞恥に頬を染めたイズクはしどろもどろに言い繕う。

 きれいに化粧をされているが、体型や呼吸はイズクのそれだ。剣を合わせたジエンが見間違う筈がない。


「そういう生まれなんだ。勘弁してやってくれ」

「……半陰陽か」


 問うと、イズクはますます顔を紅くして俯いてしまった。

 ジエンは手酌で茶を椀に注ぐと、静かに啜った。


「まあ、そういうこともあるか。程々にな、ショウキ」

「任せとけ」

(不安だ)


 口にしかけた言葉を茶ごと呑みこみ、ジエンはほう、と一息ついた。

 掌でくるり、くるりと二度、椀を回す。

 港町だからか、茶葉も随分と良い物が揃っている。

 抗争が落ち着けば居心地の良い町になるだろう、ジエンが居つくことはないのだが。


「……怒らぬのですか?」

「なにを?」


 しばしして、おずおずと切り出したイズクに問いを返す。

 大方、半月なのに剣を振るうなど言語道断、とでも言われると思っていたのだろう。

 であれば、この少年は組の者にも体質のことは隠していたに違いない。

 ジエンの目から見ても、線は細いが体つきは男のそれだ。隠すことはさして難しくはなかろう。


「ここにはショウキが連れて来たのであろう?」

「……はい」

「つまり、そういうことだ」

「え? あ、あの……」

「ジエンはそんなちっせえこと気にすんなって言ってんだよ。言葉の足らねえ奴だな」


 後半はこちらに向けてショウキがざっぱな口調で告げる。

 無視してジエンはもう一口茶を啜り、自然と足元に寝かせた脇差に触れていた。


「それがしの剣を鍛ったのは女鍛冶だ」

「!?」

「鍛冶の業に愛された天才だった。約束でな、それがしは彼女の鍛った剣しか差さぬと決めている」

「…………その人はどうなったのですか?」

「死んだよ。もっとも、死に目にすら会えなかったが」


 思わず、言うつもりのなかった言葉がジエンの口から漏れた。

 ショウキの熱にあてられたのか、心が少しだけかつての頃に戻っていたのだ。

 無邪気に天下無双を目指していた、あの頃に。

 全てが焼かれた山で、クオウの死に慟哭した、あの頃に。



 ◇



「不思議な方ですね、ジエン殿は」


 夜半、男の形に戻ったイズクは布団の中でそうひとりごちた。

 声に誘われて、微かな蝋燭の火の下、壁に背を預けて刀の手入れをしていたショウキが胡乱げな目を向ける。


「あんま引き摺られるなよ。アイツはオレと同じ独覚。参考になるとこは多いが、行きつく先は違う。

 ジエンの剣はジエンだけのモンだ。オメエじゃ真似しようとするだけ無駄だぜ」

「……ふふ」


 イズクは思わず笑ってしまった。

 突き放すような口調で的確な助言をするのが、このショウキという男だ。

 大人のような子供で、子供のような大人なのだ。その在り方は少しだけ自分と似ていた。


「私は剣のこととは一言も申していませんよ」

「じゃあ何の話だ?」


 ショウキが至極、不思議そうな顔をする。本当に剣のことしか頭にないらしい。

 少しだけかちんときたイズクは乱雑に布団をはねのけた。


「どうした?」

「そろそろ帰ります。父上が心配しますし」


 言って、立ち上がろうとするショウキを制する。


「ああ、迎えはもう呼んであるので大丈夫です。ショウキ殿も顔を合わせ辛いでしょう」

「……(カシラ)の直属か。そいつはたしかに」


 ショウキは困ったように後ろ髪を掻いた。男は古参の上役たちといたく折り合いが悪い。

 何をさせてもショウキの方が上手くこなしてしまうのもあるが、それ以上にその内に秘めた熱を恐れているのだ。イズクにはそう見えた。

 何もかも焦土に帰してしまうような渇望の熱。その矛先がいつ自分たちに向くか気が気でないのだろう、と。


「それでは、良い夢を」

「ああ、オメエもな」


 それでも、ショウキは上り口までイズクを見送った。

 迎えの男たちに睨まれるのもどこ吹く風と、快い微笑でもってイズクを送りだした。


 あるいは、なにか予感するものがあったのかもしれない。





 夜のリシュウは痛いほど静まり返っている。

 徘徊するヤクザ者を恐れて住民たちも家に引きこもっているのだ。

 これでは娼館など商売あがったりだろうに、何故かショウキに任せた一軒だけは繁盛している。

 そういった手管も学んでいかねばならないと、イズクは思いを新たにする。


 ――元を辿れば、今度の百足組と白喰組の抗争は内輪もめだ。


 イズクの父が一代で広げたシマに、他所から流れてきた白喰組が傘下に入ったのが二十と数年前。

 順調に代替わりした白喰組に対し、百足組はイズクの兄たちが立て続けに病没したために未だに父が頭を張っている。

 その父も八十歳を過ぎていつ死んでもおかしくない。どころか、イズクを母と見間違えるほどに耄碌してしまっている。

 この機に乗じて仁義を知らぬ白喰組が下剋上に走るのも当然であるし、それを受け止め、叩き潰す義務がイズクたちに生じるのも必然であった。


 ゆえに、その出会いもまた必定であったのだろう。


 眩いほど月が輝く夜道に、ふとイズクは幽霊をみた。

 道の真ん中にぼんやりと立ち尽くした白い影。

 髪から着物から、全てが白く、月光に溶けてしまいそうな朧な影。

 ただ、その両目だけが血のように、赤い。


「若、下がってくだせえ」


 無論、それを真に幽霊だと思う者はいない。

 なぜなら、既に組の者が四人返り討ちにあっているのだから。

 イズクの護衛たちはめいめい匕首や刀を手に白影を取り囲んだ。


 白影は動く様子はない――否、その手にはいつの間にかひと振りの刀が握られていた。


 ――“白月骨喰雪定”


 その名の通りの、白い月の如き幅広の一刀。骨を断ち割る名刀。白喰組の名の由来となった宝刀。


(白喰組は本気で私たちを潰す気か!!)


 宝刀を血で濡らすということは、敵対者の命で以って穢れを雪ぐまで止まらぬと誓ったということだ。

 そして、その誓いを託すだけの実力が目の前の剣士にあるという証明でもある。

 喫緊の状況からそこまでを読みとると、イズクの脳裡にけたたましい警鐘が鳴り響いた。


「ひとり、娼館に戻ってショウキ殿を呼んで来い。奴は此処で討つ」

「若!? あんなどこの馬の骨とも知れねえ奴の力を借りずとも――」

「いいから、早く!!」

「へ、へいッ!!」


 包囲を解いてひとりが元来た道へ駆け出す。

 全力で走れば娼館まで五分とかからない。往復で十分。それだけ守ればイズクたちの勝利だ。


 ――勝利の、筈であった。


 そのとき、イズクはぴちゃり、と聞き慣れない音を聞いた。

 喩えるなら、水たまりに頭から突っ込んだような音だ。


 それが、背後から聞こえた。


「――――え?」


 思わず、イズクは振り返ってしまった。

 そして、見た。見てしまった。


 十歩先で、応援を呼びに行った筈の手下が血の海に沈んでいた。

 その首が、夜道をころり、ころりと転がっていた。


 瞬間、少年の中で何かが切れた。


「――総員かかれえええええええええッ!!」


 イズク自らも抜刀し、四方から一斉に怨敵へ突きかかる。

 おそらく、彼の決断は限りなく最適解であった。

 抜き手も見せずに刈り取る相手に対し、背を向けても逃げ切れはしない。

 まだ手下に恐怖が伝播せぬうちに、全員が動けるうちに、一斉に攻撃を仕掛ける。

 イズクたちが勝つにはそれにしかなかった……それしかなかったのだ。


 冴え冴えと輝く月の下。

 白い影がニィと嗤うのを、イズクは見た気がした。


 影の名は――“白蝋剣”のシガ。





 しばし後。

 帰宅の知らせがないことで、ジエンとショウキは異常を察知した。

 だが、ふたりが急ぎ現場に到着したときには全てが終わっていた。


 四肢を切り飛ばされた死体の山。

 通りにばらまかれた臓物の海。

 むせかえるような血のにおい。

 土と混ざって赤黒く変色した血泥。

 肉の隙間から剥き出しになった骨の白色。


 そして、衣服を剥ぎ取られて磔にされた物言わぬ少年。


 ――その夜、リシュウの住民は狼の咆哮を聞いた。



 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 何故かショウキに任せた一件だけは繁盛している。 一軒ではないでしょうか。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ