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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
一章
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出会い・前編

 ……思えば、町に来た時からおかしいと思ったのだ。

 手近な屋台で蕎麦を手繰りながら、ジエンは今更な後悔を抱いた。

 視線の先、暮れなずむ往来を懐に匕首を呑んだ者たちが徒党を組んで徘徊している。

 きょろきょろと忙しなく動く目には剣呑な光が宿っている。明らかにカタギでない。

 ヤクザ、博打打ち、浪人、無頼漢等々。常道からあぶれる者というのはどこにだっているものだが、その多くは“分”をわきまえている。大手を振って表を歩ける立場でないと理解している。

 特にこの町、リシュウは地域最大の港を有する交通の要衝だ。お上とて彼らの横暴な振る舞いを許しはしないだろう、通常ならば。

 つまりは、端的に言って異常事態。肌を刺すような緊迫した空気にも納得がいくというものだ。


「しかし、まさか木賃宿すら追い出されるとはな……」

「仕方ねえよ。いま町は百足組と白喰組の抗争の真っ最中だ。アンタみてえな見るからに浪人でございってな奴ぁ警戒されるモンさ」

「人死はでておるのか?」

「ぼちぼちな。だからああして警戒してるのさ」

「成程な。ところで――」


 ジエンはいつの間にか隣に座っていた男に視線を向けた。


「おぬしはどこの誰だ?」

「ショウキってんだ。よろしくな」


 ず、ずと軽快に蕎麦を啜り、男はにっかりと笑った。野趣溢れる中にどこか上品な気配のする笑みだ。

 若づくりだが、実際の歳はジエンよりやや若い程度だろう。寸鉄も帯びていないが、瀟洒な笹模様の羽織袴から覗く胸元は鍛えられたそれだ。

 髪色はやや薄く、右目を通る刀傷がなければ、顔形も美形と言って差し支えないほど。

 総じて、凶相だが不思議と愛嬌がある。もっとも、カタギではないのはたしかであるが。


「店主、勘定だ」

「へい」


 ショウキと名乗った男はあっという間に蕎麦を平らげると、二人分の代金を払って軽やかな動きで立ち上がった。


「宿を探してるんだろ? ついて来な、“魔剣使い”のジエンさんよ」

「……うむ」


 ジエンは言葉少なに頷いた。素性を把握されているとなればここで断っても面倒なことになるだけだ。

 加えて、今から次の町に向かおうにも通用門は既に閉められている。これだけヤクザ者が歩き回っていればいつから目をつけられていたかもわからない。

 つまりは、相手の掌の上だ。木賃宿を追い出されたのも当然だろう。

 ジエンは腰の脇差をひと撫ですると、観念してショウキのあとについた。




 しばし夕闇の街を歩き、ショウキに案内されたのは娼館であった。

 元は商屋かなにかだったのだろう。通りふたつを入った所にある二階建ての、存外に見られる建物だ。

 港町にはままあるものとはいえ、ジエンには随分と繁盛しているように見受けられた。


「なんとも大っぴらにやっているな。公許を得ているようには見えないが」

「はっきり言うねえ。まあ、鼻薬が聞いてるうちは目こぼしされてるのさ」


 ショウキは勝手知ったるとばかりに門をくぐるとそのまま二階の座敷に上がり込んだ。

 対面にジエンが座ると、既に用意されていたのか、間をおかず数人の遊女が膳をふたつ据えた。


「まずは一献……と言いたいところだが、酒はいけるクチかい?」

「遠慮しておく」

「そうかい。こっちは勝手にやらせてもらうぜ」


 すげなく断るジエンに無理強いはせず、ショウキはひとつ杯を指先で摘んで掲げた。

 たったそれだけの動作が随分と様になっている。顔の傷さえなければ役者でやっていけるだろう。

 遊女すらしばし見惚れて、はっと我に返り慌てて酌をする。

 注がれるままにショウキはぐいっと呷り、酒精の混じった息を吐いた。


「で、おぬしはどちらの組の者だ?」


 気を抜いた一瞬を縫うように、ジエンの問いが投げかけられる。

 ゆらりと燭台の火が揺れる。襖に映るショウキの影が一段と濃さを増した気がした。


「百足組のご意見番をやってる。外様だがな。あとは、頭が八十越した爺でな、こういう店の手配もやってる」

「そうか」

「驚かねえんだな?」

「……おぬしの顔を見ればなあ」

「ハッハー!! 違いねえ。最近は正面から言われることもねえからすっかり忘れてたぜ」


 ショウキは顔の刀傷を慈しむように撫でた。

 ヤクザものにとっては、あるいは名誉の傷というものなのかもしれない。


「ひとり、斬ってほしい奴がいる」

「……ふむ」


 ややあって、真面目な表情をとったショウキはそう切り出した。

 予期していたことではあるが、ジエンは即答を控えた。

 旅をしていればこうしたことはままある。剣腕で賃金を稼いだ経験もある。そのあたり、武士の矜持とはジエンは縁がなかった。

 とはいえ、状況がみえぬうちから安請け合いすることはどちらにとっても好ましいものではない。

 それなりに乗り気であるように装いつつ、ジエンは探りを入れた。


「名は?」

「“白蝋剣”のシガって男だ。ここらじゃ名の知られた使い手だ」

「手下にやらせないのは何故だ?」

「四人ほど仏にして帰されてんだ。中々の腕だわな。あとはもうオレが出るしかねえ……ってところにアンタがしかめっ面で転がり込んできたわけだ」


 呵々と笑ってショウキが杯を乾かす。

 場が暖まってきたからか、遊女が後ろでべん、と三味線を鳴らし始めた。

 話を遮らぬよう控えめに奏でられる音を聞きながら、ジエンはショウキへ手を差し出した。


「一杯いただこう」

「おや、気が変わったかい?」


 ショウキは笑みのまま杯を渡す、直前、その手首をジエンはがしりと掴んだ。

 杯がごろりと畳の上に転げ落ちる。ショウキは反射的に振りほどいたが、その間に見るべきものをジエンはしかと見取っていた。


「剣、槍、弓、組み打ち……その火傷跡からして鉄砲もか。他にもそれがしの知らぬ得物を使えるな」


 確信を以ってそう告げると、ショウキは僅かに目を見開いた。

 ジエンはショウキの手の内を見たのだ。剣を握ればたなごころに、弦を引けば指の腹に。その者の学んだ武芸の痕跡が手の内には残る。

 達人となれば手を握っただけでその力量がわかる、とは武士の間でまことしやかに囁かれる噂である。


「……鎖鎌さ。生まれが西方でな。旋回棍もちっとは使える」


 ややあって、ショウキはばつが悪そうにそう告白した。

 己とさして変わらぬ歳でよくもまあ、とジエンは呆れとも称賛ともつかない感想を抱いた。

 このショウキという男、かなりの腕だ。ジエンとて元は武家の端くれ、剣以外は使えぬなどという体たらくではないが、それでも歴然たる差を感じた――剣以外では。


「剣ならいい勝負になる、って面だな、ジエン」

「……そのシガという男がおぬしより使えるとはそうそう思えんぞ」

「やめてくれ。男にヨイショされても嬉しくないぜ」


 言い合い、互いに探るような視線を交わす。

 いつしか三味線の音が遠のいている。ジエンは無面目のうちに腰の大小を確かめた。

 しばしして、ショウキは殊更に雰囲気を和らげ、ひょいと杯を拾った。


「で、どうする?」

「……お受けしよう。長居はできぬ身だが」

「構わん。どうせ月が変わる前にはケリがつくさ」


 ジエンは杯を受け取る。とくとくと酒が注がれ、水面が揺れる。


「では、今度こそ一献。我らの出会いに」

「うむ。我らの出会いに――」


 果たして、受け取った酒は喉を焼くような熱さであった。



 ◇



 明くる日、陽も昇りきらぬ早朝、ジエンはショウキに連れられて町の大通りを歩いていた。


「アンタの見立て通り、オレはいろんな武芸に手出してる」

「昨夜の話か」

「おうよ。これでも器用なクチでな。なんでも一流まで手を届かせられた。仕合もいくらかしてきたが、いまだに無敗なんだぜ」


 無傷とはいかなかったけどな、と顔の傷を撫でながらショウキは笑う。

 昨夜の酔いはもう抜け切っているのか、随分としっかりとした足取りだ。


「けどな、そこまでなんだ。オレには一流の先が見えねえ。なのに、勝っちまう。そいつはおかしいだろ?」

「おぬしが強いだけだ。なにもおかしくはなかろう」

「そいつは一流の先が見えてる奴の言葉だぜ、ジエン」


 ショウキは傍を通った棒手振りから柑橘をふたつ買うと、ひとつをジエンに投げ渡し、皮ごとかぶりついた。

 朝の空気に微かに酸味のついた香りが溶け込んでいく。

 ジエンも彼に習って果実にかぶりついた。途端に目の覚めるような酸味の果汁が口中に滴り落ちていく。


「オレはその先ってやつを見たいんだ」


 その一言に絶望に似た渇熱を覗かせて、ショウキは告げた。

 ジエンはそこに過去の己を見た。まだクオウが生きていた頃、無邪気に夢を語っていた頃の己を。

 少しだけ、この男に興味が湧いた。ジエンにしては珍しいことである。

 魔剣の奪還は無論、至上命題だ。

 だが、ショウキが両眼に宿す熱にはどうにも惹かれるものがあった。


 ――強さ、だ。


 純粋なまでに強さを求めるギラギラと飢えた瞳、その熱をジエンも覚えている。

 “天下無双”、かつてクオウと約束したそれを覚えているのだ。



 さて、ショウキが案内したのは百足組の本拠地である郊外の屋敷であった。

 意外なことに道場もあり、開け放たれた戸から甲高い叫びが聞こえてくる。

 出入りが近いとはいえ、ヤクザ者らしからぬ熱心さにジエンは心中で評価を改めた。


「アンタもひと汗かいてくかい?」

「そのつもりで連れて来た癖に、よく言う」


 道場に入るなりの言葉に、ジエンはじとりとねめつける。

 ショウキは悪びれもせず、にやりと笑うばかり。

 とはいえ、先のショウキの言葉も気になるところではあった。

 この男が一流の先とやらを目指しているのなら、ここでその実力を見ておきたくもあった。

 ショウキは手下から木刀を二本渡され、その内の一本をジエンに寄越した。


「お手並み拝見といこうか、“魔剣使い”」

「うむ――」


 ふたりは揃って神棚に一礼し、次いで互礼を交わし、構える。

 気付けば、周囲で稽古していた者たちも手を止め、遠巻きに観戦している。

 ジエンは彼らの視線を感じつつも無視し、対面のショウキに集中する。

 呼吸を整え、木刀の切っ先を触れ合わせる。


 空気が張り詰める音を聞いた気がした。


 合図もなく、静かに試合は始まった。

 正中線を取り合って、互いの足と互いの切っ先が小刻みに揺れ動く。


 先手を取って仕掛けたのはショウキであった。


 素早い踏み込みから、小細工のない真っ向からの面打ちが放たれる。

 呼吸の継ぎ目を縫うような繊細さと、一刀で切り伏せんとする荒々しさを絶妙に両立させた一撃。

 それをジエンは体ごとねじ込むようにして根元で受けとめた。

 みしり、と木刀が軋む。根元で受けてなお、ショウキの剣は重かった。


 一瞬、互いの木刀が離れ、次の瞬間には再び吸い寄せられるようにぶつかり合う。

 木霊を待つ暇もなく、カン、カン、カンと打突の音が道場に連続する。


 この間、攻めているのはやはりショウキであった。

 剣の鋭さは烈火の如く。優れた瞬発力と反射神経に加え、獣じみた勘が継ぎ目のない攻勢を可能なさしめている。

 しかし、有利なのはジエンであった。

 冷静にショウキの剣を見切り、着実に反撃を加え、対手の刃圏を削いでいく。

 五手に一手だった返しが、その内に三手に一手となり、遂には一手に一手を返す接戦となる。

 それこそがジエンの最も優れたる点、適応力である。

 太刀を持てば太刀を扱い、脇差を持てば脇差を扱う。あらゆる魔剣に適応する能力は、仕合においては対手の剣へ発揮される。


「――チィッ!!」


 まるで泥のようだ。気合と共に木刀を打ちこみながらショウキはそう判じた。

 柔らかく、粘り強く、それでいてひとたび流れを掴めば濁流のように押し寄せてくる。

 その直感は至極正しい。

 ジエンの剣の骨子、彼が印可を許されたるはデイシン流、すなわち泥の神(オモダル)を奉ずる剣なのだ。


「――っ」


 対するジエンも応手を止めぬまま、しかし勝負を決めかねていた。

 デイシン流に添って言えば、押し流す一手を掴めぬのだ。

 それは接戦になってなお、ショウキの攻勢が途切れないからだ。

 驚くべきことに、ショウキは攻撃を回避、ないし防ぎながら攻め続けているのだ。

 回避の一歩はそのまま踏み込みの一歩に転じ、防御の剣はそのままの軌道で攻撃となる。

 おそらくは甲冑兵法、それも戦場での一対多を想定した古流派。ジエンはそう見切った。

 ゆえに一手、相手の踏み込みに合わせて此方も深く踏み込む。

 触刃から一足一刀を割り、さらに深く鍔迫り合いの間合いまで進攻する。


「ッ!!」


 ショウキの目が見開かれる。

 だがそれも一瞬のこと、彼は即座に逆手に持ちかえて至近での切り上げを放ってきた。


(そうだ。そうくると読んでいた)


 対するジエンは鍔迫り合いをするかのように真っ向から剣閃を受けとめ、押し込んでいく。

 “圧し切り”。すなわち、刃の触れた状態から押し込んで、斬り落とす。

 下肢の重さ、腰で切ることを重要視するデイシン流の得意技であり、薄明の魔剣の元となった技だ。


 絡み合った木刀がぎりぎりと軋みをあげる。

 不利なのはショウキである。膂力では若い彼に分があるが、如何せん逆手切りは片手の技。

 腰を据え、両手で押し込むジエンに対しては不利にならざるを得ない。

 それでもなお拮抗しているのは男の隔絶した身体能力を証明しているが、しかし、人体は力を込め続けられるようには出来ていない。


『――――!!』


 均衡が崩れる、その瞬間、ショウキの左手が僅かに揺れた(・ ・ ・)のをジエンは見て取った。

 だが、その結末をみるより早く、互いの木刀が限界を迎えた。

 ばきり、と二振りの木刀が根元から折れ砕ける。


「む……」

「あちゃあ、やっちまったな」


 咄嗟に間合いを離したふたりは柄だけになった木刀を見て、次いで互いの顔を見遣った。

 この引き分けは天の配剤であろう。

 どうにも木刀を換えてもう一度、という空気ではなかった。

 ふたりは苦笑し、共に一礼する。


 しん、と道場に静寂が満ちる。

 そして、割れんばかりの歓声に包まれたのはその直後であった。




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