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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
一章
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魔剣・飛燕:後編

 月に雲がかかったうす暗い夜。

 ジエンが客間でひとり布団にもぐっていると、背中で静かに戸が開けられる音がした。


「いい湯だった」


 そう声をかけると、客間に忍び込もうとしていた人影がびくりと震えた。


「こんな夜更けに何の用だ、女将?」

「起きてらっしゃったのですね、ジエンさん」


 ジエンは身を起こし、枕元の油皿に火をつける。

 灯りの向こうに、薄手の寝衣を纏った女将の姿がぼんやりと浮かび上がった。

 揺らめく焔と相まって、薄く化粧の施されたかんばせはどこか幻想的であった。


「この界隈のゴロツキたちを束ねているのは“凶剣”のヘグイという男です。粗暴ながら剣の腕は別格で、瞬く間に近傍の鉄火場を支配してしまいました」

「その男が“剣狼衆”の一員だと?」

「おそらくは」

「……そうか」


 ジエンは何かを堪えるように小さく唸った。

 剣狼衆の名が広く流布するようになったのはここ数年のことだ。

 それまでは頭数こそ多いものの、各道場のはみ出し者の寄せ集めでしかなく、さして名を知られる集団ではなかった。

 良くも悪くも、浪人の集まりでしかないと考えられていたのだ。


 だが、ある時から勇名、悪名を問わず、彼らの名はよく知られるようになった。

 曰く、十の道場を破った。曰く、どこぞの高名な剣士を討ち取った。曰く、百人相手に無傷で勝利した等々。

 そして、そんな彼らの功績の端緒には、どこぞの鍛冶場を焼き討ちして手に入れた“魔剣”の存在があった。

 折れず、曲がらず、錆びることのない刀。クオウの鍛えた刀。彼らの躍進の理由は優れた武具にあった。


 ――その理不尽を、断じて許してはおけなかった。


 無論、魔剣の奪還よりは一段下がる目的だ。

 しかし、魔剣の多くが彼らの手中にある事実が、ジエンを留める理由を奪っていた。


「ジエンさま(・ ・)、後生でございます。どうか、ヘグイを討ってくださいまし」

「借金のためか?」

「家を捨てた旦那のものですが……それでも、私ひとりならいいのです。伴侶を選ぶに、見る目がなかったと諦めもつきます。ですが、ハクは、あの子まで借金のカタに売り飛ばされるのは、あまりに哀れで……」


 堪え切れず、女将は顔を覆ってさめざめと泣きだしてしまった。


「お願います。お金はありませんが、体で、どうか……」

「では、先払いでいただこう」


 ジエンはじりりと膝を詰めると、寝衣が肌蹴て谷間を晒す女将の豊かな胸元に手を突っ込んだ。

 びくり、と女将の体が震えたのをジエンは感じた。それが怯えか、はたまた違う感情であるかは判然としなかった。


「あ、灯りを消していただけませんか?」

「その必要はない」

「――っ」


 女将はなにかを堪えるように歯を噛む。

 ジエンの腕は逞しく、筋が浮き出てごつごつとした肌触りだ。記憶の中の夫のそれとは明らかに違う。

 懐をまさぐられるだけで、胎の底を弱火で炙られるような熱が女将に灯る。


 しばらくして――――ジエンの腕は呆気なく引き抜かれた。


「……え?」

「報酬にこいつをいただきたい」


 ジエンが手にしているのは女将が懐に隠し持っていた小柄(こづか)であった。

 それは珍しく亡き夫が賭場で勝ち越した際に、どこぞの浪人から借金のカタにせしめたものだ。

 刀身は女将の掌ほどの短さ、重ねは爪ほどの薄さだが、よく切れ、折れず、曲がらず、錆びることもなかった。

 普段使いは勿論、ヤクザものが日々嗾けてくる今となっては女将の最後の拠り所であった。

 何故これを、と視線で問えば、ジエンはひどく穏やかな貌をしていた。

 それこそ、まるで昔馴染みに会ったような――。


「この店に入った時、おぬしは何故と問うたな。その理由がこれ――魔剣だ。それがしはこれを求めて旅をしている」

「魔剣? こんな小刀が?」

「うむ、本来は――」


 ジエンは手元に引き寄せた脇差の鍔元に小柄を嵌め込む。

 小柄はまるで誂えたように――真実そうであるのだが――鍔の穴を通して、ぴたりと鞘の窪みに納められた。

 その様を見せられては女将も返せとは言い出せなかった。

 元より、あぶく銭の成果である。夫の借金を知らぬというのなら、その成果も手放して然るべきだろうとも思った。


「こんな小さなものを求めて旅しておられるのですか?」

「……形見だ」


 そのひと言に、果たしてどれだけの激情が秘められていたのか。

 じりじりと燃える油皿の向こうに見える男の貌に、女将は何も告げることができなかった。



 ◇



「オレを呼び付けたふてぇ野郎はアンタか?」


 明くる日の朝、旅籠の前には十数人のヤクザが勢ぞろいしていた。

 ジエンに投げ飛ばされた件のヤクザは約束を守ったのだ。

 もっとも、当の本人は首だけになって朝の旅籠に投げ込まれたのだが。

 おかげで女将は気を失ってしまい、今はハクが奥で面倒をみている。


「おぬしが頭か?」


 店の前に立ちはだかったジエンは、問いかけつつ、男の首を投げ返した。

 受けとめたのは、一見して蟷螂のような風貌な男だった。

 痩せた体、落ち窪んだ眼窩、つり上がった目。殊更に怒らせた左肩は長く刀を差して生活していた証左だろう。


「そういうアンタは“魔剣使い”のジエンだな。派手にやってるじゃねえか、よ!!」


 直後、男が首を投げ捨て、大股で距離を詰めて刀に手をかける。

 ジエンは咄嗟に前に出て両腕を伸ばし、旅籠を囲んでいたヤクザを盾にする。

 次の瞬間、跳ねるような鋭角的な剣閃が天と地の狭間に閃いた。


「邪魔だぁッ!!」


 男が叫ぶ。抜きざまに三人の手下を断ち割った剣閃が、手妻の如くさらに切り返して切っ先をジエンへと延ばす。


「――っと」


 盾を犠牲にして稼いだ時間で、ジエンはさらに後ろに跳んで、迫る一閃を寸でのところで回避した。

 切っ先に掠った前髪がちりりと燃えるような音を立てる。

 追撃はなかった。挨拶としてはこれで十分ということだろう。

 “凶剣”のヘグイ。成程、その目は人と巻き藁の区別もついていないようであった。


「オレの燕返しを躱すとは、聞いてた以上の腕だな、“魔剣使い”」

「名乗れ、ヤクザ。剣狼衆なのだろう?」


 縮れた前髪を掻き上げ、ジエンは言い放った。

 周囲では蜘蛛の子を散らすようにヤクザたちが逃げだしている。

 対するヘグイも周囲の混乱は目にも留めず、喜色に似た戦意を滾らせて頷いた。


「応よ。我こそは剣狼衆の一員にして、“凶剣”のヘグイ。いざ尋常に勝負だ!!」

「――――」


 名乗りを受けたジエンの目がすっと細まる。

 それは、この男にしては珍しい、苛立ち、あるいは落胆と呼ばれる感情だった。

 ヘグイの意気が空回りする。場にどことなく白けた空気が蔓延した。


「どうした? やらんのか?」

「……おぬしは、ふたつの事実を知らぬ」


 その中で、億劫そうに、あるいは子供に言い聞かせるように、ジエンは左手の人さし指を立てた。


「ひとつ目、剣狼衆には明確な階級がある。一頭、双牙、四脚、八爪、九尾。そこに含まれぬ使い走りもいるやもしれぬが……おぬしはそうではあるまい」

「なにぃ!?」


 甲高い胴間声が朝の街道外れに響く。

 どうやらヘグイにとって初めて聞いた話だったらしい。

 隠しようもない驚きがその顔を彩っていた。

 単純な奴だ、とジエンは思った。下級であることを恥じているだけという可能性も考えていたのだが、哀れ過ぎて笑う気にもなれなかった。

 容赦する気は、起きなかったが。


「そんな、だって、クガラの旦那は俺を剣狼衆に加えてやるって、たしかに!!」

「“神刀”のクガラ、か。そやつの名は聞いたことがあるが……」


 悪名も名声のうち、ともいう。

 木端な悪党でも放し飼いにしておけば、それなりに名も広まるということだろう。

 幾度か干戈を交え、多少なりとも彼らの動向を知るジエンはそう推察した。


「ふむ。さては体のいいダシに使われたか、あるいはそのクガラの戯れか?」

「嘘だ……嘘だ!! テメエの言うことなんか信じねえ!!」

「疑うなら本人に尋ねればよかろう。もっとも、おぬしにその機会はないが」


 憐れむような声音でそう告げて、ジエンは人さし指に続いて左の中指を立てた。


「ふたつ目だ。おぬしのそれは燕返しではない」

「――は?」


 その無残な宣告は、先とは比べ物にならない激情をヘグイに与えた。


「テ、テメエ!! 言うにこと欠いてオレの剣を侮辱するか!!」

「先に蔑んだのはおぬしの方だ。手首を返しての高速の切り返し。成程、燕返しの要諦ではあるが――」


 ジエンはゆっくりと脇差の差し面から小柄を引き抜く。

 次いで、小柄を捧げ持つように掲げた右腕がぎちり、と無数の虫がさざめくような音を立てる。

 投擲体勢だ。

 しかし、体を低く落とし、右腕だけを後方高くに振りかぶった異形の構えは、対敵するヘグイをして眉をひそめる、理解を超えた構えだった。


 その困惑の隙を衝いて、ジエンは小柄を投げ放った。

 振り子のように振りまわされた拳先が僅かに地面を擦る。

 一瞬、その右腕が倍近く伸びたように見えたのは、果たして錯覚か。


 ぼっ、と空気を叩き割る音を鳴らし、小柄が宙を走る。

 真っ直ぐに翔ける小刀は燕の速度で以って正確にヘグイの胸元に襲いかかる。

 無論、いくら速かろうと正面からのあからさまな投擲が当たる筈もなし。

 ヘグイは咄嗟に、飛刀を叩き落そうと剣を振る。燕返しと信じた剣を。

 だが、次の瞬間、小刀の軌道が剣閃を躱すようにかくり(・ ・ ・)と変わる。

 迎撃が空を切る。切り返しは間に合わない。

 ヘグイは為す術なく、その喉を貫かれた。


「――それでは、燕は斬れんよ」


 それこそは人為の奇跡。道理を外れ、条理を踏み越えた魔剣の真骨頂。

 小さな刀身にうっすらと刻まれた複数の溝、ジエンのみが知るそれらに風を通せば、軌道を自在に操ることを可能とする。


 ――魔剣・飛燕


 魔剣がまたひとつ、ここに完成した。


「ガ……バ、ガ……」


 声の代わりにごぼりと赤黒の塊を吐き、ヘグイは自らが斬った手下の血の海に倒れ伏した。


「剣を弄んだ報いだ。疾く去ね」

「――――」


 びくりびくり、と数度震えた後、ヘグイは死んだ。

 それを見届けて、ぱきん、とジエンの肩が鳴る。関節の外れた音だ。

 尋常の振りでは魔剣と呼ぶ域の軌道はとれない。

 ゆえに、必要な速度と回転を加えるために関節の可動域を広げたのだ。

 ぷらぷらと揺れる腕を掴み、ジエンは歯を噛んで外れた肩の位置を直す。


「ぐっ――」


 こきん、と存外に軽い音が鳴る。

 半端に躊躇えば余計に後を曳くため、思い切って嵌めたのだ。おかげで痛みはあまりなかった。

 だが、関節を中心に痺れるような感覚が右腕に残っている。腱が傷んだやもしれない。どちらにせよ、しばらく剣は振れないだろう。

 次いで、死体から飛燕の小柄を回収して鞘に嵌めこむ。

 小さくとも、魔剣である。その刃が穢れることはなかった。


「さて……」


 周囲を見渡せば、幸運にもまだ息のあるヤクザが残っていた。

 腰を抜かしたまま、仲間にも置いて行かれたらしい。

 ジエンはその男の手にいくらか銭を握らせた。


「おぬし、こやつらの死体を片付けてやれ。できるな?」

「な、あ――」


 ヤクザの口はぱくぱくと意味を為さない音を出す。

 ジエンは真っ直ぐに視線を据えて、噛んで含めるように言った。


「加えて、この旅籠には以降一切手を出すな。燕に斬られたくはないだろう?」

「う、あ……はい」

「よし。仕事にかかれ」


 尻を叩くと、男は跳び上がるようにして仲間の死体に取りついた。

 そうして男が片付け終わる頃には、ジエンの姿はもうどこにもなかった。



 ◇



 女将の目が覚めたのは昼も過ぎた頃だった。

 昨夜は緊張で眠れなかったのか、ハクも足元で眠っている。

 娘の安心したような寝顔に、女将は事態が終焉したのを感じた。


 晴れ晴れとした気持ちで身を起こす。

 その際に、枕元に書き置きがあることに気付いた。ジエンの筆だ。

 大したことは書かれていない。出立の旨と一宿一飯の礼、それにいくらかの銭が添えられている。


「……こんなにもらえないって言ったのに」


 全て終わったのだ。

 改めてそう悟り、女将は手紙を胸に一筋の涙を零した。

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