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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
一章
3/27

魔剣・飛燕:前編

 冬が明け、雪解けの水が小川に流れ込むようになった頃のこと。

 ジエンはいまだ旅の身空にあった。

 幸いなことに、成果はあった。冬の間に奪還した魔剣は三振り。いずれも故買商や後ろ暗い商売をしているヤクザものから買い取り、あるいは奪い取ったものだ。

 危ないところだった。西方帝国にでも流れれば、ジエンとて探すのに骨が折れただろう。それならばまだヤクザものが腹に呑んでいる方がマシというものだ。

 ジエンは魔剣の卵にそれら三振りを喰わせ、再び旅に出て、今に至る。

 現在は冬の間は雪に閉ざされていたカザミ藩の北部をぐるりと巡っているところだ。

 長らくアテのない道行きだったが、最近は近くに魔剣があるのがわかるようになっていた。

 ある種の震えを感じとれるようになってきたのだ。


 魔剣の刀身は独特の音で、啼く。


(クオウが言っていたな。お前はよく物をなくすから、探しやすいようにしてやる、と)


 おそらくは刀身同士の共鳴、それがジエンを誘っているのだ。

 ものぐさも時には役立つものだ。

 ジエンは耳の奥を震わせるその音に従って、街道から外れた場所にある一件の旅籠に辿り着いた。

 小さなところで、民家で余った部屋を貸しているといった風情だ。あまり流行っているようにもみえなかった。


「御免」

「……お金ならありませんよ」


 戸をくぐると、番台に座っていた女将が開口一番そう告げた。

 二十半ば、目元に泣き黒子のある女だ。寂れた旅籠には似合わぬ程度には見目もいい。

 あんまりな迎え文句にジエンが怪訝な表情をしていると、女将は億劫そうに此方を見遣って、飛び上がらんばかりに驚いた。


「あら、もしかしてお客さんですか!?」

「いや、それがしは」

「すみません!! すぐに仕度をいたしますね。ハク、お客さんよ!!」


 女将が立ち上がり、着物の上からでもわかる肉付きのよい尻をジエンに向ける。

 そうして奥の客間に向かって声を張り上げると、「ええ!?」と驚くような声に続いて喧しい足音が響き、十歳ほどの女童がひょっこりと顔を出した。


「あ!! ほんとにお客さんだ!!」


 ジエンを見て目を丸くしたのも一瞬、ハクと呼ばれた女童は喜色満面の笑みでジエンの手を引いた。

 近くで見れば、ハクはどことなく女将に似ている。奉公という風でもないし、娘だろう。


「客間の掃除は終わってるよ。夕飯はいるの? だったら今から準備しないといけないんだけど」

「待たれよ。それがしは客ではなく……」

「違うの?」


 邪気のない瞳がすがりつくようにジエンを見上げる。

 ジエンはちらりと女将を、正確には着物を押し上げるその豊かな胸元に視線を向けてから、ハクに戻した。


「……風呂はあるか?」

「薪代がかかるよ」

「構わぬ。旅塵を落としたい」

「じゃあ準備するね!!」


 ぱっと表情を輝かせたハクが裏手に走っていく。

 その背中を見送って、ジエンは番台にいくらかの銭を置いた。


「そういうことになった。夕飯も頼めるか?」

「はい。あの、こんなにもらえません」

「取っておいてくれ」


 事によっては荒事になるから、とは口にせず、ジエンは草履を脱いで客間にあがった。



 ◇



 夕飯は白米に漬物と煮汁、それに山菜の天ぷらが供された。

 旅行者向けなのだろう。塩気のある煮汁は体に沁みるようで、まだ微かに熱の残る天ぷらを噛むとじわりと閉じ込められた旨みが口の中に広がる。

 岩塩をひとつまみかければさらに味が引き締まって良い。

 それらを肴に白米を掻き込み、締めの漬物を齧ってジエンはようやく一息ついた。


「うまいな。女将が作ったのか?」

「手前味噌で申し訳ありません。親の代は板前もいたのですが……」


 茶を注ぎながら女将は恥入るように言った。

 なにか事情があるのだろうとは察したが、深くは問わず、ジエンは無言で湯呑を傾けた。

 熱い茶がまた腹の底をくすぐるようで心地いい。


「あの、すみません。久しぶりのことですっかり忘れてまして……」


 腹もこなれてきた頃、女将はそう言っておずおずと宿帳を差し出した。

 奉行所の捜査のために、旅籠では客に名前や出生地を書かせることが法で定められているのだ。

 ジエンは鷹揚に頷いて筆をとった。

 魔剣奪還のために法に触れることはままある。本来ならそう泰然としてられないのだが、国の暗部たる“決死兵”まで刺し向けられた今となっては一周回って開き直りの心地であった。


「ジエンさん、ですか」

「うむ」

「……ジエンさんはどうしてうちに? 街道からも外れておりますし、御覧の通り閑古鳥が鳴いている有様ですのに」


 問うて、女将の視線が床に置かれたジエンの大小をちらりと流し見る。

 随分と警戒されているな、とジエンは心中でひとりごちた。

 女手ひとつで旅籠を切り盛りしているのだ。素性の知れぬ浪人など警戒して然るべきではあるが、それにしても女将の顔には差し迫った危機感があるように思えた。


 そして、その理由もほどなくして知れた。


 突然、入り戸の方でどたどたと複数の足音がした。次いで、女将を呼ぶ胴間声が旅籠中に響き渡った。

 途端に、女将が顔を真っ青にして畳に額をこすりつけた。


「申し訳ありません!! すぐに追い返して参りますので!!」

「まあ、待たれよ。女ひとりでは心細かろう。それがしも参ろう」

「え、いえ、そんな」


 女将が返答に窮している内に、ジエンは腰に大小を差して立ち上がった。


「気にするな。うまい飯の礼だ」




 果たして、旅籠に上がり込んできたのは見るからにヤクザな男が三人、ガン首さげてたむろしていた。

 その中のひとり、番台の帳簿を乱暴にめくっていた男が肩を怒らせて進み出て、女将を下からねめつけた。


「おう、女将、金の用意はできたか?」

「お金はありません。そもそも、出てった旦那の借金なんて言われても知ったことではありません」

「そう言われてもな。貸した金は返すのが道理だろ。それが博打狂いでおっちんだ旦那のこさえたもんでもな」


 女将はぐっと言葉に詰まった。理不尽だが、図星でもあるのだろう。


「こっちだってお情けで言ってるんだぜ? 娘共々売り飛ばされたかぁないだろ」


 ひひ、と男は笑い、次いで女将の後ろに控えていたジエンにようやく気付いき、不審と不快を足したような色に顔を歪めた。


「なんでえそいつは? 用心棒を雇う金がこの店にあるとは思えねえが」

「客だ。すまんが今日のところは帰ってくれぬか。うるさくてかなわん」

「あん?」


 ジエンの言い草が気に入らなかったのか、男の目が危険な色を帯びる。

 男は懐から匕首を取り出すと、ジエンの無精ひげの目立つ顎にひたひたと刃を当てた。


「取り込み中だ。客なら客らしく引っ込んでな」

「最近のヤクザはカタギ相手に光り物を抜くのか?」

「あ゛ぁ、引っ込んでろって言ってんのが――」


 言葉の途中でぶん、と風切り音と共に男の天地がひっくり返った。

 次いで、視界の上方で、地面が高速で流れていく。

 ジエンが男の手首を取って投げ飛ばしたのだ。

 逆さまに宙を飛んだ男はそのまま残り二人を巻き込み、もんどりうって屋外まで転がり出た。

 彼我の実力差を示すように、殊更にゆっくりと後を追って外に出たジエンは諭すように告げた。


「次はもう少し話のわかる奴を連れてこい」

「テ、テメエ!!」


 よろよろと立ち上がった男は奇跡的に手放していなかった匕首をジエンに突きつける。

 もっとも、実力差が明確となった今では、それがどれだけ意味があるのかあやしいところだが。

 男もそれを悟ってか、刃物に代わる脅し文句を並べはじめた。


「オ、オレたちの親分が誰か知っての狼藉か!! 親分は“剣狼衆”の一員だぞ!!」

「――ほう」


 瞬間、場の空気が凍りついた。


 沈みかけの夕陽を受けて、ジエンの瞳が酷薄の色を帯びる。

 恐怖がヤクザたちの喉をひきつらせる。彼らには、ジエンの瞳は竜のそれに見えてならなかった。


「明日、そやつを連れて来い。連れて来ねばおぬしの首を刎ねる」

「ひっ」


 いっそ穏やかにすら感じられる声音で脅しつけられた男はしかし、背筋を走る震えに大人しく従って首肯すると、そのまま手下ふたりを助け起こして走り去っていった。


「あの……」

「勝手をしてすまんな、女将。始末はきちんとつける故、お許し願いたい」


 何か言いたげな女将を制して、ジエンは客間に戻って行った。

 色濃い影を背負ったその背に、女将は言葉を続けることができなかった。


 ――“剣狼衆”

 それは魔剣目当てにクオウを殺し、山に火を放った剣客集団の名であった。



 ◇



 夕飯の時点で察していたことではあったが、どうやらこの旅籠は母ひとり子ひとりで運営しているらしい。

 外で薪をくべる女将の動きをそれとなく察しながら、ジエンは桶に汲んだ湯を被った。

 熱いくらいに熱せられた湯が毛穴に沁み渡る。久方ぶりの心地よさに思わず、ほう、と吐息が漏れた。


「背中流すよ!」


 そのとき、溌剌とした声とともにハクが浴場に飛び込んできた。

 胡乱気な目で見れば、薄い襦袢だけを纏った女童が垢擦り用のへらを手に、いそいそとジエンの背中に回り込んでいた。


「うわー、おっちゃんの体すごいね!!」

「おっちゃん……」


 ジエンが密かに愕然としている内に、ハクは彼の背中にへらを当てて、慣れた手つきで垢を漉し取り始めた。

 ハクが評した通り、ジエンの背中は尋常ではなかった。

 日頃は着流しに隠されたそこは、腕と異なり刃傷こそ少ないものの、肩甲骨を中心に瘤のような筋肉の盛り上がりが宿っていた。

 この凄まじい密度の筋肉から、各魔剣に応じて必要な力を必要な分だけ抽出できる点にジエンの特異性はある。

 もっとも、盛り上げ過ぎたために自分では手が届きにくい部位もあって、正直、ハクの手助けは文字通りかゆいところに手が届くものだった。


「おっちゃんは何で旅してるの?」

「探し物があってな」

「そっか。みつかるといいね!!」


 ごりごりとへらをこする手は止めず、ハクは無邪気な笑みを見せた。

 その笑顔を、覚えている。

 記憶の中のクオウの笑みと重なって、ジエンは思わず目を背けてしまった。


「はい、終わったよ。お湯かけるね」


 宣言通り、ハクが頭からお湯を被せる。

 全身を溶かすような熱い湯が目と耳を閉ざす。

 そうしている間は表情を悟られぬことがありがたかった。




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