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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
クガラ外伝
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病祓・後編

 男がいた。男は武士であった。

 知行地を持たぬ家格の低い武家に生まれ、さりとて主君の覚えは良く、さして困窮せずに育った。おおむね恵まれた半生を送った男であった。

 男には剣の才があった。この太平の世に不要なほどの才であった。

 護身に秀でるデイシン流を学んだのは、まだしも主君の護衛という剣の使い道を残すためであった。太平の世にも暗殺の危険はあったからだ。


 ――元を辿れば、デイシン流もまた暗殺剣である。


 あるいは応報剣と言うべきか。

 主君を殺された開祖が仇討ちのために、どんな状況でも仇に出会えば即座に斬りかかれるよう。その理念を礎とした。

 ゆえにデイシン流は人込み、壁越し、厠、軒下、あらゆる場所で剣を抜く技がある。逃走する相手を斬る走法や集団に囲まれた状況を突破する技がある。


 後に、見事仇討ちを果たした開祖は仏門に入り、デイシン流を護身剣とすることに生涯を捧げた。

 が、護身剣であるがゆえにデイシン流は今もなお暗殺剣を奥伝としている。

 生かすために殺し技を学ぶべし。暗殺対策に暗殺を学ぶ。生と死の流転の因果を悟った開祖の教えであった。


 男には剣の才能があった。主君を守るために暗殺剣を学んだ。

 天狗になっていた時期もあったが、本物の天狗が住まうと噂される御山の地から出稽古にやってきた少年に為す術なく打ちのめされて以来、真摯に剣を修めるようになった。



 ゆえにそれは、ある種の必然であった。



 ある日、男は内密の話があると、主君に呼ばれて屋敷に上がった。

 十把の護衛役である男が主君と向かい合うことは初めてであった。

 緊張を露にする男に、主君は命じた。


 ――我が弟を斬れ、と。


 詳しい事情を男は知らされなかった。

 ただ、侍う者としての本分をまっとうした。

 男の剣は本物だった。誰にも知られることなく、任務を終えた。苦い達成感があった。


 帰途につく。

 報告を終えれば、男は仏門に入るつもりであった。

 形はどうあれ、主家の者を斬ったことに変わりはないからだ。



 だが、男を迎えたのは、誰とも知れぬ辻斬りに襲われた主君の亡骸であった。



 男は出奔した。仇討ちの旅だとおのれに言い訳して。

 それから十年。仇はまだ見つかっていない。


 男がいた。男は武士であった。

 武士であった、はずなのだ。


 男の名をショウキと云った。



 ◇


 死体の散乱する村――今となっては廃村と言うべきかで、クガラは静かにショウキの懺悔を聞いていた。


 特に思うところはなかった。

 貧民の生まれであるクガラにとり、死は隣人だ。そのあたり達観し、諦観していた。

 だから、この平凡過ぎた男に淡々と告げた。


「あなたの仇ハ、もう腹切ってるト思います」

「……そう、だろうな。……うむ、そうなのだろうな……」


 この指摘も初めてではないのだろう。

 ショウキは驚くことなく、ただ煮え切らぬ態度を示した。


 ああ、とクガラはそのとき初めてショウキに同情した。


(この男はきっと――)


「では、こういうコトにしましょウ」


 クガラはショウキから数歩離れた場所でくるりと回って向かい合い、笑みを浮かべた。

 獰猛な獣の、しかし人懐っこい笑み。

 その距離は、決闘の間合い。


「ワタシが、ショウキの仇です」

「は――?」

「アナタの主君を斬ったのは、ワタシです。ほとぼりも冷めただろうと思って帰ってきたのですが、まさかまだ追っているヤツがいるとハ、思いもヨリませんでした」

「……いや、さすがにそれは苦しいだろう」


 十年も前の話だ。その頃のクガラは八つか九つだろう。

 ショウキは苦笑し、クガラの戯言を一笑に付した。

 クガラもまた笑って、頭巾を取って薄い色の髪を掻き上げた。


 気配が変わる。

 風に混じる血の匂いが、一段と濃さを増す。


「アンタの妄執にケリつけてやるって言ってるんだ、ショウキさんよ」

「ついに素がでたな」

「育ちが悪くてね」


 そして、この地の言葉も覚えきったということだ。

 この少年の最たる才があるとすれば、この学習能力の高さであろう。


「で、どうする? ここで辻斬りに斬られるか、仇討ちして斬られるか、好きな方を選べ」

「どちらにせよここで斬られるのか」

「応よ。オレが決めた。アンタはここで斬る」

「そうか……」


 夕闇が迫る。日に照らされていた、熱が去っていく。

 ショウキの顔から笑みが消えた。

 色のない表情(かお)。人斬りの相貌であった。


 すっと半歩前に踏み出した右足。

 拝むように腰元の柄にかけられた右手。

 そして、左手は音もなく鯉口を切る。

 クガラはおのれがショウキの間合いにいることを自覚した。


「――デイシン流、ヤツカ・ショウキ」

「――流派カグツチ、クガラ。もっともこの名は師を斬って拝借したものだが」


 事も無げに告げて、少年は両の刀を抜いた。

 二刀流。手の内を見せることは悪手であるが、相の抜き打ちではショウキが勝る。

 デイシン流の抜き打ちは一級品だ。使い手が一流となればなおのこと。


「死者の名を纏うか。よかろう、では私を斬った暁にはショウキを名乗るがいい。私もクガラを名乗ろう」

「御意」


 クガラは腰を落とし、両の剣を構える。

 彼我の間合いは七歩。身の丈の差がある。ショウキであれば五歩といったところか。

 ショウキの剣はいまだ鞘の内。

 クガラは推測する。分析する。先を読む。

 これまでにショウキの見せてきたデイシン流の技――その骨子根幹を読む。


(ショウキはまだ暗殺剣を見せていない)


 当然だ。理由はどうあれ奥義である。

 雑魚に振るう技ではない。鶏を割くのに牛刀を用いるようなものだ。

 だが、奥義にこそ流派の真骨頂がある。

 ゆえに警戒すべきは意識の外からの攻撃。

 あり得ないと思える攻撃を、あり得るものと吞み下す。

 クガラの思考は今、限りなくショウキのそれに近づいていた。


「――ゆくぞ」

「来いッ!!」


 ショウキが音もなく踏み込む。

 上体が一切揺れないデイシン流独特の歩法。泥のごとくぬるりと近づく様は不気味の一言。

 一歩

 二歩

 三歩――



 ――デイシン流奥伝、隠形剣



 そして、ショウキの姿が視界から消えた。


「ッ!?」


 刹那にも満たない空白に、クガラの思考はめまぐるしく回転する。

 後退は悪手。相手は前進していたのだ。追い駆け抜きの形に持ち込まれては勝機がない。

 必要なのは決断だ。ショウキはどこからくるか――


「オ、オオオオオオッ!!」


 決断。クガラは跳んだ。

 流派カグツチの陰、すなわち歩法。膝から下だけを用いた垂直跳び。


 一瞬の空白。

 沈みゆく陽を背に体を回し、視界を上下逆さまに。


 果たして、ショウキは地を這っていた。

 抜き打ちの態勢のまま足を延ばし、胸が地面につくほどの低い姿勢。

 つまり、ショウキはクガラの()()()()()()()()ということ。

 恐るべき運体、畏怖すべき発想、開祖の執念の果て。


 しかれども、その這う姿勢ゆえに空中にいるクガラに剣は届かない。


 ――――それが尋常な剣士であれば、だが。



 瞬間、ショウキの上体が()()()と捻じれ、霞の構えを描く。


 デイシン流は腰で斬る。その神髄は踏み込みすら不要とする点にある。

 流派において粘りと呼称される独特な腰の運体が、上体を折った地を這う姿勢であっても十全の斬撃を放つことを可能とする。

 あるいは、その体勢から飛ぶ鳥を落とすことすらも。


「――はあッ!!」



 ――デイシン流、月光



 登りかけの月を背に、ショウキの剣は天地を結ぶ切り上げを放つ。

 みしり、と踏み込みを支える両足から異音がする。

 元より肉体限界に迫る運体を行う奥伝に別の技を連携させたのだ。無理が生じるのは承知の上。

 代償に放つは、人生最高の一刀。

 完璧な曲線を描く斬撃は落下軌道に入ったクガラの顔面を捉える。

 切っ先が少年の額を断ち割り、右の瞼に触れ、その奥の瞳を捉える――



 ――直前、十字に構えた二刀に弾かれた。



「ハッハー!! アンタならここまでやると思ったぜっ!!」


 ――流派カグツチ・二刀兵法“重ね甲”


 それは、人知を超えた反応速度が為さしめた、神速である。

 それは、相手の斬撃を十字に構えた二刀で弾く、守りの技である。

 それは、暗殺剣を回避してなお、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()信頼に依る技である。


「クガラ、おぬしは――」


 あまりにも無垢な信頼に、ショウキの反応が僅かに遅れた。

 この瞬間、無理に無理を重ねた上に、刀を弾かれたショウキに為す術はない。

 それでもなお、空より迫るクガラを迎え撃とうとショウキは動く。

 片腕を犠牲に、足りないならば片足を、それでも足りないならば――


「――セイヤアアアッ!!」



 ――流派カグツチ・二刀兵法“病祓”



 ――――だが、だが。

 クガラは、それを許さない。

 轟、と天より落ちる二条の斬撃が、逡巡を、妄執を、断ち斬っていく。

 宙にありてなお全身の力を切っ先に注ぎ込む。

 流派カグツチの陽、すなわち剣技の神髄であった。



 ◇



 太陽が沈む。

 僅かにぬるさを孕んだ風が頬を撫でる。

 着地したクガラは細く息を吐いて残心をとった。

 縦一文字に割られた瞼から熱い血が滴り落ちる。

 “重ね甲”を完全に決めてなお、対手の切っ先は僅かにクガラを捉えていた。

 一方で、両の二刀はクガラの全力に耐えきれず半ばで折れ、ショウキの背中に突き立っていた。


「ク、ガラ……」


 それでも致命傷だ。ゆっくりと振り返ったショウキの顔には死相が浮かんでいる。

 呼吸は浅く、流れる血は赤黒い。余命はもはや幾ばくも無い。

 だから、クガラは最後の言葉を告げた。



「アンタは――主君を守れなかったことを悔いているだけだ。もう、休め」



 それがトドメとなった。

 ショウキは最期に、察しの良すぎる子どもに向けて困ったような笑みを浮かべ、そして倒れた。


 クガラは――今やショウキと名乗るべき少年は、名もなき男の瞼を閉じさせると、静かにその場を後にした。

 天に昇る月が亡骸を照らす。

 歴史に残らぬひとりの剣士の最後であった。






 ――以後、クガラが新たに死者の名を拝借することはなかった。


 男は剣狼衆として動くとき、決まってクガラを名乗った。

 ショウキの名は清廉とはいかずとも、幾分マシな生き方をしている時の名とした。


 その理由を、少年だった男はついぞ口にしなかった。




 (クガラ外伝、完)

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[良い点] とても面白いです。 数年前に出合、そこから何度も読みました。この度、アカウント作成をしたので、どうしても評価ポイントを入れたくなりました。 この作品に出会わせてくれて、ありがとうございま…
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