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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
終章
25/27

約束

 その日は麗らかな春の頃であった。

 御山には桜が咲き誇り、この時ばかりは鍛冶場にこもりがちな男たちも花見に出てくる。

 日頃から鍛冶仕事で鍛えている筋骨隆々の男たちが、酒を片手に騒ぎ、歌い、時に暴れるのだ。


 そうした、中々に見物である彼らを呆とした視線で眺めるひとりの少年がいた。

 歳は七つの頃だろうか。お仕着せの袴は仕立ても良いが、どことなく着られている感がある。

 少年は困っていた。

 ここまで父に連れて来れられたものの「話が長くなるから外で遊んできなさい」と言われて追い出されてしまったのだ。「お前は内に籠りがちだから、これを期に同じ年頃の友人を作ってこい」とも。

 そんなことを言われても困る、というのが少年の偽らざる本音であった。

 まずもって友人というのが何なのか、少年は知らない。

 その点を捨ておいて、ひとまず同じ年頃の子を探そうにも、彼らは元気に走り回っていて話しかけられそうな雰囲気ではない。

 かといって、このまま何もせず戻れば、父にまたぞろ余計な心配をかけてしまう。

 ただでさえ、通い始めた道場で除け者にされているのだ。これ以上心配をかけたら、父は心配のしすぎで倒れてしまうだろう。

 幼いながらに父を気遣う少年は、兎に角、話しかけられそうな子を探すことにした。


 御山は木々が鬱蒼と生い茂り、足元には無数の根が地表まで張り出している。

 気をつけないと転びそうだ、と少年は軽い足取りの中に注意を混ぜて山中を進んでいく。

 いつも暮らしている町とはまったく違う山景色を無感動に通り過ぎていく。

 同年代の子供を探して目を凝らせば、遠くに鹿の親子が見えた。下草をかさかさと揺らしているのは隠しきれてない尾っぽからして狐だろう。

 狐は友達に入るのだろうか、と少年は僅かに悩んだが、父の顔を脳裡に描いて却下した。

 心配させないために友達を探しているのに、そんなことをすれば余計に心配をかけそうだと思ったのだ。

 そうして、少年がひとり山を探検することしばらく、ふと分かれ道に気付いた。

 おそらくは獣道だろう。ちょうど大人の顔あたりに枝が張っていて、あまり人の通った形跡はない。

 だが、奥からは子供と思しき甲高い声が聞こえていた。

 少年はふらふらと誘われるままに声の主の元へと向かって行った。


 その声は、道場で聞く掛け声によく似ていたのだ。



 その場所は木々の中にぽっかりとあいた広場になっていた。

 奥には洞窟があり、周囲では満開の桜が風に薄紅の花びらを舞い踊らせている。

 そんな中、果たして、声の主は少女であった。少年よりいくらか年下か。

 エイ、エイと可愛らしい声をあげながら、手にした木剣で背丈ほどの石を叩いている。

 完全に木剣に振られている有様で、傍から見ても危なっかしい。

 けれども、稽古なら声をかけない方がいいだろう。そう考えた少年はそのまま呆っと少女の背中を眺めていた。

 そうしていると自分も木剣を振りたくなってくるから不思議なものだ。

 練習試合で師範代に勝って以来、大人たちの視線が嫌なものになっているのを、少年はひしひしと感じていた。

 おかげで道場に通うのも嫌になっているのだが、父には「おぬしには才能がある」と言われていて、辞めるに辞められない。


 それでも少年は、今でも剣を振るうことだけは嫌いになれなかった。


「なにみてんだよ?」


 しばらくして、ようやく少女の方も少年に気付いた。

 手に持っていた木剣をさっと背中に隠し、訝しげな表情で問いかける。


「けいこしてるのかと思って」


 特に隠すことでもなし。少年はそう言った。

 だが、なにが気に入らないのか、少女は途端に眉を吊り上げて雷を落とした。


「なんでオレがけいこしなきゃいけないんだよ!!」

「じゃあなにしてたの?」

「う、ぐ……」


 日頃大人に混じって稽古している少年にとって、少女が多少怒ったところでなんともない。

 あるいは、その程度では相手が怒ったことにすら気付いていないのかもしれない。


「これ……」


 ややあって、少女はおずおずと背中に隠していた木剣を見せた。

 先刻から見ていたので少年は無論知っていたが、少女がそれを見せる意味を図りかねて小首を傾げた。


「それがどうしたの?」

「つくった」

「……」


 端的ないらえに、少年は僅かに沈黙した。まんじりともせず木剣を観察する。

 少女の造ったという木剣は道場で大人たちが使っているのと同じくらいの長さだ。

 ただ、重ねは薄く、刃にあたる部分は石かなにかで丹念に研いだようであった。

 本物みたいだ、と少年は思った。

 以前、父が腰に差しているのを見せてもらったことがあったのだ。


「ふってもいい?」


 思わず少年がそう尋ねると、少女は驚いたように目を見開く。

 しばししてそっぽを向きながら木剣を差し出した。

 少年が木剣を受け取る。

 柄を取るときに僅かに指が触れて、少女は顔を真っ赤にしてびくりと手を引っ込めた。


「ん、ん……」


 少女のあたふたした挙動を怪訝に思いながらも、少年の興味は既に木剣に注がれていた。

 何度かぶん、ぶんと振ってみると心地いい手応えが返ってくる。

 良い剣、悪い剣という判断を少年はまだ持っていなかったが、少女の木剣がすこぶる振りやすいことは実感として理解できた。

 だから、それはふとした思いつきであり、しかし、必然であった。


「あの石をきればいいの?」


 先ほどまで少女が叩いていた石を指さす。

 少女はいまだ頬を赤く染めたまま、こくりと頷いた。

 わかった、と少年も頷きを返して、石の前に立つ。

 意識を集中させる。

 足場は悪い。が、困るほどではない。

 斬る位置は低い。大人相手の時のような無理はしなくていい。

 息を吐きながら、中段に構え、一足一刀。一歩で踏み込める間合いを取る。

 だから、あとは斬るだけ。


 そして、木々の間を抜けた春風が優しく頬を撫でた。


「――ッ!!」


 瞬間、少年は裂帛の気合を込めて一刀を振り下ろした。

 稲妻のごとき刹那の中で、自分の中で練り上げた力が切っ先に遅滞なく流れていくのを感じる。

 直後、がん、と重い手応え。

 次いで、何かが折れる感触。軽くなった手元の喪失感。


 あ、と気付いた時には既に、木剣は根元からぽっきりと折れていた。


 しまった、と後悔するが今さらどうしようもない。

 謝ろうと少年は咄嗟に考えた。道場でも謝るのには慣れている。うまくやれるだろう、と。


 だが、振り向いた少年が見たのは、目を真ん丸く見開いて驚く少女の顔であった。


「どうしたの?」

「どうってオマエ……」


 少女が有り得ないものを見たような表情で一点を指さす。

 その傷だらけの指先を追って見れば、


 ――斬りかかった石が、見事なまでに真っ二つに割れていた。


「……すごい。すごいよ、オマエ!! どうやったんだ!!」


 数瞬して、少女の中にじわじわと驚きと喜びが湧いてくる。

 先ほどの恥ずかしさはどこかに吹き飛んで、歓喜のままに少年の手を取ってはしゃぐ。

 あまりにはしゃぐものだから、髪にかかっていた桜の花びらが次々と舞ってしまっていた。


「ならったとおりにやっただけ」


 何をそんなに驚いているのか、と少年は不思議に思うばかりであった。

 石は兜よりも柔らかいのに、斬れない筈はないだろう、と。

 その点は、二歳年下ながら、木で石は斬れないと理解している少女の方が大人であった。


「それで、なんでこんなことしてたの?」


 はしゃぎ疲れた少女が草むらに寝転がったのを見計らって、少年は尋ねた。

 稽古でないのに木剣を振っていたという不思議を、自分の中で解決できなかったのだ。

 だが、そこで少年は失敗を悟った。

 先ほどまで楽しそうにしていた少女が、一転して暗い顔になってしまったのだ。


「……オレは“かじし”になれないって。

 アニキたちはおとこで、オレはおんなだから……」


 しばらくして、俯きがちに呟かれた声には大きな悔しさと涙が滲んでいた。


「オレ、“けん”をつくるのすきなんだ」

「うん」

「だから、きっとすごい“けん”をつくれるのに……」

「うん……」


 人を慰めるなど初めてのことで、少年はそれらしい言葉は何も言えず、ただ頷くことしかできなかった。

 何か言う時はいつもは兄たちが先に言ったことに頷くだけでよかったので、ひとりで何かを言うという事態はとんとなかったのだ。

 これではいけない、と珍しく頭を捻りに捻る。


「きみのつくった剣は、すごくよかったよ」


 それでも、結局、口に出せたのはそんな言葉だけだった。

 だが、それで十分だったのだろう。

 ぱっと顔を上げた少女は、涙を散らしながらも救われたような表情であった。


「……あ、でも、おれちゃったんだ。ごめん」


 その事実に気付き、少年は柄だけになった木剣を差し出して素直に謝った。

 対する少女はぶんぶんと首を振り、目尻を拭って勢いよく立ち上がった。

 ふわり、と薄紅の花びらが宙を舞う。


「べつにいい。次はもっといい“けん”をつくってやる」

「ほんと?」

「ほんとだ!!」


 そうして、少女は胸を張って高らかに夢を謳い上げた。


「オレが“けん”をつくって、オマエがふるんだ。

 ――それで、いつか、オマエを“てんかむそー”のけんしにしてやる!!」


 そう言って、少女は満面の笑みを浮かべた。

 少年がこれまで見たこともない、太陽のような溌剌とした笑みであった。



 瞬間、少年の中で“何か”がかちりと嵌まる音がした。



 それまで使われずに放置されていた“何か”が凄まじい勢いで回転を始める。

 ――あるいは、それは魂と呼ばれるものであったのかもしれない。

 少年は知らない。

 ただ、腹の底が熱く煮え滾る。

 手足の先まで活力が行き渡る。

 視界にかかっていた靄が晴れていく。


 息をしているだけだった少年は、この瞬間に生まれたのだ。


「……約束、する」


 先ほどとは違う、確固とした声音で少年は宣言した。

 “天下無双”の剣士になると、そう決意した。

 ――この時はまだ彼女の為でしかなかったそれは、しかし、いつか本当になる。


「じゃあ、ゆびきり」


 少年の変化を知ってか知らずか、少女はそう言って小指を差し出した。

 躊躇わず、少年も小指を絡める。


「やくそくだからな……えっと……」

「あ、名前」


 その時になってまだ、お互いの名前を聞いてなかったことに気付いて、ふたりは笑った。

 穏やかな春の日差しの下、晴れ晴れとした表情で、大いに笑った。

 それが全ての始まり。

 少年と少女の出会い。

 誰も知ることのない、ふたりだけの約束。

 なにもかもが美しかった、バラ色の日々。


「僕はジエン。ジエンだ」

「オレのなまえは――」



 ◇



 かつて、ひとりの剣士がいた。

 後の開国に伴う戦乱で史料の多くが焼失する中でも、各地に残された記録がその存在を伝えている。

 曰く、“常勝無敗”、“魔剣使い”、“神剣”、“最後の剣客”――――


 ――――“天下無双”


 動乱の時代にあって、彼が国の行く末を変えることはなかった。歴史に名を残すこともなかった。

 それでも、その名は長く語り継がれている。

 伝説として、剣の絶えぬ限り、誰もが抱く夢の涯を見た者として。

 


 ――そして、その傍らには常に、ひと振りの剣があったと伝えられている。







(魔剣拾遺譚、完)


 

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