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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
終章
23/27

再壇

 冬の山は吹く風も冷たく、体の芯が凍えるような寒さが居座っている。

 そんな中、アモンが戻らぬとみて御山に入った二人が見たのは、まさしく幽鬼であった。

 髪髭は乱れるに任せ、着流しは腹のあたりで一文字に切られている。

 物乞いの方がまだしもマシな格好をしているだろう。

 上位者である“一頭”からの命令でなければ、近寄りたくもない。


「あれが“魔剣使い”ジエン、か?」

「顔形は聞いていたのと合致するが……」


 一応の警戒に魔剣を構えてはみたものの、目の前の人物が本当にアモンを斬ったのか、二人は確信が持てなかった。

 二人の知る限りにおいて、アモンは四脚の中でも頭ひとつ飛び抜けた剣客であった。

 組織内での栄達を目指していなかったがために双牙の位階に挑むことこそなかったが、そうでなければ二人のどちらかは席次を明け渡していた可能性すらあった。

 それほどの男がコレに斬られるとはどうにも思えなかった。


「……む?」


 互いの間合いが三間ほどにまで近づいた時、はじめてジエンの視線が像を結び、二人を捉えた。

 まるで今初めてその存在に気付いたかのように、ぱちりとまばたきする。


「……二人だけか?」

「如何にも。拙者は剣狼衆は双牙の一、マシチ」

「同じく双牙の一、クチナワ」

「……そうか。では、返して貰おう」


 ――このとき、二人が油断していなかった言えば嘘になる。


 ただ、ジエンがあまりにも自然に近付いてきたので、反応が遅れてしまった。

 気付いた時には既に、ジエンはすぐ目の前にいた。

 咄嗟に、まさしく咄嗟に、クチナワは魔剣を突き出していた。


 瞬間、すとん、と軽やかな音を立てて、突きだした右腕が落ちた。


 断面は鏡面の如く鮮やかに。

 鋭すぎる傷口は瞬時に収縮して、血も殆ど流れなかった。


「……ふむ」


 下手人は無論、ジエンである。

 抜き手も見せずに放たれた薄明の一閃が男の腕を断ち落としたのだ。

 もっとも、当の本人の興味は専ら、腕と共に地面に落ちた魔剣に注がれていたが。


「な――」


 一方、二人の双牙は揃って絶句していた。

 実力主義を敷く剣狼衆で長く第二位の地位を堅持していた二人である。その実力は決してジエンに大きく劣るものではない。

 だが、あるいは、だからこそか。

 ジエンが膝をつき、断たれた腕から魔剣を引き剥がすまで、二人は動くことができなかった。

 反撃に気付くことすらできなかったという現実を認められなかったのだ。


「――マシチィッ!!」


 先に現実へ回帰したのは腕を断たれた双牙、クチナワであった。

 残る左腕一本で脇差を抜くと、立ち上がる途上のジエンに猛然と斬りかかる。

 片腕を喪失して尚、衰えることのない戦意は天晴と言うべきであろう。

 斬りかかる一刀もまた、その意に違わぬ鋭さを保っている。


 しかし、だからこそ、己ひとりでは勝てないことを、男は理解していた。


 次の瞬間、クチナワの眼前に銀閃が瞬いた。

 地から天へ、ジエンが立ち上がる動きのままに放った逆風の切り上げ。

 振り下ろさんとした男の剣より尚速い、瞬速の後の先。

 およそ“力み”とは無縁な、あまりにも自然な一太刀。

 それは痛みを感じさせる暇もなく、男の命を断った。


「――おおおおおおッ!!」


 両断された戦友の陰から残る双牙の一、マシチが咆哮と共に剣閃を迸らせる。

 クチナワに名を呼ばれた時点で彼は覚悟していた。

 如何な剣士とて、斬った瞬間には隙が生じる。

 相棒の命を対価に稼いだ一瞬。ここを逃せば勝機はない。


 マシチは地面を踏み締めて魔剣を振りかぶり――

 ――突如として眼前に出現した切っ先を首を傾けて回避した。


「ッ!?」


 反射的な回避に遅れて驚愕する思考が追いつき、さらに遅れて頬を裂く刃の痛みを自覚する。

 意識の空白を穿つ“無拍子”のひと突き。避けられたのは偶然でしかなかった。


 “話が違うではないか!?”


 それがマシチの思考を占める驚愕であった。

 マシチたちとてジエンを侮っていた訳ではない。

 魔剣についても情報を集め、十分に対策を練ってきていた。


 すなわち、魔剣は人体の限界を超えた動きを要求する。

 ゆえに、その成立には常に不可分な溜め――力みと言い換えてもいい――を要する。

 魔剣が、魔剣であるが為の隙である。

 その隙を穿つための修練も積んできた。二人ががかりで挑んだのもその為だ。

 卑怯と謗られようと、多数の手下を斬られた汚名を雪ぐには勝つしかなかったからだ。


 だが、眼前の状況は事前の予測を大きく裏切っている。

 ジエンの動きに溜めはなく、どころか、戦っている意識すら感じられないほどに自然な動きであった。



 ――双牙に誤算があるとすれば、ジエンが魔剣奪還の旅を経た点にあるだろう。



 十年に及ぶ旅はジエンを()()――()()()()()()()()

 そも、人を斬っただけで腕が上がるのなら、世の剣士は稽古などしない。

 勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し。

 勝利を糧とするにも、その後に経験を昇華する行程が必要となるのだ。

 でなければ、その経験は“まぐれ”として処理されるだけだ。


 だが、ジエンはその行程を放棄していた。

 彼が求めた剣は“魔剣使い”としてのもの。

 そして、その為の対価は御山が焼けたあの日に既に支払われている。

 彼にとっての実戦とは、魔剣の切れ味を試す実証でしかない。

 ゆえ、剣術の探究者としてはまだ先もあろうが、“剣客”としての成長はない。

 道を外れるとはそういうことだ。

 倒れた樹はそれ以上成長することはなく、どれだけ死合おうとも、その能力の総量が変わることはない。

 むしろ、魔剣の行使で体が削れた分だけ減少しているとすら言える。


 だから、旅を経て変わったのはその心の持ちようだ。

 昼夜の別なく、常に襲撃の危険のある旅。

 人を斬り続けて摩耗する精神。

 その果てに、人を斬ることが生活に組み込まれたこと。

 食事や睡眠と同列に戦いが存在する。息をするように人を斬る。


 そういうモノに、ジエンはなった。


 常人ならば耐えられぬその日々に“適応”してしまったのだ。

 それは決して、成長とは言わない。


「お前は一体なんなんだッ!?」


 マシチの困惑は尤もであろう。

 一足一刀の間合いで剣先を突きつけ合いながら、まるで戦っている気がしないのだ。

 ジエンはただそこにいて、傘を差すように剣を構えているだけ。

 その姿に殺気とか、戦意というものはまったく感じられない。

 これでは、魔剣行使の隙をつこうにも、その前兆――“起こり”を読むことができない。

 剣禅の極致たる無想に限りなく近く、しかし最も遠い精神状態――“忘我”。

 マシチは、心ここにあらざる敵に負けかけているのだ。


「こ、こっちを見ろ、魔剣使い!! 貴様の相手はここにいるぞ!!」


 憤怒と屈辱を露わにするマシチに対し、ジエンはちらりと視線を合わせ、憐憫に似た表情を浮かべた。


「すまぬが、後が閊えている」


 瞬間、ずるりとマシチの視線が傾いだ。

 それが己の首が落ちた故だと彼が気付いたのは、己の足が視界に映ったときであった。


 ――魔剣・薄明


 今のジエンにとって、魔剣を行使するには脈拍ひとつ分の刻で足りる。

 その隙をつけと言うのは、あまりに酷であっただろう。



 ◇



「……さて」


 二人分の屍を見下ろしながら、ジエンは冷淡な口調でひとりごちた。

 斬り捨てた者たちのことは既に頭にない。

 彼の心に去来する想いは唯ひとつ。


 ――【全ての魔剣が揃った】


 ここに悲願は果たされた。

 己が人生と定めた一事が終結するのだ。感無量と言ってもいい。


「クオウ――」


 今すぐ洞窟に取って返し、魔剣を完成させたい。

 そう急かす気持ちは強い。その想いは身を焦がすほどに強い。

 御山が焼かれた日から十年、彼の人生はその瞬間の為にあったのだ。


「――もう少し、待っていてくれ」


 しかし、ジエンは逸る己を抑えた。

 驚くべきことに、狂った筈の彼の心はこの一時、或る男に向けられていた。



 過去を想起する。


 たとえば、はじめて会った時。

 偽名だとは気付いていた。何か理由があって接触したのだとはわかっていた。


 ――それでも、イズクへの期待は本物だと信じることができた。



 たとえば、カネダ心形流の決闘に助太刀した時。

 この男はイチカと面識があると言っていた。


 ――剣狼衆と通じていたイチカと、だ。そのことに疑問がなかったわけではない。



 顧みれば、思い当たる節はあった。

 剣狼衆は各地の道場や日陰者に隠然たる影響を与えていた。


 ――この男がその伝手を使える地位にあるとすれば。



「――よう。久しぶりだな、ジエン」



 右目を通る刀傷、瀟洒な笹模様の羽織袴。

 そうして、御山にやってきた最後のひとりは、いつかのようにひらりと片手を挙げた。



 ◇



 相対する二人の間を北から吹く風が抜ける。

 互いの着流しと羽織りを揺らし、空へと抜けていく。


「……驚かねえんだな」


 先に口火を切ったのは、ショウキ――かつてショウキと名乗っていた男であった。

 気まずげに頭の後ろを掻く姿には、素性を隠していたことへの罪悪感が窺えた。

 だが、ジエンは淡い微笑で彼の気まずさを笑い飛ばした。


「そんな気はしていた。察するに、此処に魔剣を強奪しに来た時もいたのだろう」

「どうしてそう思う?」


 きょとんとした男の顔を見遣り、ジエンは笑みを深くする。

 まさか本気で気付かれていないと思っていたのか、と。

 珍しくこの男から一本取れた気分であった。


「おぬしは一度として魔剣の出所を問うことはなかった。

 あまりに徹底し過ぎて、逆に知っておると言っているようなものだったよ」

「ああ、そっか。……敵わねえなあ」


 そこでようやく男も相好を崩し、ジエンに手を差し出した。


「後を任せきりにして悪かったな、ジエン」

「いいさ。おぬしこそ無事でよかった、ショウキ」


 握り合った手から、離れていた五年間の日々を感じる。

 硬くなったたなごころ、擦り向けた指の腹、全てが戦いの日々を思い起こさせる。


「ショウキ、か。すまんな。そいつは偽名だ。これでも不法入国してる身なんでな」

「知っているとも。ああ、国禁を犯したとは知らなかったぞ。なにをしたのだ、おぬし?」

「色々あったのさ。ただ、死合う相手にはきちんと名乗ることにしてる。

 ――オレはクガラ。剣狼衆が一頭、流派カグツチのクガラだ」


 ――“神刀”のクガラ


 その名はジエンも知っていた。

 剣狼衆の中でも有名な剣客だ。“神刀”、すなわち、人智を超越した剣を振るう剣士だと。

 成程、鉄火場でこの男に会ったのならば、そう思うのも無理はあるまい。


「しかし、おぬしが頭首とは意外な。そういうしがらみは嫌っておると思っていた」

「まあな。この席次に就いたのはアンタと別れてからだ。剣狼衆は実力主義。オレは爪を隠せるほど器用じゃねえ。逃げ切れなければこうなる定めだったのさ」

「……あの時の、馬を得た代償か。ああ、イオリ殿が礼を言っておいてくれと。トラジの家に来ればもてなすとも」

「そいつはいいな!! 生きてりゃアイツも一角のモンになってるだろうし、生き残った方が顔を拝みに行こうぜ」

「うむ、楽しみだな」


 数日ぶりに顔を合わせたかのように、ふたりは気兼ねなく、旅の思い出を言葉にして交わす。

 狂気すらこの一時は鳴りを潜める。

 それは、不意に訪れた――おそらくは最後の穏やかな時間であった。


「そういえば、おぬしに剣狼衆に入れて貰ったと宣う剣士に会ったことがあったな」

「あん? ……あー、燕返しモドキの?」

「燕返しモドキの」

「やっぱ駄目だったか。腕は見込みあったんだが、性格が壊滅的だったしな」

「きちんと後始末はつけよ。カタギに迷惑がかかっておったぞ」

「目標与えたら伸びるかと思ったんだけどな。まあ、イズク見つけてからはそっちにかかりきりだったから、偉そうなことは言えんな」

「であろうな。まったく、好き勝手しおってからに」

「ははは、悪い悪い」

「…………」

「…………」


 束の間、言葉が尽きて静寂が場を支配する。

 ジエンは少しだけ老いたショウキ――クガラの顔を見つめた。

 名を偽られていた。自分は仇と寝食を共にしていた。それは屈辱の筈だ。

 しかし、不思議と憎悪は生まれなかった。

 そこにあるのは、五年ぶりの再会とは思えない気安い友誼のみ。

 その理由を、ジエンはおぼろげながら察していた。


「御山を焼いたのは“魔剣の卵”を人目につかせぬためか?」


 この男は、いつだってジエンの目的の為に身を砕いてくれたのだ。

 決して善性の者ではない。犯罪にも手を染めている。

 だが、その一点に於いて偽りはなかった。

 だから、憎悪も生まれようがなかったのだ。


「……どうしてわかった?」

「逆の立場なら、それがしもそうした。礼を言っておく」

「よせ。そもそも、オレたちが此処にこなければよかった話なんだ。ツケを払っただけだよ」


 ひらひらと手を振ってクガラはバツの悪い顔をし、次いで、ジエンの手にある二振りの魔剣に気付いた。


「っと、あんま話しこんでちゃアンタのツレに悪いな。

 ……これで完成なんだろ? 行って来いよ」

「うむ。おぬしも見ていくか?」

「よせよ。他人の逢瀬を覗く趣味はねえ」

「そうか。……では、いってくる」


 最後の気がかりも拭われた。

 クガラに見送られ、ジエンは晴れ晴れとした気持ちで洞窟へと向かって行った。

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