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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
終章
22/27

魔剣・黒鷹:後編

 同門で仕合ってはならぬ、とはデイシン流の教えである。

 ぜえぜえと不調法に息を荒らげながら、ジエンは心中で苦笑した。

 当時は、お互いに手の内がわかってはやり辛かろう、とその程度にしか認識していなかった。

 だが今、身をもってその真意が理解できた。

 交わした剣は僅かに数合。互いに傷ひとつ負っていない。

 だが、共に精神は著しく消耗していた。

 剣術は先読みを重視する。

 斬られればおおむね死ぬ以上、相手の攻撃は防ぐか躱すか、あるいは打たせぬようにする必要がある。

 そのためには予測を、先読みを働かせなければならない。

 そして、同門、それも師弟に近い間柄ではそれが最大限に機能する。


(右袈裟、突き、継ぎ足を詰めて下段構え、突きを見せ札に小手、面――)


 五手先までを読み切って、ジエンは一挙に間合いを詰める。

 即座に打ちこまれる右袈裟を見切り、伸びた左腕に斬りかかり、避けられる。

 反撃に放たれた片手平突きを右に一歩ずれて回避。

 相手が素早く腕を戻して下段の構えるのに合わせ、八相の構えをとる。


 互いに、一瞬の静止。


 直後、八相から一挙動で袈裟に斬りかかる。

 応じて、擦り上げるように突き上げられた刀身が擦れて火花をあげる。

 弾くように刀身を押し込み、忍び寄っていた小手切りをすかす。

 次いで迫る面を潜るように躱しつつ、胴払い。

 しかし、手妻のように素早く戻された正眼の構えに防がれる。


「ふっ――!!」


 ジエンは刀ごと押し込もうと丹田に力を込めるが、アモンは根を張ったように動かない。

 驚嘆すべき足腰の強さだ。

 だが、そう、()()()()()()()()()()

 衰えたのは、ジエンの方であった。


「――おおッ!!」


 直後、刀身を通じてアモンが押し返してくるのを知覚。

 受け流すように退いて再び触刃の間合いまで離れる。

 追撃する余裕はアモンにもなかった。

 嵐のような剣戟の応酬の間にできた凪の一瞬。

 互いの目には苦笑に似た気配があった。

 ここまで苦戦するとは、ジエンをしてまったくの予想外であった。

 同格のデイシン流の使い手――その程度(・ ・)であれば、ジエンは容易く打ち下したであろう。

 だが、目の前のアモンは違う。

 ジエンに勝つ。ただそのためだけに鍛えられた術理は、いくつかの面においてジエンを上回っている。

 なのに、対面に立つアモンの表情はかつてと同じ尊敬の眼差しを湛えている。

 ずきりと、郷愁という名の痛みが胸を苛んだ。


「さすがは師叔……これほど、とは」

「アモン、おぬしこそ」


 交わす言葉には十年前と変わらぬ親しさある。そのことがひどく、辛い。

 交わす剣戟には過去に類を見ない冴えが宿る。そのことがひどく、快い。

 相反するふたつの想いを抱きながら、ジエンは詰めに入った。

 読み合いは互角。

 気力、体力、そして戦いの趨勢はアモンに分がある。

 であれば、長期戦は下策。一刀にて逆転を決める他ない。


「――いくぞ、アモン」


 ジエンは正眼から左肘を折り畳んで切っ先を背後に流し、居合に似た構えをとった。

 ここから先はどれだけ手の内を読もうと無駄だ。

 魔剣とは条理を超えた先にある剣。常道をいく者には追いつくことはできない。

 そして、同門であっても魔剣を見切ることはできない。

 ジエンの魔剣はクオウの剣を手にした彼だけに許された技。

 他の誰にも理解できる筈もなし。


「――師叔、お覚悟を」


 だが、だが、だが。

 ここにたったひとつの例外がある。

 もしも、ジエンの剣をよく知る者が、その肉体を模倣し、精神を分析し、剣腕を模造したとすれば――


「――――」


 絶句する。ジエンの目の前によく磨かれた鏡があった。

 鏡の向こうの人影も同じ構えをとっている。顔形だけが異なっている。

 たしかに、魔剣はジエンただひとりに許された絶技だ。

 しかし、ジエンという存在は決して超常の存在ではない。どこを切っても血の出るただの人間だ。

 であるならば、ジエンという剣客を限りなく模倣することは不可能ではないのだ。

 アモンが剣狼衆に与してでも魔剣を欲した理由がこれだ。


 技術を以って魔剣を模倣し、その幻想を打ち砕く。

 それこそがアトリ・アモンが十年でだした答えだったのだ。


 そうして、ただ一度の奇跡がここに成る。


『――――ッ!!』


 鋭い気息、踏み込み、初動、全てが同時に、鏡合わせに行われる。

 滑るように間合いを詰めた爪先が地面を柔らかく踏み、

 内転から腰、丹田、背、肩、肘、手首。

 加速と増幅を繰り返し、練り上げた力が刀身を走らせる。

 放たれるは胴一閃。加速する切っ先が薄く雲を曳く。

 そして、有り得べからざる双子の絶技が成立する。


 ――――魔剣・黒鷹

       ■剣・黒鷲――――


 二振りの魔剣は平行線を辿り、最後まで触れあうことなく振り抜かれた。




 風が吹き、徐々に暮れゆく陽の下に千切れた紅色の袖を泳がせる。

 互いに一刀を振り抜いたまま静止したのも一瞬のこと。


 次の瞬間、倒れたのはジエンであった。


 どさりと倒れ込んだ地面が熱い。否、熱いのは己自身か。

 寸でのところで意識を取りこぼすことは防いだものの、その腹は真一文字に切り裂かれていた。

 荒れる呼吸を抑え、零れそうになるはらわたを押し留める。

 幸いというべきか、魔剣の中でも最速を争う黒鷲の一刀は、それ故に切り口が鋭い。

 鋭過ぎて出血自体は少ないとすら言える。傷が開く前に処置すれば失血死は免れられるだろう。


 だが、背骨まで断たれたアモンは致命傷であった。


 立ったまま、アモンは真一文字に切り裂かれた己の腹を呆然と見下ろしていた。


「な、ん、で……」


 問う声は囁くような声量であったが、ジエンは過たず捉えられた。

 どうにか体を起こし、錆ついた動きで振り向くアモンに視線を合わせた。

 山中にありながら、嗅覚は道場のにおいを嗅ぎ、視界はその光景を幻視した。

 困ったように立ち尽くすアモンの姿は、十年を経ても変わっていなかった。

 だから、ジエンもありし日のように答えた。


「おぬしは、ここぞという時に肩に力が入る」

「あ――」


 アモンの顔に驚きと納得の色が浮かぶ。

 入門当初から何度も指摘された癖。

 ジエンに何度言われても直せなかった、完璧から僅かにずれた誤差。

 それが、たったそれだけが、最速とそうでないものを()かつ差であった。


「嗚呼……やはり……魔剣……師叔、だけの……」

「先に逝け、アモン。それがしもそう遅れはせぬ」

「あ……ご指導……ありが――」


 ふらり、とアモンの体が傾ぐ。

 咄嗟に抱きとめようとして、ジエンは両腕がぴくりとも動かないことに気付いた。

 魔剣の反動で両腕の筋が悉く切れているのだ。

 今のジエンは死にゆく後輩を抱きとめることすらできなかった。

 だが、悔いなどいくらでもあるだろうに、不思議とアモンの表情は凪いだものだった。


「アモン……おぬしは、こんなところに来るべきではなかったよ」


 ジエンは動かない腕をつっかえにして、徐々に冷たくなっていくアモンを肩に担いだ。

 山には野犬も出没する。死体を野ざらしにはしておけなかった。



 ◇



 一夜あけて、完治にはほど遠いものの、ジエンの腕も多少は動くようにはなった。

 だが、黒鷹の魔剣を振るうことはもうできないだろう。漠然とそんな予感があった。

 薄明に次いで長く共にあった魔剣がその役目を果たすことはもうない。

 ジエンから魔剣を奪う。あるいはそれはアモンの最後の意地であったのやもしれない。


(さらばだ、アモン)


 ひとつ念じ、ジエンは“黒鷲”と“黒鷹”を魔剣の卵に差し入れる。

 脈が浮き立ち、熱持つ鋼色の表面はしかし、水面のように抵抗なく二振りの刀身を呑みこんだ。


「これで残るは三振り……」


 呟く声に捨て去った筈の熱がこもる。

 果たして全ての魔剣を喰らった卵はどうなるのか。

 砕けるのか、変わらぬのか、それとも――孵るのか。


「くく、狸の皮とはこのことだな」


 思わず、自嘲する。

 主としていた打刀も喰わせてしまったジエンに残されたのは薄明の脇差ひと振りのみ。

 背には汚泥のような疲労、腹には負傷、両腕は削れたまま。

 そして、麓にいた三人はアモンが帰ってこぬとみて近付きつつある。魔剣の共鳴は二振り。

 ようやく全ての魔剣が揃うのだ。

 その果てを自分が見ることはないかもしれないが。


(ここまで、か……)


 アモンを先触れにしたということは、残る三人も手練だろう。

 相手がひとり、せめてもふたりならばまだ打つ手もあったろうに。

 そんな泣き言を思い浮かべて、苦笑と共に振り捨てる。

 誓ったのだ。

 クオウが喪われた日、彼女の魔剣が奪われた時、その全てを取り戻すと。

 そして、国の寄越した決死兵や、昔馴染みすら手にかけた。

 もう後戻りはできない。

 あの頃には戻れず、ジエンは進み続けるしかない。


 だから、そうしたのは偶然であり、しかし必然であった。


「――いってくるよ、()()()


 ジエンはその名と共に魔剣の卵に触れる。


 瞬間、どくん、と確かな鼓動が掌を通じてジエンの腹の底を震わせた。


「な――」


 またぞろ幻覚かとも疑ったが、腹を斬られた痛みがそれを否定する。

 ジエンは息を呑んでもう一度魔剣の卵に触れる。鼓動はない。

 だが、先ほどよりも確実に強い熱が籠っているのを感じられた。

 驚きは無論、あった。

 尋常のものではないとは思っていたが、それでも鋼には違いない、と。


 まさか、まさか――生きているとは思いもしなかった。


「……は、はは――――はははははははっ!!」


 洞窟の奥で、ジエンは哄笑をあげた。

 もしかしたら全てが幻覚であったのかもしれない。自分はもう狂っているのかもしれない。

 なぜならば、ジエンの正気を保障するものはもう何もないのだ。

 よしんば、自分が正気であるならば、今すぐこの卵を地下深くに埋めてしまうべきだ。

 これは、尋常のものではなく、正道のものでもない。

 人の血を啜った魔剣から生まれ出ずるのだ。それもまた、魔性のものであろう。


 それでも構わなかった。


「――はははははははっ!!」


 ジエンは笑う。笑う。笑う。天を仰ぎみて、滂沱の涙を流し、嗤う。

 クオウは生きている内に答えに辿り着いていたのだ。

 魔剣の果て、窮極のひと振りに辿り着いていたのだ。


 もっとも、それが剣の形を残しているかまではジエンにも保障できないところであったが。


「はは――」


 ようやく笑みが治まり、ジエンは傷の開きかけた腹を撫でた。

 痛みは消えた。過去は去った。手に入らないと思っていた未来はある。

 それは欲だ。全てを捨てねば到達できない魔剣への障害となる。

 それでも構わなかった。クオウの辿り着いた答えをみる為ならば。


 詰まるところ、ジエンの魔剣は彼女の為にあるのだから。


「――ああ、桜が舞っておるな、クオウ」


 冬の枯れ山を見上げながら、ジエンはひとりごちた。

 いつからか視界の端にあったその幻影は、今や視界一面を覆うほどに狂い咲いている。

 美しく、踊るように、狂々、狂々と舞っている。

 残る魔剣は三振り。薄明とあとふたつ。


 そして、剣鬼は目覚める。

 全てを捨てて、最後の望みを果たしに、征く。


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