魔王尊・邂逅
――魔剣の、その始まりの話をしなければならない。
御山の女鍛冶クオウがその金属塊をみつけたのは偶然であった。
たまたま幼馴染との遊び場であった洞窟に立ち寄り、たまたま地面の亀裂に気付き、たまたまその金属塊を発見し、興味本位でその一部を持ち帰ったのだ。
それは鍛冶師として最高峰の教育を受けたクオウでも確とは判別のつかない金属であった。
おそらくは隕鉄の類であろうところまでは突きとめた。
しかし、彼女の調べた限り、過去の文献に同じ物は二つとなかった。
“これは天佑かもしれない”
クオウがそう考えたのも無理はない。
その金属塊は通常知られる隕鉄とは異なり、互いに引き合ってひとつとなり、金剛石のように硬く、それでいて鋼のように粘り強い強度を有していた。
剣の材質にするにはこれ以上はない。“唯一無二”と断言していい。
そう。このとき既に彼女は魔剣の理論を構築していた。
すなわち、『魔剣とは“孤”である』ということに気付いていたのだ。
同時に、彼女は己の鍛冶の技量だけでは魔剣を鍛造できないとも理解していた。
このまま鍛冶師として修業を積んでも、当代最高峰の鍛冶師である父キイチを超えることはできるかもしれない。
だが、それも御山という一門でみれば枠内の話でしかない。唯一無二には届かない。
彼女が目指す場所は唯ひとつ――
――ジエンの隣。そこにいることだけが彼女の望みだったのだ。
だからこそ、彼女の心は躍った。
唯一無二の金属を用いれば、唯一無二の剣が鍛てるからだ。
届かなかった頂きに、届くかもしれない道筋がみつかったのだ。
その金属塊に、己の奉ずる魔王尊・明けの明星神に肖って“クラマ鋼”と名付けたことからも、彼女の期待の程が窺える。
それから、クオウは精力的に働き、実力と成果で大人たちを黙らせ、洞窟の傍に鍛冶場を設えた。
クラマ鋼を研究するためだ。
なにせ、これまで彼女が扱ってきた鉄とはまるきり異なる金属なのだ。
炉の改造に始まり、用いる水、炭、道具の選別、鍛造工程の変革。
気の遠くなるほどの試行回数を経て、彼女は魔剣鍛造の道を開いた。
残る問題は、クラマ鋼が剣をひと振り造るにしては“多過ぎる”ことにあった。
これ以上炉を大きくすることはできない。よって、一度に全てを剣にすることは不可能であった。
彼女が求める魔剣はひと振りしか存在してはならない。そういう理論の下で鍛造しているのだ。
また、互いに引き合うという性質上、クラマ鋼を残しておくわけにもいかない。
加えて、その鍛造方法は彼女自身が確立させてしまっている。
見る者が見れば、彼女の鍛冶場からその方法を逆算することは困難ではない。
そこで、クオウは一旦、分割して魔剣に鍛造することにした。
不純物を除き、打ち鍛え、剣にする。全てのクラマ鋼にその行程を施した後、再統合する。
互いに引きつけ合い、ひとつになろうとするクラマ鋼の性質がそれを可能にした。
知恵板の如く、分割した“真打ち”の完成図を断片たる魔剣たちに刻む。
幾度もの失敗を経て、彼女の目論見は成功した。
あとは、再統合の“器”を作るだけ。そこまできていた。
クオウ、二十三歳のときであった。
◇
その日、クオウは造りかけの“器”を手に洞窟の中にいた。
鍛冶場では途中で魔剣が再統合されるおそれがあったからだ。実際、危ないところであった。
剥き出しの地面に“器”を固定し、慎重に、しかし適切な力で槌を打ち下ろす。
カン、カンと洞窟に金属音が木霊する。
既に火入れは終わっている。あとは打って、冷やすだけでいい。
「何してるんだ、アンタ?」
そのとき、入口の方から見知らぬ男の声がかかった。
興味はなかった。もっとも、それが父の声であってもクオウが振り向くことはなかっただろう。
彼女は全身全霊を振り絞り、己という鍛造機構を研ぎ澄ましていた。
“真打ち”の魔剣の完成度はこの一時にかかっているのだ。
「取り込み中みたいだな。腕のいい刀鍛冶がいるって聞いて来たんだが……」
声の主はまだ去っていないらしい。
ぼやく声には得体の知れないモノを恐れるような色があった。
さもありなん。
洞窟で槌を振り下ろしている女など、狂人のそれにしか見えない。
放っておけば去るだろうと、クオウは気にも留めなかった。
「――――」
言葉もなく、ただひたすらに槌で“器”を鍛え続ける。
この一瞬に、クオウは自らの命を賭した。
彼女は知っていた。ジエンがもう夢から醒めていることを。
“天下無双”の剣士になるという夢を諦め、現実を見ていることを。
それは自分の為だ。思いあがりではなく、事実としてクオウはそう認識していた。
――魔剣とは“孤”である。
だが、ジエンには自分がいた。
自分を嫁に迎えるために剣を置き、手に職をつけようとしていた。
誰よりも強く、誰よりも剣に愛された男が、剣を捨てたのだ。
それを裏切りとは思わなかった。
自分が剣を鍛つように、現実に適応してみせることが彼の愛し方だったというだけだ。
「――ッ」
乱れかけた拍子をどうにか戻す。
わかっている。わかっているのだ。
彼が天下無双を目指したのは自分の為であり。
自分が剣を鍛つのは彼の為なのだ。
だから、ふたりの幸せに違う形があるのなら、それでもよかった。
わかっている。本当に、わかっているのだ。
しかし、それでも、クオウは最後の魔剣を鍛った。
ジエンに追いつく為に、彼のいる場所に辿り着く為に。
夢が変わるのはいい。
お互い大人になったのだ。醒めることもあるだろう。
だが、届かないからと諦めてしまえば、これから先、彼の相棒を名乗ることはできない。
恋人である前に、妻となる前に。
鍛冶師として、彼の相棒であることを、クオウは選んだのだ。
だから。
もう剣が鍛てなくなってもいい。
命だって賭けよう。
だから。
だから――
――どうか、彼の隣にいさせてください。
クオウは一心不乱に鎚を振るう。
呼吸と同じ拍子でひたすら振るい続ける。
カン、カンと洞窟に金属音が木霊する。
もしも、これを完成させた時、まだ生きていたら、夢から醒めよう。
全ては幼い頃の他愛もない戯言だったのだと、笑って終わりにしよう。
ありきたりな家庭を築いて、ふたりで子供を育てよう。
クオウは一心不乱に鎚を打ち込む。
鼓動と同じ拍子でひたすら打ち込み続ける。
カン、カンと洞窟に金属音が木霊する。
もうすぐ“器”は完成する。
全ての魔剣が再統合され、“真打ち”ができあがる。
クオウの夢は終わるのだ。
だが、だが、だが。
もしも、自分が死んだのなら、夢の続きを見よう。
なぜなら――
――――魔剣とは“孤”である。
自分がいなくなれば、きっと魔剣は完成するのだから。
「……ああ」
遂に、クオウは槌を打つ手を止めた。
気だるい達成感に包まれながら、自分の造り上げたものを抱きしめる。
魔王尊・明けの明星神よ、照覧あれ。
――魔剣は、此処に成った。
◇
「おい、なにしてんだアンタ!?」
洞窟の入り口で、女鍛冶の狂態を止めるべきか悩んでいた男は事態の急変に目を剥いた。
男が気付いた時には既に、クオウの全身は炎に包まれていた。
その炎はクオウの肌も、纏う衣服も燃やさず、ただその手元の鋼を熱するのみ。
明らかに尋常なものではない。そも、火種すらなかった。
男は慌てて近づこうとして、
「熱ッ!!」
しかし、吹きつける熱波に足を止めざるを得なかった。
見れば、伸ばしていた手は一瞬で皮が焼け爛れていた。
凄まじい高熱だ。あと一歩近づいていれば無事では済まなかったであろう。
「なんだ、これ……」
男が、炎の中を見遣れば、女の懐に抱かれて、ひと振りの刀が形作られているのがわかった。
状況も忘れて、男は息を呑んだ。
一目見ただけで、それが尋常な剣でないことがわかる。
名刀、などという域にはない。
“神刀”などという己の二つ名が恥ずかしくなるほどの凄絶なひと振り。
彼の知る限りの最高峰、その雛型がそこにあるのだと知れた。
「ッ!! それどころじゃねえか。おい、早く逃げろ、死にてえのか!?」
「これでいい。やっとオマエのいるところに、オレも――」
男の声に、クオウは応えない。
ただ炎の中、安らいだような表情で生まれたばかりの魔剣を抱きしめる。
答えは得た。だからもう、いいのだと。
そして、次の瞬間、クオウの全身を鋼色の殻が包み込んだ。
後には、炎の残した熱と、抜け殻のような彼女の衣。
――そして巨大な“鋼の塊”だけが残った。
◇
「……こんなとこにいたのか、クガラ」
しばし、呆然としていた男の背に声がかけられる。
のろのろと振り向けば、名目上は手下である男が訝しげな表情で此方を見ていた。
熊のような体格をした大男だ。すぐには名前が思い出せないが、それなりに腕は立ったと記憶していた。
「来るな……ドウカン」
男――クガラはどうにか名前を思い出し、掌を向けて近付いて来るドウカンを制した。
「あん? なんかあるのか?」
「……いや、女がひとり死んでるだけだ。荒らしてやるな」
「そうかい。義理がたいこって」
吐き捨てるようなドウカンの物言いは日陰者のそれだ。
仁義も解さない奴が無頼を気取るな、とクガラは不快な思いを抱き、次いで、彼が背に負っている大太刀に気付いた。
この山に登るときには持っていなかった筈のものだ。
「その背中の、どうした?」
「ああ、貴様はいいのか。そこの鍛冶場にゃすげえ数の名刀があったぞ」
「……まさか、盗ったのか!?」
驚き、憤慨するクガラに対して、ドウカンはうさんくさげな顔をした。
同類の癖にと。互いのこれまでの行状を鑑みれば、その論は間違ってはいなかった。
「仕方ねえだろ。これほどの剣はワシらの金子じゃ桁が三つは足りねえ。
ああ、大方はもう運び終えた。貴様が何を言おうが手遅れだ」
「ッ!! 馬鹿野郎ッ!!」
堪らず、クガラは激昂した。
事情など知らない。男は今日初めてここを訪れたのだ。
だが、あの女鍛冶がどれほどの想いで剣を鍛ったのか、そのいくらかは直に目にして理解していた。
馬鹿野郎、と男はもう一度悔しげに繰り返した。
「アイツは本物だったんだぞ!! オレらみてえな畜生が手出していい存在じゃねえ!!」
「文句ならもう一人の双牙に言え。なんにせよ剣は要る。ワシらが貴様の酔狂に付き合う義理はない」
「ッ!!」
束の間、歯噛みする男の脳裡で思考が駆け廻った。
手下たちを追って取り戻せるか。
不可能だ。
剣狼衆に拠点はない。すぐにでも彼らは全国に散る。
否、それ以上に問題なのは、今の自分にできることは――
「――おい、ドウカン」
「まだなんかあるのか? いい加減に――」
「山に火ィ付けろ。生き残りは殺せ」
「……はあ?」
「責任はオレがとる。全部燃やせ。全員殺せ。十年は誰も入ってこないくらいに徹底的にだ」
今の自分にできることは、あの“鋼の塊”が人目に触れぬよう手を打つことくらいだ。
クガラは理解している。あれは魔性に属する物体だ。衆目に晒すべきではない。
ただ然るべき者が――あの女鍛冶が望んだ唯一人だけが目にすればいい。
これは償いだ。これ以上、誰にも邪魔はさせない。
だが、願わくば――
「――ここまで想われる剣客の面を拝んでみてえもんだな」
呟き、クガラは手下に指示を出すために洞窟を後にした。
彼が“魔剣使い”を知るのはそれから数年後のことであった。




