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魔剣拾遺譚  作者: 山彦八里
一章
2/27

魔剣・絶海

「お前は剣の天才だな、ジエン」


 古い夢を見た。

 ずっと昔、自分(ジエン)がまだ旗本三男坊で、クオウがまだ見習い鍛冶だったときのこと。なにかの切っ掛けで、ふたりで月見酒を飲んだことがあった。

 欄干に肘を預け、窓の向こうの満月を仰ぎみる。無骨で無精者のジエンにしては珍しいことだった。

 もっとも、天上で月が冴え冴えと輝く一方で、隣のクオウはがっぱがっぱと杯を乾かしていた。酒が苦手なジエンとは大違いだ。

 ごくり、ごくりと喉が蠢く度に、クオウの纏う緋色の作務衣が夜闇に映える。

 もっとも、翌日にはクオウはひどい二日酔いに襲われるのだが。

 そんな雑多な思い出のひとつではあるが、それでも最前のクオウの言葉は脳裡に焼きついていた。


「冗談を言うな、クオウ。それがしのような猿真似がうまいだけの半端者が天才であるものか」


 やや乱暴に杯を置き、まだ髷をきちんと結っていた頃のジエンはことさらに顔を顰めてみせた。

 御用達の道場からほど近い酒場の二階、誰に聞かれるかもわからない。天才などと嘯いて余計な波風を立たせたくはなかった。

 道場でのジエンの評判は決して良いとは言えないのだ。印可を受けていながらあちこちの他流派に顔を出している恥知らずだ、と。

 まったくもってその通りで、反論のしようもなかった。


「いーや違うね!! その猿真似ができるまで凡人がどれだけ苦労してると思ってるんだ!!」

「そういうお前こそ天才ではないか。その歳で師の相槌をする。(けん)十年の鍛冶の業では快挙であろう」


 記憶が徐々に鮮明になっていく。そうだ。その日はクオウが初めて相槌を任されたことの祝いの席だった。

 十と五歳で相槌――鍛冶の助手を任される者などそうはいない。水の温度ひとつとっても年単位の修行がいるのが鍛冶という業なのだ。未熟者に槌を持たせることなどない。

 だが、当の本人はいたく不満そうだった。自棄とばかりに杯を呷り、手酌で次々と注いでいる。


「オレの方こそ猿真似さ。師匠の言われた通りにはい、はいと打ってるだけだ」

「その呼吸を掴むのに凡人がどれだけ苦労していると思っている」

「ぐっ……」


 見事に言い返されたクオウがぐっと言葉に詰まる。

 ぷるぷると震える様を肴に、ジエンはのんびりと杯を舐める。

 結局、クオウも反論ごと酒を呑み込むことにしたようだ。

 気まずい沈黙がふたりの間を満たす。


「……すまん、忘れてくれ」


 しばしの後、ぽつりとクオウが零した。

 クオウとて同門の先達たちを押しのけて師の相槌役を任されているのだ。

 それがどれほど名誉なことで、また貶めることが許されないことかは理解しているのだ。


「気にするな。酔いのせいだ」

「ふんっ」


 再びクオウは杯を呷り、空になったそれを叩きつけるように膳に戻した。

 そして、僅かに恐れを孕んだ目でちらりとジエンの足元に視線をやった。上品な藍色の袴を履いたそこにはあるべき大小の腰のモノがなかった。

 剣は士族にとって身の証でもある。それを持たないなど、元服を終えた武士としては有り得ないことだ。


「別に待たなくてもいいんだぞ」

「約束、だからな」


 ふてくされたように言うクオウに対し、ジエンは苦笑と共にそれだけを返した。

 自分が持つ剣はクオウの鍛ったものだけ。そんな他愛もない子供の頃の約束を律義に覚えているだけのこと。

 だが、その約束がジエンをして齢八つで流派の印可をなさしめた原動力であることを知る者は少ない。


「早く自分の剣を鍛てるようになりたいなあ」


 その数少ないひとりであるクオウは空の杯を鍛冶仕事で荒れた指先で撫でる。

 火に焼けて浅黒く、よくみれば方々に火傷痕もある指だ。鍛冶師の誇りとはいえ、美しいとは言えないだろう。

 だが、その無骨な指先から美しい剣が生まれることをジエンは確信していた。


「オレの剣とお前の腕があれば、天下無双だって夢じゃないのにな」

「そうとも。だから、待てるのだ」


 ジエンはその短い言葉の中に想いの丈を込めた。

 さして口下手というわけではないジエンだが、この二歳下の幼馴染の前ではどうにも口数が少なくなる。

 その理由を本人はうっすらと察していたが、口に出すことはなかった。

 鍛冶の神は嫉妬深い。ひとたび“それ”を口にしてしまえば、クオウはもう鍛冶場に入れなくなる。

 この天才から鍛冶の業を奪うことは、ジエンにはできなかった。


「わかったよ。必ずオレの剣でお前を天下無双の剣士にしてやるさ」


 そう言って、彼女(・ ・)ははにかむように笑った。


 ――その笑みの奥にある焦燥にジエンが気付いたのは、全てが手遅れになった後であった。



 ◇



 冬の御山に旋を巻くような寒風が吹きつける。

 葉を落とした木々は音もなく揺れて、山への闖入者を招き入れる。

 着流しひとつを纏ったジエンは両手を袖に隠したまま木々の根が浮き出る山道を登っていた。

 腰には大小、背には大太刀“無骨剣”。知らぬ者がみれば戦でもしに行くのか、と疑うような有様だ。


「数年も経てば山は元通り、か……」


 ぽつりとぼやくジエンの表情に苦いものがよぎる。

 かつて、この山には高名な鍛冶師一門がいた。

 天下に名を馳せた“御山”の鍛冶師たち。

 だが、魔剣を狙う剣客集団によって皆殺しにされた。

 優れた鍛冶の業も魔剣の独占を図った彼らによって炎の中に消えた。

 火事跡に木々が生えそろっても、地元の者は寄りつこうとしない。

 いまだ魔剣に魅せられた剣客たちが手がかりを求めて時おり山を訪れるからだ。


 魔剣。折れず、曲がらず、決して鈍ることのない究極の剣。

 魔剣。合理と条理を外れ、人間の限界を超越した窮極の剣。


 剣と業、どちらが欠けても魔剣は成立しない。

 そもそも余人が真似ることもできない。

 その剣はただひとりの鍛冶師が、ただひとりの剣士のために鍛ったものであり、

 その業はただひとりの剣士が、ただひとりの鍛冶師を想って編みだしたものなのだ。

 それは伝承することを本質とする剣術の道理から外れている。

 程度の差こそあれ、学び、鍛えれば誰でも身に付けられることこそが剣術が世に敷衍した理由なのだ。

 魔剣は、異端なのだ。


 ジエンは山の中腹で頂上へと向かう道から逸れて獣道に這入る。

 その先に、子供の頃、山で遊んでいたジエンとクオウがみつけた洞窟がある。

 さして深い洞窟ではない。午睡の頃なら灯りがなくとも奥まで見渡せる程度だ。

 かつては、ふたりが持ち寄った宝物(がらくた)のあったその場所には小さな墓と大きな鋼色の岩がある。

 クオウの墓と、魔剣の卵(・ ・ ・ ・)だ。

 ジエンの胸元ほどもある卵は磨き上げたような滑らかな表面に、ほぼ完全な玉の形をなしている異形の金属塊だ。

 卵というのはジエンがさしあたってつけた呼び名だ。正確なところを彼は知らない。材質や、魔剣を生み出したその原理もまた。

 知っているのはみっつだけ。

 コレが魔剣に用いられている鋼であること。

 魔剣を差し入れると呑みこみ、僅かに大きさを増すこと。

 そして、どのような方法を以てしてもこの場から動かすことはできないということ。それだけだ。


「ひと振り、取り返してきたぞ」


 卵に喰わせる前に、一旦“無骨剣”を彼女の墓前に供え、ジエンは静かに手を合わせた。

 この墓はジエンが建てたものだ。クオウに身よりはいない。すべて諸共に殺されたからだ。

 今となってはそれも幸運であるようにジエンには思えた。

 もし彼女の身寄りが生きていれば、確実に魔剣を求める者に襲われる。それから守り切る自信はジエンにはなかった。

 クオウ本人でさえ、ジエンは守ることができなかったのだから。


 ジエンは無心に祈る。祝詞はない。クオウの信じた神に捧げるそれをジエンは知らないからだ。

 鍛冶師一門は鍛冶の神にして軍神、毘沙の嫡神(ヴィシュラヴァス)を信仰していたが、彼女はひとり別の神の下にいた。

 はるか昔、明けの明星より飛来したとされるサナト・クラーマ、すなわち魔王尊(・ ・ ・)

 あるいは、彼女が自ら鍛えた剣を“魔剣”と称するのは――。


 その時、ジエンは背中に足音を聞いて、“無骨剣”を手に静かに立ち上がった。

 洞窟を出れば、午後の日差しの下に時代錯誤な鎧を纏った男がいた。

 黒塗りの二枚銅具足、片手に大盾、もう片方には身の丈を超える大槍を持っている。

 槍は一見して業物とわかる見事なものだ。それを隙なく構える武者もまた十分以上の業の者だろう。

 その姿にジエンは覚えがあった。


「時代錯誤の盾と槍。聞いたことがある。御身は将軍の有する“決死兵”か」

「勅命である。魔剣を献上せよ、クズリュウ・ジエン」

「クズリュウの姓は捨てた。魔剣も渡せぬよ」

「ならば、ここで死ね」


 武者は大槍をくるりと旋回させて、穂先をジエンに向ける。盾もまたその半身を守るように保持する。

 応じるように、ジエンも“無骨剣”の鞘を払い、切っ先を後方に寝かせて脇構えをとった。


(甲冑兵法とは考えたものだな)


 じりじりと間合いを測りながらジエンはひとりごちる。

 魔剣は勿論、相手はジエンの生い立ちも追っているのだろう。

 ジエンが学んだのは素肌剣術だ。鎧兜を断つ技はない。ましてや盾だ。動きからしてかなりの重さ。中に鉄板が仕込んであるのだろう。突破は困難だ。

 太平の世において鎧を纏うことも盾も持つこともまずない。

 自然、剣術も硬いものを重く斬る技から、切っ先三寸を如何に素早く斬り込むかに変わっていった。

 どちらが優れているという話ではない。ただ、用いる状況が異なるだけ。

 そして、この状況はジエンにとって限りなく不利なものだった。


 ――彼が“魔剣使い”でなければの話だが。



 ◇



 徐々に詰まっていく間合いはおよそ三間。

 大槍ならば既にひと突きする距離だ。いくら大太刀が長物とはいえ槍には及ばない。

 だが、武者は静かにその時を待った。油断はない。相手が焦れるのを待つ。

 武者はジエンと魔剣について可能な限りの情報を集めた。血塗られたその半生を知った。

 結論として、上役には全ての“決死兵”を用いるよう進言した。ここで自分が死ねば、その提言も受け入れられることだろう。

 無論、負けてやるつもりなど毛頭ない。魔剣に鉄盾を()く威力があることは想定している。あるいは、鎧も貫かれるかもしれない。自分は死ぬだろう。

 だが、如何に優れた剣客であろうと斬る最中はそこにいるのであり、盾と鎧を貫いて肉まで到達するには僅かなりとも時間がかかる。

 そこを突く。最悪でも相討ちに持ちこめる。それを可能とする技量が武者にはある。ゆえに、あとは待つだけでいいのだ。


 吹き下ろしの風がふたりの間を抜ける。

 間合いが二間半を割ったそのとき、対面のジエンがおもむろに構えを変えた。

 脇構えから切っ先を上げて、鍔を頬に寄せる。八相の構えだ。

 狙いは刺突だ。武者はそう看破した。

 軽装の有利で先をとり、盾と鎧の隙間に刺し込み、反撃を受ける前に絶命させる。

 成程、ジエンが勝つにはそれ以外に方法はないだろう。

 ゆえに、武者は足を止めて受けに回った。鎧を着込んで速さ勝負に付き合う気は毛頭ない。

 先手はくれてやる。代わりに、命は貰う。両足を踏ん張り、ジエンが踏み込むのを待つ。


 そして、ついにその時が訪れた。

 武者の頬当てに額から流れ落ちた汗の一滴が当たって弾ける。

 瞬間、ジエンが一気呵成に踏み込んだ。切っ先を前に倒して真っ直ぐに突き進む。

 予想より、速い。それでも武者は盾を前面に突き出し、同時に腰だめにした槍を突進に合わせる。

 相討ち。その一語が武者の脳裏をよぎる。


 だが、だが、だが。

 彼は選択を間違えた。魔剣を正しく理解していなかった。

 否、魔剣に正しさなどない。そこに条理はなく、道理は踏破されるのみ。


 すなわち、踏み込みの速度に反し、ジエンの剣は遅かった。

 武者が槍を突き込んだ時にはまだ、ジエンの攻撃は放たれていなかった。

 一方で、武者の槍は既に放たれている。捻りを加えた穂先が猛然と進攻する。

 ジエンはそれを見切り、半歩、盾の方にずれる。武者の渾身の突きはそれだけで躱された。

 だが、詰みだ。武者はジエンを押し込むように盾を突き出す。

 もはや盾と大太刀との間には一寸の隙間もない。

 ジエンが突きを放つよりも先に盾が得物ごとその身を押し潰す――筈であった。


 刹那、盾の表でかつりと小さな音が鳴った。

 優しく、触れるような小さな音。

 それが大太刀の触れた音だと武者が察する、直前、武者の両足がふわりと宙に浮いた。


「――な」


 思わず、絶句する。

 鎧ごと吹き飛ばされたと気付くのに早足で二拍。

 感嘆すべき理解力だが、如何せん魔剣は既に成立している。逃れる術はない。

 視界の中で、中心に向かって渦を巻くように、ゆっくりと盾がひしゃげていく。


 “無骨剣”、その重さと分厚い刃は骨を無いものとして人を斬る。

 だが、正しき使い手が振るうとき、大太刀はその域を超える。

 鉄を断つのに速さすら不要。その重さのみで刃は全てを突き通す。


 ――“無骨剣”改め、魔剣・絶海。


 盾を貫いた刃が胸当てに突き立ち、肉を抉り、心の臓を食む。

 その様を走馬の認識で捉えながら、武者は死んだ。



 ◇



『なあジエン、すっごい重い剣があったらお前はどうする?』

『上段から振り下ろすだろうな。重さがあるならそれだけで人は斬れる』

『ばっかオメーそんなことは誰でもできるじゃねえか。違うんだよ、もっとこう度肝を抜くような業をだな』

『……重いということはそれ自体が力だ。だったら、使い手が新たに力を加える必要はない』

『それだ!!』



 とぷん、と音を立てて魔王の卵に大太刀を差し入れる。

 抵抗はない。卵はまるで水面のように一度だけ波打ち、太刀を根元まで呑みこんだ。

 後には、空っぽになった柄だけがジエンの手に残されていた。


「クオウ……」


 何度経験しても、この瞬間は耐えがたかった。

 叫び出したくなるような激情がジエンの胸を掻き毟る。

 ジエンは魔剣など求めていなかった。

 クオウの鍛った剣ならば、ナマクラでもよかったのだ。

 彼女がそれで納得してくれれば、あとはただ――。


 少しだけ大きさを増した魔王の卵はしかし、何も告げることはない。

 波打った筈の表面も鋼の冷たい手触りを返すのみ。

 悔恨を振り切り、ジエンは洞窟を後にする。

 激情は既に去り、男の中に残るのは鋼の決意のみ。


 ――全ての魔剣を奪い返す。


 その一念だけを胸に、男の背中は暮れゆく山中へ消えていった。


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